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5.テオドール

 目が覚めたらベッドの中だった。

 ぼんやりとした意識の中で身を起こして回りを見る。小さめのベッドが二つ設置されたその部屋はとてもこぢんまりとしたもので、以前の世界のビジネスホテルと同じような広さだ。

 昨日のうちに取っておいた宿屋の部屋だと、未だ寝ぼけた頭で認識した。ロッテさんの店の隣にある宿だ。いつの間に戻ってきたんだろうか。昨日、ご飯を食べてる途中からの記憶がない。


「もしや、寝落ちした?」


 嘘でしょ。ご飯食べてたんだけど?

 そんな状況で寝てしまった事実に意外にもショックを強く受ける。確かに体は幼いけれど! でもでも、まさかそんな状態で寝るなんて!

 羞恥で悶えつつもそっと隣のベッドを見やる。そこにはもちろんフィーネさんが寝ていた。山で暮らしている彼女だが、今日はまだ起きていないらしい。窓の外を見れば空が白んだばかりのようで、大分早起きしたのだと理解した。外からの音もほとんどないから普通の人は起きていない時間なのだろう。いくら山育ちで早起きと思われるフィーネさんでも、まだ起きる時間じゃなかったのかもしれない。私は子供とはいえ早すぎる時間に寝たので自然と目が覚めてしまったのだろう。

 ベッドから降りて部屋の外に出る。この宿屋は個室の中にお水はない。部屋の外に水瓶が設置されていて、そこに取り付けられた蛇口から水を出す仕組みらしい。もっと便利な設備もあるらしいけれど、一般的に水道はこんな造りらしい。フィーネさんの小屋の水道も外に大きな貯水槽があって、そこから管を繋いで水道にしているようだった。水は私が寝てしまった川から汲んできているようだ。


(ファンタジー世界で水道とか下水とか、そんなこと考えたりしたことなかったけど、やっぱり生活するとちょっと気になっちゃうよね)


 水を少なめに出して顔を洗う。ついでにタオルを浸して絞った状態のまま部屋に戻った。服を脱いで濡れタオルで体を拭いて、フィーネさんの荷物を探る。私が着ていた服は、ここに来る前に脱いでフィーネさんが洗ってくれていたのだ。そのあと魔法で乾かしてくれて持ってきていた。今まで着ていたのはフィーネさんがお古の服を適当に手直ししたもので、かなり不格好な姿だったと思う。

 自分の体にぴったりのワンピースに着替えて、改めてよく見てみる。一日中山の中を歩いていたけど、転んだりはしなかったし、低木に突っ込むなんて無茶な歩き方はしなかったおかげで服の状態はいい。もともと上質な布を使っていたのもあるのだろう。着心地もいいそれは、この辺りの子供の服装と比べるとそれなりに高価な物に見えた。


(やっぱり捨てられたのかな?)


 こういう世界は漫画とかでしか知識のない私が考えられることは、私が貴族の血を引いているけれど、相手は侍女とか平民で、望まれない存在だったから、とか。そういうドロドロとしたお家騒動に巻き込まれて、結果私を捨てるという結論に至った、とかそんなものだ。

 実際、そんな相手の子供にそれなりに上質な服を与えるかは疑問だけど、想像力の乏しい私はそんな考えしか浮かばなかった。

 まあ、いくら考えても結局はここに私の両親はいないのだ。フィーネさんは私の我がままを受け入れてくれたのだから素直に彼女と暮らそう。そう思って窓を開ける。まだ完全に太陽が昇る前だから風が少し冷たかった。けれど寝起きにはちょうど良くて鳥の囀りを聞きながら街並みを眺める。

 王都というのだから、私の世界で言う東京なのだろう。ファンタジーっぽく街は点在してるのか、この近くの街と言えばここから北、フィーネさんがいた山を超えた先とここから南、海に近いところにある、らしい。もちろんここからは見えないけれど。

 海があるなら見てみたかったなー。いつか行けるかな?


「あ!」


 ぼんやりと人が少ない街を眺めていれば、目の前の家の庭、つまりロッテさんの店の庭に昨日の子供がいることに気づいた。確かテオドールって名前の男の子。私の名付け親だ。

 こんな朝早くから小さな棒をビュンビュンと振り回してる。まるで勇者ごっこのようだ。その微笑ましさに思わず笑って見つめていたけど、この際あの子とはもっと仲良くなっておきたいという欲が出て、足台にしていた椅子から飛び降りる。少しだけなら出ても問題ないだろう。まだ眠っているフィーネさんを部屋に残して私は勢いのまま宿から出た。


「ねえ、何してるの?」


「はっ?! な、な、なんで、おま!」


「あ、おはよう! テオも朝早いんだね!」


 手作りの木剣なのだろうか。小さな木々を加工して作られたそれを振り回していたテオは、私の声に体ごと跳ねさせて振り返った。こんな時間に声かけてくる子供などいないのだろう。あまりにもびっくりした顔に、堪らず笑ってしまう。何してるのかと聞いてはみたが、木剣を手にしている時点で答えは決まっている。


「剣の練習?」


「そうだけど。てか、勝手にテオって呼ぶなよな。そういうあだ名は親しい間柄で、許したヤツしか言っちゃいけねーんだよ」


 怒鳴るように言われて近づけていた体を少し反らす。馴れ馴れしくするなと言われてしまった。確かに、名前をつけてもらったと言っても、私と彼が仲良く二人で話したわけではない。それなのに、まるで友達になったかのようにあだ名で呼んだら失礼だろう。いくら子供同士とはいえ、軽率だった。ごめんなさい、と小さく囁いて肩を竦めれば、あまりにも素直に謝ったせいか、テオが慌てだした。


「だ、だから、他のヤツには特に、そういうことすんなよ! オレは、あんまり、気にしねーけど」


「本当?」


「あ、ああ。だからそんな、悲しそうな顔すんなって」


「じゃあ、私もテオって呼んでもいい?」


 期待する目で見つめて問えば、彼はうっ、と声を詰まらせる。しばらく見つめ合っていたが、こんな風に女の子と会話することがないのだろう。次第に頬を赤らめて視線を彷徨わせた。あまりにも可愛らしい反応に頬が緩みそうになる。


「し、仕方ねーな」


「ありがとう! ね、テオの剣振ってるところ見ててもいい?」


「興味あるのか? 女はこういう野蛮なこと嫌いだろ?」


「ええ? 性別で好みを決めつけないでよ。どんなことでもテオが頑張ってることだもん。見てみたい!」


 子供らしく首を傾げながらいい? と再度聞けば、やっぱりテオは顔を赤くして勝手にすればと吐き捨てるように頷いてくれた。

 魔法が存在するこの世界。まだまだどんなところか知らないからなんとも言えないけど、王都と呼ばれるだけあって王政制度なのだろう。そうなると私のイメージはどれかというとファンタジーに近いもので、騎士団とかそんなのがあるんじゃないだろうか。

 もしかして、テオはその騎士団を目指してるのかな、と聞けずに木剣を振り回す姿を見守る。

 次第に太陽が昇っていって、外に出てくる人の数も増えた。至る所から美味しそうな香りが漂ってきたから、そろそろ朝食の時間だろうか。


「なあ、飽きねーの?」


「飽きないよ! テオ、剣の振るの慣れてるんだね。ずっと頑張ってたんだ?」


「ま、まあな。このくらいやらないと、将来勇者になれねーし!」


「勇者?!」


なんと、まさにファンタジー王道な職業ではないか。待って待って、そんなものがあるってことは、敵もいるんじゃないの?


「勇者って、何する人?」


「なんだよ、知らねーのか? 聖女と勇者の話」


「聖女と勇者」


 また新しい名前が出てしまった。テオのような子供でも普通に知ってて当たり前なお話なら聞いておくべきだろうか。多分、記憶喪失だから知らないだけだけど、知らないのは本当なので首を横に振ると、テオは木剣を置いて芝生の上に座り込んだ。


「仕方ねーな、教えてやるよ! ほら、お前もここ座れって」


「うん!」


 隣をバンバン叩かれて、そのあまりの強さに芝生が少し剥げてしまっていることにテオは気付いていない。勇者について語れるのが嬉しいのか、あまりにも喜色を滲ませた表情に私もなるべく楽しそうに笑ってそこに座った。

 肩が触れ合いそうなくらい近い場所に座り込んで、テオのただただテンションの高い語りに耳を傾けた。

 子供らしい言葉遣いと省略された話をまとめると、こうだ。




この世界には人と動物の他に魔物と呼ばれる生物がいます。

魔物は人や動物が苦しいと思うことでできる汚れた空気を吸って生きています。

生きる中で、そういった感情は無くせません。

だから、魔物がいなくなることはありませんでした。

汚れた空気は悪い人の悪い感情によっても生まれます。

そうした汚れた空気がどんどん増えて、世界に溜まっていくと、災いが生まれてしまいます。

それが、魔王と呼ばれる大きな魔物です。

魔物よりも大きく、汚れた空気を取り込んだ魔王は人も動物も関係なくすべてを壊してしまいます。

汚れた空気を吸いながら、どんどん力を付ける魔王に、人々は恐れました。

そんな時、白い光を放つ浄化の力を持つ少女があらわれました。

少女は汚れた空気を清めることができる特別な存在でした。

魔物に苦しむ人々を、少女は浄化の力で守りました。

そんな少女を護れるのは、たった一人の少年でした。

少女は心を通わせることのできる少年と一緒に魔王の元に向かいました。

汚れた空気を吸って強くなった魔王を、少年と少女は力を合わせて浄化しました。

汚れた空気でいっぱいになっていた世界は少女のお蔭で綺麗になりました。

人々は少女と少年に感謝しました。

浄化の力を使う少女を聖女と、少女を護れる唯一の少年を勇者と称えました。

こうして世界は平和になり、聖女と勇者の伝説は後に語り継がれることになりました。




「つまり、魔王をたおせるのは聖女だけで、その聖女をまもれるのは勇者だけなんだ!」


「へえ、すごい! じゃあ、テオはその勇者を目指してるんだね!」


「そういうこった!」


 まだ勇者になれたわけでもないのに胸を張るテオが何だか可愛くて思わず笑ってしまう。にしても、やっぱりいたよ、魔王。汚れた空気って何だろう。前世の言葉で言うなら瘴気とかそういう類のものだよね? 魔法があるんだから、それに準ずる何かが生物からは出ていて、結果魔物を生みだしているなら、生物がいる限り魔物も消えることはないのは確かだ。そして、その瘴気が増え過ぎれば、やがて魔物の中により強い存在の魔王が生まれる、ということだろう。強すぎるその存在を完全に打ち消すことができる存在が聖女で、聖女が生まれたら必然的に勇者もいるってことなんだろうか。

 まるでゲームのような話だ。けれど、こんなファンタジーな世界なら、有り得ないこともないんだろう。


「テオが勇者になるには、まず聖女様が出てこないとね! どんな聖女様がいいの?」


「え、どんなって……えっと」


 あんなに意気揚々と語っていたのが嘘のように静かになって、真顔で私を見つめてくる。そんなに見られてもテオの言いたいことなんてわからないんだけど。

 そこでようやく女の子の顔が見慣れていない事実を思い出したのか、それとも今までにない近さに私の顔があったことに気付いたのか、途端顔を真っ赤にして上体を反らした。


「そ、そんなのお前にかんけーないだろ!」


「えー! そこまで語っておいて酷い!」


「な、な、何がだよ! だいたい、オレの聖女がどんな人か聞いてなにがおもしろ――」


「ティーナちゃん? あらやだ、どうしてここにいるの? フィーネさんと宿に泊まってるはずよね?」


 驚いたようなロッテさんの声でハッと我に返る。そうだ、確かに私は宿から抜け出してきたんだ。寝ているフィーネさんに何も言わずに。顔を上げれば随分高い位置にもう太陽が昇っていた。ヤバイ、絶対フィーネさんもう起きてる。さあっと顔を青くした私は思わず立ち上がった。


「ど、ど、どうしよう、何も言わずに部屋出てきちゃったんだ」


「はあ? おま、なにして!」


「やっぱり怒ってるかな? 心配かけてたらどうしよ! 早く戻らないと!」


「その心配はいらないよ、ここにいるからね」


 既に聞き慣れてしまった声が背後から聞こえて堪らず身を固くした。ああ、そうだよね。山で暮らしている彼女ならとっくに起きているし、とっくに私のこと探しに来てるよね。これは絶対怒られる! そう思いつつもゆっくりと振り返れば、予想外にもすぐ後ろにフィーネさんが立っていて、思わず飛び跳ねるようにして距離を取った。


「まったく、何も言わずに部屋を出るんじゃない」


「ご、ごめんなさい」


「王都とはいえ、子供一人で街を出歩いたら何があるかわかんないんだよ。それに、あんたはまだ迷い子扱いだ。これで人攫いにあったら今の私じゃあ助けられないんだよ」


 確かに。身元もわからない上に、フィーネさんとは何の繋がりもない。こんな場所で誘拐でもされたら手がかりになるのは容姿のみ。本当の名前もわからないし、戸籍だって今の私では無いも同然。彼女の養子にしてもらうにしても、まだ何もしていない状態なのだから、彼女が私の捜索をお願いすることも難しいかもしれない。

 言われてしまうと本当に軽率な行動をしてしまったのだと、顔を真っ青にして俯いた。


「ごめんなさい」


「まあ、起きてすぐにあんたがここにいることは窓から確認したからね。そんなに心配はしてなかったけど、次からは気を付けなよ」


「はい」


「テオ、あんたも今後は気にしてやってくれないか? 折角名付け親になったんだ。兄貴替わりになってやっておやり」


 フィーネさんの一方的な言葉にえっ! と声を上げたテオだけど、テオもフィーネさん相手には逆らえないのか、すぐに口を噤んで渋々と頷いていた。同時に視線を私の方に向けてじっと何かを訴えるように睨んでくる。これは、きっと、世話焼かすなよって言われているのだろうか。いや、多分そうだな、うん。


「これからよろしくね、テオ」


「……おう。じゃあ、兄貴分ってことで、お前のことオレだけはティナって呼ぶから」


「え、あだ名? それ、私のあだ名?」


「そうだよ! でも、ティナって呼び方はオレしかダメだからな! 他のヤツには自分で別の呼び方考えて言わせろよ!」


 つまり、ティナって私のことを呼ぶのはテオにしか許すなってことだろうか。テオが私の兄貴分だと、周囲に知らしめなきゃいけないのかな? よくわからないけど、元々この名前はテオが付けてくれたんだし、そのくらい自由にしてもらう権利くらい彼にはあるだろう。それに、ティーナって名前も、ティナって呼び方も可愛くて好きだし。気に入ったという気持ちを伝えたくて、私は子供らしく、素直に満開の笑みを浮かべて頷いた。

 そんな私とテオのやり取りを、意味深な笑みを浮かべて見守る大人二人に、私もテオも気付くことはなかった。



 

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