25.歌姫
建国記念祭が始まる朝の出来事で私はドッと疲れてしまった。なので、始まるまでの時間、ついテオの部屋でだらけてしまう。
「すごい、落ち着くこの部屋」
「おいおい、平民用の寮なんだから質素だし、お前の所の広さの半分以下だぞ」
「広ければ居心地がいいなんてないでしょ。普段はあそこまで広い部屋にいなかったのに、唐突にお貴族様生活だよ? 最初なんて肩が凝ったんだから」
それに、広いと掃除も大変だし。あの高級な部屋を維持するのも気苦労する。だからこそ、魔法を使った掃除の仕方とか開発してしまったんだけど。
「ほら、そろそろ始まるから行こうぜ?」
「ふえーい」
建国記念祭は強制参加ではないんだけど、まあ全く顔を出さないのもよろしくない。それに、今日はロッテさんも来るらしいから三人で楽しく回る予定だ。
「ロッテさんはいつ来るの?」
「流石に一日店を閉めたくないから朝に来て昼過ぎには帰るって言ってた。まあ、この前は逆に午後から閉めてたしな」
「足して丸一日だもんね! ふふ、働き者のロッテさんらしいね」
そんな他愛無い会話をしながら門まで歩く。途中なんか注目を浴びていた気がしたけど気のせいかな? いや、気のせいじゃないな。考えてみたら平民寮だっけ。しかも普通にテオの部屋から二人で出てきちゃった。そりゃあ注目もされるわ。
いや、もう今更だよね? だってテオは気にしてないし。よし、私も気にしない。
「テオー、ティーナちゃーん!」
「ロッテさーん!」
門に来ていたロッテさんに手を振って近づく。去年も建国記念祭には来ているらしいから、ロッテさんにはあまり緊張している様子は見えない。最初にここに来る平民は基本緊張してガチガチなんだけどね。魔法学校は貴族様式で造られているから気後れするのは仕方ないことだ。
「こうしてティーナちゃんの制服姿を学校で見るのは新鮮ねえ」
「そうかな? でも建国記念祭に家族を呼んでいいなら、武術大会ももう少しオープンな行事にしてくれればいいのに」
「あー、それはオレも思った。一番の活躍の場なのにな」
武術大会を行っている闘技場は騎士団演習でも使われるちゃんとした場所だ。生徒や教師だけでは観戦席は満席にはなり得ないし、保護者枠くらい作ってもいいと思うんだけどな。
もちろん、学校関係者とは別にコネで見学に来るお偉いさんはいるにはいるけど、それでも空席はたくさんあった。それなのに許可しないのは何か理由があるのかな?
「そうねえ、確かにそれも興味はあるけど、でも興味本位で見に行ったら私は心配で気が気じゃないと思うわ」
「あー……ロッテさんそういうの見るの慣れてないですもんね」
「騎士団にいた夫を持つ身としては、情けないけれどね」
そんなもの、慣れている方が異常だ。たとえ騎士の妻であろうと、荒事に常時身を晒しているのは騎士本人でしかない。妻は家庭を護っているものだ。更に言えばロッテさんは魔法も使えない。魔法と剣、どちらもありの戦闘なんて見ても不安しかないだろう。
もしかして、そういうことで具合を悪くする人や大会に文句を言う人でも続出したのかな? ありえなくもないな。モンスターペアレントというのはどんな時代であっても、特に貴族ならば存在していてもおかしくないし。
なんて、くだらない思考に捕らわれながら記念祭開催場所にたどり着いた。学校の食堂や教室を利用した臨時的なレストランや様々な露店が外に並ぶ光景は圧巻とも言える。
「にしても、こんなにいっぱいあると何を食べたらいいか悩むな」
「そういえば今日朝飯抜いてきたんだっけ?」
「当たり前じゃん! こんな機会ないんだもん! いっぱい食べる!」
「あら、それなら任せてティーナちゃん! 前回の時にこれは! ってものは覚えてるんだから! 教えてあげるわ!」
何と頼もしい。流石ですと目を煌めかせてロッテさんの案内に従った。食堂を営んでいるだけあってロッテさんは他の店が出すご飯を食べる機会は逃さずに利用するタイプだ。美味しいと思うものはきちんと評価するし、それを自分の店にも生かす。まず、外で食事をする機会があまりないけれど、だからこそチャンスは逃さない。
そういう勤勉さはテオに似ているなって思う。テオの場合は特訓だけど。
「んー! 美味しい!」
「でしょでしょ?」
「母さん、今回他にも目を付けてたところないっけ?」
「ああ、あるある。もちろんそれも回るわ! 夜の分まで食べて帰るわよ!」
「普段そこまで大食いじゃねーのに、どうしてそんなに入るんだ? オレにはわかんねー」
普段体を動かしているテオはまだしも、ロッテさんは普通の胃の大きさだ。それなのに、今日はここに来てからずっと食べっぱなしで、それでも平然としているから私もびっくりする。ちなみに私はロッテさんの話を聞いているだけで確実すぐにお腹いっぱいになることが想像できたので、最初からテオと分け合っている。ロッテさんが美味しいと思っているところはテオも美味しいと思っているところらしく、分け合うことに不満はなさそうだからいいけど、テオは個人的に食べたいところはないのかな?
「それはそうと、食休みとしてコンテストは見に行くんだろ? そろそろ移動しないと間に合わないけど」
「あ! そうだった! ロッテさん、友達が出るんですよ! 一緒に応援してあげてください!」
「あら、わかったわ。なかなか学校の友人を紹介されないから寂しかったのよね」
学校関係の友人となると、平民は少ない。テオの元バディは伯爵家嫡男のロイド先輩だし、私の友人や知り合いだってリリー以外貴族だ。皆寮暮らしだから紹介しようと思えばできるし、気のいい人達だから可能ではあるけど、貴族を平民の食堂に連れて行くのは気が引ける。ロッテさんもそれはわかっているから連れてこいとは言わないのだろう。
「コンテストに出るのは教会の子なんです。だからって訳じゃないけど、聖歌を歌う声がすんごく綺麗で聞きごたえありますよ!」
そう自慢する私を、ロッテさんは優しく微笑んで頷いた。
コンテストを行うのは学校の講堂だ。入学式があった場所でもある。ここが一番人が入るし、音も響く場所だからだ。各学年に二名ずつの代表者、計六名の歌を披露するだけの場にしては、かなり大きいし、仰々しい気もするけれど、この学校に関してはもう今更でもある。
「ティーナちゃん、こっちこっち!」
「お、マリエッタもロイドも来てるみたいだな」
「そうだね! ロッテさん、あの二人も友達なの! 紹介するね!」
「ええ!」
席を取っておいてくれた二人にお礼を言って、それぞれに紹介をする。ロイド先輩は相変わらず無言で頭を下げて、マリーはにこやかに挨拶をしてた。そしてロッテさんは相手が貴族ということで一瞬硬直していた。まあ、仕方ない。
そうしている間に開催時間になる。挨拶や参加者の紹介、披露曲の説明等が入り、一年生から順に始まる。何とリリーはトップバッターだ。
ステージの上に一人で立つリリーは少し緊張しているようだった。だけど、私達を見つけると嬉しそうに微笑んで、そっと胸の前で手を組む。何度か深呼吸を繰り返せば、伴奏が流れた。
そして、その綺麗な伴奏に、同じく綺麗な歌声が重なった。
どこまでも伸びる声音はとても澄んでいて、嫌な気持ちを吹き飛ばしてくれるような気持ちになる。
(あ、れ?)
というか、リリーが光って見える。小さな、小さな粒子がリリーの声に乗って広がっているように思えて私は視線を巡らせた。魔法に見えるけど、違う。それよりも魔力そのものに近い。だけど、それとも少し違う。リリーの魔力の色と若干違うように思えた。リリーの色……柴水晶にハイライトを足したような……つまり、光っているように思えた。
流れてくるそれはとても細かくて、ささやかなもの。魔力に近いものだからか、私以外誰も気付いていないようだった。まるでイルミネーションみたいだな、なんて感動しつつ、癒しのその時間はあっという間に終わりを告げた。
その後も綺麗な歌を五曲続けて聞く。代表者だけあって皆とても上手だった。聖歌を歌っている人は半分くらいと割合多めだったけど、あのリズム感が一定でないこの世界ならではの曲を歌っている人ももちろんいて、その高度な歌を当然のように歌っている姿に、私は一人戦々恐々としていた。どうして歌えるのか、何度聞いても理解できない。
そうして、六人の歌を聞いて、ついに投票時間がやってきた。講堂に入った時に手渡された用紙に一番だと思う人の名前を記入して投票箱に入れる。そうして、一番票が多かった人が今年の歌姫として登録される。
毎年贈られる賞品は違って、今年は宝石を使ったブレスレットらしい。流石貴族。賞品のレベルがおかしい。多分、リリーはあれもらえたら換金して教会に入れるんだろうな。躊躇なく。
「お待たせしました! 投票結果が出ましたので、発表させていただきます! 今年の歌姫は――リリア嬢です! おめでとうございます!」
司会の人の合図で前に連れてこられたリリーは信じられないとばかりにキョロキョロと視線を動かしていた。皆、とてもレベルの高い歌を披露していたから自信が持てなくても仕方ない。だけど、心に何よりも響く歌を披露していたのはリリーだったと私は思う。最初に歌ったはずなのに、他の歌をどんなに聞いても、リリーのあの声音がずっと耳に残っていた。もう一度聞きたいと思わせる歌だった。きっと、誰もがそう思ったんだと思う。
「あ、ジルもいたんだ。気付かなかった」
「ああ、テオか。僕は逆側にいたからな。リリー嬢の歌、とても素敵だったな」
ぞろぞろと観客が講堂から出る流れに合わせて私達も出ようとした時、王子に出くわした。朝のことがあるから一瞬ドキっとしたけど、まあ多分バレてない。大丈夫。
リリーの歌を絶賛する王子に、うんうんと頷いて肯定していたけど、突然言葉を切って彼はでも、と何か考えるように口を閉じた。
「どうしたんだ?」
「……いや、実はずっと探していた少女が、今日見つかったんだ。その時彼女は歌を歌っていて、その歌と、リリー嬢の歌が、何となく似ている気がして」
「似てる? 声が?」
「いや、違う……とても、心が軽くなるような、そんな。いや、きっと同じくらい綺麗で心のこもった歌だったからだな」
今のは忘れてくれと苦笑した顔を見せた王子にテオは首を傾げる。綺麗? と何か疑問に思っている表情に、思わず見えないところで腹を抓ってやった。
「いっ! 何すんだよ」
「別に。あ、そうだジルシエーラ様、こちら紹介しますね。テオのお母さんのロッテさんです」
「初めまして、いつもテオがお世話になってます」
「ああ、こちらこそ気さくに話しかけてもらって助かっている。私はジルシエーラ・シェル・グロワッサムだ。以後お見知りおきを」
王子としての顔だけど、友人の母親に対して少し気安い笑みを浮かべて彼は自己紹介をする。その名前を聞いた瞬間、ロッテさんは今度こそ完全に硬直してしまった。
「母さん? おーい、どうした?」
「いくら何でもジルシエーラ様とこんな場所で挨拶するなんて思ってなかったからショックだったんじゃない?」
「げえ、マジか? こういうことには流石に慣れねーもんな、母さん」
「環境がないからね。テオのお父さんなら大丈夫なんだろうけど、ロッテさんは魔法学校行ってたわけじゃないし、お貴族様とかと関わらないもの」
テオと共に肩を竦めれば、その姿をマリーや王子は苦笑して見つめてくる。ちなみにロイド先輩は動きのないロッテさんを心配しているのか、顔を覗き込んでいた。けれど、それでもしばらく彼女は何も反応を示さなかった。
「皆さーん!」
講堂を出て少し前の廊下の端で待っていれば賞品を受け取ったリリーが満面の笑みで駆け寄ってきた。普段はそんなことしないのに、余程嬉しかったんだろう。子供のようなはしゃぎ方に堪らず笑みを漏らす。
「リリーちゃん、おめでとう!」
「はい、ありがとうございます! こんな素敵な賞品いただけて嬉しいです!」
「今年は確かピンクダイアをあしらったブレスレットだったな? リリー嬢にぴったりな装飾品だな」
王子として見たことがあるのか、それとも宝石の現物を知っているからなのか、流れるように褒め言葉を口にした王子に、リリーも嬉しそうに笑った。花が咲くような愛らしい笑みをしたまま、けれどもリリーは衝撃的な言葉を口にする。
「そう言っていただけてとても嬉しいんですが、これはすぐに売ってしまおうかと」
「「は?」」
「……?」
王子とマリーは声を揃えて、ロイド先輩は無言で首を傾げる。折角の記念品をあっさり手放す言葉は三人には理解できないのだろう。魔法学校在住中に手にできる数少ない栄誉とも言えるのだ。歌姫の称号を失うわけじゃないが、証拠ともなる品をあっさり手放すなんて想像もしないだろう。
「そうね、ピンクダイアを使ってるし、しかも一点限りのデザインだろうからかなりの価値にはなるんじゃないかな。でも、リリー、伝手はあるの?」
「そうなんですよね。実はこんな立派な物を売りに出すなんてしたことないので、扱い方に迷っていて。ティーナさんはどこか信頼できる人を知っていますか?」
呆けた三人をスルーして私は会話を続ける。リリーに至ってはおそらく三人が理解できないことを察していないと思われる。
「一人心当たりがあるけど。でも、いつ会えるかわからない人なんだよね。あ、でも連絡方法は持ってるから聞いてみようか? すぐじゃなくてもいいなら返事を待っていてくれると私としても安心なんだけど」
「それはもちろん! そもそも歌姫に選ばれるなんて思っていなかったので。教会に言っているわけじゃないし、お世話になります」
「ちょ、ちょーっと待って! 何か自然と話が進んでるけど、えっと、リリーちゃん、それ売っちゃうの?」
ようやく立ち直ったマリーが慌てて問いかけてくる。他人のことなのに鬼気迫る様子に、リリーは不思議そうに瞬きを繰り返した。
「はい。とても名誉なことですし、素敵な品ですけど、お金にしないと教会に入れることもできませんから」
「……なるほど。そういうことか。リリー嬢は教会をとても大切にしているんだな」
「それは、あそこが私の家なので……。少しでも楽な生活をさせてあげたいと思ってしまうのです」
照れ臭そうにはにかむリリーに、全員がほっこりとしたのは言うまでもない。
今年の歌姫は、声はもちろん心も綺麗で称号に恥じない女性です。
「とっても素敵な考えね。リリーちゃん、って言ったかしら? 初めまして、私テオドールの母のロッテです」
「あ、初めまして、西区の教会で育ちました、リリアと申します」
「ふふ、素敵な名前ね。ねえ、もしよかったらご馳走させて? 形に残る物じゃないけれど、貴女自身にもご褒美として何かあげたいの。食べ物なら、素直に受け取ってくれるでしょう?」
王子と話したというショックから抜け出せずにいたロッテさんは、リリーの清らかさに浄化されたようですっかり元気になった。まだまだ露店巡りをする予定ではあったので、それにリリーを誘っているようだ。初対面の人に奢ってもらうなんてとリリーはしきりに首を振っていたけど、テオが諦めろと雑な言葉で諭している。
「それなら私もリリーちゃんにジュース奢るよ!」
「……なら、俺はデザート」
「それなら僕は授業がある日に好きな食事を出そう。今日はこれ以上買ってもリリー嬢は食べきれないだろうしな」
「え、え? いえ、そんなぁ、悪いですってぇ!」
涙目になりながらずっと恐縮していたリリーは、けれども多勢に無勢の状態で敵うはずもなく、結局皆にご飯を奢られることになるのだった。




