24.思わぬ再会
かくして、王子との目論見は計画通りに進んでいると思う。あれだけあからさまに噂していた人達は徐々に減っている。それも定期的にランチに誘ってくれる王子のお蔭だ。
というか、何だかんだテオやエリクが王子と気が合うようで、会話が盛り上がっていた。リリーもいるし、この八人でランチをするのにさほど違和感を覚えなくなってきた。
「リリー、コンテスト出場おめでとう!」
「ありがとうございます、ティーナさん」
歌姫を決めるコンテストに出場するには各学年ごとで一定の評価を得なければならない。それぞれ二名ずつ、代表者が選ばれて当日のコンテストに出場できるのだ。
リリーは一年の代表に見事選ばれて、当日のコンテスト出場の権利をもぎ取った。誰もが認める美声なので、当然と言えば当然だ。更にチョイスもいいと思う。初代聖女が歌ったとされる聖歌は心が洗われるように澄んでいた。
「コンテストは絶対聞きに行くからね!」
「嬉しいです! 一生懸命歌いますね!」
「歌姫に選ばれるとちょっとした賞品ももらえるんだっけ?」
学園のお祭りというだけなので、武術大会のように生徒に強制参加させる催しはない。前世の学園祭と比べれば何だか楽過ぎる行事で拍子抜けしてしまうけど、そもそもこの学校は貴族がほとんどだ。自ら露店を出したりして働くようなことを生徒に強制できるはずもない。将来の役に立つ、なんてこと言えないしね。
「はい! 私が優勝できるとは思いませんけど……でも、もしもがあるのなら、教会に少しでも入れることができると思うんです」
キラキラと夢を語るように口にするリリーが眩しい。
純粋で、素直で、優しい。理想とも言える女性のリリー。だけど、世間知らずの甘い女の子ではない。譲れないものをきちんと自分の中に持っていて、それを護るためなら厳しい道にもいく覚悟を持っていると思う。
だからこそ、と思う。
リリーが聖女だと思う理由はそこにある。
(初代も二代目も三代目も身分の差はあれど全員貴族だったはず。偶然かとも思ったけど、最近ちょっと思うことがあるんだよね)
もし、聖女になる条件が〝慈愛に満ちた優しい女性〟ならば、貴族よりも平民の方が条件を満たす女性はいる気がする。貴族とは、前世で言うなら政治家だ。国を回すために産まれた時から使命を持った人間と言える。だから、大なり小なり国の闇を見て育つ子供が多い。もちろん甘やかされる子供だっているけれど、そういう子供は純粋とは程遠い。ただの甘ちゃんだ。
そんな女性に聖女の力は与えられない。けれども、今までの聖女はそんな闇の深い世界に浸った貴族。そう、偶然か必然か、聖女として選ばれるのは慈愛に満ちた優しい女性でかつ、民を、国を、よりよい未来に導こうとする強い意志を持った人だ。だからこそ、平民には聖女は生まれないのではないかと私は思う。
だけど、リリーは平民で、しかも孤児でありながらも自分の人生に悲観するのではなく、自分のような子供が今後は生まれないようによりよい未来にするために日々を生きている。人を愛し、人を導こうとするその姿は、まさに聖女そのもののような気がした。
(もし、聖女が生まれるなら、きっかけはなんだろう。やっぱり魔王復活かな……)
それなら、聖女なんて生まれなくてもいいけれども。なんて、私が考えていても仕方ないことだ。
「今日は殿下との食事の日だよね? そろそろ周りが慣れてくれるといいけど」
「そうですね。毎回周囲の席が空いてますもんね」
最初の数回以降、わざわざ特別席を用意する必要性を感じなくなったのか、王子との食事は普通に食堂でするようになった。だけど、武術大会トップメンバーが集まるテーブルはとても異様らしく、未だに遠巻きにされている。まあ、中心に王子がいるんだから当たり前でもあるけど。
そんなことより私にはちょっと気になることがあるんだよね。最近はそれのせいで王子とのランチは少し憂鬱だ。思わず溜め息をついてしまえば、マリーが下から覗き込んできた。
「どうしたの、ティーナちゃん」
「……いやね、ちょっと気になってることがあって」
「もしかして、エルダさんについてですか?」
そう、まさしくその通りだ。
別に基本的には普通に話をしていると思う。男子は男子、女子は女子、たまには混合に他愛無い会話をしている。だけど、エルダは私と話すときだけ少し棘を感じるんだよね。でも、嫌われるようなことした覚えはない。
いや、あるなら一つだけ、武術大会のあの日、エルダを治せる力を持っていながら真っ先に駆けつけなかった。これだけは恨まれても仕方ないとは思う。どうせ治すならどうしてすぐに治してくれなかったのか。そんな恨み言をかけられても仕方ないくらい痛い傷だっただろうし、危険な状況だった。でも、それだけであんな態度を取るような性格にも思えない。それに、嫌われてる、と断言するような態度とも少し違うと思う。
何だか、思わず邪険にしてしまう。そんな風に思える。
「うーん、私の直感なんだけど、エルちゃんは素直になれないタイプじゃないかなって思うんだよね」
「私もそう思います。多分ティーナさんに好意はあるけど、それを素直に出せないタイプなのかと。だから、あれは照れ隠し? じゃないかなって」
「そうそう」
えー、本当にそうかな。確かに嫌われてるわけじゃないと思うと自分では思ってるけど、逆に好かれているかと言われてもしっくりこないんだけど。
まあ、グイグイいっても進展はしないんだろうな。今は現状維持を保つしかないか。
そうしている間に一か月なんてすぐに過ぎていく。今日は終秋の月の十日。建国記念祭の日だ。そして、悲しくも今日はフィーネさんの命日でもある。何か寂しいよね、記念すべき日は、私にとって苦しい日なんだから。でもこんなの普通だ。世界には五万と人間がいて、生まれては死んでいくのが日常で、だから、人によって祝う日でも、人によっては哀しむ日。これは避けられない事実。
でも、だからこそ、私は……。
「ここなら誰もいないかな?」
技術の時間の時によく入り込む森の中。ここはかなりの物好きじゃないと入り込まないうっそうとした場所だ。だから、人の目を気にせずに、フィーネさんのことを悼むことができる。
「フィーネさん、私、歌は苦手なのよ。でも、音痴じゃないってフィーネさんは知ってるよね?」
そう、音痴では決してないけど、実際私は歌が苦手だ。正直に言えば、この世界の歌が苦手なのだ。
というのも、歌謡曲含めてこの世界の音楽は独特なリズム感で、前世の音楽感性を持っている私にはとてもじゃないが表現が難しい。まるでジャンルが変わったかのように曲調がガラリと変わるもので、音程と歌詞は覚えていても、リズムが迷子になって歌にならないのだ。そうして四苦八苦している私を見て、テオは珍しいって笑って歌が歌えないイコール音痴だと結論付けた。失礼極まりない!
だけど、その中でも唯一曲調が変わらないものがある。それが聖歌だ。落ち着いた曲調で、静かに歌うにはピッタリで、密かにシスターに教わって練習もしていた。フィーネさんの前で何度か披露したこともある。教会にあまり近づかない彼女だったけど、私のその歌だけは目を細めて喜んでくれたのを今でも覚えている。
だから、命日である今日はそれを贈るのが一番だろう。お墓まで行けないのだから、その代わりに。
目を閉じて、彼女を思い浮かべる。そして、できる限り綺麗な声で、歌を紡いだ。
続く大地に 果てない大空
揺れる草花 きらめく湖
なでるそよ風 照らし揺らめく火
世界を照らせ 聖なる光よ
歌詞にそれほど意味があるわけではない。強いて言うなら魔法属性を意識しているという単純な聖歌だ。この世界の自然を、精霊を、そして光を使う聖女をただ称えるだけの聖歌。だからこそ、頭を空っぽにして歌えるし、リズムもわかりやすい。声もどこまでも伸びて、その音にフィーネさんの思いを込めることができる。
届け、届け、天まで届けと、純粋な気持ちで歌えるこの聖歌を、私はとても気に入っている。今日は特に調子がいい気がする。声のノリがよくて、だけどその分全身が魔力で満たされている気もする。
「君は――!」
「……え?」
唐突に聞き慣れた声がして驚いて振り返る。そこには誰もいないと思っていたのに何故か王子が入り込んで驚愕に満ちた表情をしていた。こんな場所で歌を歌っているのは確かに怪しいかもだけど、歌っているのが私だということにそれほど驚くことだろうか。あまりない反応に首を傾げて声をかけようとしたその時だった。
「やはり、君はこの学園の生徒だったんだな!」
「は?」
え、どういうこと? 何でまるでほとんど面識のない他人のように振る舞われているんだろう。訳が分からず一歩下がれば、その際に揺れる髪が視界に入る。
その色が、いつもの亜麻色ではなく、私の元の色になっていることにようやく気付いた。つまり、常にかけているはずの魔法が解けているのだ。
(どうして!?)
もう髪色変化の魔法は意識しなくても常時発動できるくらい慣れた魔法だ。それなのに、歌に夢中になったからって解くなんて有り得ない。思いがけない状況にプチパニックに陥るけど、今はそれどころじゃない。王子から逃げないと!
以前会った時とは状況がまるで違う。今はもうティーナとしてかなり関わりを持っている。髪の色が違うだけでは、きちんと見れば正体がわかってしまうだろう。今は王子と私の距離はそこそこにあって、すぐに逃げればまだ誤魔化せる。そう思って踵を返して奥へと走ろうとした。
「待ってくれ! 君が嫌がるのなら近づきはしない!」
「――!」
けれど、予想外な提案をされて思わず足を止める。そっと振り返れば確かに王子はそれ以上近づくことなくただじっと私を見ていた。
「すまない、驚かせたかったわけじゃないんだ。ただ、ずっと君を探してたから」
「……どうして?」
えーっと、前はどんな声色で答えてたっけ? 覚えてないけど、普段とは違う声音を意識して問いかける。確かに王子は私のことを探してた。それには疑問に思っていたからこの機会に聞いておくのもいいか。
「前の、お礼を言いたかったのが、一つ」
「それなら前にも聞いた。それで、他には?」
「……君のことを、もっと知りたいと思ったんだ」
ええ? つまり? なんで?
あまりにも理解できなくて怪訝な顔をしてしまう。だけど、王子はとても真面目に言っている。そう、すっごく真面目な顔だ。そもそもこの王子、冗談とか言うタイプじゃないし。つまり、私の人となりを見たいがために今まで探していたってこと? どういうこと?
「知って、どうするの?」
「それは……えっと、君が、」
何故か言葉を濁す王子に妙な不安を覚える。山で助けたことのお礼を言いたいためにわざわざ今まで探していた、というのは無理がある。つまり、私のことをもっと知るためにわざわざ探していたのだろう。でも、どうして? どうしてこんな得体の知れない女を探す必要があるのか。王子は多忙だ。ちょっと山で会って助けてくれた少女をわざわざ探し出す理由は相当なもののはず。
しかも、知りたいという言葉は簡単に口にした割に、どうして知りたいのかという理由は言葉を濁す。不安になっても仕方ないと思う。
「君が、欲しくてだな」
「……ひぇ」
そしてようやくかけられた言葉に、危機感を覚える。え、つまり、なに? そういうこと?
血の気が引いて一歩下がる。途端、王子は自分の失言に気付いたのだろう、私と同じように顔を青くして言い訳を始めた。
「ちが、囲い込むとかそう言うことじゃない! その、君の力が欲しくて」
「それも、最低な言葉だと思いますが」
「あああ! そうだな、だが違うんだ。いや、言った言葉は間違いじゃないんだが」
何だこの王子は。普段のハイスペックさはどこに行ったのか。何だかよくわからない状況に私は疲れ始めた。とにかく、王子から逃げなきゃいけないのは変わらないし、会話の主導権を握ることにした。
「つまり、貴方は私を戦力として欲しいってこと?」
異性として欲しいと言われているわけじゃないのなら、この話の流れで考えられることはそれだ。私は騎士や王子と比べて強かった。それほどの人材ならば、城で確保しておきたい。だから、何者か調べていたというなら、まあ理解できなくもない。普通にティーナとしても望まれるくらいだし、魔物三体を一人で倒した実績のある謎の少女も引き入れたいと思ってもおかしくはないだろう。
「そうだ! 君のような希少な力を持った人材を、王家は今集めている。魔物への適応力。そして、瞬時に複数人の怪我を治すその治療術。とても価値の高い力を持っている。このまま逃すのは惜しいと、思ってしまった」
個人としてではなく、王族として私を追い求めていた。そう言われてしまえば、私も少し態度を改めないといけない。姿勢を正し、王子をまっすぐに見据える。
「評価をしていただけたことは恐悦至極ですが、私は王家にこの力を全力で捧げる騎士のような精神は持ち合わせておりません。それに、得体の知れない私をそのように追い求めるのは、軽率だと思われます。自重してくださいませ」
一応自分の価値については自覚している。五属性魔法が使えるし、治療魔法はトップクラスなのも理解している。だけど、王子と対面したのはあの一度だけ。治療魔法は広範囲とはいえ、軽傷を治した程度。それなのに、王子が必死になるほどの価値は果たしてあるのか。
名前も身分も何もかも不明な少女が、王子から直接声をかけられたからと言って王家に忠誠を誓うと思われているなら少し楽観視に過ぎる。
「警戒されてしまうのは仕方ないだろう。確かに、私は君のことを何一つ知らない。けれど、君が味方になってくれたらこれほど頼もしい存在はいないと、あの時思ったんだ。だから探していた。あの山にいて、私と同年代。そして、魔法がそれほど扱えるならこの学校にいるかもしれないと思ったし。けれど、今の今まで君の存在を確認することはできなかった」
「……諸事情により、私は姿を隠しております。そして、今のところ貴方にも正体を明かす気はございません。不敬ではありましょうが、それが私が貴方にできる返答です」
悪いけど、元々ティーナとして王子からお願いされたのなら別だけど、こっちの私を求めるのなら逃げるしかない。本来の姿を晒すのはもうこの年齢になったら自己防衛もできるしいいかとも思ったけど、なるべく面倒事は避けたいし。できれば、成人するまでは貫きたいと思っていた。
それに、王子が言った言葉だけを信じるのも少し怖い。
「そうか。では、お願いを聞いてはくれないか? 仕えてくれとは言わない。だが、近い未来にもしこの国が魔物の脅威に襲われていたら、手を貸してほしいんだ」
「……考えときます」
静かにそれだけ告げて私は今度こそその場を離れた。王子が追ってくる気配はなかった。
それでも安全地帯まで逃げ切らないと、と思って必死に走り、一番近場にある平民寮へと逃げ込んだ。こっちは貴族の寮とは違い、訪問者を取り締まることはあまりしないので、侵入は楽だ。普段私の寮に皆を呼ぶから、あまり来たことはないけど。誰の気配もないことを確認して飛行魔法を展開し、三階のベランダへと入り込む。とにかく高速でノックを続けていれば、乱暴にカーテンが開けられた。
「はあ? ティナ? 何してんだよお前!」
「いいからちょっと中入れて!」
「てか、何で髪! ああ、もう!」
突然のことで怒鳴るテオに、こっちだって余裕はないのだと睨みつけて半ば脅すように中へと入り込む。男子の部屋に入り込むなんて平民でも本当はやるべきことじゃないけど緊急事態だ。仕方ない。
「はあ、焦ったあ」
「それはこっちのセリフだ! 何だよその姿は!」
「いや、原因がわかんないんだよね。いきなり魔法が解けててさ。それだけだったらすぐに対処したんだけど、タイミング悪いことにね、ジルシエーラ様に会っちゃったの」
「はあ? ジルに? お前なあ」
頭痛いとばかりにその場に蹲るテオに、私だって頭が痛いと同じようにしゃがみ込んだ。だけど、今回話せたことで一つわかったことがある。
「ジルシエーラ様は、戦力を集めてる」
「戦力?」
「うん。ジルシエーラ様って言うより、王族がって言うべきかな? 私のことを探してたのは、戦力として確保したかったからみたい。他にも理由はあるかもだけど、それは嘘じゃないと思うの」
髪の色を元に戻しながら私はテオの部屋の隅にある椅子に腰かけた。平民の寮は前世のワンルームと同じような作りだ。ちょっと広めの部屋にベッドと机とソファが置かれている。ただ寝起きするだけならこれで十分なのは確かだ。これにキッチンもついているんだから平民のことをきちんと理解しているなって思ってはいる。
「いくらティナの力がすごくても、わざわざ同年代の子供を探し出してまで仲間にしようとする意味ってなんだよ? 戦争でもするのか?」
「それだったらわかりやすくていいんだけどね」
「いやいや、わかりやすいからいい問題でもないだろ」
「でも、違うの。それよりもっと最悪よ。おそらくだけど、王族は把握してるんだと思う」
「何を?」
いや、戦争も最悪ではあるんだけど。この国は一時期隣国との関係が悪く、長い間冷戦状態だった上に、五十年ほど前には紛争も多くあった。先代陛下が即位してからようやくそれも終わりを告げ、平和を取り戻したのに、また戦争にでもなったら大変だ。
だけど、今回のはそういうことじゃない。
「近々、魔物がもっと活性化して、おそらく魔王が復活する。それを危惧しているから、戦力が必要だってことを」




