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20.友として、師として

 試合は止まってしまった。それはそうだ。事故とはいえ、出場者の目に剣の破片が突き刺さり血を流しているのだから。


「治療師! 治療師を早く!」


 マークス先生が声を張り上げているのを聞きながら、私は少し悩んでいた。彼女に一番近くにいて、治療魔法を使えるのはおそらく私だ。それに……あれだけの血を流すほど目に突き刺さっているということは、かなり重傷と言ってもいい。あれを、学校に常駐している治療師に治療できるのだろうか?

 傷は治る、とは思う。けど、場所は目だ。傷が塞がっても視力が戻る可能性は絶望的に思える。そんなことを考えている間に真っ先にエルダに駆け寄る影を見つけて、私は息を詰めた。


「リリー……」


 反対側の壁際のベンチに控えていたリリーが、顔を真っ青にしてエルダに駆け寄っていた。急いで彼女の顔を覗き込んで顔色を青から白に変えている。それだけでどれだけ酷いのか物語っていた。周囲の騒ぎは更に大きくなり、皆どうすべきか悩んでいるようだった。

 困惑は数秒。どうにか気を持ち直したリリーはすぐさま治療魔法をエルダにかけている。遠いから僅かにしか見えないけど、精度は高い。きっと、ここの治療師より腕は上だ。断続的に聞こえていたエルダの呻き声は徐々にだけど治まっているように思えた。だから、周囲も安堵しているようだけど、でも、いくらリリーでもあの怪我は完全に治すのは難しいはずだ。同じ重傷でも、腕や足に剣が突き刺さっていた方がよほどマシな気がする。だって、五感を司る一つを担う目だ。それだけ治療にも神経を使うし、イメージで治すにしても難しい部分がある。怪我が治るイメージはできても、視神経を治すイメージは私にだってできない。見た目は元通りにすることは可能だと思う。だけど、そうして治ったとしても、視力が元通りになるとはどうしても思えなかった。

 そう、だから彼女が治療できるのは血を止めることと、僅かに痛みを緩和すること。それくらいのはず。それでもまだマシだと思う。ここの治療師に任せたとしても、きっと血止め程度しかできなかっただろうから。


 だから、そう、後もしできるのなら、かなり凄腕の治療師を連れてくることだけ。しかも早急に。腕や足が欠損した場合であっても、早く治療しなければ形が戻っても神経を治せずに後遺症が残ると言われる。それくらい、神経を治療するというのは難しいことで、だからこそ治療魔法を行える者は優遇される。


「いいのか、行かなくて」


「それを決めるのは、私じゃないから」


 本当なら行くべきなんだろうけど。でも、私は元々こんな公の場で自分のこの能力を見せるつもりなんてなかった。そういうのは望まないというのを、リリーにも伝えている。だからこそ、彼女は自分が真っ先に向かって治療魔法をかけてる。自分では、治しきれないことはわかっているのに。


「ん? てことは、助ける気はあるってことか?」


「……まあ、ね。一応、私の中で優先順位はあるんだよ、テオ。目立つ種類を使い分けてるからこそ、治療魔法を使えることはあまり公にしてないけど、でもさ。頼られたら助けたくなるじゃない? 頼ってくる子にも寄るけど」


「あー、なるほど。じゃあ、決めるのは、リリアってことか?」


「ま、そういうこと」


 さっき対戦したエルダのことはそれなりに気に入ってはいるけど、でもまだ話して間もない。だから、彼女の命の危機というわけじゃない限り、動くつもりはない。だけど、リリーが、私との約束以上に、彼女を助けることが大切だと決めるのなら、その時は……。


 一度視線を落とす。ドクドクと心臓が高鳴るのを落ち着けるように深呼吸を繰り返す。そうしている間に控えていた治療師がようやく姿を出した。動けなくなるほどの重傷者はほとんど出ないので、会場の控室にいたから呼ぶまでに時間がかかったのだろう。それでもすぐに駆けつけるほどの距離にはいたからこれくらいの時間で済んだ。

 だけど、やっぱりそれで好転するはずもなく。


「こ、これは……無理です! 私には治療できません! むしろ、この子の治療の方が高位の魔法です」


「そんな! 王子殿下、どうにかなりませんか?!」


「今、王城にいる高位の治療師を呼ぶように頼んでいるが、城からここまでかなり距離がある」


「無理です。それほどの時間が経ってしまえば、傷は治っても……きっと視力は」


 治療師の見込みにリリーは息を飲んだ。既に血は止まっているようで彼女の魔法もあまり効果はないのだろう。そのまま手を離して魔法を止めてしまう。エルダの傷に当てていたその手を包むようにして握り込んだ彼女は、一拍置いた後、意を決したように振り返った。

 光を帯びた柴水晶の瞳が私を捕らえる。迷いは見えなかった。もう、彼女は決めたのだ。

 目の前にいるエルダか、私との約束か。優先すべきものを。


「ティーナさん! 力を、力を貸してください!」


 彼女は優しい。だから、この状況になったら真っ先に私に助けを求めるかもしれない。最初はそう思った。だけど、彼女は一度自分で治すことに専念した。どう見ても自分の力量では難しいことを理解しながらも。

 だから、きっと迷っていたはず。約束を破られてしまったことは多少残念に思うけど、それでも……リリーが決断してくれたことはちょっと嬉しい気持ちもある。


(これから、大変になりそうだけど)


 でも、リリーを見捨てる選択は私にはない。


「テオ、行ってくるね」


「ああ。やるなら思いっきりやればいいじゃん」


 あっさりしてるんだよなー、テオってこういう時。でも、だからこそ、安心してられるのかも。私が何をしでかしても、私を見捨てないってわかるから。

 それだけで嬉しくなって、幾分か軽くなった体を動かして私はその場に駆け寄る。その間もまっすぐに視線を向けていたリリーは、立ち止まった私に僅かに顔を歪めた。


「ごめんなさい、ティーナさん。でも、私……」


「私の力が必要なんでしょ? リリー」


「……はい」


 迷ってはいない。けれども罪悪感に苛まれている彼女は、暗い表情のままそれでもしっかりと頷いた。彼女は優しい。だけど、ちゃんと自分の信念を持っている子だ。だから、彼女自身が考えて、私を巻き込むことを選んだのなら、助けてあげなきゃ。


「いいわよ。師として、弟子に道を示すのも仕事でしょ?」


 朗らかに笑って見せれば、リリーはホッとしたように微笑んだ。それを見守って、私はエルダの前に膝を折る。無事な方の目が私を捕らえて、瞳を揺らした。

 彼女の魔力の流れを探れば、かなり乱れているのがわかる。それでも、リリーの魔法が迅速だったお蔭で、まだこの乱れを完全に治すのも可能に思えた。だけど、なるべく早く、最大出力で、が前提だ。そんな高度な魔法、今まで使ったことはない。


「貴女の怪我、治すね。でも、一気にその怪我を治すには、傷が深すぎる。体への負担も強いから、治している間、相当な痛みを感じる可能性がある。それでも、我慢できる?」


「……舐めないで。これでもずっと騎士として育てられたんだから。特訓で腹に穴を開けたことだって、あるのよ。そのくらい耐えてみせるわ」


 強い口調を返す彼女に深く頷いた。そこまで言うのなら大丈夫だろう。だから、せめて安心できるように笑ってみせる。


「なら、大丈夫。貴女の綺麗な瞳は、絶対に元通りにしてあげる」


 そっと、血で染まってしまったその顔に手を伸ばす。血が止まっただけで、未だ痛々しい傷跡を残した瞼の上に魔力を流した。エルダの魔力の流れはそこで途切れている。それをどうにか繋げて、いつも通りの流れに戻せれば、きっと視力も何もかも元通りの状態になるはず。だから私は敢えて目を閉じる。イメージするにしても、魔力の流れを感じるにしても、視覚から入る情報は今は邪魔だ。

 ゆっくりと自分の魔力を流しながら、エルダの魔力の流れを促す。徐々に、徐々に、その力を強めて、そして一気に送り込んだ。


「ぅう――!」


 呻くような声が前から聞こえる。深手を急激に治しているのだ。傷が塞がっていると言っても、無茶な治療魔法を掛ければ、それだけ理に背いた力を働かせることになる。体への負担はそれなりにある。もしかしたら寿命が数年縮むかもしれない。だけど、これは彼女自身が望んだことだ。


「こんな、こんな威力の魔法、見たことがない」


 掠れるような声でぼやいたのはさっきの治療師だろう。そもそも、治療魔法はかなり難易度が高いので、軽傷でも癒す魔法が使えれば治療師として名乗れるほどだ。

 つまり、そう、これほどの怪我を治せるということは、それだけ特別なのだと、自分で証明してしまうことになる。

 でも、今はそんなこと気にしている場合じゃない。

 目にあるしこりのようなものが徐々に小さくなっていく。あと少し。もう少し。そう思いながら、流している自分の魔力を今度は徐々に絞っていく。呻き声も聞こえなくなってきたということは、痛みが引いてきたのだろう。そして、完全とは言わないけど、魔力の流れが正常に戻り、しこりが無くなったのを確認して、私はようやく魔法を止めた。目を開ければ傷跡がすっかりなくなったエルダの顔が見えた。痛みで滲み出た汗を拭うことも無く、彼女も私のように目を閉じていた。


「終わったよ。目を、ゆっくりでいいから開けてみて」


 そう声をかければ、そっと瞼を押し上げる。その先に隠れていた深緑の瞳はどちらもまっすぐに私の姿を映していた。


「どう? ちゃんと見える?」


「みえ、る。見えるわ。それに、もう痛くない」


「そう。よかった。でも、今のでかなり体に負担がかかっただろうし、すぐに休んだ方がいい。立てる?」


 大丈夫と頷いてエルダはその場に立ち上がった。けれど、やはりまだ思うように体が動かないらしく、ガクリと膝から力が抜けたようにその場に崩れ落ちそうになる。そんな彼女を後ろから支えたのはエリクだ。


「無茶するな馬鹿!」


「何よ、うるさいわね」


「いいから、連れてくからな」


 顔を歪めながらエリクは彼女を横抱きにした。流石に騎士として鍛えられただけあって、基本的な筋力は持ち合わせているみたいだ。表情には変化が見られない。その状態で一度私に向き合う。


「エルダを治していただき、ありがとうございます。このお礼はまた後日、改めてさせてください」


「別に気にしなくていいですよ。私は、リリーが頼んでこない限り、この力を使う気はありませんでした。それくらい、薄情なことをしていたんですから」


「それでも、治してもらったことは事実です」


 それだけを述べてエリクはそのまま控室がある方へと向かって行った。その後ろを私を気にしつつも治療師の人が追いかける。

 ホッと息をついて、改めてリリーへと向き直った。ついでにその後ろにいる王子とも目が合ってしまい、途端言葉を見失う。リリーはともかく、王子に直接何か説明する気なかったんだけど、どうしようか。ああ、どっちにしても、この状況で、はい試合! って言い出しにくいな。


「リリア嬢の治療魔法の師というのは、ティーナ嬢のことだったのだな?」


「ええ、そうですよ王子殿下。ただ、私はあまりこのことを公にしたくなかったんです。まだ、自分の進むべき道を見つけていなかったので」


 この力を知られてしまえば、神官か治療師かに未来が限定されそうだった。そう含ませて言葉にすれば、王子は理解したようで息をつきながら頷く。


「とにかく、陛下に事の説明をしよう。一度場を仕切り直す必要があるだろうし、陛下が説明をしてくださった方がこの場の収拾は早いだろう」


「ええ、お願いします」


「ああ。君達は全員休んでいてくれ」


 説明も何もこんな目立つ場所で治療してしまったんだから見ての通りだけど。いくら焦っていたとはいえ、せめて袖口に運ぶことくらいしてからやればよかったかも……。




 それから、一向にざわつきが収まらない会場に、事の顛末を聞いた国王陛下が自ら声掛けをしてくださったお蔭で、ようやく落ち着き始めた。目を損傷するという大事故が起きてしまったが、幸いにも怪我は治った。状況説明のために三十分もの休憩を入れることになったが、これは場を落ち着かせる以外に、きっと私の魔力を回復させる意図もあるのだろうと思っている。


「にしても驚いたなー。ティーナちゃんがあんな高度な治療魔法使えるなんて」


「魔法が使えると知った時から治療魔法は絶対に覚えたいって思ってたの。だからずーっと練習してきた成果なんだよ」


 本当のことではあるけど、真実ではない。ずっと治療魔法を勉強して練習してきて、だからこそ得意魔法の一つとして言えるけれど、実際私が使っている治療魔法は一般的ではない。

 皆、イメージをして傷を治すという方法を取る中、私は体に流れている魔力の流れを見て、その流れの乱れを正す方法を取っているからだ。具体的にイメージをする必要がないから、私は人より治療魔法が強力で、勉強や練習したからとは言い難い。しかも、自分の魔力の流れは魔法を使える人は誰もが理解してくれるけど、他人の魔力の流れは誰に聞いても見えないと言われる。だから、この方法を使えるのは実質私だけ。ということは、一番治療魔法が得意なのも、私と思っていいはず。

 そう、だから、目立ちたくはなかったのだ。この魔法で。


「ティーナさん、本当にごめんなさい」


 暗い表情をしたリリーが改めて頭を深く下げた。そう何度も謝られると困るんだけどな。でも、私の治療魔法は内緒だという約束を破ったんだ。彼女が思い詰めるのは仕方ない。


「後悔してるの?」


「……いいえ、してません。だって、やっぱりあの場でティーナさんに頼っていなければ、エルダさんの怪我は完治してなかったと思うんです」


「……そうだね、きっと視力に影響はあっただろうね」


「だから、私がティーナさんに頼ったのは、最善な方法だったと思っています。でも、それでも……約束を破ったことには変わりありません」


 憂い顔を隠しもしない彼女に、胸の奥が重くなる。言葉で言い合っていても、堂々巡りしそうだなと思って、俯く彼女の額に軽くチョップをかました。


「ひゃっ! え?」


「はい、これで今回のことは終わり」


「え? え?」


「リリー、私の治療魔法……ちゃんと見てた? 見てて何かわかることはあった?」


 何を言われているのか未だに理解できないという顔をして、パチクリ瞬きを繰り返すリリーに問う。えっと、と、言葉を詰まらせていた彼女だけど、ようやく落ち着きを見せて、やがてポツリと言葉を漏らした。


「見てました。何となく、なんですけど……ティーナさんの魔力が、エルダさんの中で、何か……流れのようなものを促している気がしました」


 他人の魔力が見えないはずのリリーだけど、他人の魔力を感じられないわけじゃない。人と触れる時や魔法をぶつけ合う時、僅かに自分とは違う魔力を感じることができる。だからもしかしてと思えば、案の定……気付くことができたようだ。

 それなら、今回魔法を使った甲斐がある。


「自分の体を治療する際、自分の魔力の流れを正常に戻すことが大切だって教えたでしょ?」


「はい」


「それは、誰であっても同じ。でも、他人に治療魔法を掛ける際、自分とは違ってその人の魔力の流れははっきりとわからない。だから、自分の魔力を送り込んで、その人の魔力の流れに乗せる。そうすることで、他人の魔力の流れを把握し、自分の魔力でその人の魔力の流れを正常に戻すことができる。それが、目に見えない場所でも治療する方法よ」


 治療魔法は練習するにしても難しい魔法だ。怪我人を大っぴらに探すわけにもいかないし、自傷するわけにもいかない。だから、コツを掴むにも一苦労する。

 リリーに魔法を教える身としては、今回のことはまたとない機会だった。それは本当のことで、だからこそ彼女が望んだのなら、友として彼女の望みを叶えてあげたいと思い、そして師として彼女の見本となるように尽くした。


「リリーにそれが伝わったのなら、力を使っただけあったってこと。だからね、私も後悔はしてないの」


 これから少し大変なことになるかもしれないけど、でもあまり心配はしていない。宰相閣下という後見人がいて、メイリーという心強い生徒がいて、今日のランチでは王族との接点ができた。多少我がままを言っても許される存在にはなっているように思えるし、無理やり拘束するような真似はしない……と思いたい。


「ティーナさん……」


「だから大丈夫。もう気にしないの。ほら、そろそろ休憩時間も終わるよ。私達が最後なんだから、思いっきりやりましょう?」


「……はい!」


 すっかり会場は落ち着きを取り戻し、私とテオ、リリーは揃って会場の中央へと歩いた。反対側から王子が小走りでやってきて合流する。すっかり休ませてもらったけど、逆に王子は疲れてしまっているのでは? 少し心配になる。


「待たせた。始めようか」


「ああ。最後だし、思い切りやろうぜ」


「はい! よろしくお願いします!」


 それぞれ位置について向かい合う。そうして、武術大会最後の試合が、審判の声と共に始まりを告げた。



 

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