14.王子として
※ジルシエーラ王子殿下視点
このセントラケルディナ国の始まりはたったの三百年程前に遡る。遡る、と言っても、当時既にセントラケルディナ国はきちんと国として存在していたし、今より国土は狭かったと言えど、戦争や衰退等で国名が変わったわけではない。
名前が代わり、新たな国として歴史を刻んだきっかけは、この世界に初めて〝魔王〟が生まれたことだった。
始まりは突然、というわけではない。不便ながらも衣食住を日々安定させ、村が町になり、首都も次第に範囲を広げ、人口が徐々に増え始めた時代だった。人が増えれば必然と瘴気も増える。誰だって綺麗なままでいられる人間はいない。国が発展すれば偏った思考も増え、悪意を持つ人間も出てくる。それは同時に魔物を生む原因となる瘴気が増える結果に繋がるのは必然だ。
瘴気が世界に溜まり、魔物は徐々に数を増やす。けれども、魔物が生まれる場所は決まって辺境の地だ。人がいない、陽の当たらない暗闇の中でひっそりと生まれていく。それに気付ける人間は、当時それほどいなかった。
だから、魔物の増加に気付いた時には、既に手遅れだった。魔物討伐の為に戦力をかき集めているその最中に、魔王が誕生した。
瘴気が世界を飲み込み、草木は枯れ、魔物が溢れる。魔王が潜んでいたのは誰も近づかない険しい山の上。そこから動くことはないので、魔王が直接人を害することはなかった。それでも、魔王が生まれたことに寄る影響は大きく、世界は混沌と化した。
しかし、魔王が復活して一年。今度は世界に希望が訪れる。辺境の地を治める貴族の娘に不思議な力が覚醒した。まだ成人前の少女は心優しく領民を深く愛していた。山や森を多く有した領地の為、苦しむ人々は後を絶えず、その状況に途方に暮れる毎日だった。
自分の愛する領民を悼み、助けたいと願った。その時、火風水木土のどの属性にもない魔法が彼女から漏れ、傷付いた者は癒され、瘴気の靄が晴れたそうだ。
人々は少女のその力に希望を持った。その力があれば、魔王を倒せるのではと。その悲願を叶えるべく、少女は自ら魔王討伐へと名乗り出た。貴族としての誇りを持ち、民を愛する一人の人間として未来を掴む為に立ち上がる彼女の姿に当時この国の王太子が感銘を受ける。自分よりも幼い少女に全てを背負わせることはしない。国を護るというのなら、自分もその役を担おう。そう口にして彼女の剣となり、盾となることを王太子という立場で誓いを立てた彼と少女は魔王が待つ険しい山へと足を踏み入れた。
そうして、混沌の時代は約二年に渡り終わりを告げた。枯れた作物は元には戻らなかったが、雲に覆われていた空は青い空を覗かせ、目に見えるほどの瘴気は消え去った。
人々が喜び、少女と王太子の帰還に祝福の声を上げた。彼女の奇跡の力はまさに大地を照らす太陽のように光に満ちている。そう誰かが口にしたことをきっかけに、少女が唯一使えるその魔法は〝光属性〟と呼ばれ、少女は慈愛溢れる〝聖女〟と称えられた。
そして、魔王討伐の際に絆を深めた王太子と聖女は、その功績を踏まえ、後に夫婦となる。その報せはもちろん、国のみならず世界中へと広がり、誰もが祝福し、王都から遠く離れた領地も幾日も祝杯を挙げた。
その時の王太子が王位を授かり、そして聖女は王妃となったその時、国が一度死んで、生き返ったことを示す為、国の名前がセントラケルディナに改名されることになった。この先どれだけ歴史を重ねても最初の悲劇を忘れぬように、と。
それが、セントラケルディナ国初代聖女の伝説である。
聖女についての記録がきちんと紙面として残されているのはここ王宮と、大神殿にのみ。そして、五代聖女が辿ってきた歴史を偽りなく学ぶことが許されているのは陛下と王太子候補筆頭である僕と、大神官のみ。それ以外は許容される範囲でのみ、口頭で伝えられる。それほどまでにして聖女の歴史を広めることに慎重なのは、もちろん訳がある。
それもまた、五代聖女の歴史に関係することであり、その事実があったからこそ、こう対応するしかなかった。代わりに、細やかな歴史ではなく、抽象的な伝説を流し、聖女を敬い尊ぶ思想はきちんと後世へと引き継いだ。過去の偉人が成し遂げたその対策に、僕は今でも頭が下がる思いだ。
「失礼します。ジルシエーラ・シェル・グロワッサムからご報告したいことがあります」
この国で一番地位の持つ人間の執務室の前で口を開けば、一拍も置かずに入れという許可が下りる。控えていた騎士が扉を開けるのを待ち、一礼をして入室した。
「戻ったか。報告を聞こう」
「はい。第五騎士団から団長指名で騎士五名を借り、山へと繰り出した結果、中型二体、大型一体が同時に出現して攻撃を受けました」
僕の報告に陛下及びその脇にタイミングよく居合わせていた宰相閣下が息を飲んだ。前々から近くの森から魔物の出現頻度が上がっている報告は届いていた。しかし、森だけのことなのか、それとも別の場所でも同様に魔物が出現しているのか、それを確かめないことには警告のしようがなかった。
近くの森は、元々ほとんど陽が入らず、魔物以外にも獰猛な獣の住処にもなっている為、基本的に誰も近寄ることはない。しかし、あの山はベッサの街から向こうへと通うのに通る場所。もし、同じように魔物が増加傾向にあるなら、早々に近隣の町村には警戒するよう呼びかける必要があった。
その為、その調査に僕自身が志願を申し出て、先日山へと入ったのだが……。
「まさかの三体同時か……これはもうかなり危険なレベルまで来ているのだな」
「ええ。おそらくは」
「しかし、流石志願するだけあるな。騎士達もそうだが、治療師出動要請の報告がなかったということは、三体共怪我なく討伐してきたのだろう?」
陛下の質問に口を噤む。流石だと褒めようと思って問われている分、期待を裏切るようで心苦しい。だが、黙っていては虚偽の報告をするのも同じ。自分なりの意見も進言するために、正直に言葉にする覚悟をして、視線を合わせた。
「いえ、実は同時に三体、しかも大型も含めた魔物と対峙する経験は私含め、騎士達にもなく、苦戦を強いられていました。その際、軽傷ではありますがいくつか傷を負った者もおります」
「ほお? では何故? 確か連れ立った者の中には治療魔法を使えた者はいなかったな?」
「はい。我々が苦戦しているその場に、助っ人が現れたのです」
順を立てて僕はその場でのことを二人に説明をした。彼女の容姿を含めて説明を終えると、二人に意見を聞くためにも言葉を連ねる。
「お二人は、この少女へ覚えはありますか?」
「白銀と青い瞳の少女か。年齢のほどはお前と変わらないのだろう? そんな者、記憶にないな。ゼオンはどうだ?」
「そうだな、俺も悪いが覚えがない。……お前は、それを聞いてどうしたいんだ?」
閣下の問いかけに僕は僅かに視線を伏せる。初対面の少女だ。助けてもらったからと言って執拗に正体を暴くようなことをするのは無粋な行為だろう。しかし、それでも気に掛ける理由はある。
「飛行魔法を行った状態で魔物三体を瞬殺するほどの魔法操作と魔力の多さ、そして軽傷とはいえ、一瞬で傷を癒すほどの治療魔法に精通したあの存在……僕は、聖女の可能性を考えています」
魔物の増加という兆候は出ている。そして、近々以前より予知されていることが起きるなら、聖女候補がいてもおかしくはない。歴代聖女は基本的に水属性魔法が得意だ。光属性魔法の特徴にもある治療魔法の効果が強い属性だからこそだと考えられている。
複数人を一瞬で治療した彼女なら、十分可能性はあると言えるだろう。
「聖女、か。まあ確かに、可能性が無いとは言えないだろうな」
「しかし、魔法学校の生徒ではないと思うが。そんな生徒はいなかったことは確かだ」
閣下は魔法学校の理事長だ。入学している生徒は全員把握している。だからこそ、彼の言葉に落胆は隠せない。魔法学校にいないということは、予知の瞬間にすぐに見つけられる可能性がないということだ。
「そうです、か。しかし、私の方で彼女を探してみます。もし、陛下と閣下も機会がありましたら気にかけてもらえませんか?」
「お前がそこまで言うなら、そうしておこう」
「はは、殿下は聖女に強い感情を持ってるからな」
揶揄うような言葉に気まずさを覚えて視線を彷徨わせる。その通りではあるが、そうはっきり言われるとどうにも肯定しづらい。
「ああ、そうだ。先日、メイリーから面白い提案を受けたぞ」
「メイリーから?」
思いがけない人物の名前に思わず表情を崩してしまう。六歳離れた下の妹は家族思いで優しい女の子だ。政務や勉強に時間を使い過ぎている僕を気遣ってよくお茶に誘ってくれる。
けれど、最近彼女が僕達にも明かせない悩みを抱えていたことがわかった。その時、僕が受けた衝撃は言葉にできない。
僕のせいで周りから見比べられ、背負わなくてもいい重圧を背負っていたなんて、気付けなかったのは僕の落ち度だ。家族の中で、一番近い距離で、長い時間共にしていたのに。メイリーが教師を変えたいと思う程思い詰めていたなんて全く気付かなかった。
しかも、それを一番に相談したのが初対面の学生だと言うのだから、更にやるせなくなる。
「何でも孤児院の慰問に行きたいんだそうだ」
「な……! メイリーにはまだ早いのでは?」
想像もしていない提案に咄嗟に否定の言葉を口にするが、ジッと陛下に目を向けられて口を閉じた。睨むほどではないが、これは非難の色が滲んでいる。
「もちろん、ただ我がままを言うだけなら許可はしない。あの子は王女として慰問する意味をきちんと私に伝えてきた。それをただの一言で却下することはできない」
「……でしたら、私も一緒に」
「馬鹿かお前は。全く、メイリーが可愛いのはわかるが、王族二人が揃って教会なんぞ行ったら、先方に迷惑しかかからないだろう。わかっているだろう?」
「ははは、ジル。少し落ち着け。ちゃんと俺の方で完璧な護衛対策を立てるから。それに、あの家庭教師も一緒について行ってくれるらしいから。余程のことがない限り、心配はいらないだろう」
閣下が軽快に笑って宥めてくるが、その内容は簡単に納得できない。あの家庭教師とは、メイリーの気持ちに最初に寄り添った魔法学校の生徒だ。それに、閣下が後見人につき、学年首位を取っている優等生。そして――あのテオドールのバディ。
彼女と僕には接点がない。気になっていても、話す機会はない。いや、接点ならメイリーがあるが、わざわざ心配して僕が勉強の場に顔を出せば、きっとメイリーが気に病むだろう。それは望んでいない。
「確か、ティーナ嬢、でしたね?」
「なんだ、ジル。あの子も気にしているのか?」
「まあ、多少。いえ、彼女自身を気にしているというより、僕はそのバディである彼が気にかかります」
彼女が気になっているのは確かだが、その一番の原因は彼女のバディがテオドールだから、でしかない。おそらくテオドールはまた武術大会で僕の前に現れるだろう。
「お前、結構子供らしい一面あったんだな?」
「……は?」
しみじみと言った様子のその言葉は、まるで揶揄いを含んでいるようで、堪らず普段なら漏らさない間抜けな声が漏れていた。
「ああ、確か彼女のバディはお前を負かせたって言うあれか?」
「そうだ。テオドール、だったな。平民の子供に負けたの、結構悔しがっていたんだな。いつもと変わらないから気付かなかったな」
「え、いや、そんなことは」
「はは、いいっていいって。たまには素直になれ。というより、悔しい気持ちがあるならきちんと味わえ。でないと、上は目指せないぞ」
違うと言っているのに、誰も聞いてくれない。こういう時は妙に息が合っているこの二人に嫌気が差す。十歳も年の差がある癖に、まるで友人のように揃って弄ってくるから性質が悪い。
「報告は終わりました。下がってもよろしいですか?」
「お前は真面目で勤勉だが、もう少し肩の力を抜いていいんだぞ」
「……父上、しかし、もうそういうわけにはいかないでしょう?」
優し気に揺れる陛下の青い瞳に居心地の悪さを覚える。気張っていても仕方ない。焦るな。十分な力を持っている。そう、何度も僕に声をかけてくれた。だけど、その言葉を素直に受け取ることはなかった。この国のたった一人の王子で、自分の身より重いものを背負う運命にあるのだから。
それが、少しでも妹のメイリーにいかないように、どんな時も気を抜くことは最早許されないはず。
気にかけてもらっている。それだけで救われる。そう言外に伝えるために、あまり動かない頬の筋肉を吊り上げた。
「運命の日まで、あと半年。私は、私ができることをするまでです」
暫く離れていても遅れないよう勉強は早々に終わらせた。剣も魔法も誰よりも特訓してきた。騎士団の中に混ざり剣を振るい、暇を見つけては魔法を練習して、もう必要はないと思いつつも〝聖女〟の為に学校にも入った。
ここまでしたのに、今更気なんて抜けるはずがない。僕はこの国の王子だ。聖女とはまた違う。この国を護るために、力を振るう使命を担っている。
それなのに、あの時助けられた僕は、まだ未熟な証拠で、王子として失格だろう。
「……半年後に、聖女は〝覚醒〟する」
その時、今よりもっと強くならないといけない。
一人で魔物を倒せるくらい。
一人で誰かを護れるくらい。
でなければ、聖女を支えることなんてできないのだから。
僕が勇者かどうかは関係ない。聖女を護るのは――この僕だ。




