13.異変
気持ちのいい風を感じながら手を動かす。川で洗濯なんて、どこの桃太郎だよ。そう思うけど、洗濯機なんてないこの世界では結構普通なことだ。首都だと洗濯用の川がそこかしこにあるけど。
昨日取り変えたシーツや着替えだけとはいえ、二人分あるとやっぱりカゴ一杯になる。陽が高くなり切る前に終わらせてしまおうと必死に手を動かしていた。
「……ん?」
ふと、風や川の音とは違う何かが聞こえた気がして手を止める。遠くの音を拾おうと集中してみれば、複数の足音が聞こえた。
(走ってる? それも、何だか不規則だ。戦闘?)
とにかく、ただ事ではない何かを感じ取って、私は手を止める。水を払って音がする方へ走り出した。低木を揺らしてこちらの存在を主張したら面倒だから、途中で木の枝に飛び乗って忍者のように移動する。もちろん、普通にやれる自信はあまりないので、風魔法で補助してる。いや、結構木は密集しているからできるかもだけど、飛び移れる木をいちいち考えながら飛ぶ余裕はないし。
「……いた」
そこには五人ほどの騎士と一人服装の違う男がいた。全員剣を手に握って、何かと対峙している。視線の先を辿れば、大型一体、中型二体の獣種の魔物がいた。
(最近、少しずつ数が増えているとは聞いていたけど、一気に三体も出るなんて……。しかも、王都のすぐ傍にある森ならまだしも、少し離れたこの山に?)
旅をしていた時でも時折噂は聞いていた。最近徐々に魔物を見る頻度が上がっていること。だけど、小型ならまだしも、中型大型がここまで同時に出るなんて、聞いたこともなかった。
騎士はそれなりに場数を踏んでいるはずだけど、魔物が多数出た場合の対処に慣れていないのだろう。水や土属性の魔法や剣でどうにか牽制しつつも、なかなか決定打を与えられずにいた。一人衣装が違う男の人は、おそらく貴族か何かなのだろう。それでも剣に覚えはあるようで、動きはいいんだけど、このままじゃ埒が明かない。
「くそ、僕がやる! 皆は下がれ!」
そう凛々しい声を上げた貴族の人は、剣ではなく魔法を使うつもりなのだろう。魔力を練り上げているように見えた。だけど、同時に手のひらに発生させた火の玉にギョッとする。ちょっと、それここで放つつもり?!
(あー、もう! 仕方ないなあ!)
他に適性がないのか、それともあるのに何も考えずに得意な属性を使っているのか。わからないけど、このまま放っておけば山火事待った無しだ。そうなる前に、決着を付けないと。
風魔法で空を飛ぶ。同時にいくつもの風の刃を空中に展開させて、真上から魔物めがけて一斉に放つ。
獣型の魔物のコアは中心部に多い。それなら、頭上から攻撃を仕掛ければ、倒せる可能性はグンと高くなるはず。それに、モタモタしてたら山が丸焦げだ。嫌だよ、ここ私の家もあるんだから。結構近いんだよ、家。
ズバン、と同時に放った十数の刃が地面を抉る音が響いた。細切れになった黒い獣は、チリチリと靄を霧散させ、やがてその姿を消す。一瞬で片がついたことにホッとして、ついそのまま流れで地面に足を付ける。
「君は……」
力ない声に振り返る。放つつもりでいた火の玉はもう消えていて、だけど不自然に腕だけ振り上げただけのその男と視線が合う。同時に、目を見開いた。
あ、王子じゃん。
さらさらと綺麗な銀髪を風に揺らし、海のように色濃い青い瞳を揺らして私を見つめるその人は、貴族ではなく王子だった。だから、火か。テオの話によると風よりも火の方が適性が高いとは聞いていたけど、風も扱えるのにそれをチョイスしたなんて……。
頭脳明晰な王子でも、想定外なことが起きて混乱してたのかな?
て、待って。王子ってことは、私のこと知ってるじゃん。ヤバ、風属性魔法使っちゃったじゃん! 土にしとけばよかった!
「君は、誰だ?」
「え――?」
あれ、気付かれてない? いや、確かにお互い間近で見たことはないけど、認識くらいされていると思ったのに。髪色は地味かもしれないけど、テオのバディくらい王子も把握してそうなものだけど。
て、あ……今魔法解いてるんだ。髪色本来の白銀だ!
「その髪色、貴族か? だが、私の記憶には該当しそうな人物はいないが」
聞かれても困るな。ティーナです、なんて答えられないし。でも、だからって嘘もつけないし。
あー、でも王子って私は知らないっていうのを主張しつつ、逃げようかな、ここは。
「……いくら焦っていたからって、こんな場所で火属性の魔法を繰り出さないで。山火事になったら、ここにいる人達で対処できたの?」
「貴様! 王子殿下になんて口を!」
あ、王子だって知っちゃった。じゃあ、これ以上対峙しちゃいけないな。
あー、でも傷だらけの子の人達を放置するのも後味悪い。
水魔法を素早く展開して、簡単な治療魔法をかけた。完全には治す時間無いし、必要もないだろう。王族だし、他の騎士だってきっとそれなりの地位の人だ。それなら、城にいる治療師に治してもらえるだろう。
「これは……!」
「一瞬で全員の傷を?」
「……迂闊な行為だったことを認めよう。私が過ちを犯す前に倒してくれたことに感謝する」
驚きで目を見開いていた王子は、すぐに我に返って私に向き合う。謝罪は簡単にできない立場だから、感謝の言葉を口にしたのだろう。すっかり冷静さを取り戻したようだ。そして、詫びの代わりに私の名前を聞くのを諦めたのだろうか。
「それで、後日改めて君には褒美を与えたいと思うのだが、名を聞いてもいいか?」
諦めてなかった。
だけど、ここは逃げの一手ね。
「貴方様に名乗るほどの者ではありません。御前を失礼します」
頭だけを下げて飛行魔法を展開する。さっきは私が木の上からでも来たと思っていたのかも。彼らはまた動揺して目を丸くしていた。でも、私を追おうとする様子はない。それだけを確認して、最大速度でベッサの方角へと飛んだ。もちろん、ただのカモフラージュ。もし途中まで追われても誤魔化せるように。
そうして麓の方まで飛んで、回り込むようにして戻る。
(でも、まだその場に残っていたら意味がないよね)
せめて人がいるか把握できればなあ。さっきみたいに足音が聞こえれば楽なんだけどなあ。
「音、音か」
音って確か空気を振動させて聞こえるんだったよね。じゃあ、拾えるんじゃないのか。魔法で。
「ものは試しよね」
空気の震えがどこで起きているのか。わかるイメージってなんだろうって思いつつも、アニメを見ているような感覚で魔力を広げて探る。
自分を中心に広がっていく魔力がどんどん遠ざかっていく。そうして、しばらく集中していれば、ようやく足音らしきものを拾った。
「大分下りてる。これならバレないかな」
とはいえ、今の距離を把握していても、一時間後はどこにいるかまではわからない。だから、さっさと裏工作をせねば。
どうにか家に戻ってきた私は誰もいないとわかりながらもなるべく物音を立てぬように中に滑り込んだ。
「何してるんだ、お前」
そんな私に驚いて棒立ちしているのはテオだ。まあ、そうよね。わかるけど、今はのんびりしている場合じゃない。
「大変大変! この山で何故か王子殿下と遭遇しちゃった!」
「はあ? 何で? てか、遭遇って、見られたってこと?」
「そう! 騎士と一緒に魔物に襲われてて、焦ってたのか知らないけど、火属性魔法をぶっ放そうとしてたから冗談じゃないと思って風魔法ぶっ放して先に魔物倒したの。そしたら、まさかのそれが王子で!」
「はあ!? ちょ、おま、風魔法使えるところ見られたってことか?」
「そう! でも、不幸中の幸いにも今私、この髪色でしょ!」
自分の頭を指させば、テオもアッと声を上げて状況を理解したようだ。何も説明せずとも殿下に気付かれていないのだと理解したみたいだ。
「だから、一回飛行魔法で山を下りる振りをして回り込んで戻ってきたの。だから、まず髪色を戻すね! そして、服も着替える」
「あ、ああ。わかった。あれ、そういえばお前、洗濯してなかった?」
「あー! そうだ! 放置してきた!」
とりあえず髪色は一瞬で変えられるので変えて、自分の部屋で着替えようとしたけど、洗濯物! 川に付けたままとかそんな迂闊なことはしてないけど、そのままにしておくのは不安だ。
「仕方ないな。オレが代わりに――」
「だ、だめ! いいの! すぐに着替えて戻るから! テオはハウス!」
「はあ?」
当たり前でしょ。いくらテオでも、乙女の洗濯物なんて見させないって! 流石に私でも羞恥心は残ってるんだからね!
ドタバタとした午前を過ごして昼下がり。結局あの後誰かがここを訪ねてくる様子も無く、ようやく肩の力が抜けた。
「にしても、魔物三体だっけ?」
「そう、しかも中型二体、大型一体」
「大型! そんなの、単体で出ることも稀なタイプじゃないか! 出たとしてもこの山より、王都の近くの森じゃないのか?」
そうなの。本当に珍しいの。実は私大型初めて見た。しかも、あのシルエットは見るからに熊だわ。正面から見てたら私でも怖気づいていたかもしれない。飛んでてよかった……。
「まあ、だから殿下も騎士もきっとパニックを起こしてたんでしょうね。普段ならもっと手際よく対応できそうなものなのに、若干腰が引けてたから」
「おいおい、仮にも殿下を護る立場である騎士がそれで大丈夫か。何の為に山にいたか知らねーけど、この国の騎士って案外レベル低いんだな」
その場の状況を見ていないから言えることかもしれないけど、実際テオと比べればこの国の騎士のレベルは低いと感じてしまうかもしれない。でも、それは騎士のレベルが低いというよりも、テオの実力が高いというだけじゃないのかな? だって、武術大会優勝者でしょ? 今まで優勝してきたそれなりの地位の人は、大体騎士団長とか副団長とかになっているって話だけど。もちろん、剣を使う人ばかりじゃないから、研究者とか、魔法師になる人もいるけど、それでもかなりのポストに就く人ばかりだ。
つまり、テオはその人達と同等の力の持ち主ってことだ。そんなテオとあの場にいた騎士を比べてしまうのは少し可哀想に思える。
「それよりも問題は魔物よ。こんな山でもそれだけの数の魔物が出てるなら、ベッサの街や王都にきちんと報告しないと」
「必要ないんじゃないか? だって、王子がいたんだろ」
あ、そっか。そうだ、そうだよね! あの場に殿下がいたんだから、異常事態だということを陛下に報せてくれるはず。そうしたら、注意喚起が王都とベッサの街くらいには流れるだろう。
ただ、本当にあれが初見だったら、に限るけど。もし、元々その事態を知っているとしたら、今後の行動は期待できない。暫く国の掲示板や喚起回覧――この世界での新聞紙のようなもの――を注意しておく必要があるな。もし夏休み終わるまでに何もないようだったら、せめてベッサの街と王都の森に近い南区だけにでも注意を促しておかないと。
「なあ、魔物が数を増やすってさ、今までもあるのかな?」
「何言ってるの? テオ」
そんな今更な疑問、まさかテオがしてくると思わなくて半目になってしまった。私の呆れ顔に驚いて、テオは僅かに身を引く。驚いているってことは、本気で発言したってことだよね? このことをロッテさんが知ったら怒るよ?
「歴史上の中で、魔物が急激に数を増やしている事例は五回ほど存在しているんだよ」
「え? 五回も?!」
「そう。んで、五っていう数字、何か覚えない?」
聞いてみるけどテオは首を傾げるばかり。仕方ないなあ。
「聖女様は五代目までいらしたよね?」
「え、あ!」
「魔物が増えるってことはそれだけ瘴気が溜まりやすくなっているってこと。溜まった瘴気は大きな魔物を産み、魔物が増えればその内に強大な存在へと進化する。そう……魔王になるのよ」
瘴気の元を辿ると負の感情そのものだ。もしかしたら魔力が感情に寄って濁るのかもしれない。よくわかんないけど。負の感情がどのようにして外に出て、何があって魔物になるのか。そういう原理を研究する人がこの世界には少ないから謎が多いんだよね。そんなことにお金をかけられないっていうのが一番の理由なのかもしれないけど。
でも、原因解明は重要じゃない? 原因がわかれば瘴気を減らす方法も思いつくかもしれない。そうしたら魔物も、魔王だって今後出ないかもしれない。そう思えば、研究は損じゃないと思うんだけどな。
「今まで、魔物が増えてから魔王復活まで、どれくらい猶予があったんだ?」
「正確なことは知らない」
「え? でも……」
「魔王に関しての記述は聖女と一緒。記録としてほとんど残されていないもの。セイリム様に聞く聖女の歴史の中にもざっくりとしたものしかないから、魔物が増え始めてから何年で、なんて正確な数字は聞いたことがないの」
セイリム様と話をするようになって、聖女のきちんとした歴史を知れるようになるにつれて最近少し思うことがある。
どうしてあれ程までに称えている聖女について、きちんとした形で後世に残さないのだろうか。そう疑問に思っていたけど、もしかしたら〝残せなかった〟のだろうか、と。
魔王が発現し、聖女という存在がその悪を打ち消した。絶望に染まった世界がたった一人の少女によって救われた。それだけ聞けばよくある伝説の一つ。だけど、実際に魔王が現れれば聖女も共に生まれ、毎回国が……世界が、救われている。それはつまり、〝聖女〟の存在さえ確保できれば世界を救った功績を一部でも自分の物にできる、なんてあくどいことを考える人が存在してもおかしくないはず。
そういった、馬鹿げたことをしでかす者が現に過去にいたのかもしれない。
もしかしたら最初はきちんと本か何かにして広められていたかもしれない。だけど、意図的にその本を没収していたら?
一部の者には語り継がれているということは、きちんとした正史は残されているってこと。でも、それを知る人物は限られていて、それを広める人も、その人の采配で決まる。
つまり、歴史を知る人物を見定めているんじゃないかな。そうしないと聖女の存在が危ぶまれているから。
「そっか、じゃあもしこのまま魔王が出るとしても」
「それが一年後なのか、十年後なのか、はたまたもっと先なのかは……私達にはわからないってことね」
でも、聞けばもしかして答えてくれるかもしれない。今度セイリム様が特別講師してくれる際に聞いてみようかな。
「ま、でも気張ってても疲れるだけだな」
はあ、と溜め息をつきながらそんなことを言うテオには緊張感というものを感じられない。自然体でいられるのはいいことだと思うけど、少しは気張った方がいい時もあると思う。
「慌てても仕方ないけど、でも備えは必要じゃない?」
「どんな?」
「テオはまず、ロッテさんに話しておいたら?」
心の準備は大切だ。前もってその可能性を視野に入れていれば、いざという時動揺せずにいられるのだから。
私の言葉になるほどとやっぱり軽い声で相槌を打ったテオは、本当にわかっているのかわからない様子でお茶を飲んだ。
まあ、流石に時期をみてロッテさんに報告はしといてくれる、はず。いや、もうこの際私からした方がいいかもな。
かなり大事な話をしていた気がするのに、どうにも気が抜けてしまった気がしてならなかった。




