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11.アルバイト

 さてさて、夏休みに入りまして、本日は初のアルバイトの日です。いえーい! なんて、素直に喜べる純粋さは持ち合わせてない。いや、メイリーに会えるのはとっても嬉しいけど……。

 宰相閣下に招待されただけとは違い、今回私は王女殿下の先生として登城することになるので、服装も変わる。着飾るだけのドレスなど、教える者には必要がないだろう。そう考えると、一番いいのは制服なんだけど、それもおそらく外聞的にはよくないだろう。ただの学生が王女殿下に教えるなんて、事実であっても、自らそれを誇張するような真似は褒められない。

 それなので、自分で服装を調達しないといけない……と思っていた私だけど、唐突に衣装が送られてきた。学校の制服に似た、けれどもドレスより質素でカッチリとしたデザインのワンピースを見て、私は堪らず苦笑した。

 送り主は宰相閣下だ。貸しにするのは嫌だけど、そもそもこれは宰相閣下の陰謀でもあるので、有り難く使わせてもらおうと、今日はそれを着て堂々と城に向かった。




「お姉さま! お待ちしておりましたわ!」


 ふわっふわの銀髪を揺らして駆け寄ってきたメイリーに、私は思わず苦笑した。


「王女殿下、楽しみにしてくれたのはとても光栄なことですけど、そんな風に走ってはいけませんよ」


 私が教えるのは歴史学と算術ではあるけど、普段のメイリーの行動にも釘をさすことも必要だろう。そう口にすれば、彼女はハッとして恥ずかしそうに俯いた。


「わ、わかってるわ。あとお姉さま、私のことはメイリーと呼んで。二人きりの時だけでもいいから。そんな風に呼ばれると寂しいわ」


「そうですね。メイリー様が、そう望まれるのなら」


 膝を曲げてメイリーと視線を合わせ、頷けば彼女はピンクゴールドの瞳を輝かせて笑った。はあ、今日も可愛い。


 勉強しやすい環境にする為に、部屋を移動させてもらうことにした。というのも、王城の部屋はどこもかしこも装飾が派手で、目移りする物が多い。こういうものがあると、集中しようにも難しいのだ。その為、無理を言って質素な部屋にしたいと申し出たら、王城にある書庫内の個室を提案された。


「書庫の中にこんな部屋があるんですね」


「ええ。資料を見ながら相談事をするための部屋だそうよ。他にもいくつかあるみたいで、よっぽどのことがないかぎり埋まることはないの。だから次からここで待ち合わせましょう?」


「そうですね。その方がお互いに手間になりませんものね。それに、歴史学を学ぶ際はこちらにいた方が都合もいいかもしれません」


「お父様にはお姉さまとここを使う許可をとってあるから、お姉さまが気になる本があったら私に言ってね。貸してあげるわ!」


 思いがけない提案に私は堪らず喜ぶ。王城にある書庫の本なんて、貴重な物ばかりだろう。それに、きっと本来なら出回っていない聖女の本とかも存在するはず。是非お願いしたいところだ。


「さて、ではメイリー様。最初は算術からやりましょう。ですが、今回前の教師から引き継いだわけではないので、改めてメイリー様がどこまで理解されているのか、簡単なテストを作ってきました。解いてみてくださいますか?」


「え、テスト?」


 このくらいまで、というのは話に聞いてはいるけど、それをメイリーがどれくらい理解しているかは知らない。だから、どこまでメイリーに身についているのか一発でわかるようにテストを必死に作って来たのだ。私の自信作と言えるテストを目の前に差し出せば、途端顔を青くする彼女がとても微笑ましい。どの世界でも、テストと聞けばみんなこの顔するよね。


「大丈夫、気を楽に。点数が低くでも気にしないでいいんです。今、貴女がどれくらい理解しているのか把握する為のテストですから。間違えたところ、わからないところは私が丁寧に教え直します。だから、わからなかったら思い切って何も書かずにいてください」


「……わ、わかったわ」


 完璧にこなさなければいけない。未だにその固定観念が抜けていないメイリーは、テストを前にすれば満点を要求されるものだと思っているのかもしれない。満点なんて、そう簡単に取れるようなものじゃないのに。

 取れてるのかな、あの王子殿下は。


(取れてるのかもね、もしかしたら)


 となれば、比較されるのはつらいよね。私だったら嫌だわ。

 王子殿下が優秀なことはいいことだし、昔と違って今は反王政派もほとんどいないらしいから暮らしも安定している。だから、その悩みも本当なら可愛らしいものではあるのかもしれない。

 側妃がいたり、王子が二人いたりしたら、それだけで対立しがちらしいし、漫画とかではよく毒殺とか謀反とか聞くし。そう言うことはなさそうだから、これはこの世界で言うゆとり時代なりの悩みかな? なんて、言っちゃいけないかな。


「で、できたわ!」


 震える声で差し出された答案用紙に私はざっと目を通す。言った通り、まだ習っていない部分の問題はきちんと空白のまま差し出しているのを確認して、採点を始める。

 思ったよりも悪くない状況だ。少し凡ミスする傾向にあるけど、基本はきっちり頭に入っているし、応用になると順番を間違えがちというだけで、可愛いものだ。これなら気を張らずとも学んでいけるだろう。


「大丈夫ですよ、メイリー様。これなら以前以上のペースで授業が進められます」


「え?」


「メイリー様は、十分に優秀ってことです」


 笑顔でそう述べて見せて、私はすぐさま授業の準備をする。凡ミスが多いのなら、まずは基本をもっと強化しよう。計算のスピードが上がればその分確認する時間が増える。自信が持てれば余裕もできる。その積み重ねでメイリーはあと一歩のところで超えられなかったラインを簡単に踏み越えていけるようになるだろう。


「今日は歴史学もやる予定でしたけど、ちょっと集中して算術オンリーにしましょう」


「いいの?」


「はい。代わりに次回は算術の時間含めて歴史学をやります。二教科担当だとこういう裏技もできるので、いいですね」


「ふふ、確かに。一気に他のことを詰め込まれるより、集中できそう」


「安心してください。途中で休憩は取りますからね」


「本当? 一緒にお茶してくれる?」


「ええ、メイリー様がそう望んで下さるのでしたら」


 どんなに詰め込んだところで人間の集中力なんて一時間ちょっとしか続かない。適度な休憩は必要で、その方が結果的により多くの知識が得られることを、私は知っている。だから、無理に詰め込むようなことはしないし、そんなにする必要もない。

 メイリーはメイリーらしいスピードで学を得てくれるならそれでいいのだから。






 夏休みの間は優先的に授業を取るということで、私は週に四日、登城する約束をさせられている。まあ、つまり、学校に通っているのと何も変わらないわけで。その分給料は頂けるので、平民の私に文句はないけども。

 もちろん、メイリーは私以外にも授業を受けている。王女ともなれば王族だからこそ得なければならない知識もあるし、マナー講座も他の貴族とは異なるものがある。


 それに、魔法。メイリーはさも自分には適性がないかのように愚痴を零していたけど、実は適性はあったらしい。と言っても、適性の高さがかなり低いのだ。それに、属性もたった一つ。王族となれば二つの属性を持って生まれて来ることが多いらしく、これほどまでに低い適性はかなり久しぶりだったようで、周囲も戸惑いを隠せなかったらしい。そのせいで、元より兄と比べて劣っていると考えていたメイリーは更に落ち込んでしまい、あのようなことになった、らしい。


 人と違うというのは確かに怖いことだ。私だって、便利だしやりがいはあるけども、人とは違う五属性持ちというステータスはこれでも結構プレッシャーに思っている。ただの平民がそれほどの能力を持っていてもいいことなんてない。だからこそ、フィーネさんは人には漏らすなと言っていたわけだし。


「それじゃあ、結局魔法はどうしてるの?」


「私もね、魔法学校には通う方向でいるの。王族がただ城に引きこもっていても社交としての力は持てないでしょう? せっかく魔法学校を通う資格は持てたから、せいぜい利用できることは利用しようって」


 私と話をして半月も経っていないのに、もうそこまで開き直っているメイリーに驚く。たったあれだけの時間でこんなにも気持ちの方向転換ができるものだろうか。不思議に思っていれば、メイリーは少しだけ視線を落として、頬を染めた。


「あのね、お姉さまのことをお父さまたちに相談した時に、私が不安に思っていたことも一緒に話したの。そうしたら、気付いてやれなくてすまないって、あやまられてしまったわ」


「……それじゃあ、学校のことは陛下達が?」


「うん。魔法の適性が低いなら、学校に通っている間に十分な知識と技術も得られるだろうって。それなら、今は無駄に勉強する必要もないから、他にやりたいことを優先していいっておっしゃってくださったの」


 そっか、本当に家族仲はいいんだ。それなら安心だな。ゆとり世代ならではの悩みになるのも納得するし。楽しそうに語るメイリーの姿を微笑ましく眺めながら、私は差し出されたお茶に口を付けた。今は休憩中のお茶会だ。三十分ほど雑談を楽しんだらもう一度書庫に向かう予定である。


「そういえば、今日は特別講師がいらっしゃるとか?」


「ええ。この休憩が終わった頃合いにきっと来てくださいますので、お楽しみに」


「お姉さまが推薦するようなかたですから、きっとすごい人なのね!」


 まあ、ある意味本当にすごい人だけど、何だか私への期待値高すぎてどう答えていいかわからない。引きつった笑みを浮かべていれば、唐突に後ろから声をかけられた。


「これはこれは、随分と楽しそうな授業をなさっていますのね、王女殿下は」


 挨拶もなく声をかけてきた人を反射で見やれば、そこには二十代後半くらいの品のある女性が立っていた。栗色の髪を綺麗にお団子にしてまとめ上げ、装飾品はないけれど品のある緑のドレスを身にまとった彼女は、つり上がった目を私に一度向けて、流れるままにメイリーを見つめた。


「……ッ、ブライト先生」


 ブライト? どっかで聞いたことある気がする。ブライト、ブライト……ああ! 確か私の前に算術担当していた先生ね。


「急にわたくしを解雇したかと思えば、まさかこのように堂々と怠ける為とは……王女殿下たるお人が、嘆かわしい」


「な、違うわ! 私はちゃんと勉強をこなしています」


「では、随分と余裕なのですね。以前はどれほど言ってもなかなか覚えて下さらなかったのに。もしかして、わたくしを虐めていたのでしょうか?」


 これは遠回しに私のことも貶めているのだろうか?

 私が教師なら自分よりも必死にならないとおかしいのに、休憩するほど余裕なんておかしいってことでしょ?

 まあ、どっちにしてもこの人に否定される筋合いはないんだけど。


「そんなんじゃないわ!」


「では、どういうつもりでこんな子供を私の代わりに指名したのです? わたくしを馬鹿にしているのでしょう?!」


「……口を慎んだ方がよろしいですよ」


 彼女は彼女なりにプライドがあってこうして異論を唱えているんだろうけど、それにしては相手が悪すぎる。これ以上下手な言葉を言う前に止めてあげるべきだろう。そう思って持っていたカップをソーサーに戻し、私は椅子から立ち上がる。突然の行動に、彼女は警戒したように一歩下がった。


「な、何ですって?」


「私が王女殿下から望まれたので、今このような名誉を頂いているのは確かです。ですが、貴女が王女殿下の教育から外されたのも、私が正式に教育者として指名されたのも、全ては陛下のご意志あってこそ。それに異を唱えることは、この場にいる誰であろうと叶いません。違いますか?」


「――ッ、それ、は」


「それ以上、憶測で何か口にすれば、貴女は取り返しのつかないことになりましょう。貴女がこれまで得た実績は、こんな場の、何気ない言葉で失っていいほど軽いものなのですか? そうでないと思うのなら、即刻この場から引くことをお勧めします」


 まず、この場に来てメイリーに挨拶をしなかったこと。

 その次に王族に虐められていると疑ったこと。

 そして、最後にメイリーの能力を下に見ている発言をしたこと。

 それに、教師でもなくなった彼女が、王族であるメイリーに意見できる立場ではないこと。

 全てひっくるめれば不敬罪と訴えてもいいだろう。それに気付いたのか、彼女は顔を青くして更に一歩下がった。


「も、申し訳ありません。戯言だと捨ててください」


「……わかりました。今この場で起きたことは忘れましょう」


「寛大なお言葉、感謝致します。それでは、御機嫌よう」


 複雑な表情を浮かべたままメイリーが許せば、震える声で彼女はその場を去った。王族の教育を任されるというのはそれだけ名誉なことだろう。特に王子殿下と比べていたということは、彼女は王子殿下に続いてメイリーの教育も任されていたはず。そうした実績からプライドばかり高くなってしまったのは致し方ないことだとは思う。

 それでも、いくら解雇されたからといって文句を言える立場ではないはず。解雇、と言っても教育から下りてもらっただけで好待遇な場所への紹介状と退職金だってもらっているはずだ。彼女自身に明確な失態があっての解雇ではないのだから。

 一息ついたその瞬間、今度は別の場所から拍手の音が聞こえて、げんなりした気分で振り返る。


「いやー、流石ティーナさんですね。見事な追い払い方でした」


 陽気な声を上げて、朗らかに微笑む人にこもっていた力がドッと抜ける。

 薄い金髪を腰まで伸ばしたその髪を緩く縛り、肩から胸元の方へと垂らした彼は、宝石のような赤い瞳を細めて私に視線を送っていた。白いワンピースのようなローブは、神官ならではの衣装で、肩からたすきのようにかけられた布は金糸と青地で複雑な文様を描いており、それは王城専属を示す身分証の代わりになっている。

 つまり、高位の神官というわけだけど、私はこの人と面識がある。


「セイリム様、見ていたなら助けて下さってもよろしいのでは?」


「まあ、セイリム様! このような場所にどうして?」


 そう、この人は度々話に出てきた公爵家次男の神官、セイリム・ローバート様。私の十歳年上で、今でも未婚の男性だ。

 神官と言われているけど、この世界では神に貞操を捧げるという考えはなく、普通に神官でも何でも聖職者は結婚が可能だ。その為、公爵家の血を引いており、高位の神官ということでセイリム様は非常にモテる。はずなんだけど、聖女オタクがすごくてなかなか婚約者が決まらないようだ。


「これは失礼。王女殿下にご挨拶を申し上げます」


「お久しぶりです。適性検査以来よね?」


「そうですね。王女殿下はまだ社交の場には出てこられませんし、なかなかお会いする機会がございませんから。あと、先程の件ですが、いくら私でも全く関係のなかった場を治めるのは難しいかと」


「はいはい、わかってますよ。それで、こちらに来たのは?」


「いえ、そろそろ時間かと思って書庫に向かっていたら、ティーナさんの声がしましたので立ち寄らせていただいたのです」


 なるほど。ここは書庫から一番近いガゼボだ。室内でお茶でもいいけど、せっかく天気がいいんだからと外でお茶することも多い。前もってそう言っておけば、休憩の時間に合わせてメイド達がお茶の用意をしてくれるから楽だよね。

 それで、書庫に向かっていたらセイリム様が偶然見かけて様子を見ていた、と。


「書庫に? ということは、もしかして今日の特別講師というのは」


「ええ、セイリム様ですよ、メイリー様。今日は聖女について学んでもらおうと思いまして。ついでに私も一緒に生徒になっちゃいます」


「本当? お姉さまと一緒に学べるのね! 楽しみだわ!」


「噂には聞いてましたが、本当に王女殿下と仲がよろしいのですね。この話を持ち掛けられた時も驚きましたが」


 驚きで目を丸くしたセイリム様に苦笑を漏らして、メイリー様に向き直る。そろそろ行きましょうと声をかければ、彼女も笑って頷いた。

 にしても、噂が流れてるって、どこで? あまり聞きたくない情報なのでスルーしちゃったけど、これ後から後悔するやつかな?

 まあ、いいや。今はとにかく授業に集中。今までセイリム様の思うままに語る内容を聞かせてもらったけど、今日はメイリー様の為の授業。きっと、順序立てて説明してくれるに違いない。

 そうすれば、知っている内容でも新たな発見ができるかもしれない。


「では、セイリム様、よろしくお願いします」


「ええ。退屈しないよう丁寧に教えましょう」


 優しい笑みを浮かべつつも、彼の瞳は怪しく光る。既に聖女オタクとしてのスイッチはオンになってしまったようだ。時間だけはきちんと把握しておこうと始まる前から遠い目をして心に刻むのだった。



 

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