10.記念と牽制
※テオドール視点
きゅっと力を込めれば、同じ力で握り返される。普段は繋がない手。だからこそ、必然的にいつもよりも近づく距離に、実は朝からすげー緊張している。
ゲイルと決闘したあの日、勢いに任せて勝った方がティナとデートできる、なんて言っちまったから、結果こんなことになったんだけど……。
(でも、言ってよかったな)
勝手に宣言して決闘したのはいいけど、それをきっかけにティナを怒らせたのはヤバかったな。まあ、そりゃあ、ティナを賭けて決闘を挑んだのに、そのことを忘れて決闘していた、なんて……そりゃあ怒るわな。今考えても自分に引く。
「ねえ、テオ、あれ美味しそうじゃない?」
手を引かれてティナが言う店に視線を移す。そこにはオレの実家より二倍はある大きさの、ガラス張りの綺麗な店があった。中にいるお客が食べているご飯は大きな皿にサラダやカップスープ、あとホットサンドが盛りつけてある。普通の飲食店というより、軽食に近いから、カフェのようなものだろう。
確かに美味しそう。だけど、それよりも近い場所にいるティナに気が散って仕方ない。
(うなじが、見える……)
いつも長い髪をハーフアップにするだけのティナは、今日は綺麗に編み込んでいて細い首筋を晒している。服だって白いシャツに清楚なスカートを履いていて、何かすげー綺麗で、目にする度にどういう顔をしていいか悩む。
デートって言ったけど、ティナは何だかんだ普段とあまり変わらない姿で来るんだろうなって思ってた。それなのに、こんなにも意識した格好で来てくれた上に、自分でも認めてくれた。それだけで、オレがどんなに舞い上がったか……浮かれた顔を隠すのに必死で、ティナの様子を見てはいないから、そのことがバレたのかバレてないのかわからない。
「ねえ、どう? テオじゃ量が少ないかな?」
「いや、いいんじゃねえ? まだ露店とかあると思うし、小腹空いたらそこで何か食べるのもいいしな」
「あ、いいね! じゃあ、まずはここで食べよう?」
早くと急かすように歩き出したその姿に頬が緩む。最近何かと忙しない休日ばかりだったし、学校では友達ができたことでこんな風に二人きりでのんびりするのは久しぶりだ。だから、こんなにもはしゃいでいるんだろうな。
メインはやっぱりカフェらしく、軽食はランチタイムのみらしい。三種あるランチプレートから選ぶ形式になっていて、ホットサンドの具が肉か魚か卵かで選べられる。
「そういえば、ティナは夏休みどんな予定なんだ?」
「……」
オレが肉、ティナは卵を選んで運ばれてきた料理を口にした時、聞きそびれていたことを問えば、ティナは唐突に動きを止めて視線をあらぬ方へと向けた。この顔、絶対何かまたあったな。え、むしろ何があるんだよ。普段オレと変わらない生活しているくせに、何が起きるんだよ?
「ティナ?」
「……」
「ティーナ?」
「夏休みは、ちょっと、アルバイトすることになったの」
ジト目で見つめていれば、ようやく観念したティナが食べかけのホットサンドを皿に置いてもぞもぞと答え出した。バイトすることは不思議なことじゃない。むしろこの長い休みにお金を稼がない平民はいないだろう。
でも、こんな反応するってことは、普通のバイトじゃないってことだ。
「何の?」
「えっと、ね、その……」
キョロキョロと周囲を確認してティナは唐突に立ち上がってオレの傍に寄ってきた。そしてそっと顔を寄せてくる。
「は?」
いや、何でそんな至近距離?! 息が耳にかかるんだけど。てか、何かいい匂いする……ハッ、しっかりしろオレ。
驚きで声を失っているその間に、こっそりとさっきの問いに答える。
「実は、王女殿下の家庭教師にね」
「……はあ?!」
「シー! この前城に呼ばれてたでしょ? あの宰相閣下にしてやられたのよ! 私だってこんなことになるなんて思ってなかったんだから」
ティナが入学してからまだ半年も経っていないのに、首席入学、貴族寮に入寮、宰相閣下が後見人……極めつけに王女殿下の家庭教師って。普通の平民ではありえない驚きの連続で眩暈がしそうだ。
「まあ、決まっちまったもんは仕方ねえか。あんま無茶すんなよ? 城に行くなら、今まで以上に高位貴族と会うこともあるかもしれないし」
「うん、気を付ける。毎日行くわけじゃないし、空いてる日は手伝いに行っていい?」
「ああ、母さんも喜ぶよ。ティナと会えなくなると、なーぜか毎回オレとケンカとかしたんじゃねーかって疑ってくるし」
それだけじゃなくて、いつになったら告白するんだって急かしも最近酷い。確かに本気出すとは言ったけど、タイミングがあるだろ、タイミングが。
その段階踏みとして、こうやってデートを考えてたわけだし。
「喧嘩かあ、あんまりしたことないよね?」
「何だよ、したいのか?」
「え? やだよ。だって、テオと喧嘩なんてしたら寂しいじゃん」
なんかしみじみと呟かれるから不穏なものを感じたけど、さらっと返ってきた言葉に思わぬ不意打ちを食らう。
あー、これだよ。ティナってこういうところ素直だし、デートは拒まないし、何だかんだオレに気があるはずなのはわかるのに、どうしてかその一線を超えさせないというか、超えないというか、そういうギリギリなところを保ってるんだもんな。勘弁してほしい。
告白する気満々なのに、どうしてもできないでいるのはそのせいだ。自覚がないのかも、と思ったことはあるけど、それも違う気がするんだよな。
「ね、そんな事より早く続きしよう! まだまだ回るところいっぱいあるんだし!」
「ああ、そうだな」
そうだ、今はデート中だった。問題は残ったままだけど、今は純粋に楽しまなきゃ損だよな。だって、こんなにも可愛くはしゃいでいる惚れた女が一緒にいてくれるんだから。
買えもしないのに店をいくつも見て回るのは少し疲れる。元より目的があってその店に入るならまだしも、買う予定もないのに店に入るのは罪悪感すらある。もちろん、ティナも明らかに自分達とは位が違う店に入ったりはしない。けど、服とか香水とか、そういうオレに縁のない店に入られるとどうしていいかわからなくなるんだよな。
「ねえ、テオ、何かロッテさんにプレゼントでもしようよ!」
「は? 何でいきなり?」
「もぉー、テオ忘れてるでしょ! ロッテさんの誕生日プレゼント、保留にしたのはテオ自身でしょ!」
げっ! そういえばそうだった。
母さんの誕生日は終春の月の三十日。あの時、なかなかいい品が思いつかなくて、ティナと一緒にお菓子作りをしてとりあえずのお祝いはしたけど、プレゼントは思いついた時に贈るって苦し紛れに保留にしてたんだ。
「でも、この辺で探すと確実予算オーバーなんだけど」
「大丈夫。私も負担するよ! テオと一緒に探そうと思ってて、私もロッテさんにあげてないし。一緒に豪華な物あげようよ!」
あーもう、本当こういうところ。身内にはとことん甘くなるこいつのこういう気遣い、本当に好き。きっとこの提案をするためだけに、ティナは母さんへのプレゼントわざと買わなかったんだろうな。
ティナが身内に対して気遣い屋なのは元々だけど、旅から戻ってきてから更に甘くなった気がする。それに、以前よりも、ティナの縛りが甘くなった。
前はもっと他人と一線を引いていた。歩み寄っているように見えて、自分の心は晒さず、相手にも与えすぎないようにきちんと距離を保っていた。だけど、最近はちょっと違う。自分の力を他人にも与えて、自ら相手を助けようとしているように見える。きっと、いい兆候なんだろう。
だけど……たまに心配になる。
きっと、ティナは今まで他人と距離を保つことで、ティナの中にある何かを守ろうとしているように思えた。だから、ティナの何かを傷つけられる存在が増えることは、いいことなのかどうか……オレにはわからない。
(いざとなったら、オレが護らないと)
一緒に母さんのプレゼントになり得そうな物がないか見ながらオレは思う。ティナを護るには、ただ傍にいるだけでいいんだろうか、と。
「あ、これは? ロッテさんだってたまにはお洒落したいんじゃない?」
花をモチーフにしたガラス細工の髪飾りを手に取ってティナは聞く。宝石を使っているわけじゃないけど、ガラスに色剤を使ってほんのりと緑色のそれは、確かに綺麗で、金額もそれほど高くはない。二人で予算を合わせれば買えるものだ。
「そうだなあ、どうせなら青系がいいな」
「青? ロッテさん青が好きなの?」
「ああ。父さんの目の色が青なんだ。深みのある青。だから、ちょっとした飾り物はその色を選びがちだよ。母さん、今でも父さん一筋だからな」
オレの目の色は緑だけど、父さんは青、母さんは黄緑だ。オレの目はどちらかと言えば、ばあちゃんに似ていると思う。だけど、血が繋がってもいないのに似ているって変な話だ。
「あ、青あったよ! これならどう?」
「いいな。じゃあそれにしよう。ありがとな」
同じ意匠の青を見つけて会計を済ませる。プレゼントだと言えば、包装サービスをしてくれるらしくて、その間もう少しだけ店内にいることになった。
「ごめん、テオ、ちょっと髪乱れたかもしれないから、鏡見て来るね」
トイレの常套句を口にして姿を消したティナを見送った後、オレはもう少しだけ髪飾りを眺めていた。母さんがたまにはオシャレしたいって言うなら、ティナだって同じ思いがあるんじゃないだろうか。
そうじゃないなら、今日みたいな格好だってしないだろうし。それなら、アクセサリーくらい、欲しがってもおかしくないんじゃないか?
「あ……」
見ている中で比較的に安く、使い勝手のいいアクセサリーを見つける。けど、目についたそれが、あまりにも自己主張が強いカラーリングで、自分に呆れた。母さんにバレたらまた揶揄われそうだなと思いつつも、もしこれを渡したティナが、喜んでくれるなら……嬉しいとも思う。
それに、こういうものはあからさまだからこそ意味があるしな。何だっけそういうの……えーと、そうだ、牽制ってやつだ。まあ、必要だよな。特にゲイルがいるし。
だからまあ、これも何かの縁なんだろう。そう思ってティナがいない内にそれも会計へと回した。
すんげー一日だった。
こういう時適した言葉とか思い浮かばないオレはその一言しか出なかった。
ランチを食べて、母さんのプレゼント買って、その後は露店に売ってるデザートをベンチで食べて、文房具や書店で気になる物を見ながらただ時間を潰した。たったそれだけのことなのに、こんなにも充実した気分なのは、特訓や店の手伝い以外でティナと二人きりで過ごすのは久しぶりだったからかもしれない。
最初はティナと一緒でも退屈気味だった見てるだけの買い物も、何だかんだ最後にはハマってしまった。ティナはオレの好みの物を見つける天才だと思う。
「はあー、楽しかった。ありがと、テオ」
「オレも楽しかった。いいもんだな、デートって」
最後の念押しとしてデートの言葉を強調して、ティナの手を引いた。ちなみに、オレ達が帰ってきた場所は寮ではなく実家だ。明日はティナと一緒に店の手伝いをする予定だから。
「なあ、また誘っていいか?」
まだ、告白はできなくても、これくらいはいいだろう。また二人きりで、こんな時間を過ごしたい。お互いにお互いを意識した、そういう時間を。
「何言ってるの。テオが言ってたんじゃん」
「ん?」
「私とデートできるのは、テオだけなんでしょ? テオがしてくれないと、私ずっと誰ともデートできないんだけど」
げっ、そういえば勢いに任せてそんなこと言った! しかも、ティナの目の前で。え、マジ何してんのオレ。バカじゃねぇの?
いや、てか、そもそも、それ聞いてそういう返しをするってことは、ティナはそれ自体に文句ねぇってことだよな?
マジ、何でこいつ告白させてくれないんだよ。
「そ、そうだったな。じゃ、またよろしくな、ティナ。で、これは、まあ、最初のデートの記念ってことで」
ティナがいない時に見つけた髪飾り、それをポケットから取り出して差し出した。包装する時間はなかったし、そんな大した品物でもなかったから、そのままの状態だったけど。でも、ティナはそんなこと気にした様子はなくて、渡されたそれを目を丸くして見つめていた。
「綺麗……」
「まあ、結局はこれもガラスだけど」
「ふふ、別に宝石好きってわけじゃないし、いいんじゃない? だって、ほら。私達の初めて送り合ったお守りも、ガラスだし」
ティナに渡したのは綺麗な緑色のガラスを、蝶に見立てた黒い金属の土台に散らばしたバレッタだ。一見地味に見えるかもしれないけど、ガラスは光を綺麗に反射して輝いて見えるし、本来のティナの髪色で考えてもとても映えるはず。いや、センスなんてオレにねーから何とも言えないけど。
「ありがとう。結局、買ってもらっちゃった」
「これくらいいいだろ。記念になるもん、あげたかったし」
「うん、嬉しいからちゃんと受け取る」
「ちゃんとつけろよ」
「もちろん、毎日つける!」
思った以上に喜んでもらえたみたいでホッとした。今日一番の笑顔に、こっちまで頬が緩む。胸が熱くなって、気持ちが昂る。その衝動に、オレは思わず体が動いていた。
ずっと握っていたティナのその手を引き寄せる。そして、それを自分の口に押し付けた。ビクリとティナの体が震えたのがわかったけど、止めることはできない。
オレの気持ちが、少しでも伝わればいい。オレが、どれだけの衝動を、どれだけの思いを、ずっと抑えているのか。
そして何よりも、オレのこの口を塞いでいるのは、お前なんだということを、少しでも思い知ればいい。
「テオ……ッ!」
「ま、これくらいしねーと、デートじゃねーよな。オレ達は」
「――もう!」
流石に顔を赤らめてティナは自分の手をオレから取り戻して胸に抱いた。テレているだけでその顔には嫌悪が見られない。だから、やっぱり大丈夫だ。
オレは多分、ティナに好かれているし、オレの気持ちもきっとティナに伝わってる。だから、焦る必要はない。
大丈夫、まだ待てる。
これでも、十年近くこの気持ちを伝えずに大事に抱えていたんだ。結構辛抱強い性格してるオレに感謝してほしい。
「ほら、晩飯食ってくんだろ? それに、母さんにプレゼント渡さないと」
「わ、わかってるよ! もう、誰のせいで……」
「へいへい」
もう家の前だっていうのに、オレが手を出したらすぐにティナは手を差し出してくれる。帰るまでデートのつもりでいてくれるらしい。こういう変なところ律儀な性格も、結構好きだな。
ちなみに、この状態のまま店の中にまで入っちゃったから、母さんにはニヨニヨした顔で揶揄われたのは言うまでもない。
「それで、今日は何の日だったのぉ?」
食事も終わり、ティナが隣の宿に帰ったその後、やっぱり母さんはオレにそんな問いかけをした。もちろん、その顔はオレとティナが手を繋いでいるのを見た時と同じニヨニヨ顔だ。母さんにデレデレだった父さんが見てもきっと引くくらいのニヨニヨさだ。
「デートだよ。ちゃんとそういう名目で東区に行ってきた」
「へえ、あんたも頑張ってたのね。ふふ、まあ仲良くしててよかったわ」
「まだ告白はできなそうだけどな。でも……まあ、多分オレとティナは大丈夫だよ。きっと」
一応、オレを心配してくれてせっついてくる母さんを少しでも安心させるために、思っていることを報告する。いつもなら随分な自信ねえとまた揶揄ってくるんだけど、母さんは嬉しそうに微笑んでただ一言、よかったと呟いた。
「それに、ありがとね。これも。まさかこんな素敵なプレゼント、もらえるなんて思ってなかったわ」
ティナと一緒に渡したプレゼントを指で撫でながら、静かな声で囁いた母さんに、オレは言葉を探す。だけど、結局何も浮かばなくて、黙って見守ることしかできなかった。
それを付けた母さんの姿、見せに行ってやれよ。なんて、言いたくても言えない。だって、どこに行けば見てもらえるかなんて、オレにも母さんにもわかりはしないから。
(何で、死体もなかったんだろう……)
形見でもこの際遺髪でもよかった。何か父さんの物が残っていれば、それを墓に入れることができたのに。父さんはそこにいるんだって、無理にでも思うことはできたのに。
何も入っていない形だけの墓。そんなものに、意味なんてない。それでも、母さんは毎年命日になると一度は足を運ぶ。
その姿を、オレはただ黙って見つめることしかできない。
(なんて、今はそんなこと考える場面じゃないな)
「まあ、ティナが選んでくれたんだけどな」
「そうでしょうね。ふふ、でも、一緒に決めてくれたんでしょ? ありがとう」
「ああ。どうせなら明日付けて見せてやってやれよ」
父さんに、とは言えない代わりに、ティナに、と言葉にする。それにもちろん母さんは笑顔で応えた。
翌日、ティナと二人で贈った思いやりの髪飾りをつけた母さんと、デートの記念とオレの自己満足の塊の髪飾りをつけたティナが対面するその場面は、オレだけ複雑な気持ちにさせられるのだった。
当分ないと思ったのに、恋愛方面に入るとまだちょっとヒロイン側の心情を描くのは難しいので、ついついテオドール視点に逃げました(汗)
偶然ですが、バレンタインらしい、甘さになっていたらいいなと思います。




