7.登城要請
太陽の位置が高くなり、日向にいれば汗ばむ季節になった。夏の月の中旬。一日かけて行われた試験結果が廊下に張り出された。
「ティーナちゃんすごい! やっぱり首位だよ!」
「マリーだって四位じゃん! すっごい順位上がったんじゃない?」
「えへへ、ティーナちゃんに教わったお蔭だと思う。そうだ、リリーちゃんはどうかな?」
そうだそうだ、リリーの順位もきちんと確認しなきゃ! マリーと一緒に順位表を辿っていく。流石に下から探したほうが早いことはわかっているので、ちょっと申し訳なさを覚えつつも、下から名前を探した。
「ティーナちゃん!」
「すごい、リリー二十位に入ってる!」
自分やマリーが順位が上がる以上に興奮に襲われて、私はマリーと手を繋いで思わずはしゃいでしまった。
何度か勉強会を共にしてわかったことだけど、リリーは決して頭が悪いわけじゃない。もちろん、元々勉強する環境が揃っていなかったからこその順位なのはわかってはいたけど、一度説明したことはほとんど忘れないのだ、彼女は。それに、薬草学については他の教科よりも彼女は詳しかった。何でも、彼女が暮らしていた教会には薬草園があったようで、木属性の魔法もあることも関係し、植物については人より詳しくなった経緯があるそうだ。
そして、歴史学も他の教科ほど悪くなかった。ただ、試験範囲に追いつけていなかっただけで。それもそうだろう。彼女はスタート地点が他の人とかなり違うのだから。
「ティーナさん! マリーさん!」
弾んだ声に名前を呼ばれて振り返れば、花が咲くように笑うリリーがいた。あまりにも無邪気な笑みを浮かべる彼女に、私まで嬉しくなる。順位が上がったことのお礼を述べてくる彼女に、リリー自身が努力した結果だと、無難な言葉を返しておく。リリーは大袈裟に感謝するから、私の方で調整しておかないと、重すぎる感謝に胃が痛くなるのだ。
「殿下はやっぱり首位みたいだね~」
「流石殿下。って言っていいのかな。なんだか、皆殿下なら当然って思ってるかもだけど、実際公務をこなしながら学校にも通ってるんだよね? 魔法学校で習っている勉強範囲なんてきっととっくに習い終わっているでしょうに、どうして王族もわざわざ学校に通ってるのかな?」
基本、魔法学校に通う人達は、寮に入る。けれど、唯一殿下だけは城から毎回馬車で通学している。王太子ではないと言っても、第一王子の上に下には王女殿下が一人いるだけ。もうほとんど王太子と変わらない扱いを受けている彼は、城ではかなりの公務を担っているそうだ。
そんな忙しい中、わざわざ授業に出る必要があるのか。
「確かに不思議ですね。でも、殿下は技術の授業は誰よりも熱心に取り組んでいらっしゃいますよ」
「技術の授業は基本的に自習形式なんだけどね。でも、それぞれ専門分野の先生がいろんなことを教えてくれるから、自由に選択できて楽しいし、そういう幅の広さがいいってことかな?」
ま、殿下と直接関わりのない私達が考えていても答えなんて出てこないだろう。私は早々に思考を切り変えて、そのまま昼食を摂るために三人で食堂へと向かった。
「ティーナ! 一年のティーナはいるか!」
「あ、はい! います!」
その場を離れようとしたら一人の教師に声を張り上げられて咄嗟に同じくらいの声で返事をした。そこにいたのは滅多にお目にかかれない校長先生の姿だ。確か、侯爵、いや公爵? どっちだったっけ? わかんないけど、どっちかの当主で、王家とも遠縁にあたる人だったはず。
慌てて駆け寄れば、先程のボリュームで言葉を紡ごうとして、止めた。周囲に視線をやって、誤魔化すかのように咳ばらいをする。
「あー、ちょっといいか。すぐに済む」
「はい。大丈夫です」
そう言って少し奥まったところまで誘導された。おそらくあまり大っぴらにしない方がいい話なのだろう。そう予想を付けて話を聞いたけど、本当にあのまま話し出してくれなくてよかったと心から思った。
「今日、午後の授業は休んで、登城してほしいという要請がお前に入っている」
「え? 私、がですか?」
「ああ。相手はゼオン宰相閣下だ。断ることはできん。わかるだろう?」
あー、はい、そうですね。だって私の後見人。そうじゃなくても身分的に拒否はできない。何の用があって呼ばれたのかわからないけど、無視なんてできるはずがない。私は歪みそうになる表情をどうにか取り繕って、わかりましたと返事をする。それに満足そうに頷いた校長先生はそのまま自室へと戻っていった。
「ティーナちゃん大丈夫だった?」
「何の用だったんですか?」
話を終えた私に待っていてくれた二人が駆け寄って聞いてきた。この二人には隠す必要が無いので、後見人から呼び出しがかかったことを簡単に告げる。
それだけで私が城に行かねばならないことを察してくれた二人は、苦い表情を浮かべていた。
「それは、疲れそうですね」
「ティーナちゃん、失礼だけどちゃんと服はある?」
「あるある! 大丈夫だよマリー! それに、無くても貸衣装もあるんでしょ? 寮の侍女さんに着付けも頼めるし心配しないで」
午後の授業を休んで登城しろということは、到着はそれほど早い時間を想定していないはずだ。明確な時間を言われなかったのは、準備にどれくらいかかるかわからなかったからか、それとも閣下自身の予定が決まっていないからか。わからないけど、相当待たされる覚悟で行こう。
というわけで、またまた王城へとやってきました。平民がこう何度も訪れる場所じゃないと思うんだけどなあ。遠い目をしながらも案内されるまま廊下を突き進む。
「こちらでお茶をしてお待ちしていただくように仰せつかっております」
「そう、ありがとう」
案内されたのは庭園にあるガゼボだった。色とりどりの花に囲まれたそこは、まるで映画のセットのように美しい。魔法学校にも実は綺麗な庭園は存在するが、これほど立派ではない。思わず感嘆の息を漏らしながらも引かれた椅子に腰を下ろした。香り高い紅茶に、上品な甘さのクッキーを差し出されて、遠慮なく口にする。
(さてさて、どれくらい待たされるかな)
相手は忙しい宰相閣下。呼び出された身とは言え、すぐに対応してもらえるなんて甘い考えはない。念のためにと思って持ってきていた本を取り出して、私は暇な時間を潰すことに専念した。
それからどれくらい経っただろうか。持ってきていた本のページを十何回ほど捲った頃、どこからか子供の声がして顔を上げた。
「知らないわ! あんな人! 本当にもう失礼しちゃうんだから!」
ガゼボの前を横切ったのはとても綺麗なドレスを着た少女だった。年齢は十歳か、それ以下か。ふわふわと揺れる銀色の髪に、綺麗な金がかったピンク……つまりピンクゴールドの瞳をした少女は子供にしては整い過ぎたその顔を私の方へと向けた。するとここに人がいるとは思っていなかったのだろう、驚いたように目をまん丸くして立ち止まる。
(可愛い)
ふわっふわで、お人形みたいな女の子に内心テンション爆上がりな私だが、それを表に出してしまうとただの変態なので、努めて冷静に見えるように取り繕っている。女の子は私が城に呼ばれた客だということに気付いたのだろう。身分としてはどっちが上かなんて判断できていないんだろうけど……いや、多分自分が上だと言うことには気づいていそうだけど、それでも挨拶をするべきだときちんとこちらに顔を向けた。礼儀正しくて感心してしまう。
「ごきげんよう、どなたです?」
「御機嫌よう、初めまして。ティーナと申します。本日は宰相閣下より呼ばれてこちらの素敵な庭園を楽しませてもらっております」
相手が挨拶をしてくれたので、こちらも静かに立ってカーテシーを行う。
「おじさまのお客さまなのね。私はメイリーよ。一人でお茶なんてつまらないでしょ? おじさまがいらっしゃるまで、私がお相手してあげるわ!」
(か、可愛い~!)
必死に澄まし顔を作って自分優位に言葉を投げているけど、実際のところ「一人でお茶なんて寂しいでしょ? 一緒にいてあげる」と言ってくれているのだ。何て可愛くて、何て優しいのだろうか。
しかし、このような言葉を宰相閣下のお客に対して投げても許される存在……というのを考えて思考を放棄した。
「まあ、光栄です。是非、ご一緒してください。こんなにも可愛らしい方がお話のお相手になって頂けるなんて、待っている時間もきっとあっという間ですね」
本当に嬉しかったので満面の笑みで頷けば、メイリーはまた吃驚したように目を丸くした。本当に可愛いな。
「あ、当たり前だわ! 私が一緒にいてあげるんだもの!」
すぐに表情を取り繕って、メイリーは私の向かいに座った。私自身が頷いたことで既にお茶の準備をしていた侍女が静かに彼女の前にお茶をサーブした。
「メイリー様は何をされていたのですか?」
「な、何でもいいでしょ! ところで、あなたとおじさまの関係は何なの? こんなところにほったらかしにされて。もしかして愛人かしら?」
思いがけない言葉にギョッと目を剥く。愛人? いやいや、何を言っているんだ! 誰だ、こんな子供にそんな言葉を教えたのは!
「そんなわけないじゃないですか! 私の後見人に、宰相閣下がついてくれているんです!」
慌てて否定する。いくら貴族内では年の差婚や愛妾を抱え込むのが普通としても、まだ学生の平民の私と公爵家当主の、しかも宰相との愛人関係を想像されるのは困る。というか、ちょっと気持ち悪い。汗ばむほどのいい天気の下にいるのに、ゾワリと悪寒を覚えて震えてしまった。
「冗談よ。いくら何でもおじさまが少女趣味だなんて、私だって思いたくはないわ。そもそも、今まで一度だって女の影がなかったんだもの。今さらそんなことありえないわ」
「はは、それは何よりです」
「それにしても、おじさまが後見人を買って出るなんて、あなた優秀なのね? もしかして……魔法学校に通っているの?」
恐る恐るという態度で問われて、どう答えるべきか悩んでしまう。別に聞かれている内容は普通のことだし、通っていると答えればいいはずなんだけど、それなのにどうしてこんな機嫌を窺うような態度なのか。
「ええ、まあ。でも平民な上に、両親もいないので、伝手で宰相閣下に頼った形になります」
「そう……あなたは、その、貴族なのに、魔法がほとんど使えない人のことをどう思う?」
「貴族なのに、魔法を? えーっと、それは、別に、何とも……」
貴族であろうとなかろうと、魔法が使える使えないは個人差に寄るものだ。貴族の子供に魔法が使える子供が多いのは、おそらくは遺伝的なものだと思う。魔法が使えると言うだけでその個人のステータスになる世の中だから、貴族間ではモテ要素になるんだろう。魔力を持つ者同士が結婚すれば、その分子供に魔力の高さが遺伝するのは普通のことだ。
だけど、何でも遺伝で決まるわけじゃない。魔力が高い親から生まれる子供が全員、魔力が高いわけじゃない。その証拠に、魔法が使えないくらい魔力が低い平民の親から魔法が使えるくらいの子供が生まれてくるのだから。
「やっぱり、失格者だと思う? そうよね、絶対に魔力が高く生まれてくるはずなのに、ほとんど魔法が使えないんだもの。おまけにお兄さまと比べて勉強もできなくて、先生からはダメだしばかり。落ちこぼれの私なんて、」
「メイリー様、もしかして家族に虐められているの?」
私の言葉の意図を理解せずに一人で嘆き始めた少女を、私は少し大げさな声で遮った。平民が貴族相手に、しかもその家族を貶める発言をしたことで、傍に控えていた侍女も含めてギョッと驚愕顔を晒した。あらいやだ、プロすらも驚かせてしまったみたい。ごめんあそばせ、オホホホ。
「な、何を言ってるの? そんなことないわ。お父さまもお母さまもこんな私でも愛してくれるし、お兄さまだって……でも、私には優しくしてくれるけど、もしかしたらがっかりしているかもしれないわ」
「まあ、メイリー様のご家族とは面識もないので、私が勝手なことは言えませんけど、でも、私の考えは否定しないでくださいね?」
「あなたの考え?」
「はい。私は別に、貴族であろうと平民であろうと、魔力が高い低いは別にどちらでもいいと思います」
曖昧な言葉を使うとさっきみたいに勘違いされてしまうので、今度ははっきりと、わかるように口にした。メイリーはそんな私に怪訝な顔を向ける。ふむ、信じる気がないな?
「だって、魔法を使えたとして、その魔法を有効活用できる立場とは限らないでしょう?」
「……そうね、でも、私は、使えないと価値なんて」
「いいえ。メイリー様こそ、必要なんてないじゃないですか。何に使うんですか? 魔法」
心底疑問だ。だって、魔法ってそんなに便利なものじゃない。イメージに沿って動くけど、それにもいろいろと限界はある。以前の世界の漫画の中でなら、もっと便利で、もっと自由な魔法ばかりだったから、期待していたけど、実際はそうじゃない。
火なんて攻撃魔法でしかないし、風だって扇風機の代わりくらいしか普段では使えないし、水は生きる上で必要不可欠だから悪くはないけど、多くの水を作り出すにはかなりの魔力を消費するから実用的でもない。一番便利なのは土かもしれない。壁を作ったり、泥にしたり、簡易的な武器を作ったりもできるし。でも、結局攻撃するか防ぐか治療するか。そんな選択肢しかない魔法を使えたとして、目の前のこの女の子に何の意味があるだろうか。
「つ、使えるなら何だっていいわ。何に使うかなんてどうでもいいもの」
「ええ? それでどうして必要なんですか? いらないじゃないですか! 見せびらかすだけの力なんて無意味ですよ。いりません。使えたとしても、それは結局宝の持ち腐れのようなものでしょう? それなら、最初からないってわかった状態の方がマシじゃないですか」
「どうして! 私は、無いのが悔しいし悲しいのに! いらないなんて思わないわ!」
「だって、あるだけで魔法の使い方を覚えないといけないんですよ?」
「…………は?」
きっと想像もしてなかった言葉なのだろう。唖然とした表情を浮かべて硬直する彼女に、私は大袈裟に肩を竦めて真顔になった。
「いいですか、メイリー様。魔法が中途半端に使えても面倒なだけです。将来、特に役立てる場面があるわけじゃなく、ただただ個々の特技として掲げるだけために欲しがるのはやめたほうがいいです。だって、それがあるだけで特訓も勉強も増えるんですよ。それだったら最初から無い方が割り切れますし、空いた時間で違う勉強ができます。あと、お兄様とメイリー様を比較されて悲しんでおられましたが、そんなこと言う人の言葉など無視して結構です。男女の差もありますし、何より人に寄って頑張り方も記憶の仕方も要領も何もかも違うのです。皆が皆、同じ親から生まれたから同じ能力を持てるわけじゃないんです。そんなこと言っていたら、天才という言葉も凡人という言葉も生まれません」
思い切って全部意見をぶちまけてみれば、メイリーはあんぐりと口を開けて硬直してしまった。唖然を通り越した顔だ。淑女では到底しないその表情も、元の顔がいいだけで可愛らしい。あまり見ることはないだろうからと観察しつつも紅茶を口に運んだ。
「え、あ、いや、でも、私は……」
「メイリー様、では聞きますが、貴方にお兄様と同じ教育が必要なのですか?」
問えばまた黙る。だけど、それは私の問いかけに明確な答えを持っている証拠だ。迂闊なことを言わないところは流石だ。
「必要ないでしょう? たとえ同じ親から生まれたと言っても。だってメイリー様は第二子であり、女性。お兄様は第一子であり、男性です。となれば、貴族としても……王族としても求められる資質、教養、在り方というのは変わるもの。それなのに、何故比較されなければならないのですか? お兄様と比べてできが悪い? だから? お兄様と比べて頭がよくない? だから? では、お兄様よりも頭がよければいいのですか? 剣の腕がよければいい? 馬術が上手ければいい? 違うでしょう?」
そこまで一息に口にしてまた深呼吸する。メイリーは未だに自分が何を言うべきか言葉を見つけられないようで、まともな声も出せずに私を見つめていた。だけど、さっきよりかはきちんと思考は働いているようだ。それなら、もう一息。
「さて、話を戻しましょうメイリー様。貴女には魔法は必要ですか?」
実際聞かれていたのは私だけど、敢えて私が彼女に問いかける。暫く開いたままの口を閉じることもできずに私を静かに凝視していた彼女は、次第に視線を落としていった。駄目だったかな? そう不安に思うほど時間が過ぎた。実際はたったの数分程度のことなんだろうけど、静かな空間はちょっと居心地が悪い。
「…………いらないわ」
ポツリ、と消え入りそうな声で落とされた回答に、私は頬を緩めた。
「いらないわ、魔法なんて。だって、使わないもの」
「ええ、そうですね」
「使わないのに、使えるからって偉そうにする意味がないし、とっても無駄だわ」
「はい」
「だから……だから、私、じゃあ、今のままで、いいの?」
か細く、震える声に胸が痛くなる。この小さな肩にどれほどの重圧を感じていたのだろうか。周囲は、その事実に気付いているんだろうか。
王族だから、貴族だからって、何でもかんでも期待して、押し付けて、そして勝手に失望していく。本当に身勝手な人ばかりだ。
「ええ、貴女は貴女らしく、のんびりと勉強すればいいんですよ、メイレリアン王女殿下」
なるべく優しい声でそう諭せば彼女は大きくて綺麗なピンクゴールドの瞳に涙をいっぱい溜めて頷いた。
どれだけ教養があり、大人びた姿を見せたところで、彼女はまだ子供。その小さな肩にかかる重圧に、耐えられる資質はあれど、育ちきってはいない。
それを育てる人が、それを見守る人が、それを支える人がどうしていないのだろうか。
不敬だと思いながらも私は席を立ち、声を抑えて泣く小さな女の子を優しく抱き締めた。途端、縋り付くように手を伸ばした彼女に、愛しさを覚える。
同時に、自分の中にある〝自分〟という存在が少しだけ変わっていることに気付いてしまった。
(守ってあげたい、なんて……昔は簡単に考えもしなかったんだけどな)
でも、今回もきっとしょうがないことだ。
だって、この子の心に私の声が響いた一番の理由は、彼女のことをよく知らないからこそだと思うから。きっと知り合いだったら簡単に頷かないし、簡単に飲み込まない。お互いにお互いを知らないからこそ、私の言葉に偽りを感じなかった。
だから……多分、きっとこれでいいんだろう。
人に関わる怖さを感じながらも、この子ともう少しだけ関わってみたい。そんな矛盾を抱えながら、ただただ泣き続けるメイリーを優しく慰めるのだった。




