6.治療魔法
頼んでおいた武器も無事に受け取って、ガーシュおじさんにはランチを奢ってもらいつつ、近況を報告し、そのままお願いしたいことを押し付けて、何だかんだとルンルン気分で帰宅した。ちょっとだけ武器を使ってみようかなとも思ったんだけど、自室に入った途端、何とも言えない疲労感に襲われたので今日は断念した。
とにかく今日はこれ以上外には出たくないなと思い、いつもの薬草茶を淹れて落ち着く。
「試験はもうすぐだけど、今のままならリリーもきっとクラス内で上位を狙えるだろうし、問題はない。というか……もうすぐ夏かあ。なーんか、穏やかに進んでいくけど、いいのかなこれで」
平和だ。すんごく、平和。いや、いいんだけど。別に何か使命みたいなのを課せられているわけじゃないし、成績も実績も自分で望む分だけ上げればいいわけなんだから。
「でも、ずっと、駆け足気味、だったからなあ」
テオの隣に立つために、学力はもちろん魔法も使えるように気張ってきた。だって、テオは努力家だから。私と会うずっと前から剣の特訓を欠かさない程の。毎日毎日、何時間も、しかも一人で特訓するのは、テオが思っているほど簡単なことじゃない。
あの努力に見合うだけの努力を。
あの力に見合うだけの力を。
彼に見合うだけの人になるために、自分なりに力を磨いた。もちろん、思った以上に楽しかったこともあったからこそ、あんまり気にしてこなかったけど。
「でも……なんか、疲れてるのかな」
こんなにのんびりできる日、最近なかったかも。
うとうとと眠気に誘われて瞼を落とす。心地よい微睡に身を任せてそのまま眠りにつこうとしたその時だった。
コンコンコン。
という、ノック音が響いてどうにか目を開けた。
「あの、リリアです。ティーナさんいらっしゃいますか?」
「……リリー?」
意外な人物の登場に私は慌てて扉に駆け寄る。顔を覗かせれば、確かにリリーがその場に立っていた。
「どうしたの? 休みにこっちの寮にまで珍しいね」
「あ、あの、実はテオドール先輩に頼まれて呼びに来たんです」
「テオから? 何を?」
「私もよくわからないんですけど、顔を見せてほしいそうですよ。寮の前にいるんですが」
え、テオが来てるの? まだ明日まで休みなんだから実家に泊まってくるはずなのに。思いがけない状況にびっくりしつつも、リリーと共に寮の前へと行くことになった。外に出れば木々の影に隠れるようにしてテオが立っていた。
「テオ? どうしたの?」
「ティナ! 北区から戻ってきたんだよな?」
「え、ええ。一時間ほど前には戻ってきてたけど」
私の顔を見た瞬間飛びつくようにして駆け寄ってきたテオに驚きで動きを止める。唖然としているのは私だけじゃなくリリーもだ。ただならない状況だと彼女は思ったようで、余計な口を挟むことなく私とテオを見守ってくれる。でも、見守ってくれても、私も全然状況がわからない。
「一時間前って……午前には行ったんだろ? 時間かけ過ぎじゃないか?」
「あー、途中で馴染みのある旅商人のおじさんに会ってね。お昼おごってもらってたの」
「……ふぅん。じゃあ、何もなかったのか? なら、いいけど」
「当たり前じゃん。心配し過ぎだって!」
何もないと口にすればあからさまにホッとする姿に、本当にただ心配してきてくれただけだとわかる。そんなに一人にするのが心配になる存在なのかな、私。嬉しいよりも複雑な心境になる。どう反応していいかわからず苦い顔をしていたらテオはある部分に視線を向けて険しい顔を作った。
「――――これ、何だ?」
「……っ、げ!」
止める間もなく――というか、止める必要も感じなくて――テオに腕を掴まれて上げられたその自分の手には、昼間の男に付けられた手痣がくっきりとついていた。あの時押し付けられた背中が痛くてあまり気にしてなかったけど、それなりに酷い力で掴まれていたらしい。全然気づかなかった。
「ティーナさん! 酷い、青くなってるじゃないですか!」
「これで何もないとかよく言うぜ。何があったんだよ!」
何となしに自分の立場の悪さを感じて少しでも誤魔化そうと腕を引こうとしたけど、まあ放してくれるはずもない。あの男よりも力は強くないけど逃す気はないという気持ちはひしひしと伝わってくる。
駄目だ、誤魔化したら逆に怒らせる。ここは素直に話そう。
「……変な男に絡まれて腕掴まれたの」
「大通り歩かなかったのかよ」
「歩いたわよ。でも、そいつ昼間っから飲んだくれてて、人の話聞かないし、勝手にどこかに連れて行かれそうになって抵抗して……。思ったより容赦なく腕掴まれてたみたい。でも、ガーシュおじさんがタイミングよく来てくれて助けてくれたし」
「何してんだよ! お前、そんな酔っ払いに負けるようなヤツじゃねーだろ!」
「でも、だって、一般人を、魔法で攻撃はできないじゃん!」
「だからって! こんな傷作ってんくんな! 怪我するくらいなら、容赦なく相手なんて倒せよ!」
ビリビリするような怒声をぶつけられて体が竦んだ。こんな風に怒られるとは思わなかった。今まで心配してくれたとしても呆れたり、溜め息交じりの小言で済まされてきたから余計に、こんなにも強く言われたことに戸惑いを感じる。テオ相手に怖がる必要はないのに、掴まれたままの腕に突然恐怖を覚えて体が震えた。
「……ごめん」
「っ、あー、いや、怒鳴って悪かった。でも、お前はもう少し気を付けろ。声をかけて、優し気な言葉をかけて近づく男ばっかりじゃないんだ。今日みたいに話が通じないヤツだっているってことわかれば、お前だって迂闊なことしないだろ? いつもはオレだって驚くくらい人と距離取ってんだし」
「……うん」
「テオドール先輩、ティーナさんは私に任せてください。一応簡単にですが、治療魔法使えますし」
治療魔法は自分も使える。というより、人にやってもらうよりも自分でやった方が多分早い。リリーがどう思って提案したかわからないけど、治療云々の前に、この空気を仕切り直すきっかけを作ろうとしてくれている気がした。だから私も言葉を挟まない。
「そうだな。じゃあティナを頼むな」
「はい」
「ティナ、今日はオレ、寮に泊まってから朝に実家行くから、明日の朝、できたら顔見せてほしい」
さっきとは打って変わって優しい声をかけられて強張っていた体が緩んでいくのがわかった。本気で私のことを心配してくれてる。それがわかって、離れていくテオの手を、今度は私から掴んだ。
「ううん、明日は、私も一緒に店に行っていい?」
「……手伝ってくれんのか?」
「うん。手伝いが終わったら、校庭でいいから今日引き取った物、一緒に確認してほしいし。いい?」
覗き込むように窺ってお願いすれば、テオは苦笑を浮かべる。仕方ないなあって心の声が聞こえてきそうなくらい、その表情は雄弁だ。わかったと一言だけ口にして、テオはそのまま自分の寮へと戻っていった。
「リリーもありがとう」
「え、いえ! 治療魔法ができるのは本当ですよ! 任せてください、って自信満々に言えるほどの腕前ではないんですけど」
「そこは大丈夫。私、治療魔法は自慢できるほど得意だから! にしても、迂闊だったなあ。ちゃんと確認して治しておけばよかった」
リリーをそのまま私の部屋へと招待しながらぼやく。この痣さえなかったらきっとあのまま和やかな空気に戻ってくれたのに。ガーシュおじさんとの再会にテンション上がってうっかりしてた。
溜め息をついた私に、リリーはムッとして私の手を握ってきた。やだ、怒ってますよっていう顔も、この子可愛い! 流石ヒロイン!
「ティーナさん、治るから怪我してもいいわけじゃないんですよ!」
「え、いや、でも。余計な心配はかけなかったじゃない?」
「本当にそう思うんですか?」
柴水晶のような瞳が私を射抜く。彼女はいつも真剣だ。冗談なんてほとんど言わない。真面目で、素直で、優しい女の子。だから、こんな風に強い口調で、責めるような言い方をするのは珍しい。これはテオに続いてまたいらぬ態度を取ってしまったらしい。
「ティーナさんはとっても優秀な人です。勉強もできて、魔法もすごくて、何でもこなしてしまう人だけど、でも完璧な人じゃありません」
「それは……そうだけど」
「もし、この怪我にすぐ気付いてティーナさんが治してあったとしても、今日起きた事実がなくなるわけじゃないです。変な男の人に絡まれて、痣ができた。その事実は消えませんし、そんなことがあったら私も、テオドール先輩も心配するのは当たり前です。ティーナさんが、私達に心配かけたくないって誤魔化そうとするのも理解はできます。だけど、なるべく、隠さないでほしいです」
「どう、して?」
だって、そんな悲しそうな顔させたくないのに。心配かけたくないのに。むしろ、私なら大丈夫だって、信頼してほしい。特に……テオには。助けてあげなきゃ、なんて思われたくない。
「大切な人に、誤魔化されるのは寂しいです」
「……」
「心配くらいさせてください。テオドール先輩は、多分、ティーナさんに本当のことを教えてもらえなかったことに、怒ったんだと思いますよ」
何かあったかもと心配してくれたテオに、私は何もなかったと口にした。だけど、怪我してたら、何もなかったなんて嘘になる。ああ、そうだな、確かに私はテオに嘘をついてしまったんだ。あれくらいなこと、って私が軽んじたことは、テオにとってあれくらいなことで収まらないことだったんだ。
そりゃあ、そうだ。私だってきっと同じだ。テオに大丈夫? って聞いて、大丈夫だって返されたのにどっかに怪我してたらきっと怒った。そんな簡単なことなのに、私はわかってなかったんだ。
「そう、だね……、ごめんねリリー。ありがとう、教えてくれて」
「ふふ、いつもはティーナさんに教わってばかりですから、これくらいなんてことはないですよ」
安堵したように優しく微笑んだリリーに、胸が暖かくなった。可愛いなあ、本当にこの子は。怪我を治してもらうかどうかは別にして、ついでだから背中も一応診てもらおうと寝室まで招いた。
「背中まで打ち付けてたなんて……よくそんなことが起きてたのに何でもないなんて言えましたね」
「あはは。その後は嬉しいこともあったから本当すっかり忘れてたんだよ」
「もう! じゃあ、診てみますね」
同性同士でも部屋で服を脱ぐのは少し恥ずかしい。もじもじしてても仕方ないので思い切って背中を晒してリリーに向ければ、彼女は息を飲んだ。
「ティーナさん、思ったより酷いですよ!」
「え、嘘。そんなに? でも、そこまで痛み感じなかったんだけど」
「もう! 早く治しましょう? あ、でも、私、あんまり自信ないんですけど」
腕だけならまだしも、背中まであると範囲が広いせいで魔法が効くか自信がないのだろう。リリーがしょんぼりした顔をするから、私は苦笑してしまう。
「いいよ、自分で治してみる。でも、背中は見えないから、リリーは治ったかどうか確認してくれる?」
「あ、はい!」
魔法はイメージ力。治療魔法も然り。だけど、自分の怪我って自分では確認できない所も多いから苦手意識が高い人が多い。
でも、実際、他人でも見えない怪我というものがある。病気と呼ばれるものは、体調不良になるという単純な話ではなく、きちんと言えば、内臓の怪我のようなものが多い。脳梗塞だって、血管の破裂が原因なのだから、実際には怪我のようなものだ。
だからこそ、治療するには原因がわからないと治るイメージが湧かずに魔法が使えない。という人が出てくるのも仕方のないこと。
(私だって医者ではないんだし、医者だったとしても設備が揃っていないこの世界ではきちんとした原因がわかる人は少ないはず。でも、そんないちいち考えなくても治療を効率よくできる方法がある)
それが、魔力の流れを感じることだ。
と言っても、自分の魔力の流れは大体の人が感じることができるけど、他人の魔力を把握するのは難しいらしい。テオに話して聞かせてみたけど、今でもわからないと言われている。だから、この方法を人に教えるのは難しい。
とにかく、今は自分の体のことだから簡単だ。
自分の体に流れている魔力の流れに集中する。すると、微弱ながらも背中と腕の部分に魔力が滞っているのを感じた。きっと、痣になっているから派手に見えるだけで、実際は大したことがないんだろう。放置していても痕は残らないくらいの軽傷。
でも、そんなこと言えないし、心配させてしまったんだから、ちゃんときっちり治さないと。
魔力の流れを正していくイメージを持って、水属性の治療魔法を展開する。自分の体を包むようにして、外から内に流れを呼びかける。すぅっと暖かい空気が体を包んだような感覚がする。気持ちがいい。まるでお風呂に浸かっているような心地よさ。
体のコリを解すように動きの悪い体内の魔力を外から押して、循環させる。徐々に流れは正常に戻っていき、やがて滞っていた場所もわからないくらいに元通りになる。そうすればふっと、展開していた魔法が消えた。
「どう? 治ったかな?」
「すごい、すごいですティーナさん! こんなに完璧な治療魔法、私初めて見ました!」
「そう? 治療魔法はね、私真っ先に覚えようって思って必死に勉強したの。だから、そう言ってもらえて嬉しい。それに、実はある神官様のお墨付きでもあるんだよ?」
そう、実はこの治療魔法、聖女オタクのセイリム様にも披露したことがある。他の人と違って魔力の流れを見て正す私は、とても効率的な治療魔法を使えているらしく、珍しく彼が聖女以外で興奮して私を神官としてスカウトしてきたのだ。
いやー、あれには焦った。神官なんかになったら目立つ上に、セイリム様みたいに国に縛られるじゃん。そんなのごめんだ。
「神官様! すごいです! その力があれば、ティーナさん何にでもなれますね!」
「あー……まあ、職には困らないとは思うけど、でも私これ以上目立つことは望んでないの。それに、神官様にお墨付きをもらったってことは、それだけ何かを強いられる可能性も高いってことでしょ? だからリリー、できたらこの力のことは皆には内緒にしておいてね?」
「え……でも、それじゃあ、どうして私の前で使ったんですか?」
「? だって、リリーは人に言いふらすような子じゃないでしょ? 治療魔法が使えること自体は隠してないけど、教会にいる治療師以上の治療を使える自信はあるから、その力の強さはなるべく隠しておきたいの。でも、もしリリーが怪我をしたら、ちゃんと治したい。だから、貴方には知っておいてほしい」
ちょっとズルい言い方だけど、でもリリーは人が嫌がることはしない。いくら国の為になる力でも、個人でその気持ちがなければ意味がないことも知っている。だから、そう言っておけば、彼女は国の意向よりも私の意見を優先してくれる。その証拠にリリーは神妙な顔をして頷いてくれた。
それに、こう言っておけば、リリー本人に何かあった時、時と場合さえ大丈夫ならきっと彼女は私を頼ってくれるだろう。多分……。
「あの、お願いがあるんです」
「ん?」
「私に、治療魔法を教えてくれませんか? 私、水と木の属性を持っているんですけど、どうしても水属性の治療魔法は苦手で、未だに擦り傷程度しか治せないんです。でも、もっとちゃんと使えるようになりたいんです!」
強い意志を感じる瞳に射抜かれて、私は思わず一歩足を下げた。何かをお願いされることは多々あったけど、でもこんなにも強く懇願されたことはない。それに、今までのリリーは誰かのために動くことがほとんどだった。勉強だって、殿下がバディであっても、恥にならない程度になりたいのが主な理由だろうし。
でも、きっと、これは違う。
(そっか、教会で働きたいんだもんね)
シスターになるって言ってたのは、彼女にとってシスターが一番無難だからだ。でも、属性的にも治療魔法は十分扱える素質があるはず。それならば、治療師になるほうが彼女の目指す道には近道になるだろうし、所属する教会も融通を利かせてくれるはず。それくらい、治療師というのは貴重な存在だ。
「わかった。できるかぎりのことはしてあげる」
「本当ですか! ありがとうございます!」
友人として彼女の力になりたい。というのは、建前だ。きっとリリーは治療魔法をきちんと扱える方がいい。
まあ、これはただの私の勝手な推測で、身勝手な考えだ。でも、彼女もそれを望んでいる以上、無駄にはならない。
(聖女が使える光属性魔法の特性は、浄化がメインと言われている。これは、魔王を唯一倒せるからこそそっちがメインと言われているけど、それだけの力じゃない)
「……――光属性魔法の主な力は、浄化と治癒」
「え?」
「ううん、何でもない」
それならば、彼女が治療魔法に特化することはきっと悪いことじゃない。もし、私の予想通り、彼女が聖女になったのなら……その経験がきっと、役に立つのだから。




