3.学校生活
算術、語学、歴史、薬草学、マナー講座、そして技術。魔法学校で学ぶことは基本的にこれくらいだ。以前の世界……日本での授業を考えるとかなり楽な方だろう。この世界には魔法があるせいで科学がなく、代わりに薬や毒になる植物をある程度把握できるために薬草学が存在する。外国語は必要ない人の方が多いこともあり学校でわざわざ習うこともない。
拘束時間もそれほど長くない。午前に二教科、午後に一教科だけ授業をして、ティータイム前に解散となる。とはいっても、貴族なら貴族なりの時間があるし、平民なら平民なりに用事がある。それらを考慮した結果、それ以上学校に拘束するのは難しかったのだろう、と思う。ちなみに、技術の授業はほとんど毎日存在している。午後の一教科、というのがそれだ。まあ、技術では無い日も一応あるけど……。
技術の授業は基本的にバディ行動だ。学校にいる教師達もそれぞれ個人の訓練場にいて、指導を願えば叶えてくれる。それも、魔法だけではなく剣や槍、弓、ナイフ等、多種多様の戦闘技術までも指導してくれるというから魔法学校という名前がおまけに思えてならない。
教師に指導してもらう時は別にバディでお願いしなくてもいい。バディとは言えど、戦闘スタイルまで同じなわけではないのだから、各々好きなスキルを上げるべきだということで、個人で動く人も少なくはない。
私とテオは魔法の特訓は二人きりになれる場所で行い、テオが剣の特訓をしたい時は別行動を取っている。そして、今はまさに別行動の時間だった。
テオの剣の特訓を見学するのもいいんだけど、授業中にボーっと見ているだけなのは流石に居心地が悪い。
「私も何か武器の扱い方とか習えばよかったかな」
使用武器を登録するわけじゃないから、毎回何処の誰に何の武器の特訓をしてもらうかは自由だ。だから、今からでもやってみたいことがあれば教えてもらえばいいだけ。だけど、どれを見てもしっくりこなくて結局決めずじまいだ。
「魔法中心になるし、そうなると遠距離戦だよねえ。武器を扱うことで接近戦に変わるのもなんだか変な感じだし、武器もせめて中距離戦できるものくらいがいいなあ。そうなると弓とか投てき系かな」
投てきってなると、パッと浮かんだのは忍者だ。手裏剣! あー、いいよねえ。忍者という存在は日本人でもワクワクする。なんて思うけど、ここは世界観的には中世ヨーロッパだ。多分。そんなに歴史得意じゃないからはっきりとは言えないけど、ファンタジーでよくある世界と言えばそのあたりな記憶。特に伯爵とか侯爵とかそういう爵位が残ってると勝手にそういうイメージ。そんな場所に日本の……しかも隠密が使うような武器が転がってるはずがない。
ならば、この世界に在りそうな武器を考えなければ。
「まあ、一番単純に考えるなら、ナイフ投げかあ」
殺傷能力なんて皆無そうだけど。しかも、大量に投げたらそれだけナイフを消費することになるから、経済的に痛い。あれか、紐でもつけて再利用でもすればいいのかな?
あれ、そういう武器があった気がする。何だっけかな。確か、以前に使い方を勘違いしてて、そういう使い方なんだあって吃驚した武器が……。
「あ! クナイだ!」
そう、忍者お馴染みの小型ナイフみたいなアレ!
って、結局そこに戻ったじゃん!
「でも、あの形は使える。大きさも手に馴染む小型だし、取手の先に穴があるから縄を付けて振り回したり、刺したものを回収するのに便利だし。実際そういう使い方がポピュラーだって、どっかで見てから更にこう、かっこいいって思ったんだよね。鍛冶屋に特注でもしようかな」
大量に作るのは懐に大打撃だけど、練習用も兼ねて五つくらい作っておけば、無くさない限りは使えるだろうし。今度街に出て相談しようかな。それか、ガーシュおじさんに会えればいいんだけど。
なんて、結局今すぐにどうにもできないことを考えながらもブラブラ散歩――尚、授業中である。しかし、サボリではない――のようなことをしていた。
そんな時、校内の小さな森から、カンカンカンと高い音が響いてきた。何度も聞いたことのある音だ。テオが教会の子供達とチャンバラごっこしている時のような。
「誰かが木剣で手合せでもしてるのかな?」
ここでは武器は基本的に学校で貸し出している専用の物でないと許可されていないけど、木製の物はギリギリ許されている。危険度で言えば貸し出している模造剣の方が高いからね。
それにしても、何か音が不規則というか、荒っぽいというか。何となく気になって森の中に足を踏み入れる。というか、何で王都の中に、しかも学校の敷地内に小さいとはいえ森があるのか。私は無駄に広い敷地の使いどころに恐怖を覚えた。自然公園とかそういう風に考えればいいのだろうか……。
音が近づいてきたと思って視線を巡らせれば、そこにいたのは一人の男子生徒だった。そう、一人だ。
どうやら彼はにょきにょきと伸びる木の枝を木剣で叩き折るという特訓をしているようだ。魔法と剣、どちらの修行も手っ取り早く済ませようという魂胆だろうか。それにしては、魔法のレベルが剣と見合っていない。
(木の動きが単調すぎてただただ棒立ちになって剣を振っているようにしか見えない)
これは本当に特訓になっているんだろうか。
「だー! もう! めんどくせー!」
黙々と木を伸ばしては叩き折る作業を繰り返していたその人は、唐突に叫んだかと思えば魔力を増幅させた。いやいや、待って、イメージそのままで魔力だけを増やしたらヤバいでしょ! なんて、言う間もなく、木の幹程に太いそれが、先程の三倍はあろう速さでその人に突っ込んだ。自分でやった癖にその事態を想像していなかった彼は、見事に真正面から衝突して、後ろの木に吹き飛ばされてしまった。
「うっ、がっ!」
きっと強烈な一撃だったんだろう。噎せながらその場にずるずると蹲る彼に、私はわーっと思わず口元を押さえて引いていた。衝撃のせいでイメージ力が失われたからか、生えていた木々はその場で動かなくなり、同時に彼もその場で動けずにいた。血が出ているようには見えないけど、内臓が傷ついている可能性はある。ちょっと心配になって私はゆっくりと近付いた。
「大丈夫ですか?」
「……っ、だ、れ」
「一年のティーナです。かなりすごい攻撃が入ってましたけど。治療師を呼んできましょうか?」
この学校には専門の治療師がいる。まあ、保険医のようなものだ。だから、教会の神官ほどの治療魔法が望めるわけじゃないけど、ある程度の怪我を診ることはできるし、治療することも可能だ。
「い、い。最近、多いと、言われたばかりだ」
言葉を詰めるほど痛いのに、よくそんなやせ我慢ができるものだ。というよりも、そうやって苦言を漏らされているのなら、もう少し気を付けるべきだろうに。思わず溜め息をついて、相手の魔力を探る。かなり痛いのだろう。腹の部分の魔力の流れがめちゃくちゃだった。これで治療師に診せなかったら時間が経ってから倒れることもあるんじゃ……。
(仕方ない、か)
きっと説得しても意味はないだろうし、無理やりに治療師を呼んできてもその間にこの人がこの場から離れてしまっては意味がない。なら、この場で治すしかない。
「じゃあ、仕方ないですね。私の特訓相手になってください」
「……は?」
「今から私は治療魔法の練習をするんで、貴方はその練習相手です。だから、そのまま動かないでくださいね」
失敗しても治療師に診せるつもりがなかったんだからいいでしょ、とばかりににこやかに笑って、私はその人の腹に手をかざした。魔力の流れを正常に戻すイメージをして、水の治療魔法を展開する。怪我の治療は打撲でも切り傷でももう簡単に治せる。なんたって実験台が常に傍にいたからね!
だから、ちょっと深そうなこれも、ほーら簡単! 見る見るうちに正常に戻っていく。
「こ、れは……! これほどの治療魔法、初めてだ」
「痛みは無くなりました?」
「ああ。すまない、ありがとう。実は動けないほどキツかったんだ。見栄を張って迷惑をかけた」
おや、思ったよりも素直な人なんだな。余計なことをとか言って逆ギレされる可能性もあったからちょっと拍子抜けしてしまった。
「貴方は魔法が苦手なんですか?」
「ああ。ずっと騎士になることばかり考えていて魔法の特訓を蔑ろにしていたんだ。だから、いざやろうと思っても難しくてな。負けたくない奴は魔法も剣も簡単に使うのを見て、流石にオレもこのままではいけないと思ったんだが……」
「それなら、誰かに指導をお願いした方がいいと思いますよ。剣だって、最初から独自で得た力だったんですか?」
「いや、ちゃんと師がいた」
「なら、魔法にも師は必要では?」
そもそも、師がいらないのなら、何のために魔法学校に通うのか。ここは社交の場でもあるが、それ以前に魔法を学ぶところだ。魔法が苦手なら特に、素直に教師へ教えを乞えばいいと思う。少し呆れた気持ちになりながらも助言すれば、彼はハッとしたように目を丸めて俯いた。
「そうか、そうだな。確かに君の言う通りだ」
「今みたいに無茶な特訓していても怪我が絶えないだけです。きちんと人の指導の元基本を習って、自分なりの魔法を掴むのが近道の一歩だと私は思います」
「ああ、そうだな。ありがとう、目が覚めた気分だ。それにしても……」
唐突に彼は私の顔をじっと見つめてきた。明るい茶色……というよりもオレンジに近いその瞳に熱がこもっている気がして少し心がざわついた。何だかよくない予感。思わず後退りそうになった私の手を、唐突に握りしめた。
「ひゃ!」
「突然こんなこと言っても迷惑かもしれないが」
「それなら言うのはやめてください」
「いや、敢えて言わせてくれ!」
話を聞いて!
いやいや、嘘でしょ。そんなことある? 今まで声をかけられたりそれらしいことを言われたことはあるけど、こんなに熱っぽく、しかも会ってすぐにされたことは今までなかったから油断した。
「どうやら君に惚れたらしい!」
へ、へ、ヘルプミー! 直球! この人めっちゃ直球! しかも、初対面の割には目がマジ過ぎる上に、妙な誠実さを感じるから困る! どう、どう回避すればいいわけ?!
「いや、あの……」
「情けない姿を見られたばかりだから今は気持ちを伝えるだけでやめるが、どうか待っててくれ。君が振り向いてしまうくらいの男になってまた告白をする!」
「いえ、それは、ちょっと、あの、その、」
「ティーナと言っていたな? オレはゲイル・ロータスだ。では、また会おう!」
言うだけ言って何故かその人は元気になった体で颯爽と校舎の方へと走っていった。茫然とその後ろ姿を見つめていた私は、ハッと我に返る。
「ゲイル・ロータスって……」
確か、テオの追っかけしてた伯爵家の人じゃないっけ?
理解しきれない状況に、クラリと眩暈を覚えたのだった。
どうにか立ち直って今日は何もせずテオの所に戻ってきた私だけど、その判断を早々に後悔した。
「テオ様ぁ、今日も素敵です」
「うるせーな、お前は自分の特訓しろよ」
「あらぁ、でもテオ様のバディも、ああしてサボってるじゃないですか。わたくしだけに言うのは不公平じゃないですか」
いつからいたのか……いや、この調子なら割と最初からテオの特訓を見学してたんだろうな。テンションの高い美女、ミシェーラ様は剣の特訓をするテオを少し離れた場所から応援していた。とても、うるさく。
「あのな、少なくとも最初からここにいたあんたよりはサボってねーだろ。ティナ、どうした?」
「……ううん、ちょっと疲れたことあったから」
ゲイルに会ったの、とは流石に言えない。視線を泳がせながら愚痴を零せば、テオは首を傾げた。
「じゃあ、授業終わったらサロンで休むか?」
「いいの?」
「テオ様! 授業が終わったらわたくしとデートをしてくださると!」
「言ってねえよ!! 一言も!」
すごいな、このお嬢様。どういう脳内変換しているんだろう。テオがデートという単語にOK出すの想像つかないんだけど。
そこまで考えて私はちょっとした悪戯を思いつく。どっちに転んでも、冗談で済ませられる範囲だろうし、少しくらい遊んでもいいよね。
「じゃあ、テオは私とならデートしてくれるの?」
「は?」
「な! 何を言いますの! テオ様はわたくしと!」
「だからあんたとはしねーって言ってるだろ!」
「じゃあ、私は?」
「ティ、ティナは……そんなの、聞かなくても、」
聞かなくても? ん? そっか、デートって男女二人で出かけることだもんね。意味深なことを除けば。それなら、聞かなくても……
「結構な頻度でしてるようなものだね、確かに。デート」
「ん、んんっ! ああ。何十回としてるだろうな、デート」
「な、な、何ですって!」
敢えてお互いに〝デート〟の言葉を強調すれば、案の定ミシェーラ様は肩を怒らせて声を上げる。ま、怒ったところで事実は事実だから。幼馴染なんだし。それに、私に怒るのはお門違いだ。私はテオの友達とも交えて遊びたい時期があったのに、最初からテオには頑なに断られて、結果テオと過ごすしかなかったんだし。
「じゃあさ、今度北区にデート行こうよ。私あっちにはほとんど行ったことないからさ」
「あっちなんて目立ったもんないだろ。どれかって言うと職業専門的な地味な店ばかりじゃねーか? 飲食店も居酒屋とかちょっと下賤な店が多いし、普通の店と言っても鍛冶屋とかそういうのしかないだろ?」
「そうそう、その鍛冶屋にちょっと行きたくて」
ついでだからさっき考えていたことをテオにも相談しよう。私よりは武器の種類に詳しいかもしれないし。そう思って彼女を無視して会話をしていれば、タイミングよく午後の授業が終わるチャイムが鳴り響いた。途端、テオは私の肩を掴んで体の向きを変えさせる。
「んじゃ、話の続きはサロンでしようぜ。喉渇いたし」
「ん、そうだね」
「ちょ、テオ様!」
「じゃーな」
後ろでギャンギャン騒ぐミシェーラ様に見向きもせずに教室を出て、特別サロンへ向けて歩き出した。
(……ミシェーラ様にこれ以上来るなって意味で別れの挨拶したんだろうけど)
ちらりと横目で彼女を見やれば、案の定。テオに挨拶してもらったことに感激している姿が視界に入って、私は小さく溜め息をついた。無駄に強いポジティブ力の持ち主に、テオを諦めてもらうためにはなかなか根気が必要そうだ。
「マークス先生!」
鈴のように可愛い声が耳に届いて足を止める。今から午後の授業のために移動しようと思っていた時だった。もう聞き慣れた声の、けれども自分達といる時以外では聞いたこともない楽しそうな声に驚いて視線を動かす。
その先にいたのはリリーだ。教科書を持って私の担任、つまり歴史学の先生にわからない部分を質問しているのだろう。真剣な表情で、けれども一人でいる時より柔らかい空気を纏ってマークス先生の言葉を聞いていた。
「いつもありがとうございます。また、聞きに来てもいいですか?」
「ええ、構いませんよ。リリアさんも……慣れない環境で大変だと思いますが、困ったことがあったら相談に乗りますからね」
「ありがとうございます」
一分程の時間だった。あっさりとマークス先生に頭を下げてリリーは私がいる方とは逆の方向へと歩いていく。その姿を見送って、私は思わず彼に近づいた。
「マークス先生とリリー……リリアってお知り合いなんですか?」
「ティーナさん。どうしてそう思われるんですか?」
「いや、リリーの顔が、まるで親戚のお兄さんを見ているような感じに思えて」
この学校に知り合いがいるなんてこと、聞いてなかったけど。でも、他の先生と比べてマークス先生は静かだし、それに平民でもあるから心を開いただけかな。
「リリアさんのことよく見ているんですね。ティーナさんのような方が友達なら安心です」
「え、いや、あはは」
一度は見捨てようとしましたとは言えないなあ。勝手に気まずくなって視線を逸らす。
「実は、最近になってお互いに気付いたんですが、私とリリアさんは結構前に一度会ったことがあったんです」
「そうなんですか?」
「ええ。私がまだこの学校に通っていた頃……リリアさんがまだ小さな子供だった時に。リリアさんがちょっとした事件に巻き込まれて、私が彼女を家まで送り届けたことがあります。たった一度切りの出会いでしたけど、かなり印象的だったので、お互いに思い出すことができたんですよ」
へえ、何か運命的。リリーって確か教会と一緒になった孤児院の子だよね。南区の子じゃないってことは、もう一つある北寄りにある西区の孤児院のはず。
……ん? 西の孤児院。事件。
何か頭に引っかかるものがあってマークス先生を改めてマジマジと見つめる。
レンガのような、赤茶の髪と、灰色の瞳。当時はテオくらいの青年だった先生。てことは、リリーはきっと七歳くらい? 薄い金髪に、紫水晶のような綺麗な瞳。
「……ぁ!」
「ティーナさん?」
「あ、いえ、何でもないです。あの、その事件って」
もしかしてという気持ちで問いかけるけど、その事件についてはリリー本人に聞いてくれと優しい言葉で断られた。まあ、被害者がリリーなら勝手に話しちゃうのはマズいよね。
でも、きっと私が思っている通りだ。
子供の時に巻き込まれた人攫い事件。あの時の被害者がリリーで、彼女に付き添ってくれたのがマークス先生だ!
思いがけない偶然にちょっと興奮しちゃうけど、ここであの時いた子供ですとは言えない。だって、あの事件を境に私は今の髪色に変装するようになったわけだから。
勢いのまま口が滑らなくてホッとした。
「リリアさんを見ていると懐かしい気持ちがするなって思ってたんで、気付いた時は驚きました。そういえば、その事件でもう一人、印象的な女の子がいたんですけど……実はティーナさんに似てるなって前々から思っていました」
「へっ!?」
「私にとってはその子供の方が記憶に強く残っているんです。子供なのに、もう成人間際な私のことを気遣ってくれるような聡い子で。ただ、髪色が違うので別人だとはわかってるんですけど、その子の傍らにはテオドール君に似た男の子もいた気がするので余計に思い出してしまって」
マークス先生の優しく、純粋で、有り難い昔話は、私にとってドキドキで緊張する時間だったのは言うまでもない。朗らかに笑いながら首を絞められているような嫌な気分を味わって、私は表情を崩さずにいるのが大変だった。




