2.リリア
殿下がいるこの学校には、今、タイミングよく重要ポストにつく人達の息子が数多くいる。
例えば、辺境伯家の双子。それだけならちょっと高貴な人間というだけだが、辺境伯という爵位は伯爵という名であるのに、地位の高さは侯爵と同じだ。貴族内では王都から離れた辺境の地は田舎だと蔑まれることが多い。それなのに、地位だけは高いのはきちんと理由がある。
辺境伯の領地は他の辺境とは違い、隣国との境に位置する。つまり、隣国から我が国を護る防衛線だ。そのため、国が持つ騎士団と同等の力が備わった騎士団を独自に持ち、辺境という地でも経済が回り、生活ができるように維持している。つまり、領地という名の小さな国そのもの。
そして、今ここに通っている双子はその辺境伯の子。しかも、騎士団の中で副団長の下につける隊長格の実力を持ってるらしい。
更に、騎士団長の息子……つまりはテオの追っかけ第一号? のゲイルがいる。殿下に騎士団長の息子に高位貴族の子息、ここまで並ぶと完全に乙女ゲームかなって思ってしまうのは仕方ないと思う。それで、殿下のバディに強制的に選ばれたのが平民の見目麗しい女の子。ヒロインだよね、絶対って私が思うのは仕方ない。仕方ないよね!
こうなれば宰相の息子とかいれば完璧なのに、って思うけど、まず宰相もう五十過ぎてる上に未婚なのでそれはないんだよね。
なんて、現実逃避をしてしまったけど、それどころじゃなかったや。
「これに懲りたら身の程を弁えることね!」
「行きましょう、皆様」
ぼんやりしている間にお嬢様方の鬱憤晴らしは終わったようだ。ただ傍観しているだけになってしまった私は気まずさと罪悪感に襲われながらも、その場に残された彼女を見やる。
地面に転がった何かを静かにかき集めて顔を伏せている彼女は、泣いているのかどうかもわからない。声をかけるべきか、かけるとしたら何を言えばいいのか考えてその姿を見ていれば、落ちている物に目がいった。
(あれ、もしかして……お弁当?)
ぐちゃぐちゃにされていたのはパンのように見えた。今は昼休み。しかもまだ数多くの人達が食堂に向かっているそんな時間。お弁当を持っていてもおかしくない。
ということは、あの人達は人様のお弁当をぐしゃぐしゃにして駄目にしたってこと? ぐわっと頭に血が上った。その瞬間、どう声をかけるべきかなんて悩みは一気に吹き飛んだ。ドスドスと無駄に足音を立ててその場に近づく。後ろでマリーが何か声を上げていたけど、聞こえない振りをする。顔を上げていない彼女はその音にビクリと肩を震わせて硬直した。
「リリアさん、私と一緒にご飯食べましょう!」
「……え?」
初対面、開口一番、私から投げられた言葉に彼女は弾かれたように顔を上げる。そこには涙はなかった。だけど、強張ったその顔には確かに悲しみが滲んでいて、そして私の言葉に困惑しているようだった。
「あ、貴方は……主席の、」
「ええ、初めまして。ティーナです。突然すみません。でも……理不尽に絡んでくるだけじゃなくて、人の物を平然と踏みにじるような人達に、ちょっと腹が立って。何より、食べ物を粗末にするなんて許せない」
平民は一日食べることに必死だ。一日稼いだお金のほとんどはその日のご飯代で消えてしまう。
私はフィーネさんに拾ってもらったことで、毎日結構まともに食べさせてもらえてたけど、孤児の子になると少ないお金からやり繰りしなければいけなかった。一食小さなパンを一つとスープ。それを一日二食。それだけあればいい方だ。具なんてあるかないかわからない所も少なくはないらしい。王都にある孤児院は慰問に来てくれる貴族の人達も少なくないから、その中でも贅沢をしている方らしいけど、それでも一般家庭には劣る。
彼女も、孤児院出身だ。だからこそ、あの食堂の食事なんて頼めるはずもない。学費はタダ同然とはいえ、生活費まで保障してくれないし、日中は授業に縛られるから小遣い稼ぎもできない。きっと、孤児院から送られてくる少ない仕送りでどうにか過ごしているに違いない。そんな貴重な食料を駄目にされたのだ。彼女はもっと怒ったり、悲しんだりしていいと思う。
「リリアさん、私ね、今日偶然いっぱいパンを作ってきたの。皆で食べるつもりだったから一緒に食べましょう?」
そう、本当に偶然だ。私が毎日食費を浮かせるためにお弁当を用意していることに気付いたテオが、食費を払うから自分の分も、と言い出して、今では二人分作っている。更にたまにマリーやロイド先輩も味見がしたいと言い出し、私発案のパンを食べて褒めてくれたから、日銭を稼ぐためにも休日にパンの販売を再開しようかと考えた。以前と同じものを出すのは面白くないからと今日はその試作品をいくつか作るから三人に試食を頼んでいたのだ。
「で、でも……」
「試作品として作ったから沢山の人の意見も聞きたいの。協力してくれると嬉しい」
土に汚れたパンをかき集めていたリリアの手を気にせずに握り締めて笑う。すると、彼女は泣きそうな笑みを浮かべて頷いてくれた。
「ティナ! いくら食堂で食べたくなくなったからって大声でオレの名前連呼するのはやめろよ!」
「だって面倒だったんだもん。いいじゃん、どうせ私とテオはセット扱いだし」
食堂で四人で集まってご飯を食べる約束をしていたけど、リリアと話している間に先にテオとロイド先輩が席を取っているだろうってなった。だけど、リリアが一緒にいる姿を見られたら私達にも迷惑がかかるかもといじらしいことを言ったので、仕方なく場所を移動することにしたんだけど、探すのが面倒でつい入り口で声を張り上げたのがいけなかったらしい。
「セットって、あのなあ」
「バディなんてそんなもんじゃないの?」
「そうなる人もいるけど、実際ずっと二人って訳じゃねーんだから……」
「でも、やり取りできないのは面倒だよね。通信できる系の魔道具とかないのかな?」
転送ができるんだから、声を届けることもできそうなものだけど。今度ガーシュおじさんに会ったら聞いてみようかな。考え始める私にテオが小さく呻いて私の肩を掴んだ。
「お前、そうポンポン魔道具なんて買うこと考えるなよ! あれ、貴重で高いってことくらいはオレだって知ってるんだからな! 普通なら一般庶民が転送とかそういう贅沢品に分類される魔道具なんて買えねーんだよ!」
「うーん、まあ希少価値がついてるからねえ。じゃあ、作ってみるのは?」
魔道具は魔法を扱えるほどの魔力を持っている人なら仕組みさえ理解できれば結構簡単に作れる。けれども、そういう人は基本的に貴族だ。貴族の人が専門的に魔道具を作るのは稀で、魔法学校で魔法を学ぶのが日常となった今の時代でもなかなか数が増えないことが問題視されている。生活に使う魔道具については、魔法学校に通う二割の平民と、男爵位の子供がその職に就くことが多く、どうにか数を保っている。
「……作れんのかよ」
「作るなら私も材料集め手伝うよ」
「……俺も、少しは伝手があるけど」
「本当! ありがとう!」
「やめろやめろ! お前、少しは自分の異常性を理解しろ! これ以上変な特技つけたら異質度だけが爆上がりだぞ!」
「ひど! 何でよ! せっかく魔力があるんだからやれること挑戦して何が悪いの! 魔道具なんて紐解けばプログラミングなんだから使う専門用語と組み合わせを覚えればそれなりに作れるでしょ!」
「だから! それが、できるのが、異常だって言ってんだよ!」
食事をするはずが思わぬ方向に話が進んで、ギャーギャーとテオと言い合いをする。いいじゃん減るもんじゃないし! と更に言い返したその時、私の脇から小さく上品な声でクスクス笑う声がした。視線を向ければ、そこにはリリアが口元を押さえて笑っていた。
「あ、すみません、笑ってしまって」
「別にいいよ。こんなの友達同士の談笑でしょ? 笑うのは普通じゃん」
「そうだよ。リリアちゃん、笑うと更に可愛いんだね!」
「え、あ、いえ……ありがとう、ございます」
あまり褒め慣れていないのか、マリーの言葉に顔を真っ赤にして俯いた。可愛い。その辺の貴族のご令嬢よりも女の子らしい。
「なあ、それより飯、早く食おうぜ」
「あ、そうだね。ごめんごめん。ロイド先輩もマリーも付き合わせてごめんね。口に合うかわかんないけど、どうぞ!」
持ってきていた大きなカゴをテーブルに置いて、中の物を広げる。
今まで使ってこなかったフルーツやチーズ、それにベーコンを練り込んだパン。この組み合わせでも美味しいとわかっているのに、この世界では見かけたこともない、けれども以前なら簡単に見たこともあるようなパンを四人に差し出した。
「おお! 美味そう!」
「……これは、斬新なパンだな。今まで何度かティーナが食べていたのも気にはなっていたが」
「これ、確かベッサの街では同じようなのが一時期流行ってたってお姉ちゃんに聞いたことある。それが、まさかティーナちゃんが発案だったなんてびっくりしたよ!」
「え、これティーナさんが発案した物なんですか? すごい!」
「ちゃんと処理さえ間違えなきゃパン作れる人は結構簡単に作れるよ! リリアさんにもよかったら今度教えてあげる」
自分のお弁当を用意できるような人だ。きっとリリアなら簡単に作れるだろう。一緒に作ったらそれだけ楽しいだろうし、そう提案してみれば案の定、パッと顔を輝かせた。
「い、いいんですか? でも、オリジナルのレシピって貴重って聞きましたけど」
「え、そうなの?」
「「「え?」」」
そんな話聞いたこともないとばかりに問いかければ、リリア以外の三人が声をハモらせて私を見た。
え、なに、やっぱり常識なのそれ?
そういえばパンを売ってる時遠回しにレシピを教えてくれって商人らしき人が近づいてきたな。あの時はフィーネさんのためにベッサに留まっていた時だから、時間が無くてキッパリ断ってたし、どうして聞きに来る人が商人なんだろうって疑問だったけど、そういうことか。
「ティーナちゃんって、頭いいはずなのにどっか世間知らずだよね」
「……えへへ、王都には遊びに来てたけど、基本的に私、山にこもってたから」
「お前、一年旅してたんじゃねーのかよ」
「してたけど、その時はほとんどパンなんて売ってなかったし。キッチン無くて」
貴重な品を見かけたら交渉してなるべく安く手に入れて、必要としている人になるべく高く売るなんていう商売はしてたけど、それもガーシュおじさんのを見様見真似してたみたいなもんだし、レシピの存在なんて知らなかったし。
でも、そうか。本が貴重なこの世界では、そういった情報も売り物として扱えるのか。覚えとこっと。
「まあ、でも、別にわざわざこのレシピを売るつもりはないよ。率先して広める気もないけど。だから、友達に教えるくらい気にしないし、リリアさんと一緒に料理もしたいし、ね?」
「……っ、はい! 是非、一緒に料理しましょう」
嬉しそうに笑うその顔は、料理が好きだから、とは思えなかった。
(これは、きっと、〝一緒〟なのが嬉しいのかな?)
クラスが違うから、あまり彼女を見る機会はなかった。それでも、殿下のバディで、人目を集める容姿なのもあって、同じ空間にいたら勝手に視線が向かっていた。その度に、彼女は多分、一人だった気がする。
そうなるだろうと予想はしていた。だから、不思議ではなかったし、助ける義理も、護る理由もないと思って放置していたのは私だ。それに罪悪感を覚える必要なんてない。でも、それでも……。
(可愛くて、素直で、優しいこの子が、どうしてこんな目に遭わないといけないんだろう)
この世界が乙女ゲームの世界、なんて考えたことは何度かあるし、まさにさっきそう思うようなメンバーがいるなとか思ってたけど。もしそうなら、ここでリリアのことを助けるのは殿下の役目だ。
でも、実際は違う。バディになったからって殿下とリリアが無条件で仲良くなるわけじゃない。技術の時間以外でバディが行動を共にする理由はない。それなのに、もし殿下がリリアのことを気に掛けることをしたら、きっと嫉妬にかられた女生徒が更にリリアを強く糾弾するだろう。
結局は逆効果になるのは目に見えている。
だから、今のこの状況はまだマシな方だし、想像通りの状況だ。これから先、もっとリリアの受ける虐めが酷くなったとしても、私が関わる理由はないままなのも変わらない。
だけど……。
(友達って、言っちゃったしなあ)
こんなに簡単に、その言葉を言えるようになるなんて、思わなかったな。しかも、自分から。
言ったからには、助けないと。友達って、そういうものだから、もう義理も理由もできてしまった。
「ねえ、リリアって呼んでいい?」
「あ、もし、よければ、リリーって呼んでください」
「じゃあ、私のことも呼び捨てでいいよ!」
「いえ、私がこういう話し方なのは、癖なんです。だから、そのままティーナさんでもいいですか?」
そういえば、同じ学年で同じ平民同士なのにずっと敬語だな? 不思議そうに見つめ返せば、彼女は少し恥ずかしそうに視線を彷徨わせた。
「あの、十歳の時に私に魔力があるってわかって、魔法学校に通うことが決まったことで、練習したんです。何があっても貴族の方に失礼なことをしないようにって、咄嗟でも敬語が出るようにって。そうしてたら、この話し方がもう普通になってしまって」
「そっか。でも、そうだよね。誰が貴族で誰が平民かだなんてわかんないから、どんな相手にも敬語で話しちゃえば楽だよね」
「ええ、はい。そう助言を受けて、当時の私も簡単に納得して、こうなりました」
「……頭いいな」
「確かに、面倒がねーな」
「ふふ、ありがとうございます」
結局、私はそのままティーナさんと呼ばれ、私やマリーはリリーと呼ぶことになった。実際、そう名前を呼んでみれば、彼女は綺麗な紫水の瞳を煌めかせて嬉しそうに笑ってくれた。
可愛くて、素直で、優しくて……まさにヒロインみたいな女の子。何度かゲームの世界だと頭をよぎったことはあれど、結局この世界は今の自分にとって現実だと理解しているつもりだ。それでも、整った舞台に、有名な伝説が存在していると、つい考えてしまう。
きっと、彼女がヒロインで、〝聖女〟様なのだろうと。
「で、どうする気なんだ?」
迫り来る火の玉を、水で消滅させる。ジュワジュワと水蒸気が周囲に立ち込めて、視界が悪くなる中、私はテオの質問に唇を尖らせた。
「友達なら、助けるのが普通でしょ」
「ぶはっ! お前、何もする気はねーって顔して話スルーしてたくせに、自分から関わるんだもんな」
「う、うるさいな! だって、あの人達食べ物踏みつけたのよ! 淑女がすることじゃない! 私に対してはちょっと言い返されたぐらいで引いたくせに、言い返せないリリーに対してはあんなに陰湿なことして、本当に気分悪いんだから!」
ムキになって話せば、更にテオは腹を抱えて笑う。あまりにも笑い過ぎなので、その後びしょ濡れにしてやった。どうせ、自分の風魔法で乾かせるし。
「大体、ティナは規格外なんだよ、いろいろと。平民なのに主席なんて取るし、何故か寮は貴族向けだし、貴族相手にも退かずに言い返すし。あれ、てかさ、何でお前寮は貴族向けのとこなの?」
「ああ、あれ。主席の特権みたいな?」
「ふぅん……まあ、そういうことにしてやる」
びしょぬれになった自分の体を器用に風で乾かしながら不貞腐れたように視線を逸らすテオに冷や汗をかく。私が何か隠しているってこと、きっとテオは気付いている。まあ、後見人が宰相だってこと、別に教えてもいいんだけど、最近テオには何度も非常識だとか異常だとか言われてて、何かこれ以上文句言われる隙、見せたくないんだよなあ。
「えっとね、まあ、簡単に言えばフィーネさんの手回しのお蔭、かな」
「はあ? ばあちゃんってただの王宮に勤めてた騎士ってだけじゃねーの? 何で、貴族の寮にティーナを入れられることなんてできるんだよ」
「え? テオ知らないの? フィーネさんは、今の陛下のお兄さん、つまり先代陛下が第一王子だった時の、専属護衛騎士を務めてたんだよ?」
私が知っていることを、義理とはいえ、孫のテオが知らないなんて思わなかった。テオは衝撃で風の魔法が止まり、間抜けにも口を半開きにして私を凝視してきた。
「え? 王族の、護衛騎士?」
「そ。すごいよね」
「はあああ?!!」
どうやら本気で知らなかったらしい。




