幕間5.オレの聖女
※テオドール視点
胸が暖かくて心地いい。瞼越しに感じる光に、もう大分陽が昇っていることはわかったけど、この温もりをもう少しだけ味わいたくて往生際悪く二度寝を決めようと身じろぎする。だけど、首元にくすぐる何かを感じて肩を竦めた。同時に、徐々に意識がはっきりしてきて、オレがどこかに座って眠っていることに気付いた。
(寝落ちしたっけ? どこで?)
それでもまだはっきりしない意識のまま重い瞼を押し上げる。僅かに目の回りが違和感あるのは、きっと泣いたせいだな。そう思ったら、ようやく自分の状況を思い出した。
「――ッ!」
胸元の温もりに視線を落とせば、そこには陽の光を浴びて白っぽく輝く銀の髪が見えた。昨日、お互いに身を寄せるようにしてソファーに座って夜を明かしたことを思い出し、言葉が出ない。温かいと思っていたのは、ティナの体温で。しかも、無意識に腰に腕回してるし、オレ。ティナも頬をオレの胸にすり寄せてるし!
「んっ」
微かな声と共にオレの肩に頭を乗せようとしたティナは、自然と顔を首元に近づけてきた。小さく吐き出した息がオレの首を刺激する。触れている部分が更に増えるようにギュッと力を入れてきて、そのあまりの柔らかさに我慢の限界が来た。
逃れるように身を後ろに引いて、落ちた。ドスンと無様に尻もちつけば、その物音でティナは起きたようで、オレ以上にパンパンにした瞼を僅かに押し上げて、空のような薄い瞳をこっちに向けてきた。
「テオ?」
寝起きだからか、それとも涙を流し過ぎて体中の水分がないのか、カッスカスな声でオレの名前を呼ぶ。その光景に胸にクるものがあって、一瞬言葉を失ってしまった。これはヤベー。早く水分取らせて元の状態にしてやんねーと、オレが我慢できない。
こんな時に何考えてるんだ。自分を軽蔑しつつ、どうにかティナを洗面所に追いやった。
「マジで飛んでやがる」
あの後オレが作ったポポフを食べさせて、今後のことを話し合った。結果、ティナは魔法学校入学するまでの一年、一人で旅がしたいと言い出した。正直、後にオレや母さんに素直に甘えるためと言われても、そんな危険なことを許したくなかった。ばあちゃんがいなくなった今、ティナの家族と言えるのはきっとオレと母さんだけ。だから、オレや母さんがダメと言えば、ティナも旅はせずにオレの提案通り家に来てくれるだろう。だけど、オレ達にも無意識に作っている心の壁を取り払うためにも今は一人でやれることをしたいなんて言われてしまえば、反対することもできなかった。仕方なく許して、だけど旅したことで学校の入学式に間に合わなくならないかと心配を口にしたら、実はティナは三属性持ちではなく、五属性持ちだったと強烈すぎるカミングアウトをしてきた。五属性とかマジ、意味わかんねーんだけど。
あまりにも間抜けな声を上げたオレにティナはその場で力を見せてくれた。それが、そう、飛行魔法だ。空を優雅に飛ぶティナの姿を見つめながら、オレは死んだ目になっていた。勉強もできて、魔法もすごくて、こいつもう一人で何でもできるんじゃねーの? ばあちゃんちょっとティナを逞しく育て過ぎだって。オレの分どっかに残しておいてくれよ。
「よっと! どう? 信じてくれた?」
「ああ、まあ……」
魔法を解いて降りてきたティナにオレは気のない返事を送った。呆気に取られているにしてはあまりにも情けない声だったせいで、ティナは不安そうに顔を覗き込んでくる。
「どうしたの?」
「……別に。お前が三属性って聞いた時、オレとは被っていない属性だったから……二人で五属性使えて一緒にいれば無敵だなって……思ってたからすげーがっかりしてるだけ」
剣だけしかなかったオレは、頭が悪い。結果、魔法を使えるようになっても使い方を学ぶのに四苦八苦して先に進まない。ティナのために飛行魔法だけはできるようにと毎日特訓して、それだけはいち早く使えるようになったけど、それ以外はまだまだだ。だけど、ティナには使えない属性だから、お互いに助け合うこともできる。そう思っていたのに、結局オレがティナにしてやれることは限りなく少ないのだと思い知らされた。そりゃあ不貞腐れもするだろう。
そんなオレにティナはキョトンとした顔を向けて首を傾げた。
「まあ、確かに私はどの属性も基本的に使えるし、魔法に関しては人の助けはいらないと思うけど、だけど無敵ではないよ。物理的には弱いし」
「物理って……」
「テオは剣があるじゃん。私はテオの特訓を長年見てきたから、並大抵の攻撃は見極めて避けることはできる自信あるけど、それに対して物理的な反撃はなかなか難しいもの。だから、その時はテオに助けてほしい。魔法でも物理でも対処できるようになったら、それこそ無敵じゃない?」
魔法はイメージ力だ。自分の中にある魔力をイメージに合わせて操作して繰り出す。そう聞けば使えるようになれば無敵に思うが、実際は違う。イメージするにもタイムロスがあり、咄嗟の攻撃に対しての反撃は後手に回りやすい。ティナは他の人よりも魔法展開が格段に速い部類に入るけど、それも限界がある。不意打ちにいち早く対応できるのは反射だ。反射ではイメージは湧かない。結果、物理的な反撃しかない。
だから、オレが前衛、ティナが後衛に回れば互いの欠点を補い合える最強コンビになるのは、確かなのかもしれない。
「まあ、お前がそう思ってくれるなら、いいけど」
「思ってるよ。だって、私はずっと、テオといつか一緒にコンビで闘えるようにって思って自分を磨いていたんだから」
昨日の無だった表情が嘘のように無邪気な笑みを浮かべて語るティナに熱がグッと上がる。思い上がりかもしれないけど、この表情を自分が引き出したと思うと勢いに任せて思いを告げたくなる。だけど、まだダメだな。せめて、ティナが一年の旅を終えるその時まで待ってからじゃないと、きっとオレの気持ちを受け取る余裕なんてないだろう。
「なら、ティナが戻ってきたら、一緒に学校で暴れようぜ」
「もちろん! その為にも、ちゃんとテオが土台作っておいてね」
ティナに向かって拳を付き出せば、ティナも同じように拳を作ってオレのそれに軽く打ち合わせてきた。まるで男同士の誓いの合図で、だけど打ち合わせた相手は輝く白銀の髪と透き通るような薄青い瞳をした綺麗な女の子。そのアンバランスさが逆に綺麗で、思わず見とれた。
彼女はオレの聖女。そして、オレは彼女だけの勇者。
いつか、そういう関係になりたいって思っていた。だけど……。
(オレの隣にいるためにティナが努力していたなら、勇者や聖女という明確な名前はなくても、オレと目指すものは一緒だ)
それなら、もうそれでいい。
ティナが認めても認めなくても、もうオレはティナの勇者で……そしてティナは〝オレの聖女〟だ。
そうしてティナはオレの実家で数日泊まって気持ちの整理や体力を戻して、あっさりと旅立っていった。
「もー、テオがグスグスしてるからティーナちゃん旅立っちゃったじゃない」
「なんだよ、グズグズって」
「決まってるじゃない。テオが早々に告白しないからティーナちゃんが愛想尽かして出て行っちゃったってことよ」
また始まったとばかりに溜め息をつく。ただ揶揄っているだけだからオレの告白のタイミングを本気で責めているわけじゃないってのはわかってるけど、実際焦って告白してたら本当の意味で離れていたと思う。だから、勝手なことを言わないでほしい。
「もし本当にそうなら、オレはそれまでの存在だったってことじゃねえ?」
「あら、ついに認めるの? ティーナちゃんへの思いを」
「…………まあ、オレがあいつを好きなのは認めるよ。だから、あいつが旅から帰ってきたら、母さんの望み通りにちょっとは積極的になろうと思う」
と言っても、告白するかどうかは様子見だけど。
本当に、考えたり悩んだりするのが嫌いなオレを自主的に思案させるのはティナくらいだ。絶対に責任取らせよ。
「あらあら、あらあらあら」
「何だよ」
「いいえ。それならいいのよ。応援しているわよ」
意地悪い笑みを浮かべていた母さんは途端に優しい表情に変えてオレの頭を撫でてきた。母さんより身長が高くなってからはほとんどされていなかった行為だが、この年になってされると恥ずかしいものがあるな。熱くなる頬を抑えることもできず、堪らず母さんから視線を外した。
それからしばらく好き勝手に頭を撫でられる羽目になった。
そうして無事に二年に上がったオレは、一年の最後に行ったテストの結果を見て胸を撫で下ろした。
三十一人中十九位。大差ないかもしれないけど、それでも狙い通り一クラス上がった。あとはあの嫌味野郎がそのままの順位でいてくれるなら問題はないはず。少し緊張しながらもクラスに向かえば案の定、あいつの姿はなかった。
よし、と内心で笑いながら何ともないフリをして席につく。そうして新しい担任の先生の話を聞いた後、入学式の為に移動する。
「今日、確か王子殿下がご入学ですわよね?」
「そうですわ。それに辺境伯の方々も入る予定ですわよね」
後ろに並ぶ女生徒の会話に、そういえばこの国の王子がオレより一つ年下だって前に聞いたことあるなと、思い出す。王族ともなれば魔力だって高いだろうし、魔法学校に来るのは当たり前か。
というか、王族という存在ならもしかして……
「新入生代表、ジルシエーラ・シェル・グロワッサム」
やっぱり。王子殿下が主席だ。
この国には王子は一人しかいないからか、今回の王子は文武に優れているらしい。会ったことがあるわけじゃないから、ティナもばあちゃんもかなり他人事のように言ってたけど、噂の通りなら理想の王子みたいだ。
一応王女殿下もいるけど、基本的に王子が王位を継ぐし、どちらにしても長子であることから王子が王太子になるのは確実。だけど、その割に未だに王子には婚約者がいない。
もともと、この国の貴族は他の国と比べれば婚約者が決まるのが基本的に遅い。魔法学校という特殊な学校があることもあり、婚約者を設けるのは成人の十八歳前後のことが多いらしい。その後、二十歳頃を目途に結婚するそうだ。
だけど王太子妃ともなれば、王家にのみ受け継がられる知識があり、マナーがあり、覚悟も必要だ。となれば、決まったらすぐに結婚してくれ、なんて無茶な話で、準備のために何年も必要になってくる。
だけど、大事な王子殿下の立太子も、その婚約者も未だに決まっていないのは遅いのでは?
それがティナ達が疑問に思っていることで。その理由は未だに判明していないらしい。
「まあ!」
「何度見ても麗しいですわ!」
「へぇー、あれが王子殿下」
壇上に上がった王子にざわりと僅かに騒がしくなる。つられるように視線を動かせば、そこにいるのは確かに見目麗しいという言葉がぴったりの一人の男がいた。
さらさらと細い色味の強い銀色の髪を首の後ろで一つに結び、腰まで伸ばし、宝石のような透明感のある薄青い瞳は吸い込まれそうなくらい綺麗だ。
まるで男版ティナだ。なんて、変なこと考えながら王子を眺める。彼は堂々とした様子で小難しい挨拶をすんなりと終えて、席に戻って行った。できる男がやることは基本的に無駄がないらしい。
入学式を終えて今度はバディ決めだ。バディは魔道具で決まっている場合は固定だけど、決まっていない場合は毎年決め直す。特にオレの場合は武術大会で三位入賞しているから、バディの相手は変えないといけない。だからディーノ先輩ともバディは解消だ。すんげー気が合ってたから残念すぎる。
そしてやっぱり今年も魔道具の反応はなかったから相手を決めないとな。なんて、思っていたときだった。ざわりと一年の方から騒がしくなる。
「魔道具が反応した!」
「バディ誕生ですわ!」
視線を送ってみればそこから綺麗な黄色の光が二つ会場を照らしていた。眩いほどとまではいかないが遠目からも確認できるほどの強い光だ。確か、バディとなり得る存在がいた場合、同じ色に光って相手を教えてくれるって魔道具だから、二人とも同じ色で光っているのだろう。あんな風にして決まるのかとちょっと感動した。
光った二人がどんなのか、顔も存在も確認することはできなかったけど、周囲が騒いでいる声だけは拾っておく。どうやらバディとして選ばれたのは辺境拍の双子の子供らしい。なるほど、双子なら確かにバディになるのも頷ける。
(ま、オレには関係ねーけど。今回は誰をバディにしようかなー)
バディを組む相手に当てが無いことに気付いてオレは困る。今回は一年じゃないからオレ自ら相手を探しに行っていいけど、バディとなるといろいろと悩む。とりあえずやっぱり平民相手が一番気楽かなと視線を巡らせた。
「あの、テオドール様」
「へ?」
丁寧な言葉遣いに驚いて振り返ればそこには一年の時に同じクラスだった女生徒が一人立っていた。少しだけ恥ずかしそうに頬を染めて視線を下ろしている。
「もし、お相手が決まっておられないのでしたら、私と組みませんか?」
「……え、オレと?」
何で? お貴族様だろ? と、声に失礼な疑問がなってしまったようで、彼女は僅かにムッとしつつ詰め寄ってきた。
「わ、私は平民とか貴族とかで差別をした覚えはありませんわ!」
「わ、悪い。ちょっと意外で。でも、悪いな。女性とバディを組む気はないんだ」
「な、どうしてですの? 女だと弱いから?」
「いや、そうじゃなくて。女性とは、組むとしたら相手は一人だって決めてるんだ。あんたが悪いとか弱いとかじゃないんだ、ごめんな」
これはただ単にオレの我がままだ。そのせいでこの人が不快な思いをするのは本意じゃない。
オレが女性とバディを組むのはティナだけだって勝手に決めてるだけ。
「それなら俺とバディを組まないか? 男とならいいんだろ?」
「え?」
今度は後ろから話しかけられて振り返る。そこには濃い青の短い髪に黒色の瞳をしたオレより若干背の高い男がいた。まっすぐに向けられた緊張を強いるような強い視線にドキッとする。覚えのない顔、って思ったけどこいつ同じクラスになったヤツだっけ。
去年も目立ったことしてなかったはず。だから、記憶がまったくないや。でも、記憶が確かならこの人だってお貴族様なはず。いくら三位入賞したからってオレを誘うなんて物好きだな。
まあ、でも貴族とは思えないまっすぐなこの視線は嫌いじゃない。それに目立たないってことは悪い噂がないことでもある。
「あんたがオレでいいって言うなら」
だから、悩まなくていいならいっか、とオレは頷いた。手を差し出してみせれば、彼は少しだけ不思議そうな顔をして、首を傾げた。
「オレはテオドール。一年よろしくな!」
「……ああ、俺はロイド・タッサだ。よろしく」
僅かに微笑んで握手を交わした彼は、オレと同じくらい手のひらが固かった。




