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15.幸せ

※フィーネ視点

 その日は朝から妙に体が軽かった。この病に侵されて既に四年以上の歳月が経った。その間、一度だってこんなに清々しい気持ちになったことはない。こんなにも、痛みのない日だって、なかった。


 最初に医者に診せに行ったのは、ティーナをテオに任せた初日だった。実際、痛みはもっと前から始まっていて、症状から病気も予想がついていた。どうせ医者に診せたところでどうにもならないのだからと市場に出ている鎮痛剤で誤魔化すだけでいいと思っていたが、それでももしかしたらと一縷の望みをかけてこの病院にやってきた。

 けれど、結果はやはり想像通り。少しだけ効力が強い薬を処方され、なるべく魔法は使わぬようにと言われて終わる。もしかしたら効果があるかもしれないと思った水魔法の治療も、教会で受けてみたけれど効果は得られなかった。多少、痛みを耐えるために削られた体力が戻ったというくらいだ。


 だから、その瞬間から覚悟を決めた。もう何年もしないうちに、ティーナを遺してこの世から去ることを。その為に、今後あの子に必要な根回しや資金をできる限り整えるように動き出した。

 自分が死んだことを考えて身辺整理をするなんて、数年前の私なら考えもしなかっただろう。もうそんなことをする必要がない立場だ。家族に近い人間ならいる。ロッテは娘同然だし、同時にテオは孫になる。たまにしか会いに行かなかったけれど、それでも毎回会う度に成長した姿を見ることができていた。それだけで十分で、いつ死んだって構わないと思っていた。


 そんな時に、ティーナに会った。


 今でも不思議な子だ。子供の姿なのに、子供らしくない子。性格や口調だけじゃない。所作もそうだが、何より聡すぎる。教えればすぐに覚えるし、理解してしまう。まるで、一度一通り勉強というものを体験したように。

 それに、料理ができるのも驚いた。道具の使い方や名前、材料や調味料等に戸惑いながらも、作る物は無難に美味しいものばかり。そのアンバランスさが余計に彼女の異質さを浮き彫りにさせている。


 極めつけはあの魔法属性。複数持ちだろうという予感はあった。けれど、五属性全て扱えるなんて、前代未聞だ。王族や貴族に知られれば身柄を拘束されてしまうだろう。そして、いいように使われてしまうに違いない。誰もがそんな腐った人間だとは思わないけれど、腐っている人間の方が多い世界だ。正しいことをしようとする人間の声が通りにくく、それを付き通すのは難しいことだ。

 身に付けられるなら、知識という形で彼女に武器を持たせなければならない。戦闘も、常識も、料理も、私に教えられることは何でも教えてきた。ティーナ自身に強請られたわけでもないのに、少し厳しいやり方で教えてきた私に、だけどティーナは泣き言一つ漏らさずにこなしてきた。しかも、どれも私が想像する以上の成果を上げて、だ。

 本当に何もかも常識外れな子供だ。自分の異常性をちゃんと理解しているのかと、たまに問い質したくなる。


「おはよう、フィーネさん。あれ、何か調子よさそうだね?」


「ああ、今日はとても気分がいいよ」


 そう答えても疑い深いこの子はすぐに私に治療魔法をかけようとする。けれど、かざされたその手を私はすぐさま手で制して下ろさせる。

 この子の魔法は本当に特殊だ。水魔法が得意な神官ですら和らげることも叶わなかったこの痛みを、簡単に取り除く。しかも、その方法が更に異常だ。

 普通の人間は、()()()()()()()()なんて見ることはできない。その特殊さすら、この子は気付いていないだろう。


「今日は本当に大丈夫だよ。それよりこれまでにない程調子がいいんだ。今日はちょっと庭に出ないか?」


「……わかった。車椅子借りてくるから少し待ってて」


 少し表情を硬くしながらも口元だけ微笑んだティーナはすぐさま病室から出て行った。

 聡い子だ。私の言葉に何かを感じたかもしれない。だから、本当なら調子が良くても許可しない外出を、今日だけは許してくれる。

 そんな残酷な判断を、この子にさせてしまっているのだ、私は。


「お待たせ、フィーネさん」


「ありがとう」


 少し歩くくらいなら問題ない。けれど、室内ならまだしも外に出るとなるとティーナが首を縦に振らないことはわかっていた。だから素直に車椅子に座る。

 病院のすぐ脇にある庭は患者がこうして散歩するために設けてある場所だ。その為、意外にも手入れが行き届いている。色とりどりの花や車椅子でも通りやすい舗装された小道。人工的に作られた小川と、それを渡るための橋。そして小休憩のために設けられたガセボ。

 そこまで歩いて、ティーナと共にガセボに身を寄せる。辺りには人はいなく、秋の彩になった庭を純粋に楽しむ。


「あんたが来るまで、私は毎日同じような日々を送っていたんだ。それが寂しいとか、退屈だとか、考えたことはなかった。むしろ、平坦な日常だからこそ満足していたはずだったんだ。だけどね、あんたが来てから思い知らされたよ」


 綺麗な庭を見つめながらティーナが家にやってきた頃を思い浮かべる。子供らしくない子供だった。けれども、自分じゃない誰かがいる時間は、とても懐かしく暖かかった。少し多めに料理を作ったり、お茶を淹れたり、勉強を教えたり、一緒に風呂に入ったり。

 懐かしいと感じることも、初めてだったこともある。ただ一人増えただけで、こんなにも充実した時間になるなんて思いもよらなかった。いや、そんな時間をすっかり忘れていた、というのが正しいか。そんなものは、もう求めていないと思っていたから。

 だけど、この子は私にそれを思い出させてしまった。


「七年と半年。随分長いこと一緒にいたねえ。同じような毎日を一緒に過ごしているだけに思えるけど、それでも毎日が楽しかったよ。満ち足りた日々だった」


「フィーネさん……」


「私はね、あんたのこと、本当の娘のように思っていた。それと同時にね、友人のようにも……思っていたんだよ」


 この年になって娘ができるのもおかしな話だ。テオのことを孫のように思っているのなら、ティーナも同じように孫と思うのが自然のはずなのに。大人びているからか、どうにも娘の方がしっくりしていた。けれど、血の繋がった娘とはまた違うからか、会話の気安さが、気の許した友人にも思えて、心が緩くなるばかりだった。

 そんな存在はいらないはずだったのに。頑なになっていたわけではないけど、必要としていない人間のところに人は寄り着かない。だから、結局今までそんな存在はできなかった。


「……私も、きっと同じです」


「ふふ、そうかい。それは嬉しいねえ」


「私、フィーネさんに、言えてないことがあるの。黙っていたことが、ある」


 震える声で彼女は何かを訴えようとする。けれど、別にそんなものを聞き出したいなんて思っていない。むしろ、今この時になって、わざわざ聞く内容ではないだろう。緩く頭を振れば、ティーナは安堵したように目元を緩める。


「そんなのはいいよ。むしろ、私の話を聞いてくれるかい?」


「うん」


「今まで、敢えて話さなかったことだ。話す必要もないかもと思っていた。けどね、今になって話しておきたくなったんだ。あんたにとっては、重荷かもしれないけど」


 そう言ってみるものの、ティーナはなんてことはないとばかりに無邪気に笑って話を聞く。

 彼女には関係のない、ずっと昔の話をした。

 私が騎士だった頃の話。

 王都を離れた時の話。

 息子がいた話。

 その息子を喪った話。

 そして、ティーナと出会ったこと。

 静かに、途切れることなく話していた。その間、ティーナは一度も口を挟まない。もちろん、私の感情を汲み取って笑ったり、悲しんだりと表情は忙しないけれど、ただそれだけだ。相槌すらない。そんな彼女とのやりとりはとても心地がいい。


「そっか、ようやくロッテさんとフィーネさんがどんな関係なのかわかった」


「今まで、どうしてあんたが聞いてこなかったのか不思議なくらいだよ。気にならなかったのかい?」


「気にはなってたけど、教えてくれないってことは、私には必要ないってことかなって思って」


 この子はたまにどうでもいい遠慮をする。勉学においては貪欲に質問しては糧にしてくるのに、こういった内容に対しては無欲なほどに何も聞かない。たまに、自分にすら興味がないのかと心配になるほどだ。

 でも、この子のこういうところに救われているのは確かだ。そして、そういうところが、娘というよりも友人だと思わせる。

 この子が私に話していないこととは何なのか、気にならないわけじゃない。だけど、言いたくないことを言わせる気はない。私がこの子に思うこの気持ちを、きっとこの子も持っている。だから、今まで気になっていても聞いてこなかったのだろう。



「ティーナ、おいで」


 車椅子に乗りながらもティーナに向かって両手を広げる。今までしたことのないその動作に戸惑いながらも、ゆっくりと近付いてきた。もう身長は伸びきっていて、これ以上高くならない彼女は、私より若干低い……おそらく160程の身長だろう。六歳だった頃は腰程度の高さしかない可愛い子供だったのが、立派な女性になった。

 腕の中に収まるティーナの成長に、ここまで育てたのは、私なのだと胸が熱くなる。


「ティーナ」


「フィーネさん……フィーネさんっ、フィーネさん」


 私の態度に、この子はもうわかっている。私がもう、長くはないことを。もう一日も生きていられないことを。聡すぎるのも問題だと目を細めた。

 ずっと続いていた痛みが嘘のように引いているのは、死ぬ前に家族と穏やかな時間を作れと、神様からの思し召しなのだろうか。神という存在を今まで肯定も否定もしてこなかった私には、その思考すら苦笑ものだけど。

 でも、こんな奇跡が起きてしまうと、否定することができなくなってしまう。

 未だに、ティーナは私の名前を繰り返し呼んでいる。声は震えているのに、涙は流さない。変なところで不器用な子だ。


「……――あ、さん」


「――ッ、何だい、もっとよく言っておくれ」


「おかあ、さん!」


 ああ、可愛い娘だ。もうこの世にたった一人しかいない私の子供。本当は違うけれど、今は魔法で色を変えている私と同じ薄茶髪を撫でると特に錯覚しそうになる。


「ティーナ、ありがとう。今日までずっと、私の子でいてくれて」


「――ッ」


「ありがとう。あんたのお蔭で、私は本当に何の憂いもなく、あの世に逝けるよ」


 唯一悔いがあると言うのなら、この子の花嫁姿を見ることができなかったことだろう。きっと、綺麗だっただろう。その隣に、テオがいるなら一番嬉しい光景だ。

 だけど、それはきっと、何年も先のことだろう。それまでこの体を保つことは難しい。それに、何だかんだ、私の予想通りの未来になるに違いない。どんなドレスを着るのかはわからないけれど、きっと二人の幸せそうな笑みは、私の頭に浮かぶ光景と然程違いはないだろう。

 だから、もう十分だ。

 最期にティーナを腕に抱いたまま死ねるのだから。


 だけど、ほんの少しだけ我がままを言うのなら……。


(あの二人にも、会っておきたかったねえ)


 義理の娘と、孫に。一目だけでも……。


「フィーネさん!」


「ばあちゃん!」


 そう思った瞬間、二人の声が耳に届いた。幻聴だろうか。そう思ったものの、堪らず視線を上げてしまう。誰もいないはずだった庭に、二つの人影があった。それは、まさに思い浮かべていた人物で、もうあまり開かない目が、僅かに広がった気がした。


「どう、して」


「ティナから連絡来た! こういう時の為に、通信魔道具をくれてて。連絡来て、速攻魔法で来た!」


「フィーネさんっ! 嫌です、まだ逝かないで! セドリックを喪って、フィーネさんまでいなくなるなんて……っ!」


 ボロボロと誰よりも泣いているロッテに堪らず苦笑を漏らした。あの子を亡くした時と同じように泣いているロッテが、愛しくて仕方ない。本当にあの子は、可愛い奥さんをもらった。それなのに、遺して逝く重罪を犯すなんて愚かだ。あの世に逝って会えたら、渾身の力で殴ってあげないとね。


「すまないねえ。本当は、もっと長くいてあげたかったのに」


「うっうっ」


「テオ……母さんを支えておやり。セドリックとも、約束してたんだろう?」


 あの子が死んでから、テオとこの話をするのは二回目だ。死んだ直後にテオから聞いて、それからは一度だってセドリックのことを、この子の父親のことを話題に出さなかった。代わりに、テオは毎朝自主訓練をするようになった。セドリックと同じ騎士となれるように。口では勇者になる為と言っていたけど、それはロッテに気付かれないようにと不器用なカモフラージュだ。当然、ロッテにはバレていたけど。そして、カモフラージュだったはずがいつしか本当になってしまったけど。

 テオは眉を寄せて少し険しい表情を作りながらも小さく頷く。いつの間にか凛々しい顔付きになった。その顔は、その表情は、セドリックにそっくりだ。男の子は本当に成長が早い。


「護るよ。母さんも、ティナも。だから、安心して」


「言うようになったじゃないか。まあ、今のあんたなら、安心して任せられるよ。テオ、もっと男を磨きな。私に胸を張れるくらいにね。そしたら、あんたの望み通りにもらえばいい」


 何を、というのを口にせずにもう固くなった顔の筋肉を無理に動かして微笑んだ。テオは理解したのだろう。僅かに頬を染めたものの、表情は硬いまま。小さく頷いて、苦笑した。


「ロッテ、あの子と一緒になってくれてありがとね。結果、あんたには気苦労ばかりかけたかもしれないけど、でも……私は、幸せだったよ」


 ティーナと同じく縋り付くように引っ付いて泣いているロッテの背中をゆるゆると撫でてやる。それでも、彼女は顔を上げない。もう、泣くことしかできないのだろう。


「フィーネさんっ!」


「私の為に、そんなに涙は流さなくていいよ。なんて、言っても無駄だねえ。こんなにも、心を砕いてくれて、ありがとね。一人でもいいなんて、思っていた時期もあったけど、こうしてあんた達に出会えて、私は幸せだった」


 ああ、もう、口も瞼も体も、何もかもが重い。あれだけ軽かったのに。唯一救いなのは、痛みが無いことだろうか。ただただ、体が早く寝てしまえと訴えてくる。でも、ここで寝れば、最期だ。もう、三人の顔を見ることはできない。


「幸せだったよ、あんたたちは、わたしの、かけがえのない、かぞくだ」


 私の家族は、最初たった一人だった。黒髪と濃紺眼の生意気な子供。私よりも強くなって騎士になって、以前の私よりも上の地位に立って稼いでやると毎日のように口にして、計画性のない子供の遊びのような剣の特訓をしているクソ生意気な少年(ガキ)。でも、私を父とも母とも思って慕うその姿は、何よりも愛おしい存在だった。


 あの子が大人になって、本当に騎士になって、ロッテという可愛い女の子と一緒になって。その姿を見れたことでもう満足していた。それなのに、テオという可愛い子供ができて、本当の祖母のように慕ってくれた。悔いなんてもうなかった。いつ死んだっていいと思ったから、一人で山に引きこもっていたのに。


 あの子が、セドリックが亡くなって、穏やかだった心が荒立った。必死に装っていたけど、何日経っても心に残った虚無感が消えなくて、どうしていいかわからなかった。そんな時に、見つけたのが……ティーナ。

 面白いくらいに私に光を与えてくれた。セドリックも、ロッテも、テオも、ティーナも。誰一人として欠けていたら私はこんなにも幸せでいられなかっただろう。


 もう満足だ。もう、十分生きた。



 もう、もらえるものもなければ、あげるものもない。



「あいしているよ……」



 ずっと、ずっと……、みんな。

 セドリックも、ロッテも、テオも、ティーナも……そして――。




「――――ン、先に……逝って、る、よ」




 最期に思い浮かべた顔がまさかあいつだなんて、ティーナ達に申し訳ない。そんなことを思いながらも、だけど仕方ないと心の中で自嘲する。

 もう、表情を動かすことはできない。声も、出ない。


 ああ、眠い。


 陽は暖かくて、触れる体温も温かくて、心地いい。耳に届いていた泣き声は、今はもう拾えない。

 愛する家族がいる前で死ねるなんて、こんなにも幸せなのか……。数年前だったら気付けなかったことに、最期の最期に知ることができて、ふふっと息だけで笑った。






ああ――――なんて……



     ――――しあわせなんだろうねえ。





 

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