14.闘病
シンシンと降る雪が目の前にそびえたつ山を白く染め上げる。山だけじゃなくこの街さえも埋め尽くそうとしているけど、人がいるお蔭でそれはない。朝から雪かきに精を出す人たちに挨拶をしながら私はここ一か月の間に通い慣れてしまった病院に足を運んだ。
「おはようございます、フィーネさんは起きてますか?」
「ティーナちゃんおはよう。ああ、起きてたよ。病気でほとんど動けないのが不思議なくらい元気な声で今日も話をしたよ」
朗らかに微笑む気のよさそうな中年の女性は、ここの看護師さんだ。名前はミーシェさん。どんな時でも笑顔を絶やさず、病院内を明るい空気に保ってくれている。他の方にも挨拶をしながら私はフィーネさんの病室をノックして入った。
「おはよう、フィーネさん。今日は痛みどう?」
「ああ、おはようティーナ。今日は大分いい方だよ。まあ、ここ一か月一回も魔法なんて使ってないしね」
「そんなこと言うけど使わなくても痛む度合いは変わるんでしょ? 本当に痛い時はちゃんと言ってよ。まあ、どっちにしても一度治療魔法かけるからね!」
「大袈裟だよ。このくらいどうって「はーい、黙る黙る!」
そんなものはいいとばかりに手を振るフィーネさんの腕を掴んで無理やりに魔法を展開した。確かにいつもよりも魔力の乱れは少ないように思う。だから、言っていることは嘘ではないんだろう。
この一か月で魔力の乱れが酷いほど痛みがあることは見抜いていて、そのことを指摘したお蔭で、フィーネさんも痛みの有無については嘘をついても無駄だと理解してくれたようだ。どれだけ大丈夫だと言ったところで、もうまともに体を動かせない時点で治療魔法を使わない選択肢はないのに、どうしてそう頑ななんだろうか。
なんて、思うけど、実際はわかってる。いつか私もこの病気になってしまうリスクを少しでも減らしたいんだろう。
「治療魔法をこれほどまで使いこなせるのは稀なんだ」
「フィーネさん、私は元々魔力量だって多い方だよ。もうこの三年の間に自分の魔力量も、魔力操作も把握している。無茶なやり方なんて普段からしてないし、この治療魔法だって全然力使ってない。むしろ練習していた時期と比べると今は一日の魔法使用量は少ない方だよ」
生活の為にも他にも魔法は使っているけど、それでも山の中で特訓していた時期と比べれば全然だ。今からそんな心配されても困るし、今大変なのはフィーネさんだ。私のことを思うなら、少しでも長生きしてもらわなければ。
「今日はベリーを入れたパンだよ。あとナッツのパンもある」
「ああ、ありがとう。あんたのパンは少し斬新だけど、どれも美味しいからパンだけでもどんどん食べられていいねぇ」
この世界のパンは基本的に主食になる用のパンなので、味が質素な物が多い。パンだけでご飯が完結しない。味気なく固めのパンはスープに浸す物だし、柔らかくて白いふわふわしたパンであっても、甘みは感じられなくて味の濃いものを求めてしまう。何かを組み合わせて作るという発想がまだないようで、基本以前は米派だった私はパン自身にすぐに飽きてしまった。だから、せめてパンだけで完結する総菜パンやデザートパンがあればといろんなものを混ぜて作るのに一時期ハマって作っていた。
食べられるものなら自由に作らせてくれていたフィーネさんは、このパンが一番のお気に入りだと言って喜んでくれている。だから今もこうして私がパンを作っては毎日差し入れしているのだ。
ちなみに、このベッサの街でもこのパンは人気で、日々の生活を稼ぐために作れる限りの量を作って売りさばいている。まあ、ほとんど午前中で完売するけどね。でも、パンだけじゃ生計は立てれないので――他にもやりたいことはあるし――簡単な薬草を採取したり、薬を作ったりしてたまに旅商人の人に売って貯金をどうにか増やしていたりする。
こういう知識をフィーネさんからいろいろ得ていてよかったと思う。時間を有効に使えるから。
「今日、テオが来る日かい?」
「え、よくわかったねフィーネさん!」
「わかるよ……おめでとう、ティーナ」
さらりと口にされてしまった言葉に動きを止める。そうだ、今日は私の誕生日だ。だからテオもお祝いにやってくるんだ。何故かすっかり忘れていて、だからフィーネさんの言葉に素直に笑った。
ベッサの街でキッチンが大きめの部屋を借りて私は暮らしている。フィーネさんは入院しているからたった十二歳という若さで一人暮らしだ。今は十三だけど。
でも、この街の人達は誰もが気さくで優しい人たちばかりだ。いろいろ相談に乗ってくれるし、お裾分けもしてくれる。
キッチンが大きい場所を選んだ理由はパンをたくさん作る為というのもあるが、薬を作るのにも適しているから。朝早くにパンを焼いて、まずはフィーネさんの所に持っていく。治療魔法を施して一緒に朝食を摂ってパンを売りに行き、その足で今度は山に入って薬草や薬の材料集め。いいものが見つからない時もあるから、見つかったらそのまま売る状態に加工するけど、見つからなかったら次の日のパン生地作りでもして一日を終える。
こんな生活をもう三か月は続けていた。すっかり今の生活が板について、何だかんだ楽しくやっている気がした。
「もう、当分会いに来れないと思う」
今でも月に一度テオは会いに来てくれている。王都からベッサの街までは片道一時間半はかかる距離だけど、私を連れて王都にとんぼ返りするわけじゃないから、むしろ移動時間は少なくなっている方だろう。負担にはなっていないので、それだけはホッとしている。
「……そっか。寂しくなるね」
「でも、長期休みには来るから。夏や冬に必ず来るし、手紙も書く」
「物臭なのに? ふふ、楽しみにしてる。じゃあ、今日こそは泊まって行ってくれる? 当分会えなくなる分なるべく一緒にいたいんだけど」
ここにテオが通うようになって、何度も家に泊まって行ってと言っているのに今まで一度も家の中に入ってくれたことがない。小さい部屋ではあるけど、キッチンが大きい所を選んだ分実は私が寝る部屋とは別にもう一つ部屋がある。だから、テオが泊まれていいなって思っていたのに、活用してくれないからつまんなかったんだ。
期待を込めた目で見つめたけど、テオは途端苦いものを口にしたようにしかめっ面を作って唸り始めた。
「ティナ、お前今いくつだよ」
「十三だけど。テオは十五でしょ?」
「そうだよな。そろそろ、危機感持てよな」
誰に? テオに? 何で??
言われている意味が理解できず首を傾げれば、テオは深々と溜め息をついた。何でそんなに呆れられているのか。解せぬ。
「テオだからこそ、誘ってるんだけど。それとも私が誰彼構わず連れ込んでるとでも?」
「なっ! そ、そんなことは思ってねーよ!」
「本当かなあ?」
一応まだ子供なのだ。大人でも子供でも同性でも異性でも、この家の中に入れたことはない。もちろん、変な人と遭遇したことはあるけど、今の私には魔法があるので滅多なことは起こらない。こんなにも完璧に警戒しているのに、どうしてテオ相手まで気を張らないといけないのか。
そんな寂しいこと言わないでほしい。
「あー……わかった、わかったから、そんな捨て犬みたいな顔するな」
「してない」
「悪かったよ。ちょっと心配になっただけだって。お前を疑っているわけじゃない」
ぽんぽんと優しく頭を叩かれて、やさぐれていた気持ちが消えていく。
最近、テオにいいように操られている気がしてならないのは私だけだろうか。
春の月の一日がまたきた。多くの出店が並ぶ中、私のパンも出店で並べてくれと頼まれ、臨時収入欲しさに仲のいい人のスペースを借りて並べてもらった。王都とまではいかないけど、沢山の人でごった返す街に目が奪われる。
病院までの道のりでさえ、いつもの倍以上の時間がかかった。急いでも仕方ないので、ゆっくりと見て回りながら美味しそうな物をフィーネさんと一緒に食べようと吟味した。
雑貨屋やあのお守り屋さんなども見かけて、何か掘り出し物がないか見てみる。王都に向けて旅商人が頻繁に来るだけあり、ベッサの街はそれなりに品揃いが豊富だ。もちろん、王都程ではないのだろうけど、王都では店が多すぎて目当ての物に出会えないというデメリットもある。
「お、嬢ちゃんじゃん!」
「あれ、ガーシュおじさん! 来てたんだ!」
短髪の赤こげ茶色の髪をして、ターバンを巻いているガタイのいいおじさんが薬売り屋の前を陣取っていた。この人は、定期的にフィーネさんの所に寄ってくれる旅商人の人だ。私が来る前は一年かそれ以上の期間をあけて気まぐれに物を売りつける人だったらしいけど、私がフィーネさんに拾われて一年経った頃、初めて顔を合わせて、以来最近は王都付近の方が儲かるとか言って二~三か月に一度は来るようになった。お蔭で今ではすっかり気のいい親戚のおじさん風だ。
「おう、お祭りだからな! 売り物ぜーんぶ売ってがっぽり儲けようと思ってな!」
「そんなこと言うけど、何で薬屋に?」
「あー、それがさ、ここに来る途中で偶然カンカンの実を大量にゲットしてな」
そう言ってガーシュおじさんは脇に置いてあった麻袋を私に見せる。そこには袋一杯にカンカンの実が入っていた。五キロはあるだろう。
「うわ、本当」
「つい勢いに任せて取ってきたはいいんだが、加工するのは一苦労でな。この際実のままでも売れないか交渉してたんだが……やっぱり薬になっているのと違って大分金額が下がるから思い悩んでる」
「ふぅん……あ、じゃあ私が加工しようか?」
おじさんにしか聞こえないように提案すれば、途端彼は目を輝かせた。見た目は熊のように豪快な姿をしているのに、反応は犬のようで可愛いところがある。そういうところが憎めないし、私は結構好きだったりする。
「それは助かる! で、何が欲しいんだ?」
「さっすが、おじさん! わかってるぅ! あのね、ちょっと探してほしい物があるんだけど」
少し前から欲しかった物をおじさんにお願いすれば、ちゃんと探してきてくれると約束してくれる。王都に行けばあるかもしれないので、それについても言っておいた。欲しいと思ってからはこの街から離れていないから確認ができてないのだ。一応テオにも探してもらえるようにお願いしたけど、これから学校が始まるテオは、そんな時間もなくなるだろう。
交換条件のカンカンの実を即座に薬に加工した私はそのままそっくりおじさんに渡した。
儲け重視にも見えそうだが、彼は薬を優先的に病院に卸すようにしていて、病院に渡す分は一番安値に設定していることを私は知っている。だから、たまに私もおじさんに優先的に薬を卸すことが多い。
そんな感じでフィーネさん抜きでも親戚のおじさんのように気安く話しをしているお蔭で、旅商人の中で一番信頼している人になっていた。
「じゃあ、探しとくな!」
「うん、見つけたら手紙くれると嬉しい。というか、もし可能ならすぐに送り届けてくれると助かる!」
「なるべく早く手にしたいんだな。わかった。ならその時はまた何か頼み事も一緒に引き受けてくれ」
「ガーシュおじさんの依頼ならバッチコイだよ!」
そう言って別れを告げて私は今度こそ病院に急いだ。すっかり遅くなってしまった。元々今日は朝ではなく昼頃に来てくれればいいと言われていたからのんびりしていたけど、それでもそろそろ昼が回ってしまう。お腹を空かせて待っているだろうと思ってようやくたどり着いた病院に滑り込んだ。
「こんにちは!」
「フィーネちゃんこんにちは! あら、いっぱい買って来たわね」
「はい! あ、これ差し入れです。本日限定のスペシャルなパンです!」
この日の為に作った特別なレシピのパンを少し多めに作って持ってきていた。もちろんフィーネさんの分もある。他にも屋台で購入したものもあるけれど、そういうものを渡すよりも自分のパンを渡す方がもらった側も罪悪感が少ないだろう。余計な気を回している気もするが、なるべく心地いい気持ちで受け取ってほしいという思いで紙袋をミーシェさんに渡した。
「まあ! ティーナちゃんのパン、すっごい人気があってなかなか食べられないから嬉しいわ! みんなで分けるわね」
「はい! 今回のは自信作なので気に入ってもらえたら嬉しいです!」
笑顔で応えて私はそのままフィーネさんの病室に向かった。ノックをして中に入ろうとするが、返事がない。若干の不安を覚えながら中に入ればフィーネさんがこちらに背中を向けて体を震わせていた。
「フィーネさん!」
いけない、発作だ。そう思って駆け寄り、すぐさま治療魔法を展開する。病院に担ぎ込んだ時ほどではないけれど、かなり魔力が乱れていた。つまり、それほど痛みも凄まじいはず。ゾッと背中に冷たいものを滑らせながら呼吸を落ち着けて集中する。数分ほどだっただろう。荒い呼吸を繰り返していたフィーネさんは徐々に体の力を抜いていき、そっと背中をベッドに沈ませた。
「驚かせたね」
「ううん、ごめん……私が遅れたから」
「何言ってんだい。私がいつ、あんたを薬代わりとして扱ったんだい? ……でも、助かったよ。あんたの魔法は本当によく効くよ」
「そっか、それならよかった。治療魔法、すんごい必死になって習得したかいがあるね」
痛みが引いても痛んでいた時に苦しんだ体力はなかなか戻らない。ぐったりとしているフィーネさんが落ち着くのを待って、出店で買い込んで来た物や自分で焼いたパンを備え付けのテーブルに広げた。
「薬草茶入れるね。ちょっと疲れたでしょ? 蜂蜜少し入れようか」
「ああ、任せるよ。あんたもすっかり慣れたねえ」
「そりゃあ、拾われてもう七年は経つもの。料理もお茶もそれなりになるよ」
これだけ一緒に暮らしているんだ。フィーネさんの好みだって誰よりもわかっているつもりだ。それに、フィーネさんは意外にも褒め上手だ。ちゃんと上手にできたことは、素直に褒めてくれる。美味しいとか、すごいとか、言葉は単純なものが多いけれど、だからこそ嘘じゃないってわかる。
「ああ、美味しいねえ」
私の薬草茶を飲んでしみじみと囁いたフィーネさんの顔に痛みを感じているようには見えない。だけど、あれだけ魔力が乱れていたんだ。完全に痛みは消えていないはず。
こうやって、前は隠し通していたんだ。何事もないような顔をして、いつもと変わらない表情で。
すごいと思う。次に、悔しいとも思う。もう何年も共にいるのに、彼女の隠し事にすら気付けなかった自分が情けないと。だから、もっと人を見る目を磨こう。些細な変化にも気付こう。私の治療魔法が有効なら、有効な内に使わなきゃ損だ。
もっと自分を磨こう。そう決意してフィーネさんと一緒にパンを齧る。こっちも美味しいと言ってくれることに素直に喜んで。
春の解放祭が終わって一週間が経った。いつものように朝から病室に訪れて、治療魔法をかけ終わった私に、フィーネさんは引き出しから何かを取り出す。
「そういえば昨日テオから手紙が来てたよ」
「え! テオから?」
テオは約束通り手紙を送ってくれたようだ。フィーネさん宛にもあるから、こっちに私の分もまとめて送っていたのだろう。嬉しくて満面の笑みで受け取れば、紙だけにしては封筒が妙に盛り上がっていた。首を傾げながら封を切る。紙より先に嵩張っているものを取り出すと、それは空のように透き通った水色のガラス玉で作られたお守りだった。
「ふふ、そういえばテオからもらってはなかったな」
まさかこのタイミングでもらえるなんて思わなくて、堪えきれずに笑ってしまった。お守りじゃなくてもいいって言ったのに、結局お守りを渡したくなったのだろうか。
にしても、テオは人たらしの才能がある。顔も広いし、人望もある。それに、いくら幼馴染相手とはいえ、女性が喜ぶツボをよくわかっている気がする。いや、私の場合は女性としてのポイントではないか?
でも、こんなにも私が喜ぶツボを理解しているんだから、本当にいろんな意味で将来有望だ。
「本当にあんた達仲いいねえ。まさかここまで親しくなるとは私も思ってなかったよ。そんなに好きかい? テオのこと」
ニマニマとした表情を崩さずに手紙を読んでいれば、不意に投げかけられた問いに顔を上げる。いつもなら意地の悪い笑みを浮かべている彼女だけど、今日は妙に優しい笑みだった。揶揄いではなく、純粋な問いなのだろう。だから私も目を細めて満面の笑みを浮かべる。
「うん、大好きよ」
家族とは違う。友人とも違う。
テオは、他の誰とも違う大切な人だ。それはきっと、これから何があっても、変わることはないだろう。




