19.それは、紛れもない伝説
※※※祝100話!※※※
タイミングのいい100話なので、記念も含めてこの話は三人称書きをしています。
また、いつもの文字数の倍くらいあります。
その日の出来事は、王都にいる誰もが恐怖した。魔王復活後、常に雲に覆われた空は、その日は一層暗みを帯びていた。徐々に魔王の支配が強まっている。誰もがそう思うばかりで、近づいてくる脅威に気付いていなかった。
そんな中、真っ先に異常に気付いたのは、王都外壁警備を担当している仕事熱心な警備兵だった。
「緊急伝令! 北北東より黒影多数! 魔物が大量発生している可能性があります!」
「馬鹿な! 北西には山があるが、北東側には魔物が発生するような森も山も存在していないはずだ。それどころか大きな川があるだけで、魔物など……」
「それどころか、この暗さ、瘴気に寄るものだと思われます。最も瘴気濃度が高いのがその北北東です! そこから、大量の魔物が生まれていると思われます!」
見たものを正確に把握して報告する警備兵に、その場のまとめ役を任されている男は眉を寄せた。今の時代、どこに瘴気が発生し、魔物が生まれるか。それは誰にだって予想はつかない。それでも、前触れもなく、環境もない場所から異常な瘴気は発生しない。何が原因であろうと、緊急事態だ。報告者の男が普段から真面目な勤務態度であることも知っているため、疑うこともなくすぐに判断を下した。
「各警備リーダーに報告を急げ! それから城にも報告し、今後の対策について指示を仰ぐんだ!」
「了解!」
慌ただしく数人の兵が走り出す。その様子をきちんと確認しながら、ようやく男は自らの目で異常な光景を目に焼き付けた。
「これは……」
十、二十の数ではない。遠く離れた地を黒く塗りつぶすほどの黒い影が広がっている。それら全てが瘴気の色ではないことは蠢く影の形が教えてくれている。ゴクリと喉を鳴らして、冷や汗を垂らす。こんなこと、伝え聞く聖女伝説でも聞いたことがなかった。
実際、聖地付近では珍しくもない現象ではあるが、それ以外の場所ではそんな現象が有り得ることすら知られてもいない。よって、混乱するのも仕方のない事態だった。しかし、王都を護るべき者が取り乱して正気を失うわけにはいかない。こういう時こそ冷静に、最悪な事態に備えて対処しなければならない。多くの兵を導く者としてそう教わってきた男は、ゆっくりと呼吸を落ち着かせて、周囲の部下に気付かれないように表情を改めた。
「上からの指示が早ければいいが。最悪、間に合わないようならこちらが判断をして、タイミングを合わせて外壁に設置されている結界魔道具を作動させるしかない」
「し、しかし、あれは動作させてから起動するまでの時間がかなりかかりますし、それに起動させるには数か所ある起動装置を操作する必要があります。かなり重要な魔道具ですし、勝手に起動させて責任を問われませんか?」
「時間がかかるからこそ、指示を待つ暇もないんだ。魔物がこちらに辿り着いてから起動させては遅いのだからな。それに、責任問題にはならんし、なったとしても俺が取る。心配するな。もし、それでも間に合わないようなら、俺達で魔物を処理するしかない。幸い、まだ魔物はこちらにやってきていないようだしな」
静かに、けれども重く呟かれた男の言葉に、部下は顔を青くする。仕事に真面目で実力もある部下ではあるが、王都にいる兵は基本対人戦しか経験がない。こんな明るい場所で魔物が襲ってくることは稀だし、少し前にあった魔物襲撃に関しては、ほとんどが一直線に王都中心に向かってしまい、実際兵が相手をしたのは打ち漏らしの数体のみだった。それなのに、突然あれほどの数の魔物を相手にするのは無茶とも言えるだろう。
けれども、それでもやらなければならないのが、彼等の仕事だ。
「わ、わかりました。せめて北部勤務の兵と、魔道具操作を担当する者には伝えてまいります!」
「ああ、任せた。合図は俺がする。赤い閃光弾を三発討ち上げたら、各自行動を移すように言ってくれ」
「了解しました!」
そうして話している間にも瘴気は徐々に増えていき、その中で濃い影が生まれていく。そのゾッとするような光景を、男は目を逸らすことなく見続けていた。
城にその旨が報告されたのは三十分後だった。何の因果か、今日は聖女であるティーナもリリアも同じタイミングで、それぞれ聖地へと向かう予定だった。落ち着いたタイミングを予想して連絡を入れるつもりで、今後の予定を含め、宰相であるゼオンと、国王であるジオルグは執務室で顔を合わせていた。そんな時に報告を受けた騎士が駆け込み、二人へと緊急の報せを伝えた。すぐさま自らの目で確認するため、北北東が見えるバルコニーへと足を運んだ。
「あれは……」
「もう、肉眼でも見えるな」
あまりの光景に言葉を失う。神殿を襲撃された時も、こうして城からその光景を見て驚愕していた。今回もそれに匹敵する光景だった。しかし、呆けている場合ではない。すぐさま各騎士団及び警備兵に指示を出す。
「各結界装置をすぐに操作できるように通信魔道具を配る。タイミングはこちらから指示を出す。決して早まる行動は控えるよう呼びかけろ」
「はっ!」
結界装置は風属性に神官の神聖力を含めた壁を展開する魔道具だ。強力で強大な故、展開するには数か所に設置された操作盤で起動させなければいけない。しかも、威力が絶大故に、それほど長時間展開し続けることは無理とされている。そのため、起動させるタイミングがとても重要だ。魔物はまだこちらに向かっている様子はない。未だに生まれ続けていることは問題だが、魔物が発生した付近は人里から離れている。まだ対処のしようはあった。
「兄上、すぐにジルとティーナにご連絡を」
「ああ、そうだな」
両聖女がいる場所が王都から遠く離れた聖地。いくら今から戻ったとしてこの事態に間に合うはずもない。わかっていても保険をかけて呼び戻さなければならない。
しかし、その前に現地でできることを優先せねばならなかった。神官や万が一に備えて騎士や魔法師、兵士以外の戦力に協力要請を出す。もちろん、王都の門は閉め、出ることを禁止し、付近に出ていた国民を呼び戻させた。
そうしている間に王都全体に魔物の情報は流れていて、逃げ場のない状況に不安を募らせていた。
「お父さま、おじさま」
暫くして、大人しく部屋にいたはずの王女メイレリアンが姿を現した。綺麗な銀髪を編み込み、ふわふわと揺らして不安そうにピンクゴールドの瞳を忙しい二人に向ける彼女に、なるべく不安にさせないよう表情を緩ませる。
「どうした、メイリー? お前は王妃と一緒にいるんだ」
「あの、許可をいただきたくてまいりました」
「許可?」
不安げに視線を彷徨わせていた彼女は、けれどもまっすぐ二人に視線を向ける。その瞳はとても強く、少し前までジルシエーラに劣等感を抱いていたとは思えないほどだ。
「実は、ずっと私の魔法で何かできることはないかと考えていたのです。私は魔力が少なく、やれることは限られていますが、けれど、植物の知識は多くあり、魔力操作についてもお姉さまからほめられたことがあるのです。ですから、晴れのない今の時代でも、少しでも何かお役に立てるかもしれないといろいろためしてきました」
「ふむ、それで?」
この状況で聞く内容なのかはわからなかった。けれど、普段からメイレリアンは家族の邪魔はすることがなく、いつだって行儀よくしてきた。それならば、今ここでその話をするのも何か考えがあるはずだ。そう思ったゼオンはジオルグの代わりに話を促す。
「それで、数種類の薬草の生産を今は手がけているのです。最初から力を使い過ぎては効率が悪いということで今はそれほど数がありませんが、想定していたよりも早く成長させることが成功しています。その薬草を、今日はさらに数を増やしたいのです」
「つまり、思い切り魔力を使って薬草を増量したいということか?」
「はい。いざという時に、命を救うものが足りなければ話になりません。少しでも、私が作った薬草が民や騎士の助けになるのならと」
メイレリアンの強い主張に二人は顔を見合わせる。いつの間にこれほどの意志を持つようになったのか。少し前まで、彼女はただの可愛らしい少女だった。年齢だって、未だ子供の内だ。体も小さく、魔力だって少ない。それでも、王族の一員として国のために何かしたい。そう訴えている彼女は、立派な王女の姿をしていた。
「よし、いいだろう。だが、メイリー。無茶をしてお前が倒れるのは駄目だ。きちんと魔法師を傍に置いて、指示を仰ぐんだ」
「承知しました。ありがとうございます、お父さま!」
パッと顔を明るくしたその顔に、二人も笑みを浮かべる。去る時は走るように出て行ってしまった彼女はすっかり少女に戻ってしまったが、不安と恐怖で動けなくなるこの状況で、王族として立派に務めている。その成長が、純粋に嬉しかった。
「子供達ばかりに頼ってはいられないな」
「そうですね、兄上。踏ん張りどころです。ところで、ジルには連絡はつきましたか?」
「いや、先程入れたが、応答がなかった。しばらく時間を置いて再度かけようと思う。ティーナの方にはそろそろ連絡を入れる」
そういってティーナに持たしている通信魔道具と対になる魔道具を手に取った。しかし、その瞬間慌ただしい足音が近づいてきた。
「ご、ご報告します! 魔物がこちらへと進行し始めました!」
「ついに、来たか……」
「魔物はまだ増えているのか?」
「見た感じでは、少し前に落ち着きを見せています。けれど、そのせいなのかはわかりませんが、魔物が一斉に王都へ向かい始めました。夕刻にはおそらく接触する推定です」
既に時刻はおやつ時を過ぎた頃合いだ。ということはあと二、三時間以内に王都が襲撃される。思ったより早いが、魔物の進行ペースはそれほど速度がない。まだ猶予はあるはずだと、気を取り直す。
「わかった。各結界装置の起動準備を急げ!」
「はっ!」
そう指示したものの、正直なところ接触までに結界装置を起動できるかはわからなかった。大掛かりの魔道具は起動してから実際立ち上がるまでに時間がかかる。しかも、これほどの危機を味わったことがないため、実際どれほどの時間がかかるかは未知数なのだ。
しかし、そんなことを言っていても始まらない。やれる対策は全て取り、最悪な事態に備えねばならない。結界魔道具を起動する指示をしながら、同時に騎士、魔法師全体を北門へと集める指示をする。その他、協力を取りつけた戦闘員は王都に入ってきてしまったことを考え、各門付近へと配置指示を出した。そう忙しくしている合間に、ゼオンはティーナへと連絡を入れる。
「そちらには連絡がついたのですか?」
「ああ。あっちでも何か問題が起きたようだが、すぐにこっちに向かってくれるらしい。とはいえ、あんな辺境の地から急いだとしても何日かかることやら」
「……しかし、もしかしたら案外あっさり来てしまうかもしれませんよ」
直接的にはあまり面識はないものの、ティーナやテオドールの話は、ゼオンやジルシエーラを通して聞いていたジオルグはからかうように笑った。こんな緊迫した状況で軽口を叩くのは珍しい。ゼオンは驚いたように目を丸くしたが、けれども否定することはできなかった。
五属性魔法が使える最強の聖女と、理屈も何も通じない自分の孫。合わさればどんな無茶も通しそうだと、妙に納得するだけだった。
そして、ついにその瞬間が来た。日が暮れ始め、闇が深まるそのタイミングで、魔物の群れは王都にたどり着いた。
「くそ、やはり結界は間に合わなかったか!」
「魔物がここにたどり着く前に魔法師による一斉攻撃! 水と火は両端に固まれ! 味方の攻撃で相殺なんて魔力の無駄打ちはするなよ! 視界も悪くなってより不利だ! 十分に距離をあけろ! 全員、準備!」
「討ち漏らしは騎士団の担当だ! 魔法師の邪魔にならないように気を付けろ!」
「いいか、敵を討伐するんじゃない! これは時間稼ぎだ! 結界魔道具は既に起動している! それさえ発動すれば民に被害はない! 我々は民を護るための存在だということを忘れるな! ここでの無駄死は民の犠牲に繋がることを心得ろ!」
この場に配置する前にも言われた言葉に騎士や魔法師は律儀に返事を送る。誰一人として気の抜けている者はいない。戦争を経験した現役の騎士や魔法師はほとんどいない。魔物と対峙する者も限られた部隊のみ。それでも、戦場がどれほど過酷で、厳しいものかは常に伝え聞いている。ここにいる者で楽観視する愚行は犯す者はいない。
指示通り、魔法師全員が準備に入る。合図と同時に発動できるよう、空中に火、木、風、土、水の様々な属性の魔法が展開され始めた。この場を任された指揮官はまだ十分距離があり、魔法の影響をこちらが受けず、かつ魔物に魔法が効きやすいタイミングを計る。そうして、それぞれ同タイミングで迎撃の指示を出した。
「「「作戦開始!!!」」」
空中にとどまっていた魔法が一斉に魔物へと向かう。大きな炎が上がり、魔物に貫く木に引火し、更に風に煽られ火柱が上がる。魔力がこもった魔法による相乗効果で更に効果が上がるその様子を、誰もが期待した目で見つめる。もちろん、土魔法や水魔法でも魔物は潰されており、固まっている分かなりの効果が発揮できていた。それでも、魔物は元々核によって動く。その核が機能する限り死ぬことはない。その性質から魔法だけで魔物を倒すのは難しく、どれほど強い魔法を打ち込んでもそれを擦り抜けてくる魔物は多くいた。魔法の範囲から抜けたその場所までやってきた魔物を、今度は騎士が迎え撃つ。核があると思わしき場所を的確に狙い、剣や槍で攻撃していく。戦闘経験が乏しくとも、実力のある騎士は魔物の数を確実に減らしていった。
魔物一体たりとも通さない。その強い意志の元、誰もが普段以上の力を発揮し、討伐した。
しかし、あまりにも魔物の数が多すぎた。
「第一画! 突破されました!」
「後方隊! 警戒!」
「第五画も突破されています!」
「くそ、流石に魔力切れも伴い、疲れが出始めているな」
無理もなかった。すでに戦闘が始まって一時間弱。魔法師の魔力は既に尽きている上に、魔物の数が未だ減らない。倒しても、倒しても、後ろからやってくるのだ。それを相手に騎士団だけで対応するのは無理があった。せめて、結界さえ発動してくれればと祈る気持ちが尽きない。
犠牲を増やさないためにも魔力が切れた魔法師は門の中へと撤退させている。王都を囲うようにして存在する塀の上には後方部隊として弓矢と投石を構える存在がいるので、まだ戦力に余力は残ってはいる。もちろん、塀際には前線に比べれば数が少ないが騎士もいる。
けれども、背後に敵が流れてしまうのは、前線で闘う騎士の危険度が跳ね上がることを意味する。いつ挟み撃ちをされるかわからないからだ。体制を考え直す必要があるだろうかと悩んだ。だが、状況が悩む時間を与えない。
「小型魔物が足元を擦り抜けていきました!」
「何!」
報告と同時に足の隙間を数体の何かが擦り抜ける。今回は飛行型がいないからと安心していたのに、思わぬ伏兵だ。小型はそれほど脅威ではないが、小ささと素早さを生かした移動に対応が遅れる。他の魔物と対峙している隙も狙っていたのだろう。誰もが反応できず、見送ってしまう形になった。あっという間に魔物が塀へと近付きつつある。
もちろん、後方部隊も擦り抜けた魔物に対応しているが、追い付かない。それどころか、もっと人の多い場所を目指している魔物は騎士を無視して王都に向かうことを優先している。その行動は流石に予想外だった。挟み撃ちの危険はグッと減ったが、代わりに討伐難易度は上がったと言える。
「小型故に弓矢や投石では間に合わんか」
中型以上ならまだしも、小型を狙うのは至難の技だ。特に遠距離による攻撃は難しい。塀際の騎士ならば数を減らせるだろうが、それでも全てではないだろう。門は閉じてあるが、それで防げると安心していいことでもない。この場での最善は前線で食い止めることだったのだ。
けれども、そう嘆いたところで遅い。最悪、小型だけは王都への侵入を許してしまうことを考え、塀の内側に待機している部隊へと連絡を入れた。
本当ならば、ここで全てを食い止めるのが理想だった。けれども、理想は理想にしか過ぎない。理想通り動くのは、奇跡に近いものだ。こういう時、戦局を分けるのは切り変えの速さだと指揮官は理解している。よって、早々に連絡をいれ、前線は未だ迫り来る魔物を減らすことに専念した。
切り変えても、割り切っても、それでも魔物を通してしまった自責の念は尽きない。手や口を動かしつつもこれ以上の被害を出さないよう努めていれば、奇跡が起きる。
既に時刻は黄昏時。陽が沈み、雲が広がる薄暗さから、更に闇が広がる夜へと変わる時間だった。光を嫌う魔物がより一層強くなる時間だ。そんな時、突然背後から眩い光が灯った。
最初は、結界が無事に発動したのだと、誰もが思った。今まで王都の結界魔道具を発動したことは記憶にはなく、誰もが初めて見る光景だったため、そう思うのも仕方ないことだ。けれど、すぐに違うのではと疑念を抱く。
結界は、魔物等瘴気を阻むためのものだ。瘴気から生まれた魔物や瘴気自身を王都へと侵入させないために作られた特殊な魔道具で、一度起動させたら、魔力と共に神官による神聖なる力を蓄えねば使えないものでもある。けれど、大掛かりで準備が必要な分、その効果は絶大で、設置した王都内にどんな魔物すらも寄せ付けない絶対防壁になる。
けれど、それはあくまでも壁になるだけだ。王都に魔物が入れないだけ。彼等が入らないよう、見えない壁が展開される。それだけのものだった。
けれど、王都へ近づく魔物は、その淡く清い光の壁に突撃した途端、その場で霧散していくのだ。霧のように、塵のように、跡形もなく。黒々とした影がどんどん消え去っていくその光景に、誰もが唖然とした顔で見守る。そんな効果があることなど、誰も知らない。有り得ない光景だと、指揮官は堪らず手を止めた。そして、掠れた声で囁く。
「奇跡だ……」
これはきっと女神マナリスの奇跡に違いない。今まで、聖女における様々な伝説を聞いてきたが、これほどの奇跡は聞いたことがない。けれど、今代の聖女は二人。このことから、今回は特殊で特別だと誰もが考える。それを裏付けるように起きたこの奇跡。誰もが感動し、感謝した。
けれど、呆けてばかりはいられない。
「全員、あの光の壁の内側まで下がれ!」
あの奇跡の壁がいつまで続くかはわからない。けれど、明らかに魔物を浄化している様子を見て、ただ討伐するのではなく、あの光に当てて浄化してしまった方がいいと指揮官は考えた。魔物は瘴気から生まれ、核を壊せば倒せる。けれど、魔物が持つ瘴気は浄化でなければ完全に消えることはないと言われているのだ。これほどの魔物の量をただ討伐しても、一時凌ぎにしかならない。またどこかで瘴気が集まり、新たな魔物を生む可能性がある。それならば、あの奇跡の壁に浄化を託したほうが未来に繋がるはずだ、と。
指揮官の言葉に従い、騎士は速やかに撤退していく。眩い光に動きを鈍くした魔物は、対峙していた騎士が下がっていくのを見て、反射のように追ってくる。離れすぎず、近すぎない距離を保ちつつ、順に光の壁の中へと身を潜らせた。
そして、狙った通り魔物が霧散していく。
「すげー」
「聖女様の力だ」
「ああ、まさに浄化の力だ。でも、この場には聖女様はいないはず」
「女神マナリス様による奇跡なのか?」
「わかんねーけど、でも、助かった」
疲労困憊の騎士はその場で膝をつく者が多くいた。けれど、それを指揮官が叱責し、立たせる。いくら今この場が安全とはいえ、いつまでこの効果が続くのかわからない。動けないのなら、控えと交代するべきだと促す。同時に、結界魔道具の起動を担当していた者と状況を確認する。彼等も結界の発動を確認はしたが、浄化効果は予想外で、どうにか魔道具を調べて理由を考えているところだった。けれど、浄化効果となれば、専門外だ。仕方ないので、数人が神官を呼びに向かったそうだ。
その間も光の壁は展開し続け、襲い来る魔物は次々に消えていく。それでも警戒は緩めず、すぐに戦闘に入れる騎士や魔法師を最低限塀の前へと置いた。
しかし、光の壁は結界が発動している間ずっと存在していた。というより、結界自体に浄化機能が備わっているといった感じだろう。目に見えない結界が、浄化能力を得たことで光っている。そう言った方がしっくりきた。未だ魔物は絶えず迫ってくるが、大分数が減ってきた。もう陽は沈み切り、月がほどほどの高さに上がった時刻だろう。たとえ、このタイミングで結界が解けても、備えている騎士や魔法師によって対応できるレベルまで数を減らしている。
その報告を受け、国王や宰相は国の警戒レベルを下げており、一般民へも心配いらないことを通達していた。それでも魔物はまだ存在していたので、不安は煽るのではと心配していたが、光の壁が希望の光と捉えたようで際立った混乱は起きなかった。
「にしても、もう数は少ないけど、魔物が途切れねーな」
「ああ。もしかして、未だに魔物が生まれているのかもな」
塀の前で警戒して魔物が浄化されるところを見守っていた騎士はそんな会話を繰り広げた。王都の北側に濃度の濃い瘴気が発生し、魔物が大量に生まれている。簡単に説明はされているからこそ、その瘴気をどうにかしなければ魔物が尽きないのではと思った。実際、その通りなのだが、その原因を絶つのは難しい。それこそ、この場に聖女がいないことには解決できないだろう。せめて、魔物を生んだことで瘴気が薄れていることを願うばかりだ。
いくら数が少なくなっても継続して魔物が襲ってくるのなら、身動きが取れない。
まだ、今夜中、明日にかかっても続く程度ならいいが、その先もずっとこの状態が続いたらと考えれば不安は尽きなかった。それでも、彼等はただ任務をこなすしかない。
そうして、もうすぐ深夜に入るという時刻に、また変化がやってきた。
「ちょ、ちょっと、これ、どうやって止めるの!?」
「……落ち着け、マリエッタ嬢」
「落ち着けないってぇ! 街にぶつかっちゃうよ!」
何かが……、騒がしい何かが飛んでくるのだ。暗闇で、しかも自分達の周辺が眩い光があるせいで余計にその何かが何なのか、騎士達は把握できない。けれど、微かに聞こえる騒がしいそれは、人の声なのは把握できた。
つまり、人が飛んでくるということだ。
「応援か?」
「そんな話あったか? 王都以上に戦力が揃っているところはない。周辺の村は、自分達の村を護ることで精いっぱいのはずだろ?」
「そうだな、そんな話は聞いてないんだが。旅人とかそういう類か?」
「旅人が、魔法を、しかも飛行魔法使って?」
どれもしっくりこない。
魔法を使える旅人がいないわけではない。貴族の生まれであっても、誰もが貴族籍を持ったまま生涯過ごす訳じゃない。騎士にも魔法師にもならず、領主にもならない者だって存在する。けれど、飛行魔法が使える者は稀だ。それほどの能力を持った者が、気ままな旅人になるのはそういない。しかも、こんな危険な時代とタイミングで王都に帰還するなんて、命取りな判断はしないはず。
だからこそ、騎士は最低限の警戒をして空を睨みつけた。
「テオー、風魔法でブレーキかけて」
「ぶれーき? 何だそれ!」
「あー、進行方向の逆向きに風を流して! 勢い殺さないと止まんないでしょ」
「なるほど、ティナも一応手伝ってくれ」
ようやく視界に捕えたそれは、まさに人の塊だった。それでも顔までは確認できない。五人ほどの人影だけはどうにか理解できたが、それが王都にまっすぐに飛んでくる。しかも、かなりの速さだ。慌てて騒ぐのも仕方ないほどの。だが、騒ぐということはコントロールができていないも同然。どうするのかと周辺の騎士は全員焦りを見せた。
だが、心配したような事態は起きなかった。ごぉっという音と共に、人の塊は速度を落とした。そうして、騎士が並ぶその前に揃って足を着けた。
「はーーー、着いた」
「本当に半日程度で着いてしまいましたね」
「あまりに早くて頭クラクラするよ。というか、なんか王都周辺光ってるけど、これ、何ですか?」
「……結界魔道具じゃないのか?」
「いえ、そんなはずは……。結界魔道具は基本的に色も光もない壁のはず。こんな睡眠妨害になるような光は帯びないはずですし、何より……魔物を浄化させる効果はありません。浄化は聖女だけが持つ能力ですから」
騎士が並んでいることもお構いなく呑気に会話する集団に、声をかけるべきか悩む。けれど、その言葉を聞いた騎士達はハッとする。光の壁の調査は行っているようだが、その結果はまだ伝えられていない。けれども、魔物を浄化してしまうというのはやはり異常だ。だからこそ、指揮官は女神マナリスの奇跡だと口にしていた。しかし、浄化の力で一番身近にあるのは、やはり聖女の力だ。
「つまり、結界の中に聖女のお力が混ざっておられるのか?」
「というか、あれ、神官セイリム様では?」
「いや、というか……聖女様御一行だ!」
ようやく、目の前にいるのが旅をしていた聖女一行だと気付いた騎士は、また違う意味でざわつく。それでも持ち場を離れるような愚行はしない。代わりに塀の上で待機していた弓矢部隊の一人が指揮官に報せにその場を走り去った。
「まあ、何が起きているかは後で確認するとして、今のところ王都自身は無事ってことがわかって安心ってことだね」
「でも、これ、いつから続いてるんだ? オレ達が連絡取ったの半日前だろ?」
浄化の光で煌めく白銀の髪を揺らして明るい声を出すのは、今代の聖女の一人だろう。続いて言葉を紡いだのは黒髪の気安い男は確か勇者だったはずだ。そう頭で整理しながら、彼等の一番近い騎士が思い切って声をかけた。
「あの、簡単でよければ説明を致しますが……」
「ああ、邪魔な場所に長々とすみません。よければお願いできますか?」
ようやく背後を振り返った聖女一行が全員揃って苦笑を浮かべた。警戒している騎士の前に無警戒で立っていたのだ。任務の邪魔をしていたと自覚したのだろう。けれど、それに頷く者はいない。驚きはしたものの、今一番来てほしい存在が来てくれたのだ。邪魔だなんてとんでもない。
「日暮れ前に魔物が王都に到着。まだ結界発動前だったため、騎士団と魔法師団全員で足止めを行い、一時間以上の乱闘になりました。それでも魔物が増えるばかりで、一部進行を許してしまったのですが、その直後、この光る結界が発動し、今に至るまでたどり着いた魔物を浄化している状態です。ですが、この浄化の能力がどうして発動しているのかは未だ不明。解明のために魔道具の場所に神官様を呼んで見て頂いてはいますが、我々にはその結果は届いていません」
「なるほど。では、今一番心配すべきなのはこの結界の浄化効果がいつまで続くかと、魔物がいつまでやってくるか、ですね?」
「はい。その通りです。結界のお蔭で我々も今は体制を立て直し、休息を取ることもできていますし、魔物の数もかなり減ってはいます。ですが、継続して襲ってきていることは確かで、いつまでこの状態を保てばいいのか不明です」
眉を下げて困っている表情を作る騎士に、聖女ティーナは僅かに思案する。魔物が未だにやってくる暗闇の奥を見つめて、空を見上げた。
「今回、飛行型の魔物は出ていないんですか?」
「はい、飛行する魔物は今のところ一度も遭遇していません」
「セイリム様、それなら魔物の発生源になっている瘴気のもとへ、今から向かって私が浄化するのはどうでしょう?」
当然のように、凛とした声で提案したティーナに、騎士達はギョッとした。正直なところ、彼女の提案は有り難いものだった。けれども、深夜で闇が深いこの時間に遠く離れた瘴気の森に向かい、浄化してくれとは誰も言えないし、思わない。せめて夜明けを待ってからの方がいいと考えていた。
「ティーナさん、それほど急がねばなりませんか?」
「この結界魔道具は最大でどのくらい起動できるものですか? まずはそこが気がかりなところです。浄化機能がどうして備わっているかは疑問ですが、結界魔道具と連動しているのは確かです。それならば、結界魔道具が起動できる時間が、今この状態を保てる制限時間と考えるべきでしょう? しかし、これほどの大掛かりの魔道具、一晩保てるとは私は思いません。いかがですか?」
「そうですね。私もこの魔道具を起動しているのを見たのは今回が初めてなので、詳細は知りません。けれど、長時間起動には適さないのは確かです。今まで起動する際には、必要が無くなったらすぐに魔道具を停止していましたから」
「……今まで起動していた最大時間は記録されていないんですか?」
「かなりおおよそだった気がします。私の記憶が確かなら、最大で四時間程度くらい、でしょうか」
「普通に魔物が大量に襲ってきたとしても、確かに数時間あれば結界を利用して体制を立て直せるし、魔物を討伐するのもできるもんね」
「記録がきちんとない上に、久しぶりの魔道具の起動となれば、あまり希望的観測で動くのはよくないと思います。夜というのは確かに不利ですけど、聖地を浄化するよりかはおそらく簡単に終わると思います。とにかく、今は魔物が生まれる原因だけでも取り除くべきです。そのために、私の帰還を急がれたのだと思いますし」
「そもそも、王都に被害がない今の時点でラッキーな状態だろ? これ以上のラッキーを望むのは楽観視にすぎねーんじゃねーの?」
冷静なティーナの言葉と、的を得た勇者テオドールの言葉に誰もが固い顔をする。まさにその通りだ。浄化作用のある結界がギリギリ展開されたから、怪我人はいても死者は今のところ出ていないし、王都に侵入も許さずに済んだのだ。聖女の安全だけを考えて、朝まで耐える道を選ぶのは消極的な案と言えた。
それに、彼女がこれほどきっぱり意見を言うのなら、できないことではないのだろう。そう思えるほどの態度で、自信が見て取れた。
「そうですね……。テオドール君と共に行くのですか?」
「ええ。きちんと瘴気が目で確認できるかわからないので、ある程度の近い距離に行ったら聖歌と共に浄化するつもりです。効率は諦めて安全面を考慮します。なので、テオに飛行してもらいながら浄化すればいいかなって」
「なるほど。確かに今回飛行型はいないようですしね。わかりました。瘴気は確認できずとも、魔物なら影の濃さでわかるかもしれません。なるべく位置を正確に確認して浄化を試みてください。けれど、判断ができない場合は一度帰還を。できますか?」
「わかりました」
とんとん拍子に決まっていく事態に、騎士はまた戸惑う。未だこの場に指揮官もその上の立場も来ていない。それなのに、これほどのことを勝手に決めて動いていいのだろうか。そう思うものの、相手は聖女であり、神官もいる。しかも、彼は上位の神官だったはずだ。それならば、自分よりは地位が上だし、余計に口出しはできない。ただ不安な気持ちで見守った。
そんな彼等に気付いたのか、ティーナは薄青い瞳を騎士へと向けた。透き通るような、晴れ渡る空よりも薄く綺麗な青が自分を見つめてきて、無意味に胸が跳ねた。
「安心してください。明日の朝には皆さんが何の心配もなく自宅で眠れるようにしてきますので」
薄く微笑むその顔は、とても神々しい。光の壁で反射する白銀の髪に、何もかも見通すような煌めく青い瞳に、どんな罪も許してくれるような美しい笑み。人だと思えないほどの神秘さを、彼女は持っているように思えた。一瞬息を忘れて魅入ってしまう。彼女自身が女神だと言われても信じてしまいそうなほど、尊い姿だ。
そうして、闇の中に勇者と共に飛んで行った聖女は、たった一時間程度で全てを浄化し終えて戻ってきた。
同時に、役目を終えたかのように光の壁は徐々に薄くなり、闇に紛れて消えていく。それでも、その神秘的な光景に暫くその場にいる全員が見惚れ、目に焼き付けたのだった。
この出来事は後に〝女神マナリスの奇跡〟と呼ばれ、初代聖女の話と同じくらい、多くの民に語り継がれることになるのだった。
書き始めた当初は、大体一部につき20話前後だから、長くても100話満たない話で終わるだろって思ってのが夢のようです(遠い目)
無駄に話しを長くするのが得意で本当にすみません。
今回で区切りがいいので、一度更新を止めて、またストックを溜めたいと思います。次回更新について言ってもまたやるやる詐欺になりそうですが、言わなければ言わないで焦らなそうなので、なるべく秋くらいには~とだけ言っておきます。(なんて、言ってしまっていたのですが、冬は繁忙期だったことをすっかり忘れてました。まだまだ更新再開できそうにありませんっ!せ、せめて春前には、やり、たい)
次はリリア達と合流するところから始まります。最後の聖地攻略をようやく全員で向かう、という流れになると思うので、またお暇でしたら読んでいただければと思います。




