第32話
眼球がない窪みに妖しく光る目らしきものがボクのほうをギロリと向いてきました。そのリッチの足元にはうつぶせで倒れているララさんの姿がありました。
「ララさんっ!?」
ボクが声を上げるものの、ぴくりとも動かないララさん。
名付きと呼ばれるコボルトジェネラルによって危うく殺されかけたリティの倒れた姿と、今のララさんの姿が被ります。
一瞬頭に血が上りかけたけど、あの日エレンドさんに止められた事が脳裏をよぎり、何とか踏みとどまりました。ララさんの姿を見るけど幸い外傷らしきものは見当たらないものの、一体このリッチに何をされたのか全然分からない。
心臓の鼓動を止めるような死の魔術、というものがあるのを聞いた事がある。このリッチであればそんな気味の悪い魔術を使えても不思議じゃない。
「何、心配召されるなリリス嬢、少し気絶させただけの事。このエルフは少々厄介ですからな」
そんなボクの表情を読み取ったのか、嘲笑を含んだ声で話しかけてくるリッチ。
「それにこの娘もそれなりの素材ではある。普通に殺してしまうと普通のゾンビにしかなりませんしな。リリス嬢の仕込みが終わった後、改めてゆっくりこの娘も素材にしましょう。ハイエルフの素材などそう滅多に獲れぬ物ではないでしょうしな」
「……っ! あなたって奴は!!」
こいつボクだけじゃなくてララさんまで! しかも素材だって?! 絶対に許せない!
思わずカッとなって一歩前に踏み出した時、肩に手が置かれた。そしていつの間にか剣を持った男がボクとリッチの間に立ちふさがっていた。
「パチルさん、ラレダさん」
「リリス様、落ち着いてください」
「そうだぜ? こいつを倒すのは俺らの仕事だ」
不敵に言い放つラレダさんは剣をリッチへと向けました。
「この距離じゃお前さんが詠唱するより俺の剣の方が早いと思うが」
「ほぅ、それは一級品の魔法剣ですな。中々に良いものを持っておられる。さすが迷宮都市の高ランク冒険者ですな」
「そうだ。これならお前さんの身体に傷を負わせることが出来るだろう」
リッチの身体は骨だけど、それを護るように魔法障壁が張り巡らされています。リッチの持つ強大な魔力で生み出された魔法障壁は、並どころか下手な魔法剣や魔法ですら弾き返してしまうほどの強度がある、とギルドマスターのライラスさんが言ってたのを思い出しました。
事実、以前ボクの氷の雨の魔法を最初は殆ど弾き返していた。後半無茶な魔力を注いで何とかダメージを負わせることは出来たけど、それでも倒すことは出来なかったっけ。
「確かにそうですな」
「ここで引いてくれ、何てことは言わない。斃されてくれ」
「はっはっは、その剣があればこの私に勝てると? 甘く見られたものですな」
ラレダさんの持つ剣は、リッチの目と鼻の先に突きつけています。あの状態じゃ、どうあがいても詠唱するより剣の方が早い。
でもリッチはまるで慌てた様子がない。
「じゃあ……試してみよう!」
何かラレダさんの琴線に引っかかったのか、ボクの目に見えないほどの速度で突きつけてた剣をそのまま前に出しました。
「なっ?!」
「くっくっく。なるほど、中々に早い突きですな」
しかし信じられない光景が目に広がりました。あろうことか、リッチの骨だけの手がラレダさんの剣を鷲づかみにしていたのです。
ラレダさんの剣を持っている腕の筋肉がはち切れんばかりに膨れ上がり、力を籠めて剣を突き出しているのが分かりますが、ぴくりとも動きません。
「こう見えても生前は多少剣を嗜んでおりましてね。このような事も出来るのですよ」
そうリッチが言った途端、ぱきん、という甲高い音を立ててラレダさんの魔法剣が折られました。
「馬鹿なっ、魔法剣を折るだと?!」
「魔法剣だろうと、一定以上の魔力を籠めれば簡単に折ることは出来るのですよ。まさかご存じなかったと?」
モノである以上その耐久を上回る力をかければ壊すことは可能だけど、魔法剣は付与魔術がかけられていて、そうそう壊すことは出来ないはず。
さっきリッチがあの魔法剣は一級品、と言っていた。それはドラゴンの鱗ですら切り裂ける程の切れ味がある。
一級品以上の剣は特級品と言うこの迷宮の奥底で稀に見つかるもの、そしてこの世界のどこかにある伝説と呼ばれる剣しかない。どちらもほぼ手に入れることは不可能です。
いわば一級品は文字通り、この街で手に入れられる最高級の魔法剣。
それがあっさりと折られるなんて。
「さて、それで……ぐぉっ?!」
呻きと共にリッチの背後へ静かに潜んでいたテルノースさん……以前ボクたちにフォックロックの鉱石を頼んだ盗賊風のお姉さんが、凄まじい蹴りを放ちリッチを吹き飛ばしました。
うそっ?! あんな細い足で、どうやってあれだけの破壊力を?!
とても人間技じゃない。
更にリッチが吹き飛ばされた先には、いつの間にかエレンドさんが回り込んで大きなハルバードを振りかぶっていました。
ドワーフの腕力と重く硬いハルバードが組み合わさり、凄まじい一撃をリッチへと放ちます。派手な音と共に迷宮の硬い地面に叩きつけられ、バウンドしながら転がっていくリッチ。
エレンドさんがすかさずハルバードをリッチへと投げつけ、そして即座に詠唱を始めます。それに呼応するようにボクの後ろに居たパチルさんも、高らかに詠唱をつむぎ始めました。
二人の詠唱が重なり合い、そしてリッチの頭上に白く輝く大きな球が生まれました。
流れるような連携。これが高位冒険者のパーティか。凄い、これだけ息がぴったり合うなんて。
<浄化の輝き!>
エレンドさんとパチルさん、二人の魔法が生み出した光の球が、真下に転がっているリッチへとまるでライトを当てたように光を降ろしました。
「ぐ、ぐぉぉぉぉぉ!!!」
リッチはアンデッドであり、聖属性の魔法には極端に弱い。更に二人の重ねた魔法によって威力も増しているはずです。
身を震わせながら苦悶のうめき声をあげるリッチ。ローブを纏った姿が徐々にぼろぼろと崩れていく。
次第にリッチの頭上にあった光の球が弱まり、小さくなっていく。
そしてその光が消えた時、ぼろぼろのローブだけが床に落ちていた。
一瞬、やったか? と言いそうになったけど、それはフラグすぎるので何とか押しとどめた。
でも……姿すら見えなくなったし、きっとこれで終わったはず。
しかしそんなボクの思いとは裏腹に、リッチの着ていたぼろぼろのローブが突然浮かびあがりました。
床に落ちていた骨の残骸がみるみると組み合わさっていき、それが次第に骸骨の姿を形どっていきます。
「……さすがに……今のは……効きました」
全員があっけにとられたまま立ちすくんでいるうちに、復活したリッチが重く言葉を吐き出しました。
「うそ……今ので倒せないの?」
その時ボクが感じたのは絶望。そしておそらく他のみんなも同じ感情を持っていたと思う。リッチが愉悦を撒き散らしたから。
「くっくっく、良いですねぇ、その絶望の顔を見るのは。さあ!」
「「「ぐあっ!!」」」
リッチが両手を上げるといきなり自分の身体が重くなり、そして地面に崩れ落ちました。
これは前にも使った重力の魔法!
必死で手や足を動かそうとしても重くて動けない。
地面とキスをしているような形ではボクの視界には映らないけど、リッチがゆっくりと近づいてくるのが分かりました。
そしてボクのすぐ近くに止まる気配。
「さて……色々と邪魔が入りましたが。リリス嬢よ、私の目的の為にあなたを頂きます」
「くっ」
ここまで?
ボクはリッチに攫われて、そして意思を消されてゾンビにさせられちゃうの?
これがボクの終わり方?
そんなの嫌だ!
誰かなんと言おうか、そんなもの絶対お断りだ!
<凍える魂、凍れる雹、凍てつく風>
唯一動く口で呪文を唱える。
「はははは、その格好で呪文ですか。しかもこんな近くに私がいるのに?」
嘲りの声が頭上から落ちてきます。でもこのまま何もせずに終わるなんて絶対に嫌だ。無駄かも知れないけど、今できる精一杯の抵抗をしてやる!
<生み出せ冷気の積乱雲>
「氷の嵐ですか。普通の術士が唱える魔法であれば喰らっても大した事ではありませんが……。以前あなたの唱えた氷の初級魔法ですら私に傷を負わせた事がありましたしね。念のために喉を潰させていただきましょう」
そう言ったリッチの骨の手が、ボクの首筋に触れるのが分かりました。そして呪文詠唱している喉元へと伸びて行き……。
だめか。間に合わない。
そう観念したとき突然何かを蹴るような音がすぐ側で鳴り響き、リッチの手が離れました。
え? これは?
しかもさっきまで感じていた重さが全くなくなりました。
重力の魔法が解けた?!
そう思ったのもつかの間、すぐ近くで女の人の声がささやかれました。
「リリス、詠唱の続きをどうぞ」




