99 力の差を埋めるために
★★★★★★★★★★
「シェフ!」
わたしが叫んだ時にはすでに遅く、シェフは、シェフの兄だという魔人によって地面へと押し倒され、その口へと肉の塊を突っ込まれてしまっていた。
シェフは、食事をしないと言っていたのに、あんな無理やり――
「シェフを離せ!」
剣を持って飛び掛かるが――魔人はこちらに見向きもしないで軽く腕を払った。
たったそれだけの動作で、わたしの体は大空へと吹き飛ばされてしまう。
見る見る小さくなっていくシェフの体。
かなりの距離を吹き飛ばされ、地面へと叩きつけられる。
「……ぐふっ!」
あとになって、衝撃が体内を突き抜けていった。
口から大量の血液が迸る。
内臓を、かなりやられてしまったようだ。
まるで、歯が立たない。
いや、そもそも次元が違い過ぎる。
シェフが……遠い。
「っぁああああ!」
シェフの悲鳴が聞こえる。
魔人がそれを見て笑っている。
「さぁ、目覚めろ! 飢え続けた貴様の細胞なら、さぞいいエサになってくれるだろう!」
シェフの体が黒い靄に覆われていく。
シェフの姿が、見えなくなっていく。
「シェフっ!」
立ち上がろうとするが、体が言うことを聞かない。
くっ!
こんな大事な時に――!
「うごっ……け!」
固く握った拳を太ももに打ち付ける。
激しい痛みが神経を叩き起こし、微かにだが体が動くようになる。
これで、シェフの元へ行ける――
『無理はしちゃダメよ』
優しい声が聞こえる。
振り返ると、美しい女性が浮かんでいた。
この人が、歩くトラットリアの前オーナーで、名前はたしか――
「トミコさん」
『ミサキよ。せめて一文字くらい掠らせて』
ため息をつかれてしまった。
文字数は合っていたのに。
『あなた、ボーヤを助けたい?』
「もちろんだ! そのためなら、この身がどうなろうと――!」
『はい、ストップ。それ以上は言っちゃダメ』
「――っ!?」
突然、口が動かなくなった。
強引に動かしてみるも、声が出ない。
なにをされたのか、まったく分からない。
『あなたがいなくなると、ボーヤが悲しむわ』
シェフが……
わたしなど、誰にも必要とされず……父にも、存在すら認めてもらっていなかった。
どこに行っても恐れられ、疎まれ、避けられていた。
そんなわたしだが……
いなくなると寂しい。
そんな風に思ってもらえているのだとしたら、嬉しい。
それも、シェフがそんな風に思っていてくれるなら――
「思い残すことは何もない。この身を犠牲にしてでも必ず助け出す!」
『えっと、話聞いてた? あれ、残念な娘なのかな、この娘?』
ウナギさんが戸惑っている。
「ウナギさん」
『ミサキです! ちょっとは近付いたかな~って、そんな大らかな心では許せないくらい間違ってるからね、まだ』
「アナゴさん!」
『遠ざかった!? あっれ、この娘、本腰入れて残念な娘だ!?』
「シェフを助ける方法があるなら教えてほしい! 魔王を倒せるくらいの力を持っていた勇者であるあなたに!」
『うん。教えてあげる』
「そこをなんとか! この通りだ!」
『教えるって言ってんの!? 土下座やめて! 一般人は土下座されてもドン引きするだけだから覚えといて!?』
キナコさんが戸惑いながら大きな声を出す。
「ありがとう、キナコさん」
『アナゴ寄りに知識を固めようとするのやめてくれる? ミサキさんって言えたら教えてあげる』
「ミサキさん!」
『物凄く現金、この娘!?』
ミサキさんが「したたかだわ~」とか「ボーヤ、悪女に騙されてないかしら?」とかぶつぶつ言っている。
今はそんな暇はないというのに。
「真面目にやってほしい、ミサキさん」
『どの口が!? えぇ~、こっちのせいにする? 怖いわぁ、最近の若い娘……』
言いながら、ミサキさんが人差し指をくるくる回し、わたしに光を投げてくる。
指先から発せられたまばゆい光がわたしの体を包み込み――青く美しい鎧へと変化した。
『それは、私が生前使っていた勇者の装備。一応、伝説級の激レア装備だから、性能は折り紙付きよ』
「オマケつきなのか」
『折り紙付きね? え、もしかしてオマケで折り紙がついてくるって思ってる?』
「よく分からないことは言わないでほしい」
『それこっちのセリフぅ~!?』
ミサキさんがなんだか怒っている。
「ボーヤの育ての母として、嫁姑問題が深刻化しそうだわ」とか、ちょっとよく分からないことで頭を抱えている。
「ユニークな人だ」
『そっくりそのまま、熨斗付けて叩き返してやるわ!』
なんか、叱られた。
「剣姫! タマちゃんが!」
遠くからキッカがわたしを呼ぶ。
振り返れば、シェフが――
「あぁぁ……」
黒い靄に包まれた姿で立っていた。
その姿は、いつものシェフとは似ても似つかないくらいに禍々しく――
「ちょっと、大きい」
『いや、どう見ても2メートル超えてるでしょ。かなり大きいって』
ミサキさんがわたしの肩を叩く。
ツッコミというヤツだ。
「ふははははは! 素晴らしい! 素晴らしいぞ、エクス! それでこそ俺様の弟だ! さぁ、俺様の糧とな――ん」
なんか、魔人が「うがぁ!」って鳴いたシェフによって殴り飛ばされた。
めっちゃ飛んでる。
凄い飛距離だ。
肉眼ではもう見えないくら――あ、土埃が上がった。
飛んだなぁ。
『夜目が利くのね』
「うむ。森での暮らしが長かったのでな」
夜でも、結構遠くまで見通せる。
『今のボーヤには、おそらく自我は残っていないでしょう』
「自我……」
……じが?
『自分が誰か分かってないってことよ!?』
「なるほど、自我か」
得心がいった。
シェフは、自分がシェフだということを見失っているらしい。
それは、悲しい。
「止めてくる」
『今のあなたには無理よ』
「それでも、止めなくては」
シェフを守るためなら、なんだってする。
「シェフは、優しい人だから。自我を取り戻した時、悲しむようなことにはなってほしくない」
『そうね――』
ミサキさんは優しい声で言って、わたしの髪を撫でた。
『だから、あなたに力をあげる。今代魔王をも凌駕する、新生魔王を止められる力を』
その言葉を聞いて、わたしは思う。
「新生魔王とかどうでもいいから、シェフを止めたいのだが」
『うぅ~ん、この娘と話すのちょっと疲れるぅ』
なんだか、すごく重たいため息をつかれてしまった。




