93 父
……おかしい。
「うゎぁあああ! 嫌だぁああああ!」
あ、いや、そうではなくて。
さっきまで物凄く強気で、相手の命を奪うことになんの痛痒も感じていない様子だったお父様のご乱心で「あれぇ? なんか聞いて話と違うな~」……とか、そういうことではなく。
本当におかしいのは――
魔人・ヴァルザハルト。
へらへらと笑うウチの兄が、おかしい。
いや、みたまんまおかしい人なのは承知の上で――
魔獣四千匹を取り込んだ時点で亀裂が入った肉体に、あんな禍々しいほどに強さが迸っていたお父様の血を取り込んだ。
それも、なんの迷いも見せず。
たぶんだけれど、お父様は魔獣四千匹よりはるかに強い。
自分の体に亀裂を作ったのと同等以上の力を、あっさりと取り込み、そして、――崩壊していない。
……あいつ、またなにか隠してるな?
「さぁ、貴様も喰らえ。上質な人間の血肉だ」
兄からお父様の腕を取り上げてボクへと差し出す父。
なにこの、正視に堪えない両家の交流。
……結婚は本人同士だけじゃなくて家の問題とか言うって、お師さんから聞いたことあるけれど、…………よし、家族は切り捨てよう。
ボクは天涯孤独の身です。
「その腕をこちらへ」
「おぉっ! ようやく聞き分けたか、エックハルト!」
ボクがお父様の腕を欲したことが相当嬉しかったのか、父の顔が喜色に歪む。
歪み過ぎて、頬の表面がひび割れて、ぱらぱらと欠片が零れ落ちていった。
もう、本当に限界が近いようだ。
ただ――
「さぁ、喰らうのだ!」
食べるわけないだろう。
「少し染みます」
「うぁわあぁぁああ!?」
パニックに陥っているお父様を押さえつけて、千切られた腕をくっつけ、その上からドラゴン族の妙薬をかける。
塗るとかいう次元じゃなかったので、遠慮なくどばどばと。
「があああああ!」
お父様が吠え、気を失った。
そんなに染みたかな?
でも、腕は無事にくっついていた。
……ほんと、凄いな、この薬。
「……何をしておる?」
温度を感じない声で、父が言う。
分かり切ったことを聞く。
「怪我をしている人がいたら助ける。当然でしょう」
それが、大切な人の家族なら、なおさらだ。
「それはエサだ! 貴様はそれを喰らい、もっと力を付けねばいかんのだ!」
「あなたのために、ですか? 冗談じゃない」
「食わねば、貴様とて崩壊を迎えるのだぞ!? その体、ほとんど力が残っておらぬではないか!」
そうですね。
最近ちょっと力を使い過ぎて、体の中が空っぽになりそうです。
でも――
「人を喰らうくらいなら、死んだ方がマシなので」
ボクは、ニンゲンが大好きなのだ。
弱いながらも必死に生きるニンゲンが。
工夫して、努力して、協力し合って、どんな困難も乗り越えていける、ニンゲンという生き物が大好きなのだ。
「あなたのかけた呪いについては知ってますよ。ボクが、どのような物であれ、食事を口にしたら理性が吹き飛ぶようにしてあるんでしょう?」
激しい飢えに襲われ、ただエサを求めて暴食の限りを尽くすケモノになる。
厄介なことに、この魔王の呪いは凄い効果を発揮する。
それが分かるからこそ、ボクは決してモノを口にしてこなかった。
どんなに美味しそうな食べ物が目の前にあっても。
「ボクは食事なんかしなくていいんです」
その代わりに――
「ボクの目の前で、美味しそうに食べてくれる人がいて、その笑顔を見れば、ボクも食べた気になって、十分満たされますから」
それだけで、ボクは幸せなんだ。
「ボクは人を喰らって魔王になるのではなく、何も食べずニンゲンとして滅んでいくことを望みます。ご理解いただけたなら、どうぞお引き取りを」
空を切り裂いた亀裂を指さして、告げる。
「さっさと帰れ」と。
ついでに、「二度と出てくるな」と。
「……生意気な」
声が聞こえたと思った瞬間、父の体から黒い靄が吹き出し、ボクは闇に飲み込まれた。
……息が、出来ない。
「その体が特別だから、殺されないとでも思ったか?」
ボクにまとわりつく漆黒の闇の向こうから、父の声が聞こえてくる。
「育てるのが手間で自我を残しておいたのだが、失敗だったか」
闇の中へ、父の手が侵入してくる。
ボクの頭を鷲掴みにする。
「力が膨れ上がる時の苦痛は、あまり好きではないのだが……致し方あるまい」
あぁ、そうだった。
今思い出したけど、自身の力を大きく上回る力を吸収する時、肉体は引き千切られるような激痛に見舞われ、のた打ち回ることになるんだった。
父は、あの苦痛が嫌で、ボクの自我を残していたのか。
……お師さんから聞いた、注射を怖がる子供のようだ。
現役の魔王が……なんて情けない。
けれど。
こいつの力は本物だ。
こうなっては、ボクに抗う術はない。
真正面からぶつかれば勝ち目はないんだ。
だって、所詮ボクはこいつの劣化版。
しかも、過去にため込んだ力を切り崩してかろうじて生きながらえていたような出来損ない。
勝てる見込みは、ゼロにも届かない。
「シェフを離せ!」
アイナさんが剣を取り、ボクの頭を掴む魔王の腕に斬りかかる。
――ダメだ。逃げて。
「邪魔だ、羽虫が」
「ぐわっ――!?」
魔王は、アイナさんなど眼中にないとばかりに、見向きもせずに振り払う。
本当に、羽虫を払うかのように。
……こいつ、よくもアイナさんを。
どうにかしてこの自己中クソ魔王をぶっ飛ばせないかと考えを巡らせていると、のんきな声が聞こえてきた。
「まったく、人が感傷に浸っている時に、騒がしい連中じゃのぅ」
口の周りに、白い泡を付けた、お師さんが立っていた。
お師さん。
のんきにバナナオレ飲んでんじゃねぇーよ。




