92 ニンゲン、だった
父と兄が現れてから、騎士たちが妙に大人しい。
まるで、魂でも抜かれたかのように呆然と立ち尽くしている。
「戻ってこい、エックハルト。貴様は、次代の王になる肉体なのだ」
「生憎と、就職先には困ってないので」
ボクは生涯、【歩くトラットリア】でシェフを続ける。
転職するつもりは毛頭ない。
「我が肉体は、もう長くはもたぬ」
「なら、そのまま消滅すればいいんじゃないですか? きっとみんなが喜びますよ」
「いざとなれば、格落ちではあるが、ヴァルザハルトの肉体に一時移り、貴様の成長を待つ必要が出てくる。魂の移植は魂にかかる負担が大きい。なるべく回数は減らしたいのだ」
「だから、一回も使わずに消滅してくださいと言ってるんです。憎まれっ子が世にはばかるとしても、度が過ぎますよ」
まったくこちらの話を聞く気がないらしい。
父は、自分にしか興味がないのだ。
理解が及ばない。
けれど、父以上に理解が出来ないのが、兄だ。
急場凌ぎで肉体を使い捨てると言われて、何故そうまでへらへらしていられるのか……
「次の魔王は私かぁ、それは誇らしいなぁ」
へらへらと笑って、兄は小躍りする。
その兄へ、巨大な剣が襲い掛かる。
「父っ!?」
アイナさんが叫ぶ。
そう、アイナさんのお父様こと、ドーマが魔人ヴァルザハルトに斬りかかったのだ。
一切の迷いのない剣筋。
確実に急所を捉え、首をはね落とす――はずだったのだろう。
だが、剣は兄の首で止まり、かすり傷一つ付けられていなかった。
「――ちっ!」
舌打ちをして、ドーマが二撃目を放つ。
オーラを纏った巨剣が兄を斬りつける。
だが、兄は傷付かない。
大地を抉り取った濃密な斬撃を放てど、兄は表情一つ変えず、ただ受け止めていた。
かわす必要すらない、ということなのだろう。
「……バケモノ」
キッカさんが、呼吸のような掠れる声を漏らす。
言葉になっていない。
でも、正解だと思う。
アレは、バケモノなんだよ。
「なかなかいい筋をしている」
にっこりと微笑んで、兄がドーマに向かって手を差し出す。
「美味しそうだ」
「逃げてください!」
咄嗟に叫ぶが、遅すぎた。
ドーマの右腕が根元からなくなり、鮮血が噴き出す。
「な……っ!?」
数秒遅れて、ドーマが激痛に苦しみだす。
「がぁぁああ!」
そして、根元からなくなったドーマの腕は、ヴァルザハルトの手の中にあった。
「なかなかいい血液だ。力がみなぎってくるよ」
腕から滴る血液を舐めて、ヴァルザハルトは目を細める。
捕食者の眼――
ヴァルザハルトは、ドーマを食事だと認識したようだ。
ニンゲンの中でも桁外れに強い力を持つドーマ。
ヴァルザハルトにとっては、格好の獲物だろう。
何とかしないと、喰われるかもしれない。
アイナさんの目の前で……
思わずアイナさんに視線を向けると、アイナさんはじっとお父様を見つめていた。
★★★★★★★★★★
父の腕が、消し飛んだ。
なにが起こったのか、さっぱり分からなかった。
ただ、父のあげる絶叫だけが、やたら鮮明に耳に届いた。
「うでがぁぁあ! 俺の腕がぁあ!」
繰り出した斬撃はすべて防がれ、傷一つ付けられなかった。
その上、利き腕まで奪われては、もはや勝ち目はない。
人は、殺すか殺されるか。そのどちらかしかないのだ――と言っていた父。
わたしは確信した。
父は、ここで死ぬ。
あの魔人に、殺されるのだ。
そのような終わり方も、もしかしたら父の望むものなのかもしれない。
常に強さを求め、自分以外にも、わたしにもかくあれと求め、強さの中で生きてきた。
自分よりも強い者に殺される。
それが、父の望みだったのかもしれない。
かつて、わたしが地下百階層のダンジョンへ単身挑んだ、あの時のように。
ならば、ここで散るのも父の本望――
「ぃぃっ、嫌だっ! 死にたくない……っ! 助けてくれぇ!」
……父?
「うわぁああ! 来るな! 来るなぁ! 俺はまだ死にたくない! 死にたくなぁぁああい!」
尻もちをつき、四つん這いになって、腕がないせいで転んで、それでも、少しでも遠くへ逃げようと地面を這う。
そんな父の姿を見て、思った。
あぁ、そうか。
父も普通の人間なのだな。
……よかった。
死を前に恐怖するのも、涙が浮かぶのも、わたしが弱いからではなかった。
鬼の子として産まれた癖に、弱い、わたしのせいではなかった。
父。
それでいいのだと思う。
人間は弱い。
無様でも、みじめでも、滑稽でも、生きたいとあがく方が、きっと人間には似合っている。
生きていれば、幸せに出会えることもある。
父は知らないかもしれない。
だから、いつか教えてあげたい。
死ぬことより生きることが難しいのだということを。
誰かを殺すより、誰かを助ける方がよほど強いのだということを。
死の恐怖を知った父ならば、今後はもっと誰かに対して優しくなれると思う。
腕を失い、死の淵に追い詰められた父を見て、こんなことを思うのは場違いで、非情なのかもしれないけれど――
わたしは、安堵していたのだ。
わたしは、人間の子だったのだと分かったから。
わたしは、人間だったのだ。




