91 魔王の血族
魔王・ゼルファルロス。
今代の魔王にして、ボクの父。
といっても、ニンゲンのような親子関係は存在しない。
魔王はおのれの魔力から自身の分身を生み出す。
つまりボクは、アレの劣化版というわけだ。
「実にいい場所にいるじゃないか、エクス」
「……あなたもいたんですか、兄さん」
ゼルファルロスの後ろから、飄々とした若者が顔を覗かせる。
深淵から這い出して来るには、いささか軽薄な――上っ面をしている。
魔人・ヴァルザハルト。
ボクの兄にして、数少ない『成功例』の一人。
「美味しそうな『食事』がいっぱいだ。そう思わないか、エクス?」
「いいえ、まったく」
気安く愛称で呼ばないでいただきたい。
ボクは、あなたの裏の顔をよく知っているのだから、そんな上っ面の笑顔には騙されないよ。
「ま、まおう……ゼルファルロス……」
キッカさんの呼吸がおかしい。
まぁ、いきなり魔王が出て来たら驚くよね。
全人類の敵。
つまり、世界一の嫌われ者。
とはいえ、そこまで御大層な存在ではない。
「魔王って言っても、三百年くらい前に先代魔王がいなくなった隙をついて王の座に就いた『ごっつぁん魔王』ですよ、あんなのは」
お師さんに聞いた、サッカーというスポーツで、たまたまいい場所にいた選手が、凄いラッキーが重なって、実力に見合わない奇跡的なゴールを決めることを『ごっつぁんゴール』というらしい。
まさにそんな感じ。
「三千年ほど、この世に君臨していた歴代最強の魔王が異世界から召喚された勇者に討たれて、たまたま空いた席に座ってしがみ付いてるだけの小物ですよ。雑魚です、ざこ」
先代魔王がいた頃は、視界に入ることすら怖がって、深淵の中に身を潜めてぶるぶる震えてたんだから。
あ、ボク、アレの分身だから過去の記憶も持ってるの。
「けどっ、どんな冒険者も太刀打ちできない、恐ろしい魔王で――っ」
「あぁ、まぁ、うん。そこが厄介なんですよねぇ」
あの魔王は、人を喰らう。
強いモノを喰らうことで、そのモノの強さをおのれのものに出来てしまうという、厄介な特性を持っている。
なんでも、魔王と異世界の勇者が戦った場所に落ちていた血液を舐めて、その強さの欠片を手に入れたらしい。
それから、その力で魔王の座に座り、立ち向かってくるものを血祭りにあげて、その強さを取り込み、どんどん強くなっていった。
でも結局、今の強さのほとんどは先代魔王の血液の影響で――
「あの体も、その魔王の力を制御できずに崩壊しかけているんだよ」
取り込んだ力が強すぎた。
だから、父は分身をたくさん産み、新たな器を求めた。
ボクたち子供は、アレの新たな肉体となるために生み出されたのだ。
ボクの魂を抜き取り、おのれの魂をそこへ定着させるために。
「お前だけが成功例だ」
父がボクを見つめて嬉しそうに言う。
魔王が産み落とした分身は皆、魔王と同じ能力――喰らって強くなる能力を有していた。
しかし同時に、魔王の劣化版でしかない分身は、限界値が魔王よりも小さい。
少し強い力を取り込めば、すぐに肉体が崩壊した。
「四千の魔獣を飲み込ませ、生きていられたのはお前とヴァルザハルトだけだ」
そして、魔王はボクに狙いを定めた。
ヴァルザハルトは、四千匹目の魔獣で、体に亀裂が入ったのだ。
それは、肉体の限界が近いことを物語っていた。
「だがお前は違う。どれだけ喰らおうと、そのすべてを力に変換できる! ――だというのに!」
ボクは食事を拒否した。
肉体を奪われることが怖かった――そんな理由じゃない。
魔獣の次に出された『食事』がニンゲンだったからだ。
魔王の討伐に訪れた冒険者のパーティーだった。
彼らは強く、勇敢で、高潔だった。
だが、魔王には勝てなかった。
そんな彼らが、ボクの『食事』として、ボクが生まれ落ちた時からずっと幽閉されていた深淵へと連れてこられたのだ。
当時、魔物を強引に食べさせられるだけの生き物だったボクは、彼らに出会って初めて会話をした。
それは、懇願と呼ぶに相応しい必死の命乞いだったが、ボクにとってはとても興味深い『言葉』だった。
それから、どれくらいの期間だろうか。
ボクは彼らと共に過ごした。
言葉を学び、外の世界のことを教わり、冒険者という物について、たくさん話を聞いた。
そこで、ニンゲンというのはお腹を空かせる生き物なのだと知った。
誰も寄り付かない深淵の中で、ボクは食べ物を探した。
ボクの食べ残しであった魔獣の死骸や朽ちた果実などを集めたが、彼らが口に出来る物はなかった。
そうこうしている内に、彼らがどんどん弱っていった。
今思えば、一ヶ月近く、飲まず食わずだったのだ。
それも仕方がない。
そんなことすら、当時のボクは知らなかったのだけれど。
困って、困って、困り果てた時――
『てぃん、ぽぃん――』
不思議な足音をさせて、【扉】が歩いてきた。
【歩くトラットリア】――お腹を空かせた『ヒト』の元へ現れる、不思議な料理屋さん。
「なんじゃ、奇妙なところに出たのぅ」
そこにいたのは、小さなカエル。
後に、ボクがお師さんと呼ぶことになる人物。
「おぬしも来るか?」
そう聞かれたが、ボクは首を横に振った。
ボクはここから出られない。
そう思っていた。
「まぁ、いいわい。また会うこともあるじゃろうて、気が向いたらついといで」
そう言って【扉】はどこかへ消えた。
それから、五年。
父は時折強い冒険者を捉えては、ボクの棲む深淵に持ち込んだ。
「沢山食べて強くなれ」と。
ほとほと、ボクに興味がなかったのだろう。
ボクが食事をとっていないことに気が付くまでに五年かかった。
そして、それを知った時には烈火のごとく怒り狂った。
けれど、その時までに数十名のニンゲンと言葉を交わしていたボクは、彼らを食べるという選択肢を手放していた。
これまでに体内に吸収した四千の魔獣のエネルギーだけで、一人のニンゲンとしての寿命くらいは生きられる。そう確信していた。
魔王になど、ならない。
ボクは、ニンゲンになる。
その方法は分からなかった。
けれど、確信していた。
それを教えてくれる人に、心当たりがあった。
父が連れてきた最後の冒険者をかくまい、父と正面から激しく衝突して、ボクは深淵を抜け出した。
深い森の奥。
どんな生物も生存出来ないであろう過酷な環境に身を潜め、その時を待った。
そして、冒険者がお腹を鳴らした時――
『てぃん、ぽぃん』――と、あの足音が聞こえてきた。
感覚で分かる。
ボクは、ニンゲン以外を食べることはできない。
父が、自分を受け入れる器にするため改造をしたのだろう。
かつて食べさせられていた魔獣ですら、受け付けない肉体になっていた。
なにかを口にすると、酷い飢餓感に襲われ、ニンゲンを食べずにはいられなくなる。
それが、感覚で分かる。
だから、ボクはこの先一生、何も食べずに生きていく。
その代わり――
お腹を空かせた人に、美味しい料理を食べさせてあげたい。
【歩くトラットリア】の中で見た、ニンゲンの笑顔が、本当に素敵だったから。
もっと見たいと、思ったから。
それを、幸せだと、感じたから。
だからボクは、シェフになった。




