47話 新たなるF -2-
一体、何が起こっているのか……それを理解するには、ボクの脳は少し容量不足だ。
脇腹の痛みなどとうに消え、ボクはこの世の幸福を独り占めしているかのような、恐怖にも似た高ぶる感情に身を震わせた。
ボク、幸運過ぎて、死ぬかも……
――トン。
と、軽い音がして、世界の音が一気に戻ってくる。
割と静かなはずの店内が、とても騒がしく感じる。
「シェフ! 怪我はないだろうか!?」
真っ先に聞こえたのは、アイナさんの声だった。
ボクを心配してくれる優しい声。
そして、ボクの肩に触れる、温かい手の感触。
床にうずくまったまま、首だけを回して振り返ると、すぐそこにアイナさんの顔があって、視線がぶつかって…………吐血した。
「ごふっ!」
「シェフッ!?」
……鼻ごときでは、この大量に集まった血液を噴出仕切れなかったのだろう。
「だ、大丈夫か、シェフ!?」
「むしろ幸せですっ!」
「……は?」
アイナさんが戸惑っている。
だが、ボクは、叫ばずにはいられないっ、神の名を!
「OH! GOD!」
「シェフ、どうしたのだ!? み、みんな! シェフが変だ!」
「大丈夫、いつものことだから」
「滅べばいいのだ、邪なる魔の化身め」
あぁ、足りない!
こんなものでは、ボクの内からあふれ出る感謝の気持ちを表現しきれない!
「OH! DOG!」
「イヌになってるよ、タマちゃん」
「アイナ、離れた、方が、いい。その汚物は、危険」
「い、いやしかし、シェフが血を……」
「心配、無用。ただの、鼻血」
「口から出たのに!?」
キッカさんがアイナさんを、そしてグロリアさんがボクを掴んで、強制的にボクとアイナさんを引きはがす。
あぁ、アイナさんが遠ざかっていく。
「剣姫……ごめん。今回のは、あたしの責任も重大だわ……ホントにごめん」
「な、何を謝っているのだ?」
キッカさんが深く頭を下げる。
立ったまま土下座をしそうな勢いだ。
いや、アレは立位体前屈というのか。
「もう、見るな。アイナが、減る!」
一方、ボクの腕をぐいぐいと引っ張るグロリアさん。
そうだ。
ボクはグロリアさんに言わなければいけないことがあるんだ。
「グロリアさん!」
ボクの腕を掴むグロリアさんの手を振り解き、両手で、その小さな手を包み込み、握りしめる。ボクの思いの大きさを全握力に載せて。
あふれ出す気持ちのすべてを言葉に載せて、グロリアさんに伝える。
「ありがとうございますっ!」
「……イラッてするな、お前は」
グロリアさんがさらりと毒を吐く。
なんだろう、ボクと話す時だけ言葉がすらすら出てくる――そう考えると、素晴らしいことのようにすら思える。これが、感謝の気持ち!
グロリアさんのおかげで、ボクは今、とても幸福です!
「それで、その……あんたさ………………大丈夫、なの?」
「ん?」
キッカさんが、チラチラとボクを見ながらアイナさんに耳打ちをする。
「……スカートの中、めっちゃ見られてけど。タマちゃんに」
「えっ!?」
「いや……『えっ!?』って…………」
キッカさんの背後に『ないわー。この娘、ないわー』という文字が浮かんでいる。太字で。ゴシック体で。大きい文字で。そんな気がする。
「しかし、大丈夫だ」
スカートを払い、両手を腰へと添えて、大きく胸を反らす。
ぷるんっ!
オブリガード!
小さな幸せが、生きる喜びを教えてくれる。
幸せって、すぐ隣にあるものなんですね。
「タマちゃんへの処罰はあとでするとして……」
あとで何かされるらしい……
「何が、どう大丈夫なのよ? ……(スカートであんな無茶して!)」
小声で怒鳴るという器用な技を披露し、アイナさんの耳にお説教を流し込むキッカさん。
しかし、アイナさんは悠然と構え、一切怯む様子はない。
その自信の出所は……
「スカートも、もう怖くない。なぜなら――」
そして、自信満々に、スカートを…………捲り上げた!?
「お師さんに新しい装備をもらったのだ!」
ドレスのスカートの下から、ぱっつぱつのスパッツが姿を現す。
白く締まった足首からスネ、そしてヒザが露出し、その上に黒いスパッツ。
柔らかそうな太ももをきゅっと締めつけている感じが堪らない!
しかも!
アイナさん自身が、自分でスカートを捲り上げているというこの奇跡のような光景!
神よ!
世界はこうして生まれたんですねっ!(意味とかどうでもいいから、そう叫びたかった)
そこには、神秘があった。
「膝から下、ヒジから先は戦闘や移動の際に露出してしまうことが多く、そこは問題ないと言われていた。だから、これさえ穿いていれば、仮にスカートが捲れ上がろうが燃え尽きようが、一切問題ないっ!」
「大有りだわっ!」
電光石火の一撃が、アイナさんの後頭部に炸裂する。
……人間の視覚で捉えられる速度では……なかった。
「……キッカ、痛ひ……」
両手で後頭部を押さえ――軽く煙が上がっている――涙目で訴えるアイナさん。
両手が頭にいったせいで、スカートはすとんと、ふわっと元通り。
けれど、ボクのまぶたにはしっかりと神秘のスパッツが焼きついているっ!
「剣姫……再教育」
「えっ!? ま、またなのか!?」
「いいからちょっと来なさい!」
「わたしも、参加する、その、教育に! アイナには、教える、ことが、たくさん、ある! あと……お前はあとで八つ裂きにする」
さらっと怖い言葉を残して、グロリアさん及び、アイナさんとキッカさんは従業員用のドアをくぐった。ドアが閉まる。……静寂。
この後、またしばらく自分たちの部屋でお説教タイムなんだろうな……
「しかし……まいったな…………」
誰もいなくなったホールで一人、ボクはため息交じりに呟いた。
「お師さんの予言って、やっぱり当たるんだなぁ…………」
ボクは、ボクの中に芽生えた新たなるフェティシズム……スパッツ萌えと、これからどう向き合っていけばいいのか、それについて熟考することにした。




