113 オリオン包囲戦<オリオン北部方面軍1>
ゴルニュー要塞からほぼ真東に進むとアゼルという都市がある。
そこに至るには広大なフルムス平原を通り小高い丘陵地を通過する必要がある。
聖オリオン教国軍は既に丘陵地に布陣しており、対して正式名称が神聖バンダム王国オリオン北部方面軍でありブリュトイース軍と呼称される大軍は平野部に布陣することになる。
「さて、敵は14万、こちらは12万、戦力差はそこまでないが、こちらがやや不利ですね。アジャハ大将、何かありますか?」
俺の右側には王国軍の諸将を筆頭に貴族位の者が座り、机を挟みその反対側、つまり俺の左側には俺の直臣たちが机を挟んで座る。
兵員においても、布陣においても不利は否めない。そんな中、俺のテントにピリピリした雰囲気の諸将が続々と駆け込んできたのは20分ほど前だ。
で、今は軍議の真っ最中。
「閣下が仰るように戦力差は誤差範囲でしょうが、敵は丘の上に布陣しておりますので攻めるに難しでしょう。小官としましては防御陣を固くし敵が焦れて丘から降りてくるのを待つのが良いかと愚考します」
今回の戦争はいわゆる侵略戦争だ。
つまり進軍をしているのは神聖バンダム王国であり、聖オリオン教国は神聖バンダム王国軍の侵攻を防ぐのが最優先事項だ。その考え方を踏まえてアジャハ大将の考えを検討すると時間をかければ俺たちが不利になる。
何故不利になるか、それは補給線の長さにある。聖オリオン教国側はアゼルという補給の拠点が直ぐ近くに存在し、対して俺たちはゴルニュー要塞から遠く離れている。
こういった侵攻作戦の場合は補給が重要になるので補給路の確保は最重要課題となる。
現在のブリュトイース軍の構成はブリュトイース公爵軍5千、王国第3軍1万6千、王国第5軍1万5千、王国第8軍1万6千、王国第11軍1万6千、白色軍1万5千、ゴルニュー総監庁軍2万、ヘルプレンス旅団5千、サガラシ侯爵軍1万2千、合計12万超の兵力だ。
この他にキプロン侯爵軍1万5千が存在するが、キプロン侯爵には補給路の確保と輜重兵を指揮してもらっている。
新入りのキプロン侯爵を補給の責任者にするのには色々と反対意見もあったが、俺としては聖オリオン教国から神聖バンダム王国に鞍替えしたキプロン侯爵だから信用できると思っている。もし補給の不備で前線が崩壊したとしたら新人のキプロン侯爵は神聖バンダム王国内で肩身の狭い思いをするし、それ以上に聖オリオン教国軍が大挙して進軍してきたら裏切者を許すわけもなく凄惨な未来しか思い浮かばないだろう。
そんなわけで俺はキプロン侯爵を補給の責任者にした。
と言ってもこっちにはマジックバッグがありそのマジックバッグを部下たちに分けて管理させているし、俺自身もストレージ内に大量の物資を保管でき、最悪は創り出すこともできる。そんなわけで物資は意外と軽々と運んでいるので補給路の確保は念のためで、マジックバッグのことを知らない者たちの心の安寧を保つためだ。
勿論、必要とあれば転移で物資を運んでくることもできるのだけど、マジックバッグや俺のストレージについては補給が寸断された場合の最終手段としているので最初からあてにはしない。
「イチジョウ大将も同意見ですか?」
「小官としましては敵が降りてくるのを待つのは些か不満があります」
「では攻め込みますか?」
「いえ、こちらより兵数が多く更に丘の上に陣取って地理的にも有利な敵に攻撃を仕掛けるほど私は猪武者ではありませんよ」
王国軍第8軍を指揮するイチジョウ大将が良将であると聞いたのはつい最近のことだ。
そんなイチジョウ大将がどのような案を出すか、楽しみだ。
「では、どうするのですか?」
「後退します」
テント内が一瞬ざわついたが、直ぐに収まる。
「一戦もせずに撤退をするのですか?」
「そんなバカな話があるか!」
フリード中将やロッテンハイム中将は不満げだ。
だけどそう簡単に撤退するわけないじゃんね、イチジョウ大将は『後退』って言っているし。俺はイチジョウ大将に話の続きをするように目で催促する。
「後退すると言ってもそれは擬態です。後退すると見せかけ敵が丘から降りてくるのを誘います。もしくは丘陵地を迂回してアゼルに向かうと見せかけても宜しいでしょう」
「ふむ、しかし簡単に誘いにのりますかな? いくら狂信者でもそこまでバカとは思えないのだが?」
アジャハ大将が慎重論を唱える。
アジャハ大将は状況が不利な時の思考が後ろ向きになると身辺調査書に記載があった。
ん? 身辺調査なんてしているのか、って? そりゃ~するわさ、主だった将兵の身辺調査は必須だ。
将兵の身辺や考え方、それに行動原理を知るのは人の上に立つ者としては必要なことだと思っている。人の上になんか立ちたいとは思わないけど、そうも言っていられない状況なので面倒でも個人情報の収集をしておかないと諸将を手足のように動かすことはできないよね? 何よりもオリオン教のクソ野郎どもにいいようにされるのは我慢がならない。
話を戻して慎重論を唱えるアジャハ大将だが、このフルムス平原への進軍を強く主張したのはこのアジャハ大将だ。
同じ大将でもイチジョウ大将はこのフルムス平原の北側にあるプラムという街を攻めることを主張していた。
俺や俺の家臣団、それに白色軍のキクカワ中将はこのフルムス平原で敵と対峙している時に横合をプラムからの援軍に突かれる危険性を考えイチジョウ大将の案に賛成だったが、アジャハ大将は丘陵地を早く押さえる必要があるからとフルムス平原への神速の侵攻を主張した。
結果、この有様でありアジャハ大将はそれを何とも思っていないかの如く振る舞っていることに俺は怒りを覚える。
「数の上で有利なのだからこちらが後退や迂回すると見せかければ誘いに乗ってくるでしょう。敵が丘を放置したら我らは反転攻勢に出れば少なくとも地理的な不利はなくなります」
イチジョウ大将は少なくとも地理的不利は解消させたいと考えているようだ。
「閣下、発言宜しいでしょうか?」
「参謀長か、発言を許す」
気の知れた者の前では砕けた話し方をするけど、さすがに王国軍の重鎮や貴族がたちが集まる場では話し方を変えており、クララやペロンをはじめとした直臣たちに対する話し方が堅苦しくなってしまったのは残念で面倒なことだ。
伯爵の頃は気にしなかったが、公爵になった最近では俺よりも皆が主従の線を引いてくるのもあるけどね。
「イチジョウ将軍の案を基に、反転攻勢と共に敵後背をつくことを提案します」
「敵の後背?」
「敵が築いた防衛陣地を敵が出陣している間に攻略するのです。幸い、今の時期のこの地は夜半から夜明けにかけて強風が吹くので別動隊を動かすには都合が良いかと」
強風で兵の移動時に出る音がかき消されると言いたいのだろう。
「後背を突くのは良いが、別動隊に数を割くことはできませんぞ。あまり多くの兵を動かすと風で音がごまかせても敵に知られてしまう可能性が高くなりますし、何より本隊の防衛が手薄になりますからな」
相変わらずアジャハ大将は慎重論だ。しかしクララの案は悪くないと思う。
敵が出陣してもぬけの殻になった防衛陣地を此方が押さえれば敵は浮き足立つだろうし、防衛陣地を奪還しようと奴らが後退すればそこに逆撃を与えることもできるかもしれない。
仮に防衛陣地を奪還しようと敵が部隊を分けた場合、防衛陣地を押さえた部隊に敵の猛攻が予想されるので防衛陣地を守る部隊はそれなりの戦力が必要になるだろう。
ただし問題がないわけではない。
この作戦は敵が防御陣地をほぼ空にすることが前提条件となる。空までとは言わないが少なくとも防御陣地を防衛している兵数を数千程度にまで落とさなければならないと思う。
そうしないと別動隊が戦闘している間に敵の一軍なりが戻ってしまっては攻略失敗となってしまうだろう。
「参謀長には別動隊について何か心当たりがあるのか?」
「作戦は隠密性を重視し、更に押さえた防御陣地を死守する必要があります。ですからキクカワ将軍を任に当てるのが宜しいかと」
キクカワ中将は奇襲攻撃や伏兵をよく用いると身辺調査書にあった、それにキクカワ中将は守勢にも定評があるとも記載があったはずだ。
だからクララも今回の案を思いついたのだろう。
「キクカワ中将、参謀長の案は実戦レベルで運用可能ですか?」
「・・・可能でしょう。・・・但し、防御陣地の守兵の数はできる限り減らす必要があります。できれば一軍以下にする必要があるでしょう。更に・・・優秀な魔法使いを同行させる必要があるかと」
「ふむ、魔法使いは優秀な者を何名か選抜しましょう。カルラ・フォン・クック男爵、キクカワ中将の要望に沿った者を選抜するように」
俺がカルラに視線を送ると彼女は「了解しました」と軽く頷く。
「では後退と同時に軍を2つに分け、できるだけ多くの敵を誘き出しましょう」
発言したフリード中将は攻勢には定評があるが、守勢には脆いと報告書にはあった。そんなフリード中将の提案だ。
「フリード中将には何か策があるのでしょうか?」
「アゼルとプラムに向かうと見せかければ宜しいでしょう。敵の将は聖七将のカズン将軍だとか、彼の者は猪武者と評判だと聞きます。誘えば何も考えず乗ってくるでしょう」
何も考えず乗ってくるとは思えないが、実は俺自身もカズン将軍ならとは考えないではない。恐らくイチジョウ大将もそれを見越しての後退案を提案したのだと思う。
アジャハ大将からは相変わらずの後ろ向きの発言があったが、それを無視してイチジョウ大将とクララ、フリード中将の三者の折衷案が実行に移されることになった。
アジャハ大将は無視するのか、だって?
そりゃ~聞くべきところがあるのなら聞くが、キクカワ中将の白色軍を防御陣地攻略に向かわせた上で更に軍を2つに分けると言ったら本隊の防御が手薄になるとか何とか煩いんだもん。
そんな分かり切ったことしか言えないのかって、もうウンザリだよ。
聖オリオン教国の西部辺境域の中心都市アゼルは食料生産の拠点である。
この大穀倉地帯を治めるのはオリオン教の枢機卿でもあるザンバル・バレンである。
ザンバルは聖オリオン教国でも有数の名家であるバレン伯爵家の出なのだが、今では左遷され辺境のアゼルを治めている。
聖オリオン教国では貴族が継承する土地はなく全ての土地が教皇の所有物であるという教えなので土地を治める貴族は教皇の代理人として赴任し任期は1期5年となっている。
しかしこういった辺境域の統治には任期はあるが、その任期が満了になっても辺境から呼び戻される者は少ない。
事実、ザンバルは既に3期目で13年目を迎えているのだ。
一度出世コースから外れてしまった者は一生中央の重職に就くことはないと言われているほど聖オリオン教国は閉鎖的で保守的なのだ。
「カズン殿は大丈夫なのか?」
「聖七将たるカズン様であれば間違いないかと!」
ザンバルの補佐官が力強く応えるも、ザンバルはそこまで聖七将を信用していない。
聖オリオン教国が樹立された頃ならいざ知らず、今の聖七将の将は汚職まみれで戦争よりも政争が得意な奸臣だとザンバルは知っているからだ。
しかし神聖バンダム王国軍の進軍を阻むために今は聖七将のカズンのような者にも頼らざるを得ないのが実情なのだ。
「最悪の事態を想定しておくべきか・・・」
このザンバルの言葉は独り言のように小さい声で発せられたために補佐官には聞き取れなかった。
ザンバルとしては中央に返り咲くことは既に諦めており、今は保身と蓄財に勤しむ日々でありそういった自分もカズンと変わらぬ奸臣なのだろうと自覚をしていた。
それでもアゼルに住む民草の命を守るのは自分であると考えているだけマシなのだろう。
そんなアゼルは補佐官を下がらせこれからのことを考える。
「神聖バンダム王国のブリュトイース公爵は若年ながら分別のある者と聞いている。最悪は降伏もやむを得ないか・・・このアゼルを焼くわけにはいかんからな・・・」
そんな考えを巡らせ頭を振り机の上の書類に視線を移し政務を始めようとした矢先。
「神聖バンダム王国に降ることをお勧めしますよ」
「っ!!」
書類に視線を移してしたザンバルに不意に声をかける者、そんな者はこの執務室にいないはず。
部屋の中に視線を泳がせたが誰もいない。
ザンバルは空耳にしてははっきり聞こえたなと2度、3度部屋の中を確認するも誰もいない。
「疲れているのか?」
再び机の書類に視線を向けると、そこには今まで有ったはずの書類ではなく見慣れぬ手紙が置かれていた。
「これは・・・」




