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曰く付き公爵は婚約者の涙を愛す  作者: 朔間 はる子
16/37

16 ティータイムにて


 怪我をしてから一週間後には、フランはすっかり元気になっていた。

 痣はまだ残っているが痛みもほとんどないし、不足なく動くことができる。


「ですので、今日からまたお屋敷のお掃除をさせていただきたいなと」

「許可できかねます」


 ピシャリと言い放ったのは慣れた手付きで紅茶を淹れるレヴィンさんだ。


 いつまでも人様のベッドの上で食事を摂るのはあまりにも失礼だから、起き上がれるようになってからは応接室でいただくようになっていた。本当は自分の部屋で食べようとしたのだけれど、公爵さまの命令だとかで廊下にすら出してもらえない。

 レヴィンさんに頼んでもレーヴェさんに頼んでも、とにかく絶対安静ですと取り付く島もなかった。

 

 サイドテーブルにはこんがりと焼き色がつけられたスコーンが並んでいる。傍にはアップルやオレンジ、ベリーのジャムとふんわりと泡立てられたクリームが添えられていて目にも楽しい。時は午後のティータイムである。


 どうぞ、と渡された紅茶のカップを、フランはしょんぼりしながら受け取った。公爵さまのお気に入りだという東の国の茶葉をふんだんに使った紅茶は、ほのかに甘い香りがする。


 一週間前から、フランはまるで上等なお客様のような扱いを受けている。最初は怪我をしているから優しくされているのだろうと理解していたのだが、どうやらそうではないらしい。

 毎朝レーヴェさんに髪を梳いてもらい、公爵さまと同じ食事を出され、それが終わったかと思えばレヴィンさんが淹れてくれた紅茶を飲みながら本を読んだり刺繍を刺したりお菓子を食べたり、部屋の中という限定ではあるが、したいことがあると言えばそれは必ず叶えられるどころか、フランが口に出さずにいた小さな要望――肌寒いので羽織るものがあったらいいなとか少しお腹が空いたなとかそんな些細なものである――すら、優秀過ぎる双子の侍従が敏感に察知して先回りして用意してくる。ちょっと怖いくらいである。


 こんなにして頂くのは申し訳ない、と公爵さまに訴えてもみたけれど「公爵家の婚約者に対して当たり前のことをしているだけだ」と一蹴されてしまった。そのあと「むしろ今までの待遇について私を責めて当然だと思うんだが」とかなんとかごにょごにょと濁していた気がするけれどよく分からない。


 今日だって昼から贅沢に、薔薇の花びらなんかが浮かんだお風呂に浸からせてもらったのだ。

 バスルームでフランの脱衣を手伝おうとするレーヴェさんに嫌な予感がして、一人で入れますと千切れんばかりに両手を振ってはみたのだけれど、令嬢はお一人で湯浴みなどされません、と人形のような無表情にきっぱりと拒否されては二の句が継げなかった。ラベンダーの香りのする石鹸をスポンジで泡立てて、頭のてっぺんから足の爪先まで丹念にレーヴェさんに磨き上げられ、フランはつるつるのぴかぴかにされてしまった。今でも手首のあたりをすんと嗅いでみたらよい香りが残っている。


 温かいお風呂に入ったのなんていつぶりか分からなかった。公爵さまのベッドを借りている間も、怪我を鑑みて濡らしたタオルで身体を拭いたり、髪だけ洗ってもらったりといった具合だったし、その前までは長いこと夏だろうが冬だろうが水浴しか許されていなかったから、湯船に肩まで浸かったときには、死ぬならここが良いと半ば本気で思った。


 だからこそ。だからこそである。お礼、になるほどの働きができると思っているほど傲慢なつもりではないけれど、少しくらい対価となりそうなことがしたい。レーヴェさんとレヴィンさんの手伝いをさせてもらえたら一番良いのだけれど、フランでは却って邪魔になってしまいそうだ。だからせめて掃除とか洗濯とか庭の手入れとか、下働きくらいさせてほしいと思うのに。

 肩を落とすフランにレヴィンさんは呆れた様子で、


「まだ無理をされるべきではありません」

「無理なんかじゃありません。本当に良くなったんです」

「フランさまはお医者さまの資格をお持ちで?」

「そういうわけではありませんが……それを言うなら、レーヴェさんだってお医者さまなんですか?」


 フランの容態をつぶさに観察して包帯を替え消毒をして、薬を処方してくれたのはレーヴェさんだ。しかし彼女もフランとそう変わらない年齢に見えるし、そんなたいそうな資格を持っているはずがない。お医者さまになるには何十年と学問を収める必要があると聞いたことがある。


「はい。姉は医者です」

「ほらやっぱり――え?」

「人間の他に動物も診ることができますし、心理学的な分野にも長けていて……」

「待ってください。レーヴェさんはお幾つなんですか?」

「わかりません。そういう場所に生まれましたので」


 はぐらかされているのかと勘ぐりそうなものだが、レヴィンさんは表情も声色も至って真面目だ。冗談を言うような性格でもないことはこの数日一緒にいてよく分かっている。


「歳は分からなくとも、お姉さんとか弟とか、どっちが先に生まれたかは分かるんですね」

「そうですね……。今まであまり深く考えたことがありませんでした。気づいたときから、姉は姉でしたので」

「レヴィンさんはお姉さんのこと、好きですか?」


 レヴィンさんは少し考えるような仕草をしてから頷いた。


「好き、という感情について見識が深くありませんが、おそらくは」

「そんなに難しく考えなくてもいいのに」


 堅苦しい言い方に笑ってしまった。

 傍から見ていたら二人の間に確かな信頼があるのは一目瞭然なのだけれど、その関係性に名前をつけるのは少々難しいようだ。

 いいな、とこぼしていたのはほとんど無意識だった。


「フランさんは……」

「ん!? れ、レヴィンさん、これすごい! すごく美味しいです!」


 お茶請けにとスコーンをかじったフランはびっくりして声を上げていた。

 ほろりと崩れて中はしっとり。上品な甘みが口いっぱいに広がるなんとも素敵な一品ではないか。


「こっちはもっと甘みがしっかりついてる。もしかしてメープルですか? じゃあこっちの良い匂いのするスコーンは、茶葉が練り込んである……?」

「はい。紅茶によく合う茶菓子を公爵さまは好みますので」


 試行錯誤しました、と言うレヴィンさんがどことなく得意げに胸を張っている。

 フランは手の中のスコーンをしげしげと見つめる。そうか、公爵さまはこんなお茶菓子がお好きなのか。


「レヴィンさん、お掃除は駄目なんですよね」

「いけません」

「じゃあ、お菓子作りはどうですか?」


 レヴィンさんがぱちと目をしばたかせた。



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