【Ending Of The Desperate Struggle】
黒炎の竜巻が四方八方から渦を巻いて、かぐやさんの指し示す方向――俺たちを見下ろす位置にある五階建ビルの屋上目掛けて突進する。
そこには一人の男がいた。髪をオールバックに撫で付け、両手をコートのポケットへ突っ込んで俺たちを睥睨している。
無数の黒竜はそのまま男を呑み込み、天高く昇って行った。
「やったのか……?」
頭上にかざしていた右腕を下ろしてビルの屋上に目を凝らすと、そこに男の姿はなかった。視界には俺たち目掛けて落ちてくる小さな物体が一つ。煙草だ。
「みんな、跳べ!」
俺は叫び、ケイトの身体を抱えて前方へ跳躍した。
聞き覚えのある爆音が周囲に響いた。続けて、俺の中の憎しみを掻き立てる声が耳に届く。
「チッ、夜叉の野郎……。こいつらはPSI能力を使えないなんて出鱈目言いやがって」
博士の仇。九段にいいように騙されて下僕と化した馬鹿な男。火種の声だ。
爆炎と砂煙が収まると、相変わらずの無精髭面が咥え煙草に火を付けるところだった。
「まったくゴキブリのようにしぶとい奴らだぜ。まあ、その方が殺しがいがあるってもんだがな」
破壊衝動に取り憑かれた顔を歪ませて火種は笑った。
その醜悪な顔を見て、俺の中で言いようのない黒い感情がざわつく。二度と笑えないようにその顔を真っ二つにしてやりたい。
火種はそんな俺を見て舌打ちをする。
「そのツラだ。自分はお利口さんだっていうそのツラが前から気に入らなかったんだ。自分は俺みたいな碌でなしとは違うとでも思ってるんだろ……?」
煙を吐き出し、男は再度唇を歪ませる。
「同じだよ。お前はただ環境に恵まれていただけだ。汚れ仕事を他人に押し付けて、自分は綺麗で居続けているだけの卑怯者だ」
――俺が卑怯者……?
「そういうお前は、大義名分に踊らされて自分で考えることをやめた、そこで阿呆みたいに群がってるゾンビどもと何も変わらないじゃないか?」
効果 覿面。火種は表情を変えた。ここにまで歯ぎしりが聞こえそうなほど歯を食いしばり、青筋を浮かべている。
「ぶっ殺してやる」
そう呟いて、火種は指で挟んだ煙草を前方に突き出した。
すると、空をも覆うほどの黒炎の壁が津波のように俺たちに襲いかかった。津波の端が見えない。それに対し、風の塊が炎の津波に衝突して行く手を阻む。
「ここは妾が……皆はゾンビを頼む」
幻術が解けてゾンビの群れが一斉に向かってくる。俺は刀で一匹、続けてもう一匹斬り捨てる。
「人狼! ケイトを連れて安全なところへ!」
「任せろ!」
人狼はケイトを抱えてまだ崩れずに残っている建物の上へ避難する。ゾンビに知能はなく、一直線に標的に向かって歩を進めるだけだ。高い所に移動すれば手は出せない。
しかし、いくらなんでも数が多すぎる。倒しても倒しても次から次へと湧いてきて、路地は既にゾンビに埋め尽くされていた。まるで東京中のゾンビがここに集結しているかのようだ。
「気色悪い奴らじゃ」
ベルゼーヌも大鎌を振り上げて一騎当千の勢いで押しかけるゾンビどもを処理しているが、それでもかぐやさんに近付けないようにするだけで手一杯だ。俺の後ろでは、かぐやさんが両手を掲げて黒炎の津波を押し戻そうと頑張っている。
――このままじゃジリ貧だ。
しかしおかしい。PSI能力者は無から有は作り出せないはずなのに、火種は明らかに何もない空間に黒炎を発生させている。それに、ケイトが能力を使えないのにあいつが使えるのはなぜなんだ。
「リサ!」
突然、ケイトの声が聞こえた。ケイトは建物の上からずっと向こう――ゾンビどもの群れの先を見つめている。目を凝らすと、百メートルほど先、群れの途切れたところにリサの姿があった。
リサの頭脳があればきっと現状を突破できる。しかし――
悪い予感が当たったのか、いつまで経ってもリサは微動だにしない。状況は彼女も理解しているはずだ。
「リサ! 助けてくれ、このままじゃ全滅する!」
俺の声を聞いても彼女は動かない。指を噛んで、思い詰めたような様子で佇んでいる。
「にぃ様、このままじゃ氣がもたない……!」
背後でかぐやさんの声がした。
「リサ……!」
ようやく彼女は動いた。踵を返し俺に背を向けると、こちらを振り返ることなくその場から走り去った。
「チッ、あのクソ女、何してやがる! 裏切りやがったか!」
火種の罵り声が聞こえた。リサの援護は期待できない。かぐやさんの氣が尽きる前に、今の状況で何か手を打たなければならない。
「にぃ様」
かぐやさんが作戦を告げた。一か八か、その一点突破に賭けるしかない。
人狼がケイトを連れて俺とベルゼーヌの直ぐ後ろへ着地した。
「五つ数える。妾を信じて黒炎に向かって突っ込んでくれ」
上手くいく保証はない。しかし、他ならぬ討伐隊のリーダーであるかぐやさんが言うのだ、これ以上心強い人はいない。普段は飄々としているが、彼女がいなければ黒炎に囲まれた時にとっくに全滅している。
「五、四、三、二――」
轟音とゾンビどもが口から漏らす意味を成さない雑音の中、彼女の凛としたカウントダウンが響く。
「――行け!」
号令と共に俺とケイト、人狼、ベルゼーヌが炎の壁へ突っ込んだ。このまま黒炎に呑まれれば一瞬で塵になるだろう。恐怖で顔が引きつる。ケイトを抱えた腕が震えた。
その瞬間、俺たちの横を一陣の風が駆けた。
風は死の壁を突き破って、俺たちの身体を後押しする。
視界が一気に開けた。黒炎の壁を抜けたのだ。瞬きほどの間に、俺の前方を駆ける白と金の影があった。
人狼は風と同化したかの如く目にも留まらぬ速さで男の首に腕を回し、声を上げる暇も与えずへし折った。
それとは対照的に、黄金の髪をきらきらとなびかせて優雅に、そして躊躇なく残酷に男の身体を無数の肉片に切り刻むと、ベルゼーヌは血に濡れた大鎌を静かに下ろした。
作戦は成功した。そして博士の仇、火種は死んだ。
後ろを振り返るとしかし、そこにかぐやさんの姿はなかった。
☆
エレベーターでマークシティの五階に登ると、屋外へ続く自動ドアがあり、その先にアスファルトの地面が広がっていた。高速バスのターミナルとして利用されていた空間だ。
そこに――能面を被った男が静かに佇んでいた。
その隣では、羅紗が無表情に後ろ手に縛られたケイトの首元にナイフを突きつけている。
「まったく、役に立たない部下ばかり持ったものだ。力を与えてようやく始末できたのが獣一匹とは」
状況は四対二で圧倒的にこっちが有利だ。しかし、PSI能力が使えないケイトが人質に取られている。ベルゼーヌが怒りを抑えてくれているのが幸いだ。
人狼は戦士だ。かぐやさんが殺されても私情に流されず使命を果たそうとしている。ベルゼーヌはそれとは逆に怒りを剥き出しにしているが、冷静さを失ってはいない。
一番冷静でないのは俺だった。
かぐやさんが黒炎に呑まれたあと、取り乱した俺の隙を突いてケイトは拉致されたのだ。
今はどうにか冷静さを取り戻しているが、それも人狼とベルゼーヌのおかげだった。
「知らなかったのか? お前には人望がないんだよ」
俺は深呼吸をしてもう一度心を落ち着かせると、九段――別世界の自分自身に告げた。
俺の言葉を聞き、九段が能面の下から笑い声を漏らす。
「随分自虐的なことを言うんだな」
「俺にはケイトが居ればそれだけで十分だからな。ケイトを離せ」
突然、俺たちと九段の間、アスファルト一面を巨大な影が覆った。地響きと大きな衝撃音とともに着地した怪物が俺の視界を塞ぐ。
「ほう……こいつは地獄でも見たことがないわい」
ベルゼーヌが感嘆の声を上げる。俺はその威容に思わず後ずさりしていた。
「俺が造り上げた生物兵器だ。まずはこいつを相手にしてもらおうか」
全長十メートルはある怪物――腐り落ちて腐臭を漂わせる巨大な体のところどころから赤黒い骨格が突き出て、ぽっかりと空いた眼窩には吸い込まれそうな闇が覗いている。
屍竜とでも呼ぶべき生物が、大気を震わせるほどの獰猛な雄叫びを上げた。
「俺が引き付けるぜ!」
人狼が閃光の如く飛び出し、あっけなく屍竜の首を千切り飛ばした。
しかし、ゾンビどもと同じく通常の攻撃では倒すことができないようだ。屍竜は瞬く間に頭部を再生させる。
「人狼! 気を付けろ、攻撃を受けたら感染するかもしれない!」
屍竜に大した知能はないようだ。唸り声を上げ、注意を引き付けるために跳び回る人狼の動きを視線で追う。
「儂が一撃で地獄に送っちゃる、それまで時間を稼ぐのじゃ!」
ベルゼーヌが自身に満ちた声で悠々と告げた。こういう時の彼女は心強い。
しかし、俺の出る幕は無さそうだ。本気の人狼の動きは俺でも捉えられる速さではなく、ましてや屍竜は目でも追いきれていない様子だ。
俺が為す術もなく見守っていると、人狼目掛けて振るった屍竜の腕が地面に突き刺さり、アスファルトの破片が周囲に飛び散った。しかし、人狼にはかすりもしない。
次の瞬間、人狼が跳び上がったおおよその方向に見当をつけ屍竜が大きく口を開いた。雄叫びを上げ、肌を刺すほどの激臭とともに紫色の息を吐き出す。
人狼は避けきれず、地面に倒れて身体を激しく痙攣させた。
俺は咄嗟に跳び出し、人狼に向かって突き出された屍竜の右腕を斬り落とした。
「ベルゼーヌ!」
俺がベルゼーヌに視線をやると――彼女は子どもの姿に戻り、申し訳なさそうに口を開いた。
「すまぬ、魔力切れじゃ……」
「ペース配分考えろよ!」
調子に乗って地獄の番犬なんて召喚するからだ。
すると、屍竜は隙だらけの俺に向かって再度息を吐き出した。一瞬の油断を後悔するが後の祭り。全身から急激に力が抜け、俺はその場に崩れ落ちた。
「九!」
ケイトの悲鳴が周囲に響く。絶体絶命だ。屍竜は地獄まで続いているかのような空虚な眼窩を俺に向け、静かに左腕を振り上げた。
「神童、二人に吹雪を! そいつの持つ病原体は急激な寒さに弱いわ!」
屍竜の禍々しい爪が振り下ろされる寸前、吹雪が俺と人狼を包んだ。
「続けて炎を!」
全身が一瞬にして凍りついたかと思えば、立て続けに俺の全身を炎が包む。
ほとんど感覚のないぼろ屑のような身体を転がし、俺はなんとか屍竜の一撃を避けた。
炎の中、急激に闘志が湧き上がる。俺は刀を握りしめる。身体は動く。
「うおおぉぉ!」
俺は無我夢中で地面を蹴り力の限り跳躍すると、屍竜の頭部に刃を突き立てた。
思わず怖気が走るほどの地獄の底から聞こえたような断末魔が周辺一帯に響いた。
やがて絶叫が止み、屍竜は腐り落ちた巨体を痙攣させ、地面に崩れ落ちた。
「……危なかったぜ」
危機一髪で屍竜の攻撃を避けた人狼が、俺の背後で呟いた。身体を包んでいた炎は既に消えている。
「お見事」
周囲に拍手が響いた。屍竜との闘いを余裕綽々で観戦していた九段がそう呟くのと同時に、屍竜の死骸は跡形もなく消滅した。
「火種との闘いも見ていたが、お前達は俺の知らない力を持っているようだな。せっかく用意していた罠も無駄になってしまったよ」
九段は仙術の存在を知らないようだ。リサは九段に話さなかったのか。
「リサ・ネスビット。俺よりもそいつらを選んだということだな……?」
九段の視線を追って後ろを振り返ると、自動ドアの手前にリサの姿があった。先ほどの絶体絶命の時、俺たちの命を救ったのは紛れもなくリサの言葉だ。
リサは何も言わず、俯きながら片手を胸に当ててその場に佇んでいる。
「それじゃあ決着を付けるとしようか。一騎打ちだ」
九段は刀を鞘から抜き放ち、俺に向かってゆっくりと告げた。
★
一瞬だった。
勝負の開始と同時に俺は九段の刀を叩き折り、そのまま九段目掛けて刀を斬り上げた。
仙術で強化された俺の身体は、今では常人には反応できない速度で動く。仙術を知らない九段に為す術はなかった。
その瞬間――何かが俺と九段の間を遮った。
「……羅紗!」
ケイトの叫び声が響き、九段の盾となった羅紗は地面に崩れ落ちる。
致命傷だ。胸からおびただしく出血した羅紗を抱き、九段は沈黙した。
「九……ごめんね」
その言葉を最期に瞼を閉じた羅紗を地面に横たえると、九段はゆっくりと立ち上がった。
「俺の負けだ」
能面のせいで九段の表情はわからない。しかし、男はすべてを諦めたように語り始めた。
「お前が知りたいのは俺と羅紗が世界を滅ぼす理由だろう?
「奴が俺の前に姿を現したのは、羅紗が任務で命を落として暫くしてからだった。悪魔――根拠はないが、俺は奴を見てそう感じたよ。
「奴は俺に取引を持ちかけた。まさに悪魔の囁きだったな。何でも願いを叶えてやる。その代わり奴の傀儡となれ――俺にそれを断ることはできなかった。そうして羅紗の命と引き換えに、俺は組織の首領に……俺自身も世界を滅ぼす悪魔となったのさ。
「奴の目的はわからない。しかし、奴はこう言っていた。全世界――全ての並行世界は、このままでは十年以内に滅ぶと。
「世界がその形を保ち続けるにはエネルギーが必要だ。そしてそれは枯渇しつつある。エネルギーの消費を抑えて並行世界全体の存在を保つために世界を滅ぼせ、と。
「俺は悪魔の傀儡として奴の言われるままに行動してきた。それが羅紗を生き返らせる代償だったからな。本当のところ、俺は羅紗と一緒に居られさえすれば世界などどうなってもよかったんだ」
そう言って、九段は羅紗の指――左手の薬指から指輪を外し自分の小指にはめた。
「それは……?」
俺は九段に尋ねる。
「これは不死性を無効化する九器だ。俺が羅紗に贈った。……人として生きたいというのが羅紗の願いだったからな。その刀は不死者にも効果があるようだが、そうでなくても羅紗は死んでいた」
九段は立ち上がり羅紗から離れると、折れた刀で建物を取り囲むように設けられたフェンスを切断する。
「奴――件が組織の首領、傀儡を失ってどのような行動に出るかは分からない。用心することだな。
「……俺は羅紗を守れなかった」
そう言い残し、九段はビルから身を投げた。




