【Operation Commencement】
舞台は、未知の病原菌が蔓延し、感染した生物がゾンビと化した世界だ。
任務の目的は、病原菌発生源の特定及び除去。
発生源の位置は日本国東京渋谷と推測され、東京はすでに感染者の巣窟となっている。
「注意点は、噛み付かれるなどしてソンビから病原菌を移された場合、感染してその者もゾンビ化する……か」
俺はリサから渡されたレポート用紙を改めて読み上げた。どこかで聞いたことのあるような、何者かの恣意的な思惑を匂わせる舞台設定だ。
それを聞きながら、人狼は昼間ゆえに明かりの灯っていない電灯の上に立ち、周囲を見渡す。
「ゾンビの一体一体は大したことなさそうだが、一度でも攻撃を受けると感染するってのは厄介だな。洒落にならない数がウヨウヨしてやがるぜ」
「東京都民はみんな仲良くゾンビ化しちゃった感じだね」
俺の隣で、ケイトが軽い口調で呟いた。
ケイトに限らず俺も、もはや東京中の人間がゾンビ化したくらいでは驚かない程度に耐性が付いている。しかし、自分たちがゾンビ化するかもしれないとなれば話は別だ。
「九段たちの前に、ゾンビにも要注意だな」
俺たちは今、JR渋谷駅ハチ公口改札前に展示室として設置されている、列車の車輌の屋根に立っていた。
ゾンビどもがわらわらと車輌に群がり、俺たちを引きずり降ろそうと手を伸ばしている。
「しっかし、鼻がもげそうだぜ。とんでもない臭いだな」
人狼が電灯の上でボヤいた。
腐敗臭とでも言うのか、吐き気を催す悪臭が周囲に漂っている。俺でさえそう感じるのだ。ずば抜けて鋭い嗅覚を持っている人狼はさぞかし辛いだろう。
「わ、妾にもこの臭いは辛い。早く片付けてしまおう」
そう言ってかぐやさんは瓢箪を傾ける。酒で臭いを誤魔化しているのだろうか。
「ん、にぃ様も飲むか? 仙酒だよ」
と彼女が俺に瓢箪を差し出した。
俺が口に含むと、彼女はふふ、間接キッスだね――と耳元で囁く。そのくらいでときめく境地ではあるまいに。
「うーむ、なんとなく懐かしい光景じゃの……地獄を思い出させるわ。ほれ、九、約束通り刀を貸しちゃる」
俺はベルゼーヌから刀を受け取る。彼女はすでに大人の姿に変身し、臨戦態勢を取っている。
「そんじゃあ、作戦開始といこうぜ!」
人狼が電灯から跳び下り、周囲のゾンビを片付け始めた。ゾンビどもの頭部を手当たり次第に千切り飛ばしている。
どうやら、先ほど彼が言っていたようにゾンビ単体の運動能力は低いようだ。人狼はあっという間に列車周辺の掃除を完了した。
よっ――と掛け声を上げ、ケイトが列車の屋根から地面へ降りる。すると、突然、人狼によって頭部を切断されたゾンビどもが次々と起き上がった。
「げ! 復活した、こいつら不死身なの!?」
ケイトが慌てて再生したゾンビに向かって腕を突き出す。と思ったら首を傾げ、もう一度腕を振るう。……彼女は何をしているんだ?
「ケイト、危ない!」
俺は跳び下り、彼女を後ろから掴みかかろうとしていたゾンビ二体を両断した。続けて前方の三体も斬り捨てる。どうやら、今度は起き上がって来ないようだ。
「おかしい……PSI能力が使えない」
ケイトが切迫した表情で呟いた。
「なんだって? 一体なぜ……」
「くそ! きりがないぜ!」
視線をやると、人狼が再生したゾンビ相手に悪戦苦闘している。俺が倒したゾンビと違い、何度も繰り返し再生しているようだ。
どうなってるんだ。状況がいまいち飲み込めない。
「ふむ、地獄の亡者どもと同じじゃな。三人とも上に上がっちょれ」
そう言い放ち、ベルゼーヌが妖艶な笑みを浮かべた。
☆
ベルゼーヌが頭越しに背中へ両腕を回すと、風になびく金色の髪の隙間から巨大な鎌が出現した。
直線的な形状をした漆黒の柄は彼女の身長の一・五倍ほどの長さで、金色の意匠が施されている。彼女が軽く腕を振るうと、柄の先端から鋭角に延びた刃がきらりと光を反射した。
「どうするんだ? ベルゼ」
人狼が尋ねると、ベルゼーヌはくるりと大鎌を回す。
「まあ、見ちょれ。とりあえず目の届く場所にいるゾンビどもは、一匹残らず刈り殺っちゃる」
そう言って、彼女は無造作に大鎌を放り投げた。
大鎌はまるでそれ自体が意思を持つかのようにくるくると回転し、俺たちを中心として円を描くようにゾンビどもを斬り裂き始めた。その間、ベルゼーヌは微笑を浮かべて優雅に佇んでいる。
ベルゼーヌの宣言どおり目に届く範囲のゾンビを一掃し、大鎌は彼女の手に収まった。
「一丁上がりじゃ」
うーむ。最近ベルゼーヌのことが少し怖くなってきた。しかしそれを認めるのも癪だ。
「お見事。もう復活しないのか?」
「うむ、この大鎌は悪魔の命をも刈りとるものじゃ。ゾンビなど話にならぬ。九に渡した刀も同じじゃよ」
ふあぁ――と、ベルゼーヌはあくびをする。
妖刀・ゴールデンボンバー改め金色(爆)は、今回図らずも思わぬ働きをしてくれそうだ。
「ケイト、やっぱり力は使えないのか?」
先ほどからケイトは色々と試しているような素振りをしているのだが、結果は芳しくない様子だ。
「うん……どうもこの場所が悪いみたい。PSI能力を遮る磁場みたいなものが発生してるんだと思う」
「俺の傍から離れるなよ。ケイトは俺が必ず守るからさ」
身を案じる俺の言葉を聞き、ケイトは嬉しそうに笑顔を浮かべて俺の左手に腕を回した。非常事態だというのに現金なやつだ。
しかしPSI能力が使えないということは、時空転移でこの世界から脱出することもできないということだ。事態は思ったよりも深刻だ。
俺たちは列車の屋根から降り、渋谷駅前スクランブル交差点へ出る。そう言えば、ここは俺とケイトの思い出の場所だ。今はゾンビどもの死骸がそこら中に転がっているが……九段との決着を付ける場所にここが選ばれたというのは、何か意味があるのだろうか。
「襲撃予定地点はどこだっけ?」
「えーと、あっちだな」
人狼に聞かれ、俺は向かって正面、神南方面を指差す。病原体の発生源――九段たちの目的地もそっちの方角だ。
「どうもおかしい。おそらく、これは罠だよ」
かぐやさんが唐突に告げた。
「さっきから誰かに見られているような気がしてね。ずっと気配を探ってたんだけど、にぃ様が示した方角ではなく、あっちから気配を感じる。おそらく件だ」
そう言って、かぐやさんは西側――道玄坂の方向を示した。
「そうすると……九段たちが当初の予定とは違う行動を取っているか、かぐやさんの言うとおり罠なのか」
罠だとは考えたくはない。それはつまり、あの責任感の強いリサが俺たちを裏切って九段の側に付いたということを意味する。そんなことが有り得るだろうか。
リサと交信しようにも、ケイトは今力を使えない。
「計画は変更だな、リサは九段達のスパイだ。楽観視は禁物だぜ」
人狼が俺の手からレポート用紙を奪い、ビリビリと二つに裂いた。
「リサが私たちを騙したなんて信じたくないけど……私がPSI能力を使えないのは九段の兵器の作用かもしれない。組織にはPSI能力を分析するチームがあるし、能力の無効化は前々から研究テーマになっていたから」
「これが件の罠だとして、妾達を襲撃予定地点へおびき出すのが彼奴の計画だね。奇襲をかける作戦は失敗したが、この際正面突破といこうではないか」
かぐやさんは悠々と扇を広げ、大きく腕を振るった。すると、エネルギーの奔流が新たに湧き出したゾンビどもを呑み込む。
「幻術だよ。ゾンビを相手にしている暇はない、速やかに攻め入ろうではないか」
「よっしゃ!」
かぐやさんに続き、人狼が道玄坂に向けて進む。
罠にせよそうでないにせよ、九段のいる場所へ向かうことについて議論の余地はない。かぐやさんの言うように、九段が俺たちのことを察知しているのなら計画は白紙に戻ったことになる。問題はリサが俺たちの側なのか、それとも九段の側なのか。
後ろを振り返ると、ベルゼーヌが掌を地面へ向けて右腕を前方へ伸ばし、瞼を閉じていた。
「ベルゼーヌ、どうしたんだ?」
「いや、せっかくじゃから、ゾンビ共の始末をさせようと思っての」
彼女が右手を頭上へ掲げると、突如交差点の中心に巨大な怪物が出現した。象の五倍はあるかという大きさで、三つの頭部が獰猛な牙を剥き出している。
「地獄の番犬じゃ、ゾンビどもの相手をさせるにはちょうどいいじゃろ」
★
かぐやさんが幻術をかけながら――舞を踊るように先頭を走り、俺たちはそれに続く。
そもそも奴らに知能があるのかは分からないが、さっきまでは俺たちに向かって一斉に群がって来ていたゾンビどもは酔っ払ったようにふらふらと、見当違いの方向に歩みを進めている。
道玄坂下交差点を抜け百メートルほど坂を登ると、かぐやさんは足を止めて身体を左に向けた。
小腹が空いたのだろうか、彼女の視線の先にはロッテリアがある。もっとも、店員もゾンビ化していてまともなハンバーガーは出て来ないだろうが――などと見当違いなことを考えていると、かぐやさんは扇で上空を差した。
「彼奴はあの上に居る」
視線の先には、地上二十五階建の高層ビルがあった。ゾンビが世界を支配する前は店舗、ホテル、京王井の頭線渋谷駅が設けられていた複合施設だ。
「渋谷マークシティか」
俺たちはロッテリアを左折して路地に入る。
街中をゾンビどもが屍肉を垂らしながら闊歩しているが――今は幻術の作用で壁に向かって延々と歩き続けているものや電柱にかじりついているもの、地下へ続く階段に足を取られて転げ落ちものなどがいる。しかし、建物や道路、標識などの建造物は俺が元いた世界と変わらない綺麗な状態のままだ。
まるで、つい今の今までゾンビなど存在しない何の変哲もない平和な世界だったかのようだ。この世界の現状も実際は未知の病原菌などが原因ではなく、九段の手によるものなのだろうか。
俺たちはラーメン屋や居酒屋、ミニストップなどがところ狭しと立ち並ぶ昨日までは賑わっていたはずの路地を進む。
すると――突然、視界の右端に立っている道路標識が奇妙に歪んだ。
まるで飴細工が熱で炙られて溶けるかのように、どろりとその形を崩してくの字に折れ曲がったかと思うと、次の瞬間には出来損ないの悪趣味な彫刻のように道路に這いつくばった。
「やばいぞ――」
異変に気付いた人狼が注意を促し警戒態勢に入るが、遅かった。
野獣の咆哮のような轟音が四方八方から聞こえたかと思うと、視界全体が漆黒に塗りつぶされる。と同時に、信じられないくらい高温の熱風が俺たちをぐるりと取り囲んだ。
今や俺たちは黒炎の檻の中にいた。
前後左右を隙間なく炎の竜巻が取り囲んで退路を塞ぐ。上空を見上げると、四角く切り取られた青空が今まさに口を閉じようとするところだった。
「息ができない――」
ケイトが苦しそうに胸を押さえ、呼吸を荒く繰り返している。空気中から一気に酸素を抜き取られたかのように息苦しかった。
すると、黒炎の壁が怪物の喉仏のように蠢いた。見る見るうちに黒炎の檻が俺たちに向かって迫る。このまま退路を塞いだまま焼き尽くすつもりだ。
「はああああぁ――」
かぐやさんが肺から空気を絞りだすように大きく息を吐き出した。瞼を閉じて扇を片手に両腕を広げ、宙に浮き上がる。
くるり――と身体を回転させた。
彼女を中心として突風が吹いた。
黒く塗りつぶされた視界が千切れ飛ぶ。隙間から光が差し込んで、冷たい風が今度は一気に炎の檻の中に流れ込んだ。
風は従者のようにかぐやさんを取り囲み、さらには黒炎までも従えて、彼女と一緒に舞踏しているかのようだった。
かぐやさんが大きく扇を振るうと、彼女の指揮に従って黒炎の旋律は一点を目掛けて一気に収束した。




