【I Wanted To Encounter You And...】
その日、三週間ぶりにリサから連絡があった。
「これが次の任務の概要と今回の作戦の詳細、それと転移先の座標よ」
リサはケイトにレポート用紙の束を手渡す。彼女は体調が良くないのか相変わらず顔色が優れない様子だ。
「それと、ごめんなさい。夜叉達から情報を探ることはできなかったわ」
彼女は申し訳なさそうに言った。
「気にしないで。それより顔色が悪いけど、大丈夫?」
ケイトの言葉を聞き、リサは微笑む。
「ありがとう、大丈夫よ」
それより、ここが月なのね――と、リサは興味深そうに周囲を見渡す。今日は彼女の希望で月を待ち合わせ場所にしたのだが、そういえばリサは月に来るのは始めてだった。
「ふーん、やっぱり凄いわね。重力まで操作してるなんて。地球よりも若干重力は小さいかしら」
それには俺も驚いた。ただ、重力についてはかぐやさんの仙術ではなく、ベルゼーヌが操作したという話だ。ケイトもそれくらいならできると話していたし。今更ながら、その気になれば世界を滅ぼせる恐ろしい奴ばかりである。
「かぐやさんに会っていくか? あと一週間しかないから、仙術の修行は今度の作戦が終わった後になるけど」
彼女はなぜか一瞬思い詰めたような表情をし、首を横に振った。
「今日はやめておくわ。ケイトの言うようにちょっと疲れてるみたい。しっかり身体を休めて当日までに体調を整えておくわ」
「ごめんね、リサにばかり負担をかけてしまって……」
「いいのよ。あなた達を殺すところだったんだもの、その罪滅ぼしになるのならこのくらいどうってことないわ」
リサは思った以上に責任を感じているようだ。一歩間違えば俺もケイトも死んでいただけに、気にしなくていいとは言えないが。
「リサは、どうして組織に入ったんだ?」
俺はなんとなく気になって尋ねた。以前彼女は組織が九段のような存在から世界を守るためのものだと思っていたと話していた。それに、リサに限らず組織に入るにはどういった手続きを踏むのだろうか。まさか、応募をして入社試験を受けるわけではあるまい。
「んー、別に普通よ。私はPSI養成学校を出て、就職活動をして組織に入ったわ」
「新卒かよ!? っていうか、PSI養成学校って……冗談だよな?」
冗談よ、とリサは楽しそうに笑う。
「私は幼い頃から無意識にPSI能力を使うことがあって、それを知った組織にスカウトされたのよ。ケイトや羅紗みたいに英才教育を受けたわけじゃないから、大した力はなかったけれど」
「そ、そんな。私はその分頭が足らないというか、リサには私が足元にも及ばない頭脳があるじゃない」
ケイトが慌ててフォローをする。
リサから気になる言葉が出たが、それはあとでケイトに聞いてみよう。
「うん、それもそうね」
と、リサが頷いた。ケイトが複雑そうな顔をする。
「うっ……すんなり納得されるとちょっとヘコむかも」
「あはは、冗談よ。それじゃあ来週は頑張りましょう。追加情報があったら交信するわ」
リサはそう言って笑顔で手を振り、姿を消した。
「……今の絶対冗談じゃないよね?」
まあ、その気安さがケイトのいいところだろう。とは口に出して言えなかった。
☆
「ほら、九も宇宙服なんて脱ぎなよ。ガラス越しじゃあせっかくの感動も半減だよ、チューもできないし」
などと言って、ケイトはスニーカーでてくてくと月面を歩く。
彼女はその言葉どおり、ちょっと夜風に当たりに来ましたとでも言いたげな、Tシャツにジーパンというラフな格好だ。
くそ、宇宙空間なめるなよ――というガガーリンの台詞が聞こえてきそうである。いや、俺はガガーリンさんのことはよく知らないけれども。俺だったらそう言いたくなる。
しかしまあ、彼女が保証したとおり俺たちの周りには大気が存在しているようだ。ケイトが嵐の大洋から運んできたのである。俺は恐るおそる宇宙服を脱いだ。
「ほら、全然違うでしょ?」
ケイトはにっこりと微笑む。まったく、彼女には敵わない。
俺とケイトは地球のよく見える丘の上に腰を下ろし、口付けを交わした。
「私と羅紗は、いわゆる試験管ベイビーなんだ」
そのまま地球を眺めていると、ケイトは俺の肩に頭を預け、ぽつりと呟いた。
「PSI能力で遺伝子を操作されて人工的に作られた双子、それが私たち姉妹なの」
そんなことは別になんでもないことだ――というような口調で、ケイトは淡々と語った。そのためだろう、衝撃的な告白を受けたはずなのに、俺もすんなりと彼女のその言葉を受け入れることができた。
「それは……組織が強力なPSI能力者を生み出すために?」
ケイトの告白を聞いて俺はそういうイメージを抱いたのだが、彼女は首を横に振る。
「そのことと組織は直接的には関係ないんだ。あるPSI能力者――私たちのお父さんが、個人的な興味からしたことなの。
「だから、組織もこの事実は知らないよ。知っているのは多分、私と羅紗、そして九だけ」
それがケイトと羅紗が桁外れな力を持っている理由なのか。詳しい事情を知らないリサは、先ほどケイトと羅紗が英才教育を受けていたと話していたが、それよりはおそらく先天的な才能によるところが大きいのだろう。
「試験管ベイビーなんて聞くと多くの人は不幸な生い立ちだって思うみたいだけど、別にそんなことはなくて、私と羅紗は学校にも通ってごく普通の生活を送って育ったんだ。まあ、お父さんと一緒に組織の傭兵としての活動もしていたけど」
「お父さんは今は何を?」
「私たちが中学生になって間もなく癌で亡くなったよ。私たちを作った時にはすでにかなりの高齢だったから、寿命みたいなものかな。お父さんには結構な遺産があったから、生活に困ることはなかった」
そこまで話すと、ケイトは頭を上げ、大きく深呼吸をした。
「それが、私と羅紗の生い立ち」
「そっか、ありがとう。話してくれて」
俺とケイトは繋いだ手を改めて握り直す。
そのお父さんに感謝をしなくちゃな、ケイトを生んでくれたことを。
「きれいね……生き物が住めないほど破壊されても、地球はあんなにきれい」
「さすがのケイトも、宇宙から地球を眺めるのは初めてだろ?」
前々から連れて来ようと思っていた甲斐があるというものだ。
しかしケイトは、そんな俺のささやかなサプライズを容赦なくひっくり返すことを言った。
「はっきりとは覚えてないんだけど、実は初めてじゃないんだ。地球を見るの」
「え!? そうなのか?」
俺の反応を見て、彼女は意地悪っぽく微笑んだ。
「今から重大発表をします。驚かないで聞いてくれる?」
などと、彼女は今更改まったことを言い、俺に向き直った。
★
重大発表? 驚くなも何も、今聞いた彼女の生い立ちよりも驚くようなことがまだあるのだろうか。
彼女はその場に立ち上がると、俺の返事を待たず、滔々と語り始めた。
「実はね、九の故郷――九が生まれた世界は、本来世界が存在しないはずの座標にあるんだ」
俺には彼女の言ったことがすぐには理解できなかった。
俺の故郷が存在しないはずの世界――?
「九の世界の存在を知っているのは、全並行世界で私だけ。羅紗も、九段も、ほかの誰も知らない」
「どういうことなんだ? ケイトが何を言ってるのかよくわからないんだが……」
ケイトは、青く美しい地球を背に、どきりとするほど澄んだ瞳で俺を見つめた。
これはあくまで私の仮説に過ぎないんだけど――と前置きをし、彼女は話を続ける。
「私が九に遭いたくて遭いたくて仕方がなくて、自分でも無意識のうちに九の生まれた世界を創ったんだって言ったら、九はそれを信じる?」
ケイトが俺に遭いたいあまり、世界を創造した?
今更彼女が何をしでかそうが俺は驚かないが、果たしてそれはどうだろうか。たしかに、九段はすべての世界で処理――俺を殺したと、俺は一体どこから現れたんだと、そう言っていたが。
しかし、PSI能力者は無から有を作り出すことはできないとケイト自身が話していたはずだ。
「九の言うとおり、正確には私が創造したんじゃなくて、世界の種――生まれたばかりの世界の時間の流れを私が加速させたっていうことだけど。私は九に遭いたくて、世界を138億倍速で育てましたとさ」
とさって、そんな他人事みたいに……いや、それが本当だとしたらまさにおとぎ話だ。
「そうするとケイトは、俺の世界の神様ってことになるな」
かのユーリイ・ガガーリンは、宇宙での地球周回中に「私はまわりを見渡したが、神は見当たらなかった」という言葉を残したとされるが。
神は今、俺の目の前で優しく微笑んでいた。
「だからね、九」
そう言って、ケイトはしゃがんで俺に顔を近づける。
「九は、私と結ばれるために生まれてきたんだよ」
「おいおい、俺の人生が予め決められていたみたいに言うな」
俺の言葉を聞き、ケイトは一瞬きょとんと呆気にとられた表情をする。
「俺は自分の意思でお前と一緒に居るんだ。信じるよ、ケイトが俺の生まれた世界を創ったんだって」
だってそんな最高な話、信じずにはいられないだろう。




