【A Life Full Of Mistakes】
「この都市に地震などありえない。おそらく羅紗君の仕業だ」
博士が俺に覆いかぶせるようにしていた上体を起こし、呟いた。
突き上げるような激しい揺れが断続的に続いている。棚から落ちた食器類が砕け散る音。
博士に襲われずに済んで助かった――と思ってしまうあたり、俺は危機感が足りないのだろう。九段たちが攻めてきてもケイトがいれば大丈夫だという安心感がある。
「九! 羅紗が攻撃してきたわ……」
寝間着姿で階段を駆け降りてきたケイトが、馬乗りになっている博士と俺を見て怪訝そうに眉をひそめる。
「うむ……先ほどよりは収まってきているようだが」
博士は素知らぬ顔でソファから降りた。俺も身体を起こす。博士に掴まれていた手首を見ると、くっきりと赤く跡が残っていた。
「今は私が抑えてるから、これ以上揺れが酷くなることはないわ。でも、これだけで羅紗が手を引くとは思えない。外で警戒するから、九も一緒に来て!」
ケイトは寝間着姿のまま玄関へ向かって走り、俺もそれに続く。
羅紗がこんなに早く攻めて来るとは、完全に油断していた。以前九段が告げたとおり、本気でこの世界を滅ぼすつもりなのだろうか。
雨矢宅から出ると、周囲ははすでに阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
地震はケイトが抑えて鎮まったものの、向かって右側――北の方角に、無数の竜巻が猛烈な勢いで都市を蹂躙しているのが見える。鉄屑と化した建物の外壁と為すすべのない人々が無残に中空に巻き上げられている。
上空では、空一面を隙間なく黒雲が覆い、四方八方で竜のかぎ爪のごとき稲光が絶え間なく地上に向かって走っている。雷光が空を照らすたびに耳をつんざく轟音が大気を震わせる。火災も発生しているらしい。周囲を見渡すとあちこちから黒煙が立ち昇っていた。
「羅紗は本気のようね。私に任せて!」
ケイトは力強く告げると、屋根の上へ跳躍した。両腕を左右に掲げ、目を瞑る。念じている様子だ。
すると、無数の竜巻がたちどころに勢いを失ない、稲光は弾かれたように進路を変え、空中のあらぬ方向へ放電した。
南から押し寄せていた空を覆うほどの巨大な津波を押し戻すと、鋼鉄都市を襲っていた天変地異はひとまず影をひそめた。
「なんとか鎮めたけど、気を抜いたらまた襲ってくるわ。集中して抑え続けないと……それと、発生してしまった火災は私には消化できない」
ケイトの表情はいつになく真剣だ。以前、ケイトと羅紗の力は互角だと言っていた。精一杯の力で抑え込んでいるのだろう。
「俺が辺りを回って住民を避難させる」
羅紗の攻撃は止まったものの、鋼鉄都市は以前大混乱に陥っている。先日の騒動で破壊されたメインシステムがまだ完全には復旧していないため、有事に治安を守るはずの機械人形が出動していないのだ。
住民は我先に安全な場所へ避難しようと車に乗り込むが、鉄橋が崩れ落ちて瓦礫が道路を遮り、交通網はまったく機能していない。
「九、気をつけて!」
ケイトの声を背に、俺は瓦礫を避けながら黒煙を目印にして街を走る。
何もできない自分の無力さがつくづく身にしみる。しかし、ケイトが必死になって闘っているんだ。俺もできることをやるしかない。
瓦礫の下敷きになって身動きの取れない人や家族を亡くして呆然と立ち尽くす人、親とはぐれてしまったのか泣きじゃくる子どもたち、それらに脇目も振らずに避難する人々の中で、懸命に救助に励む人たちがいた。俺もその中に混じり、一人でも多くの人を安全な場所へ避難できるよう走った。
象牙刀で崩れ落ちた瓦礫を切断し、下敷きになっていた女性を救出すると、俺は一息ついた。住民はあらかた近くの学校や市民ホールなどの避難場所に移動し終わったようだ。
ケイトが頑張って羅紗の攻撃を抑え込んでくれているようで、新たな災害も発生せず、消防隊が火災の消火に当たっている。どうにかこれ以上の被害は食い止められそうだ。
俺はひと通り街を回り、被害状況を確認した。思っていたよりも火災の数が多い。消防隊が十分に対応できていないようだ。
「とりあえずできることはやったか……」
俺は汗を拭う。今更ながら、九段と羅紗が積み木を崩すように滅ぼしている世界にも精一杯生きている人々がいるのだと実感する。この災害でも何千人という人が死んだのだろう。
ケイトへ報告をするために雨矢宅へ引き返していると、能面を被った喪服の男――夜叉を発見した。
突然の遭遇に心臓が跳ねる。思わず身構えたが、向こうは俺に気づく様子はない。
夜叉――九段は共を連れず、一人で街を徘徊しているようだ。
――これはチャンスだ。
九段一人だけなら、上手く不意を突ければ俺が倒すことも十分可能だ。以前手合わせして分かったが、あいつもただの人間に過ぎないのだから。
息を潜め、適度に距離を取りながら跡をつける。しかし、九段に続いて路地を曲がるとそこは行き止まりだった。ごみが散乱しているだけで九段の姿はない。
「……逃がしたか」
俺はため息をつき、空を仰いだ。
すると――いつか見た凶悪な光景が空一面を覆っていた。
☆
「ケイト!」
俺は全速力で雨矢宅へ戻り、ケイトの姿を探した。
「九、よかった!」
どうやらケイトも俺を探していた様子で、上空から降りてきたベスパがタイヤを鳴らしながら俺の目の前に着地した。
「私じゃあれは押し戻せないから、前みたいにお願い」
ベスパから降りると、彼女は異次元空間から取り出したバズーカ砲を俺に手渡した。
俺は改めて空を仰ぐ。今まで暗雲が空を覆っていて気付かなかったが、巨大な隕石が目前まで迫っていた。
この光景は――ケイトと初めて出会って、半ば強引に並行世界に連れて行かれたときに見た光景そのままだ。
あのときのケイトは、かつての九段の面影を探して世界を巡っていた。
そして、今は俺と一緒に九段を倒すために闘っている。
思えば、あの日ケイトと出会ったせいで俺の人生はガラッと変わってしまった。
俺は隣に立っているケイトの顔を見る。
――可愛い顔して、人の人生を好き勝手かき回してくれやがって。
今なら、何も知らずに平凡で平坦な毎日をただ送っていられたあの頃がいかにかけがえの無いものだったかがわかる。
――でもまあ、あの頃に戻りたいとは思わないな。
「どうしたの、九?」
ケイトは俺の考えを知ってか知らずか、いつもどおりのとぼけた顔で首を捻る。
「いや……俺の世界を広げてくれてありがとう、ケイト」
俺は隕石に向けてバズーカ砲を構える。
この武器は威力が強すぎてこんな時にしか使えない。迂闊に地上で撃とうものなら、地球ごと消し飛ばしてしまうからだ。
すべての世界の九一郎を始末したから使われる心配がない、という考えは勿論あっただろうが、おそらくはそれが理由で九段はこのバズーカ砲をケイトに預けっぱなしにしていたのだろう。象牙刀については、俺は試作品だと考えている。九段が使っている日本刀は象牙刀を強化したものに感じるからだ。
無事に隕石を消滅させ、俺は胸を撫で下ろした。
「そういえば、博士は家の中か? さっき九段を見かけたんだ。一応博士にも話しといた方がいいと思って」
「多分……見てないけど、中にいるんじゃないかな?」
俺は雨谷宅の玄関をくぐり、急いで廊下を進んだ。なぜだか嫌な予感がした。奥から油臭いにおいがする。
九段は一人で街を徘徊していたが、一体何をしていたのだ?
居間に入ると、博士が壁に貼り付けにされていた。
胴体を切断され、刀で胸を貫かれて壁に縫い付けられている。切断面からは黒い液体が床に滴り落ちてぽたぽたと音を立てていた。
「九君か……?」
目を覆いたくなるような光景だった。声を出すこともできずに立ち尽くしていると、博士が俺の名を呼んだ。俺は彼女に近寄る。
普通ならとても生きていられる状態ではない。機械人形の体だったことが幸いした。
「生きててよかった……。九段にやられたんですね」
「今直ぐケイト君と一緒にこの世界を脱出しろ。おそらく九段は何かを企んでいる」
博士は俺の質問には答えず、有無を言わさぬ勢いで告げた。
「だったら、博士も一緒に。修理出来るはずですよね?」
体を真っ二つにされてオイルが漏れ出しているが、直ぐに修理をすれば問題はないはずだ。突き立てられた刃も機械人形の心臓部は外れている。
「わたしのことはいい。修理している時間はないだろう……わたしを敢えて完全に破壊しなかったのは、おそらく君達をここに留まらせるためだ」
博士は自分を置いて早く脱出するよう、淡々と告げる。俺は拳を握りしめていた。今まで並行世界を破壊する九段のことは許してはならないと感じていたが、今はそれだけでなく大切な人の命を踏みにじる九段が心底憎い。
「博士……!」
背後からケイトの悲鳴が聞こえた。彼女も部屋に来たようだ。
「わたしはすでに150年前に死んだ人間だ、気にしなくていい。それに、こうなったのはわたしの自業自得だからな」
「自業自得って……九段に殺されるのが自業自得だって言うんですか?」
ケイトはまだ状況が飲み込めない様子で、震えながら俺の手を握った。
「……最後に少し昔話を聞いてもらおうか。そのくらいの時間はあるだろう。
「わたしにはかつて家族がいた。よくできた妻とひねくれた娘だ。もっとも、妻は娘がまだ幼い時に病気で亡くなり、娘はわたしが一人で育てた。ひねくれたのはわたしが仕事一筋で娘と過ごす時間を作らなかったせいだな。娘にはいつも寂しい思いをさせていた。
「わたしが研究に明け暮れていたのは妻を生き返らせるためだった。そして発明したのが機械人形とそれに人間の意識を乗せる方法だ。とはいえ、妻の意識は保存していなかったから、それには失敗したんだが。
「雨矢家は薄幸な血筋だった。というのは、私の娘も成人して間もなく事故で死んだからだ。
「そして、わたしは娘を機械人形として生き返らせた。そんなわたしを、娘は人の魂を弄ぶ悪魔だと罵ったよ。
「そんなわたしの思想がこの世界の九君に影響を与え、九段を生み出した。もとはと言えばわたしがすべての元凶なんだよ……君達には申し訳ないと思っている」
先程から周囲に爆発音が響いている。火種の仕業だろうか。
九段が一人で街を徘徊していたのは、俺の注意を引きつけて博士を殺すためだったのだろう。
「生き返った娘さんは、その後どうしたんですか?」
ケイトが博士に尋ねた。
「あの子は……竹花と言うんだが、素敵なパートナーを見つけて新しい人生を送ったよ。最期には夫を看取り、あの子の意思でわたしが彼女の電源を落とした」
博士の話を聞き終わると、ケイトは力強く言った。
「私は、竹花さんは博士に感謝していたと思います。好きな人と一緒に生涯を終えられるなんて、素敵じゃないですか」
そうだといいがね――と博士は微笑んだ。博士の笑顔を見るのはこれが初めてだった。
「書斎の戸棚に竹花の体が入ってる。このまま滅ぼすのはわたしとしては忍びない。なにしろ、それだけがわたしの唯一の成功例なのでな。申し訳ないついでに、持って行ってくれないか」
俺とケイトは頷く。
「ありがとう。それでは、失敗だらけの人生に幕を下ろすとするよ……この世界の九君を、よろしく頼む」
そう言って、博士は稼動を停止した。
俺とケイトは今更ながら、事切れた博士の体を床に下ろす。
俺は怒りに任せ象牙刀で九段の刀を叩き切った。こんな気持ちになったのは生まれて始めてだ。
ケイトは博士の遺言どおり、書斎の戸棚から一体の機械人形を取り出す。
「あばよ九! 地獄で会おうぜ!」
ホワイトアウトする寸前、火種の叫び声と爆音が響いた。




