アキレス腱
「ヒギンズ教授、こんばんは。体調に変わりはありませんか?」
「真由美さん、こちらは変わりありません。貴方こそ無理したりしていませんか?」
「教授、心配し過ぎです。元気ですよ」
短いメールのやりとり。
優輔の見合い相手の橘さんの登場、調和を保っていたトリオの崩壊。ここのところ自分を襲った難題の数々。そのせいで、ヒギンズ教授への連絡は最低限に、自分と向き合う時間を作るようになった。
結果、無意識に他人と真剣に向き合う機会を避けてきたという事実と『誰にも恋したことがないのではないか』という根源的命題に突き当たった。三十歳を目前に気付くことなのかと思うが、知ってしまったら自分をいつわれない。人に嫌われてもいいから、嘘を吐きたくない。悩んだ末の言葉を織部君も岡本さんも、受け止めてくれた。
スマホの画面を見ながら遠慮がちにキーを押した。
「じつは、教授に嘘を吐いていました。話していない事件がさまざまあり、貴方に頼りたいときもありました。そのたび、送ってくれたメールを読んで勇気をもらっていました」
送信してもすぐには返信がなかった。忙しいのか、嘘を吐いていた私に怒っているのか。どっちも嫌だなと考えながら、待っていると通知音が鳴った。
「真由美さん、僕との間に遠慮は不要だとあれほど言ったのに。少し怒っていますよ」
「ごめんなさい」
「わけがあるんですね」
「はい」
「聞きましょう」
理由を伝えようとメールの内容を考えていると、なんとヒギンズ教授から着信が入った。すぐにとる。
「こんばんは、真由美さん。びっくりさせてしまったなら先に謝っておきます」
見てもない深夜ニュースを流しているテレビを消す。そしてミルク多めのカフェオレを流し込む。準備オーケーだ。
「たしかに驚きましたが。私こそ心配させてごめんなさい。途中経過を話しても、変な負担をかけると思いまして」
「それで、問題は解決したのですか? 真由美さんのサポートは最重要事項です。僕は頼るに値しませんか?」
沈んだ声が聞こえてくる。
「そんなことあるはずがないです。自分で答えを出すしかなかったから、黙っていました」
「貴方がそう考えるのなら、その行動は正しいはずです。自分の力でなにかを乗り越えたんですね」
「正直、乗り越えられてはいません。ただ私、ようやく気付いたんです。自分に欠けているものに」
「そうでしたか」
教授は納得したようすだった。
「私、傷つくのを恐れて誰にも恋をした経験がない。それは対人関係、全てにいえることかもしれません」
「恋をした経験がないですか。その結論が出るまで、たくさん真由美さんは悩み苦しんだでしょう。元気なはずないです」
「教授」
図星だった。
今回、織部君の懐の深さと岡本さんの優しさに救われたが、これから自分がどう行動すれば、後悔せず幸せに近づけるのか。
都会の一人暮らし。自立していると思っていたけれど、それは願望を含んだ錯覚だったのだろう。実家にいる家族を嫌っているのではない。思い出すと、心が重くなり進めなくなるだけだ。
読んでくださって、ありがとうございます。




