向き合うⅢ
『食事でもしながら、話しませんか』
織部君の言葉に頷いていた。いつかのナポリタンのおいしい喫茶店に、二人だけで行く。夜はお酒も出していて、店内の音楽はジャズに変わっていた。彼は私のグラスに白ワインを注ぎながら、テキパキとメニュー表をみて注文をしてくれる。
「ありがとう、織部君」
「疲れているみたいですし、たくさん食べたほうがいいですよ」
いつも向けられる気遣い。彼の優しさに助けられてきた。
「うん、ありがと」
お言葉に甘えてサラダから箸をつける。
「俺に言いたいことあるんじゃないんですか、矢野さん?」
レタスを落としそうになる。
「そうだね、正直悩んでる。いつも気遣わせてごめん」
「気を遣うのは、矢野さんだけですよ。俺は他の同僚には、我儘で強気な男で通していますから」
「織部君、もったいない。軌道修正した方がいいよ」
サラダをとりわけ、わりと本気で言った。
「俺の心は、自分のものです」
「たしかに、そうだ。私、何を言ってるんだろう」
恥ずかしさに下を向き、顔を上げると瞳孔が開き黒目のがちの瞳が見つめていた。胸が高鳴ってしまう。正論と堂々と伝えられる強さに、それが押しつけがましくならない繊細さを持った、織部順はかっこいい。間違いない。
「矢野さんは、何を悩んでるんですか?」
直球がきた。今の気持ちを説明しなければ。
「ずっと励ましてくれて好きになってくれて、ありがとう」
続きを言えばもう戻れないけれど、伝えなきゃ。
「織部君のことを大切に思ってる。でも、恋愛感情じゃないの」
彼は顔色も変えず、
「ずっと冴えない顔をしていたのは、俺のことを考えてくれていたんですね」
なぜか嬉しそうだ。笑いだしそうでさえある。
「大丈夫?」
心配になって尋ねた。
「見返りなんて気にしていません。俺の心は自分のものだし、矢野さんの心も、もちろん貴女のものです」
彼の懐の大きさに驚き、慌ててしまう。
「織部君、私なんかのこと、そんなに思ってくれていたんだね」
「『私なんか』は禁止です。以前は口癖でしたよね。でもここのところ、誰の影響か言わなくなっていたのに。そのことが俺にとっては気がかりです」
ひたむきな想いに泣きそうになる。
「甘やかしちゃ駄目だよ」
「矢野さん、そんなにがんじがらめになる必要ないですよ。もっと自分の思うように行動していいんだと思います」
「私の不誠実さのせいで、傷つけてしまった人がいる」
「挽回はできますよ」
織部君の言葉に、自分のリミッターが外れた感覚があった。いつからだったか? 一歩ひいて傷付かないように、自分を守るようになっていた。
「私、本当に人を好きになったことがないのかもしれない」
怖いし残念だけれど、そうなんだと思う。
「だったら、最初の恋人になりたいものですね」
笑いながら、熱く見つめてくる彼は、やはり素敵な人だと思う。
「それは」
言葉が続かない。
「俺は矢野さんが好きです。悔いが残らないようにしたい。報われなくても、想うことは自由でしょ」
「うん、そうだね」
胸がいっぱいだった。私が縛られているもの。それは、思い出さないようにしている彼らなんだろうか。
「少しは気が晴れましたか?」
「ええ。大事な時間をもらってごめんなさい」
「俺は、楽しかったから」
夜は更けていく。織部君はお酒に強いようで、ワインをかなり飲んでいたが、顔色は変わらない。安心するとアルコールはまわりやすくなるのか、私はほろ酔いだった。店を出て、タクシーを呼んでくれた織部君にお辞儀をして帰宅の途につく。タクシーに揺られ、街の灯りが流れていくのを見つめる。いつの間にか光の粒は滲んでいた。
読んでくださって、ありがとうございます。こんな不定期連載ですいません。




