学生時代Ⅱ
優輔さんパート進行中です。
「優輔はどうして、チェロを始めようと思ったの?」
クラシックのロビーコンサートに誘われた私は、カフェでレモネードを飲みながら訊いた。
「親が、特に父が音楽を好きで子供には何かさせたかったみたいでさ。CDを沢山聞かせてくれたんだ。人気があるヴァイオリンより、僕は人の声に近い音色と体全体に優しい響きが伝わるところが気に入ったんだよ」
「優輔くらい上手くなるには、相当練習をしてきたんだろうね」
「四歳から始めたから、もう相棒がいない生活は考えられないかな」
そう言った優輔の表情は、夏の日差しのせいだけではなく輝いて見えた。
「僕は、真由美さんのヴィオラの音色が好きだよ」
「私なんて、単なる下手の横好きだよ。大学に入ってから初めて楽器に触れたしね」
音色が好きだなんてお世辞だろうが、優輔の思いもよらない言葉に嬉しくなる。彼は、残りが少なくなったアイスコーヒーをストローでかき回し、真剣な顏で、
「大人になってから弦楽器を始めるのは本当に好きでないと難しいと思うよ」
その言葉に深く頷きそうになる。ヴィオラを弾くことは大好きだった。
「最近は全く弾いていないし、仕事が忙しくてね。それにしても会社の人間関係って難しいね」
「何か困ったことがあった?」
いつも優輔は優しい。名は体を表すというけれどまさにそうだった。
「きっと、私に原因があるんだと思う。先輩の女性と上手くいかなくって」
デート中に言わなくていい愚痴をこぼしてしまう。
「真由美さんの良さは必ず伝わると思う。僕が知ってる」
断言する優輔。デートを終えて、一人になって考える。彼は私に自信を持たせようとしてくれる。
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ヴィオラを始めたきっかけを思い出していた。
それは大学の新入生歓迎の学生オーケストラの演奏で、マックス・ブルッフ作曲の『ヴィオラとオーケストラのためのロマンス』という曲を聴いたことだ。人が唄っている様な艶やかな深みのある音色に全身を射抜かれたようだった。
辛うじてヴァイオリンは知っていたが、ヴィオラについての知識は全くなかった。もちろん高価な弦楽器なんて持っていなかったので、管弦楽部に見学に行ったものの参加することは無理だろうなと諦めかけていた。
すると管弦楽部の女性が近寄って来て、声をかけてくれた。
「昨日も来ていたよね、貴方。入部希望なのかな?」
「いいえ。私、楽器を持っていないし音楽の知識も全くないんです。ただ先日の演奏会を聴いて感動してしまって、見学だけでもしたかったのです」
「ありがとう! そんな風に思ってもらえたなんて、演奏して良かったわ。ちなみにどの楽器が気に入ったのか教えてくれるかな?」
「ヴィオラです」
「ねー、部長、ヴィオラなら楽器庫に何挺かありましたよね」
女性が確認してくれる。
「そんな、私初心者ですし。参加してもいいんですか?」
期待と心配が入り混じる。
「未経験者も大歓迎よ。音楽が好きって気持ちが大切なんだから」
その先輩の言葉に後押しされ、私は大学の管弦楽部に入部することになった。
それからの日々はヴィオラという相棒と向き合い難しさに投げ出しそうになりながらも、先輩や経験者の同級生の協力もあり弾き続けることが出来た。
四年間練習に励んだおかげで、卒業コンサートでは合奏を楽しめるようになり、指揮者の音楽解釈の指示にも従えた。それまでには、地道なスケール練習にピッチの確認、沢山の基礎練習の積み重ねがあった。
小さな頃から始めている人が多い弦楽器パートの中で決して巧い方ではなかったが、さまざまな個性を持った楽器の音を仲間同士で合わせるのは貴重な時間だった。大学生活の中で一番思い出に残っている。オケ部で培った忍耐力がその後の私の礎になった気がする。
社会人になって間もなく、優輔の代の卒業コンサートの助っ人にヴィオラとして参加することになった。その頃には学生時代、家庭教師のバイト代で購入した自分の楽器で練習に参加していた。演奏の勘を取り戻すのは大変だったが、卒コンが終わると達成感で胸がいっぱいになった。
打ち上げの鍋パーティをきっかけに始まった優輔との付合い。突然の見合い相手の出現に、つい過去を振り返ってしまった。
思えば、彼は私のどこが気に入って声をかけてくれたのかな。私より、きれいな人も可愛い人も演奏が巧い人だって沢山いたのに。彼なら、どんな人にだってアプローチ出来ると思うのだけど。
自宅で、コーヒーの中にミルクがくるくると溶けカフェオレが完成するのを見届けながら、優輔の負担にはなりたくないと考えていた。
私の両親は共働き、弟もいて余裕はなかっただろう。大学まで出してくれたことに感謝している。恥じるところはない。彼の実家の西村家は、不動産を沢山もっている資産家とチラッと共通の知り合いから聞いたことはある。
釣合いか、嫌な言葉だが、意識せずにはいられなかった。
読んでくださってありがとうございます!




