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ヴィクトルの回想1

 初めて彼女に会ったのは、自分の誕生日の為のお茶会と言う名の婚約者選考会だった。

 王宮の控室に入った瞬間から、選考は始まっていた。わざと控室で待たせ、使用人に扮した教育係が彼女たちの言動をチェックする。彼らによって良、可、不可に分けられ、それぞれのお茶会テーブルへと案内される。その「良」のテーブルで彼女、ルディローザと出会ったのだ。

 正確に言えば、そこで見た。その程度だ。母である王妃の挨拶の後に自己紹介をしたが、彼女は王妃ばかりを見ていたことを覚えている程度。そんな令嬢は他にもいた。

 最初に気になったのは、ガゼボで初めて話した時だ。


「それパルガーロン語? 噂通り、ルディローザ嬢は本当に外国語が好きなんだね」


 急に声を掛けられて驚いたようで、慌てて立ち上がってカーテシーをする彼女。

 ヴィクトルはその日の朝からイライラしていた。マグラス夫人に叱責され、他の授業でもいくつもミスをしたこと。人の苦労も知らないで、ただ外見だけを見て騒ぐ令嬢たち。それは自分の好きなことだけやって褒めそやされるルディローザにも矛先が向いた。


「ここで座ってるようにと言われたら、察するかと思ったんだけど…聞いている程優秀でもないのかな? それとも熱中しすぎて気付かなかった?」

「すみません」


 つい嫌味を言ってしまった。完全な八つ当たり。

 こんな簡単なことも分からない令嬢が優秀?気楽でいいもんだ。


「で? どっち?」

「ここで待つ意味が分かっていませんでした。お察しの通り、私は優秀ではありません」

「ふぅん。いくつも外国語を話せる天才と聞いたけど、謙遜なのかな? それとも外交副大臣の娘だから当然ですっていう嫌味?」


 ムッとする彼女に、言い過ぎたかと咄嗟に思ったが後の祭り。泣かれるのも面倒だ、なんて内心溜息をついた。


「父の影響で外国語を学んでいるのは事実です。外交副大臣の娘だからと言って、それが当然だなんて思っていません。()()努力の成果です」


 がつんと殴られた気分だった。

 彼女から真っ直ぐ向けられた視線に、言葉に、衝撃を受けた。



 生まれた時から、出来ることが当たり前だった。努力するのは当然で、それも見えないようにするのも当然で、成果を出すのも当然だと。

 出来た時は褒めないくせに、出来なければ「王子なのにこんなことも」と陰口を叩かれる。

 それが嫌だった。悔しかった。悲しくて辛かった。


 それを、今、自分が人にするだなんて。


 自分で自分にショックを受けた。

 そして同時に、堂々とそう言える彼女が羨ましかった。


「……ごめん」


 小さく謝ると、今度はルディローザが瞠目する番だった。

 彼女に促して、並んでベンチに座る。ルディローザは居心地の悪そうな姿に、内心苦笑した。


「…ルディローザ嬢は、努力は得意?」

「そうですね。実を結ぶものでしたら」

「はは、とても10歳とは思えない」

「ヴィクトル殿下には到底及びません」

「結構言うね。ルディと呼んでも?」

「御随意に」


 久しぶりに心の底から笑った気がする。それからは差し障りのない会話を少しして、次の令嬢のところへ向かう。

 その時はまだ、面白そうな人だとしか思っていなかった。



 婚約者候補が3人に絞られ、ルディローザだけが残った時も「そうか」くらいにしか思わなかった。


 どうせ自分に決定権はない。王族に生まれた以上、決められた相手と結婚するのは国の為だし、最早義務だとも言える。不服はない、その程度だった。


 恐らく彼女もそうだったと思う。内定したと知らせたお茶会で、思わせぶりなことを言っても顔色ひとつ変えなかった。



 それが好ましく思うようになったのは、お披露目会を兼ねたお茶会の後、マグラス夫人に叱られた時からだ。


 厳しく叱責される彼女は、今にも泣きそうな顔で悔しさを全面に出していた。呆れたようなマグラス夫人。ヴィクトルも内心、彼女もこれで「逃げるかな」と考えていた。

 マグラス夫人は本当に怖い。男の自分が未だに泣きそうになるくらいなのだ。溺愛されて育った令嬢たちには厳しすぎて心が折れてもおかしくはない。

 それなのに。

 彼女は深く息を吸い込むと見惚れるほどに綺麗な礼をして、真っ直ぐマグラス夫人を見た。


「明日からも、ご指導よろしくお願いいたします」


 マグラス夫人がじっと彼女を見ている。そして、見逃しそうになるほどの一瞬。本当に少しだけ微笑んで、2人に背を向けた。


 あまりの衝撃に、気が付けばルディローザを自室に誘っていた。

 ソファに座るとどっと疲れが襲ってくる。それは彼女も同じらしく、向かいでぐったりとソファに沈んでいる。

 使用人たちがてきぱきとお茶の準備をしてくれたので、2人してのろのろと起き上がった。


「ルディは強いね。あのマグラス夫人に微笑ませるなんて」

「いいえ。もう少しで泣くところでしたし、何より本当に分かっていませんでした」

「まだ、一緒に頑張ってくれる?」

「もちろんです」


 その返事が嬉しくて、つい嬉しさを全面に出してルディローザを見つめる。

 真っ直ぐに自分を見つめる藤色の瞳。なんて綺麗なんだろう、とヴィクトルは高鳴る胸に気付いた。


「絶対にいつかぎゃふんと言わせてみせます」


 声を出して笑う。

 自分を見つめる瞳に、恋情の色は皆無だ。あるのは意欲の熱だけ。

 その熱が、いつか自分に向けられたら。いつか自分にだけ向けて欲しいと、ヴィクトルはこの時初めて思った。


 だからルディローザに「御妃教育を受けたいと言うご令嬢がおりますが如何でしょう」なんて手紙を貰った時は切なかった。その上、翌日会った時には他人事のように「受けさせたら」だ。

 ヴィクトルは少し考え込んだが、暫くして「分かった」と呟いた。

 こういったことはある程度予想されていたからだ。

 実際にルディローザの家にはお祝いだけでなく、匿名で誹謗中傷の手紙も多く届くらしい。ヴィクトルの方も、父親についてきた令嬢たちによる、偶然に見せかけてのアプローチが絶えない。

 もちろん希望者全員に受けさせるのは難しいので、ヴィクトルは最初に上位貴族で、口の軽そうな令嬢を選ぶのはいいかもしれないと考えた。どうせ絶対に逃げ出すと断言出来る令嬢たちだ。その上きっと言い訳のように御妃教育の大変さを口々にばら撒いてくれる。それは回り回ってルディローザの株を上げることになる、とヴィクトルは計算した。

 彼の頭に、「ルディローザより優れたご令嬢が出てくる」「ルディローザが途中で逃げ出す」なんていう心配は、既に欠片もなかったからこその考えだった。


「実は昨日のお茶会の後、もう1人王妃に直談判したご令嬢がいるんだ。公爵家のご令嬢なんだけど」

「そうでしたか」


 特に変化のないルディローザに、ヴィクトルは顔には出さずに少しムッとした。

 だからつい、少し意地悪な質問をしてしまった。


「彼女たちの方が()()だったら、ビエズネ語の授業は受けられなくなるよ?」

「そうなりますね」


 廊下の分かれ道で立ち止まる。ここからは別々だ。

 真っ直ぐルディローザを見つめると、彼女もしっかりと見返す。


「負けません。ビエズネ語の為だけじゃなくて、昨日の決意の為にも」


 ヴィクトルは深く微笑んだ。それが例え自分の為ではなくても、現時点では満足だ。

 彼女が自分を見つめてくれるようになるまで、外堀から埋めていくのも悪くない。もちろん、彼女にも自分を好きになって貰えるように努力はするが、準備は万全の方がいい。


 そんなことを考えてしまうほど、この日を境にして彼女はどんどん美しくなっていった。


 ちなみに御妃教育を立候補した2人は、翌日には希望通り御妃教育を受けだしたが、どちらも1週間で音を上げ、逃げるようにして領地へと帰ってしまった。

 それを聞いたヴィクトルは満足気な笑みを浮かべ、ルディローザは呆れ顔になった。

 社交界シーズンが終わったことも相まって、ヴィクトルが思っていた程の話題にはならず、彼は今後のお試し御妃教育はシーズン中のみにしようと決意を新たにしたのだった。



 9月に入ってすぐルディローザは王宮で生活するようになった。食事は王族と一緒にとることになり、危惧していた通り、弟のエドウィックにも目を付けられた。


「ねぇ、ルディ義姉様はヴィクトル兄様が好きなの? 違うなら僕のお嫁さんになって?」


 こてんと首を傾げて尋ねる姿は天使そのものだが、全て計算されたものだとヴィクトルは知っている。何度諌めても、言うことはいつも同じ。


「だって、ルディ義姉様は別にヴィクトル兄様に恋してないでしょ?あんなに素敵な人いないよ。僕を好きになったら交代してよね」


 前半は否定できないからたちが悪い。最後は全力でお断りだ。

 執事に、エドウィックがルディローザの部屋へ突撃したと知らされる度に回収に向かう。その度に彼女に会えるものだから、ヴィクトルも真剣には彼を止めていなかった。



 秋が過ぎ、冬が終わり、待ちに待ったルディローザとの婚約式。


 ルディローザは相変わらずヴィクトルのことを戦友のように思っているのも分かっている。最低でも月2回は強行するお茶会やサロンで色々な意見交換をして、あと一歩で言い合いになりそうな程白熱したこともある。ヴィクトルはそれが堪らなく嬉しかった。自分に臆することなく、素直に自分の意見をぶつけてくれることが。そして最終的にはお互いの意見を取り入れた良い考えにまとまることが。その時のすっきりとして満足気な笑顔を見せるルディローザを見られることが。



 婚約式もお披露目パーティも恙なく終わり、出会った頃とは比べ物にならないほどに綺麗になったルディローザを、王族や教育係だけでなく、多くの貴族が彼女を第一王子の婚約者に相応しいと認めた。

 それにも拘わらず、彼女のもとには匿名の誹謗中傷文が届くと聞くし、前シーズンの2人の噂を聞いた他の令嬢からお試し御妃教育を受けたいとの申し込みはいくつも届いた。

 正式に婚約式までしたというのにその意味も分からずに申し込んでくる令嬢も、それを許し、あわよくばと目論んでいるその父親も、ヴィクトルは反吐が出る気持ちにはなったものの、炙り出しには丁度いいだろうと無理矢理納得することにした。

 何よりこのことが、彼女の自信に繋がれば。ヴィクトルが心配になるくらいに「もっと、もっと」と努力を続ける彼女の為になるのなら。



 正式に婚約式が終わると、ルディローザを伴っての外交も増えた。

 外国語をいくつも話せるルディローザは、国外からの貴賓を接待する度に重宝され、諸外国の要人からも可愛がられた。外交に力を入れているブルエーム国にとって、ルディローザの期待以上の働きに、王家は非常に喜んだ。またそれが第一王子の婚約者という地位をどんどん固めることになり、ヴィクトルは王妃にルディローザの外国語の授業を増やすよう提案し、実際に増やされた。そうするとルディローザは嬉々として学び、それがまた他国の要人や王族に気に入られるという好循環。


 そのことを喜んでいたヴィクトルだったが、段々うかうかしていられなくなってきた。


 ルディローザにとっての最初の外交から、ヴィクトルは危機感を覚えた。

 初めての外交パーティは友好国ピルピノの使節団だった。大使は家族で訪れており、15歳の子息クリストフの話し相手にルディローザと共に選ばれたのだ。大使やクリストフとは何度か会ったことがあるが、それは彼女もだった。


「ルディ、嬉しそうだね」

「はい。父や先生以外とピルピノ語で話すのは久しぶりなのです。クリストフ様とも」


 ルディローザとのダンスを2曲終え、彼女の手がクリストフへ移ると、なんとも言えないざわつきが心を支配した。少し焼けた肌に猫のような人懐っこい顔。すらりと伸びた体は程よく鍛えてあり、なんとも女性受けの良さそうな人物だ。

 その彼がルディローザをどう見ているかなんて、ヴィクトルにはすぐに分かった。自分と同じ視線を送っていたからだ。


「ルディローザ嬢は一段とピルピノ語が上手になったね。その上、とても綺麗になった」

「ありがとうございます。クリストフ様もお元気そうで安心しました」

「まさか君が第一王子の婚約者に選ばれるなんて。まったく、僕が先に目を付けていたのに」

「まあ」

()()()()()()があったら、是非ピルピノ…いや、僕のところに来てほしい」

「ふふ、相変わらずご冗談が上手ですね」


 警戒してなるべく近くにいて正解だった。

 クリストフの方もヴィクトルが聞いていると分かった上で聞いている。目が合っても、年上の、余裕ぶった笑顔を投げつけられた。

 不敬だと言いつけることだって出来るが、それでは自分の器の小ささを自分で見つめることになる。要は彼女を手放さなければいい。絶対に彼に渡さなければいいのだと。



 そう思っていたが、ライバルがどんどん増えていく。

 お試し御妃教育を受けたいという令嬢は年々減っていくのに、彼女を気に入り、隙あらばと彼女を狙う国外の要人が増えていくのだ。


 ヴィクトルは頭を抱えた。


 確かに彼女はどんどんと輝きを増していった。特に風邪をひいて倒れた後からは、益々母である王妃と同じオーラを感じるようになった。あの日以降、お試し御妃教育を受けたいと言う愚かな令嬢が現れなくなる程に、誰もが分かるほどに美しくなった。外側だけの作られた美しさだけではない、内側から滲み出る美しさに、ヴィクトルですら見惚れ、気圧されそうになる時さえあった。



 次々に向けられる彼女への恋情。

 迎えた彼女の入学式で、エスコートしながらヴィクトルは実感した。

 ライバルは国外だけではなさそうだ、と。



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