神域-月花-2
ヤダヤダと駄々を捏ねる間も無かった。
ガッキィン、カミナギリヤさんの太ましい腕がおなかに回る。
反対側を見ればおじさんが同じように抱えられて青い顔をしていた。
「ひぎゃーーーーっ!!」
力強い跳躍。
危なげなくウルトの背中に着地したカミナギリヤさんは周囲を見回し、ウルトに声を掛けた。
「撃ち落される、という事もないだろう。
行ってくれ」
「それじゃー行きますねー」
翼が空気を叩く。ゆっくりと浮き上がる巨体。
高度が上がると共に開けていく視界。
静かだ。はばたく翼の音だけが響いている。
しんしんと降り積もり続ける雪。
明かりは灯っているのに人の居ない街。
目を凝らす。気のせいだろうか。
チラチラと蠢く影。影絵の人間達。
うーん……?
「行くぞ。捕まっていろ」
一つ、大きく翼をうつのが合図であった。
「ひぎええぇぇ!!」
「……………………っ!」
街を旋回する巨体。吹きすさぶ風が顔を叩く。
雪がばっちんばっちんあたっていてぇ。
カミナギリヤさんががっちりと抱えてくれているので落ちる心配はなさそうだがやはり恐ろしいものは恐ろしいのだ。
というかカミナギリヤさんどうやってウルトに仁王立ち出来てるんだ。
多分体の構造からして違うに違いない。
眼下に街を見下ろしながらカミナギリヤさんはこの世界を作った奴を探しているらしかった。
おじさんと私にそんな余裕は無論ありはしない。
「影しかおらんか」
「みたいですねー。じゃ、とまりますね」
「うわぁっ!!」
地に響くような重い音。衝撃のあまりムチウチになりそうだ。
カミナギリヤさんに降ろされた先はウルトの背中ではあるが今は大丈夫そうだ。少々フラフラするが。
街で一番の高さを誇る塔のような建物であった。
天から舞い落ちる雪、黄金の満月の下、塔に巻き付くようにして巨体を休める蒼い竜。
傍から見ている分には申し分なく絵師が絵にするか吟遊詩人が歌にするかのロマン溢れる光景だろう。
残念ながら傍ではないのでその光景に感嘆なぞできないが。
「ふん、随分と隠れるのがうまいものだ」
いつのまにやら。
カミナギリヤさんの手には花に彩られる長大な弓。もしかしてこれが。
ギリギリと引き絞られた弓。つがえられた矢は実体無き光の矢だ。
霊弓ハーヴェスト・クイーン、この目でその姿を見るのは初めてになる。
「その弓ってあれですか?ハーヴェスト・クイーン」
「ああ。と言っても少し違うな。霊弓ではなく私の神器としての姿だ」
パンっと軽い音と共に放たれた矢は空気を切り裂く甲高い音を上げながらまさしく光の速度で一直線にすっ飛んでいく。
碌に視認さえできぬまま矢は視界から消えた。
…………何か、に命中したらしい。
よくわからんが。
「次」
再び引き絞られる弓、今度は別の方向へ。
私には見えないがカミナギリヤさんには何か見えているのか?
放たれた矢はやはりあっというまに視界から消えた。
「……何を狙ってるんですか?」
「明確に狙っているわけではない。目に付く動くものを片端から射抜いているだけだ」
「おおー……」
すげぇ。
しかし動くものか。確かに何かチラチラと蠢くものがある。
上からみるとそれがはっきりする。影だ。
建物の影から影へ。何かが移動している。
「あれが本体かなー?」
「否。見ての通り、ただの影。
従属者ではない。我々の眼を欺くためだけに設置されたオブジェクトだ」
「キリがないですねー」
「…………あの…………」
「ん?」
「月が」
月?おじさんに言われるままに空を見上げる。
何も無いが。普通の月だ。
何が―――――。
「…………ぬぅ!!」
カミナギリヤさんの焦ったような声。
何だ?
月に向かって放たれる矢。その矢は真っ直ぐに飛びそのまま消えるかと思われた。
「え?」
弾かれた?
光は割れるかの様に霧散し、小さな光の粒となって降り注ぐ。
…………そうだ、可笑しい。
だって今夜は、満月などでは無かった。
あれは、月じゃない。
気付くが遅い。
べっとりとしたものが振ってくる。
スライムじみた光り輝くゲル。最悪であった。
空には本来の月、上半分が欠けた月が鎮座している。
「あーあ、これは嫌だなー」
ウルトがぶんぶんと首を振って嫌がっているが全く外れやしない。
絡み付いて藻掻けば藻掻く程に益々絡みつくばかりだ。
おじさんもカミナギリヤさんも脱出しようとしているようだが……これは。
「むぐぐぐ」
全く離れやしねぇ!
スライムがぼいんぼいんと激しく揺れて手伝ってくれているが駄目だ無意味だ。
光輝くゲルが動く度に照らされた影もまた躍る。さっきの影達はこれか!
ええい、どうしたものか!本は……無理だ。魔力もそうないし何より動けそうもない。
誰か何とかしろーい!
「ちょっと凍り」
「や、やめろぉ!」
叫んだ。冗談じゃねぇ!!
私達ごと凍るわい!
「あー、それもそうですねー」
「ぬ、く……」
カミナギリヤさんも粘性生物が相手では手の出しようがないらしい。
おじさん、は流石にこの状態では期待できない。
伸ばした腕、その腕に嵌った煌くものが視界に入った。
地獄の炎を滲ませもやもやと揺らめくその様。
よくわからないが……さっさと置け、そういう事だ。
何が起こるのかはさっぱりわからないが……いけるか?いや、やるしかない。
何とか腕輪を外し、地面に設置。
「うわわわ……」
その瞬間、ごぼりと闇が這い出た。
吹き上がる炎。黄金ゲルは甲高い、女のような声を上げてのたうつ。ジャラジャラと何やら零れ落ちる。
これは……宝石か?何だこりゃ。
キィキィと地獄から現れたのは例の魔物達である。
喚いて威嚇しているがまぁ役には立っていないのでそれはいい。
……いや、スライム苛めんな!格差社会かお前ら!
腕でつんつんとスライムを突きまわす魔物共からスライムを必死に取り上げた。
実に不服そうだ。黙れ!いじめいくない!
「……逃げたか」
「え?」
カミナギリヤさんの声に這い蹲りつつ振り返ってみると。
ゲルが居なくなっていた。
はやっ!
「……お前は……眷属か」
「へぇー。ファッションですか?変わってますねー」
「………………え、と……」
むむ?三人の声に釣られて顔を上げる。そこに居たのは一人の男性だった。
「いやはや、助かりましたよ。
お嬢様。もう少しで危うく死ぬところでした」
うさ耳生えた真っ白な髪の毛の初老のダンディなおじさまだった。
ピン!と立ったうさ耳は実に魅力的だ。言ってみれば兎執事といった所である。
いや、でも、うーん。ファッションかこれ?
見上げる姿は初対面にしては聊かショッキングな格好である。
「なんでそんなにボロボロなのさ」
血だらけである。
服もボロボロ、まさしく死ぬ寸前だったというのは嘘ではあるまい。
「地獄ではただ今、活動中の全悪魔による血の雨降り注ぐ命のやり取りの真っ最中でございます」
「なんでだよ!?」
思わず突っ込んだ。わけがわからない。
流石地獄。なんというデンジャラスワールドであろうか。というか私の地獄で暴れんな!
あのサイズでは壊れそうだ!
「初めは私がウサギ宜しく追い立てられているだけでしたが。
やはり起きている悪魔全員を相手などご遠慮したいものでして。
不信感を抱かせ混乱を生じさせ互いの不平不満に火を付けて回り秘密を暴露し蝙蝠に徹し何とかバトルロイヤル状態まで持っていけたまでは良かったのですが……黒貌め、あまりの発狂ぶりについつい面白くなって煽ってしまった。
首を持っていかれるところでございましたよ」
首…………。めっちゃ手形ついてるな。
がっつりついている。暫く取れないだろうなアレ。
「さて、お初にお目に掛かる。私の名は―――いや、今はよしましょう。
観客が多いですからな。そうですな。ルイスとでもお呼びくださればよろしい」
「ルイス?」
「左様でございます」
ふーん。シンプルでよろしい。
「さて、お嬢様。どういたしますかな。
追いかけるもよし、逃がすもよし。私と致しましては…………彼の者は実に。よろしい。素晴らしい。
許されるならば是非とも私の作品として物質界に留めおきたい所存でございますが」
作品?よくわからないな。
しかし追いかける?どこに行ったかなんてわからないが。
「ルイス…………その名にその姿。絵画の悪魔か」
「ほう!妖精王が私をご存知とは光栄ですな」
「ぬかせ」
うーむ。絵画の悪魔か。なんだかかっこいいぞ。ボロボロだけど。
「ははは、話はそれぐらいでいいでしょう。
本人も逃げちゃったし、そろそろ神域も崩れますよ」
「そうですな……ではお嬢様。名残惜しいですが今夜の逢瀬はこれにて。
地獄にて召喚に応じては、作品をばら撒き、微力ながらお嬢様の領域の拡大に従事する所存でおります故」
「おー」
よく分からんが頑張れ。
「落ちるぞ」
「―――!!」
音が一気に戻ってきた。辺りを見回す。三人とも姿が戻っている。ウルトは竜のままだが。
街にもあの静けさはもうない。どうやら本当に出られたらしい。
ガヤガヤとした喧騒。真夜中だと思っていたがそうでもなかったようだ。
「ん?」
なにやらめっちゃ指差されている。
「あはは、目立ってますねー」
「お前のせいだろう」
「……いえ、その、お二人共だと……」
後ろを振り返る。
うん、雪降りしきる月下、塔に君臨する妖精王と破壊竜のコンボは凶悪極まりなかった。
私とおじさんは兎も角、この二人デカいし目立つってレベルじゃねーよ!
「面白いなー。ちょっとパフォーマンスでもしてみましょうか?」
「やめてください!」
お前のパフォーマンスは絶対碌でもないだろ!
「それではお嬢様、早速でございますが今宵の事を絵に致しました。
どうぞお納めください」
「む?」
………………。
「何でうさぎになってんの」
「省エネでございますれば」
……いいけど。
私の背丈の半分ほどに縮んだうさぎから差し出された絵を受け取る。
雪と月と竜と妖精王と吸血鬼と私とスライムがいる。居るけど。
「美化しすぎじゃ」
「ごきげんよう」
言い切る前に地獄の穴に魔物共々飛び込んでしまった。ウサギ穴か。
そして魔物共が全く役に立たなかった。というか何の為に出てきた。
「クーヤ殿」
「ふぁい?」
「その絵は人間の商人にでも売って東にでも送る事をお勧めしておく」
「はぁ」
よく分からんがカミナギリヤさんの助言だ。聞いておいたほうがいいだろう。
「はは、それは楽しそうでいいですねー」
「そうだろう」
二人して何か楽しそうにしている。解せぬ。
おじさんも不思議そうである。
「それじゃあ、そろそろ戻りましょうか」
確かに眠い。そういや寝てたのだった。
「ねもーい」
「ふっ……。ウルトディアス、一度街の外に出るぞ。
人目のつかぬ所で人化して戻った方がいいだろう」
「そうしましょうか。じゃあ皆さん乗ってくださいねー」
またかよ。もう二度と乗らないと決めたというのに一日に二度も乗る破目になってしまった。
これもそれもあれもこれもあの光るゲルのせいである。
必ずや見つけ出しとっちめてくれる。
明日になったらな!




