旅行へ出発の朝
ちゅんちゅん、こんなだが実は雀ではないらしい何かの鳴き声。続けてホーホー、ホッホー。ホーホー、ホッホーと聞こえてくる。これは蛙の鳴き声である。
どちらも朝を告げる鳴き声であるが。
「ウーン……」
ひっくり返って動けない。流石に食いすぎである。お腹はポンポコリンに膨らんでおり、叩けばいい音がするであろう。おやつを買うつもりであったがこれは流石に自重した方がいいと私ですら思う。
鳴き声が聞こえてくる窓に顔を向ければ東雲の空が覗いている。濃紺から天色へと変ずる空をその奥に隠す紫と赤の雲が棚引く様は実に風流と言えよう。絶好の旅行日和である。
お腹をナデナデしながらむくりと身を起こす。
なんでこのジジイはこんなクソ明るい大広間で寝てるんだろと思ったくらいには寝にくそうだなと思ったので灯りの類は全て落としたので部屋の中は外からの僅かな夜明けの光が入るのみであり、蒸し暑い南大陸ながら明け方の風はそれなりの涼が取れるので実に過ごしやすい。
このまま寝たいくらいだがそういうわけにもいかないだろう。準備を何もしていないのである。さて、寝起きにお茶が欲しいところ。寝起きというほどには寝ていないが。まぁ私は趣味で寝ているのであって必要だから寝ているわけではない。なので特に問題はない。
もそもそと立ち上がって飲み物を吟味する。うむ、何も残ってないな。我ながら見事な食い尽くし。食堂に行くか?
飲めないとなったら無性にお茶を飲みたいのだ。九龍の方に視線を向ける。薄暗がりの中でまだクッションに突っ伏して寝ているようだ。背中の背筋で出来た影が山脈である。ウルトとブラドさんの間くらいって感じだ。ややウルト寄り。
しかし半裸で寝るのってどうなんだろう。半裸族なのだろうか。起こしてもいいが別に起こさなくてもいいな。
となれば茶を飲みにさっさと行くべし。そーっと、抜き足差し足忍び足。
キシリ。
一歩目にして床が軋んだ。そしてその音でジジイは速攻起きたらしい。いや今起きたのかも謎だ。実はずっと起きてても驚かない。ぱっと身を起こしてがしがしと頭を掻きながらすっと立ち上がった。寝起きの要素は特にない動きである。
うろうろと視線を彷徨わせ、窓を見てから私を見た。
「起来啦」
わけわからん異界語やめて欲しい。まぁ多分起きたのか的な言葉だな。
「まぁそうですな」
一歩目を踏み出したポーズで固まったまま返事をしておく。
それにしてもちゃんと寝てたらしい。寝起きで今の動きなのかよ。逆に怖いのだが。まあいい。起きたんなら普通に降りよう。しかし片付けはどうしよう。ギルドに片付け依頼で出すか。
思いながら階段へ通じる床扉に手をかけたところでズダダダダと四つん這いで階段を駆け上がるか駆け下りるかのような音が鳴り響いた。
「おぉ……?」
思わず手を離して一歩下がったところで扉が吹き飛ぶんじゃないかという勢いで開け放たれる。にょっきりと床から生えた頭は目覚まし時計だった。がちんと音を立てて時計の針が5時を指す。
けたたましい甲高いベルの音が鳴り響く。そしてそれをも塗り替える声量で目覚まし時計が叫んだ。
「オッハヨーーーゴザイマーーーース!!!元気してる!?ねぇねぇねぇ!!朝だよ朝だよ!!朝ご飯食べて学校に行くよって生徒会長も言ってたよ!!」
「う、うるさーーーい!!」
思わず叫び返す。朝からテンション高すぎる。しかも真っ赤なベストを着て真っ黒な外套を羽織ってと朝とも思えない完全武装スタイルだ。
頭のスイッチを叩くようにして押した。ピタリとベルが止み、ついでにピタリとラムレトも口を閉じた。連動してるのかよ。意味がわからん。
「おはようクーヤくん。お腹がすっごい膨らんでるけど大丈夫?」
「まぁお昼には無くなるんじゃないかな」
現に動く程度なら既に問題ない程度には減っている。朝の体操だって出来るであろう。
「あれ?九龍くん居ない?ここに居るかと思ったんだけど」
「え?」
言われて振り返る。無人であった。さっきまでそこに居なかったか?影も形もない。
クッションだけがぽつんと残っているだけである。
「…………んー?」
「ありゃりゃ。部屋に行ったかな?」
「えぇ……?」
確かに変なギミックで直通っぽい穴があったが。今の一瞬でか?
何のために。狐につままれるような気持ちながらラムレトに補助されつつ階段を一段一段降りる。
「メルト」
「あっ、居た居た。おはよう九龍くん」
「早」
階下には軽く手を上げてこちらを見上げる九龍がそこに居た。あれぇ……?
服も今日の気分は黒と銀だったらしい派手服をビシッと着込んでいる。何が起きた?てじなーにゃ……?
「……?…………?」
「クーヤくんが手品を見せられた猫みたいになっててウケる」
「種も仕掛けもないネー」
「まぁ物理で素早いだけだしねぇ」
「お前らと部屋着で居ると受付の小娘共が手が付けられねーアル」
「怖いもの知らずだよねぇ。でもギルド嬢達が居ない頃でも部屋着の九龍くんとか僕ら見たことないけど」
「呵々、見たけりゃ金払うアルよ」
「そういう事を言うと受付嬢達が破産も辞さないと思うけど。ほぼ全裸にチャックの開いたスラックスとはだけた黒シャツ一枚とか全体的に着崩したマニアックな格好にされそう。
自分で言っておいてなんだけど脳内再生余裕でつらい」
「撤回するよろし。あるいはお前も巻き添えネ」
「いや草。そう言えばこの前若い頃の総司くんについて根掘り葉掘りされたんだけど言ってよかったヤツだと思う?
総司くんが一刀鬼人モードになって斬り掛かってくるヤツかな?」
「ノーコメントにしておくアル」
「……………………?」
よくわからんが手品ではないらしい。まぁいいや。そんな事よりもお茶なのだ。私はお茶が飲みたいのである。ラムレトの足にしがみつきつつ1階まで階段を降りきってうむと頷く。
どうやら掃除は終わっているようだ。壁も天井も綺麗なものである。赤いシミも無ければ変な肉片もない。匂いまでは取り切れなかったようだが。しかし掃除に手慣れた感に日常茶飯事なのだろうと察してしまうな。
食堂に灯りを点けたところでそういえばとふと思い出した。
「九龍って部屋着どころか半裸族じゃん。寝る時半裸だったぞ」
着崩しているどころじゃなかった筈だが。チャック全開シャツ全開なんて目じゃない格好だ。
夜食の時も上は申し訳程度に引っ掛けているだけである。ちょっと見栄を張ってないか?
「え、マジ?」
「ほっとくよろし。寝る時まで着てられんアル」
「うーん、獣倫理だなぁ……。さすがスラムで猫と共に育った男だよ。ねぇそろそろ突っ込んで良いヤツ?」
「天藍玲瓏モードで狩りにかかってくるやつアルなぁ」
「殺意高すぎない?僕1人でいつまで耐えればいいのコレ。思ったよりヤバいのが発覚しつつあるんだけど。早く生徒会長か総司くんか来ないかな」
「わけわからん会話してないでお茶淹れてくれ」
私は朝イチ熱々の美味しいお茶が飲みたいのだ。そして私が淹れた茶は基本的に青か緑か赤なのである。よって淹れられるヤツが淹れるべきなのであるからして。
お湯は湧いているし、茶葉だってもうよりどりみどりで用意してあるのだが。
「じゃあ僕が淹れてあげよう。クーヤくんのお茶は原色カラーで匂いも原色のポイズンティーだからね」
「おー。香ばしめで頼む!」
「じゃあほうじ茶かな」
ひゃっほう!!用意しておいた3つの湯呑みが並べられた。
とくとくと順番に注がれていくほうじ茶がほわわんと湯気を立てる。うーん、なんとこおばしい……こおばしみ……。まずは匂いを堪能。くんくん。いい感じだ。
しかしちょっとアッチッチだな。ラムレトと九龍は熱さも問題ないのかそのまま啜っている。火傷しないのだろうか。
まぁでもジジイは熱い物を飲むからな。鍛えられているのであろう。ん、なんで私はスープを冷めさせられたんだ。理不尽労働か?許されんぞ。借金精算されてなかったら暴れるところだ。
朝ご飯はどうしようか、ほぼ一晩食べていたからこれ以上はどうかと思わんでもないのだが。悩んでいるとラムレトがなんでもないことのように私に告げた。
「クーヤくんは朝食抜きだよ」
「な、なにぃ!?」
さっくりとした死刑宣告、私でなければ聞き逃していたまである。
「いや、それ以上食べたら流石にヤバいから。飛竜も乗せて飛べる重量にはちょっと限界があるっていうか」
「ぐえー」
ご尤も。運搬してもらう身で重量オーバーは許されないだろう。デブすぎて墜落死は悪魔共に何を言われるかわかったもんじゃない。
「というか最上階の皿の数を見てもすっごい量だったけどどうやって入ったの?
クーヤくんのお腹ってブラックホールに繋がってない?」
「明らかに入った量と入っている量が釣り合ってねーでアルからなぁ。
腹がどこぞに繋がってるのは有り得る話ネ」
「ピエーン」
悲しくお茶を啜って胃袋を宥める。仕方がない、大人しく旅行の準備をするか。とは言っても準備するものなど殆ど無いが。
プースカしながら旅行ということで昨夜から1階に置きっぱなしのリュックに同じく立てかけてあった本と枝を詰め込む。これでよし。
「うむ、旅行の準備終わった」
「ちょっと待って、流石に笑う」
「もう少しなんかねーアルか?」
「何もないけど」
この三点セットさえあれば別になにもない。逆に何がいるんだ。
……ん、そういえば飛竜というか、ウルトに乗って移動した時は地獄のわっかを置く場所が無くてちょっと困ったな。
何かわっかを置く板を持っておいたほうがいいだろうか。板でも問題ないのかわからんな。ちょっと後で試そう。
「嘘でしょ……。ヤバい、僕らも荷物は少ない方だったけど上には上が居るねぇ」
「ほぼ手ぶらじゃねーアルか?」
「ウーン、リュックなせいでほんとに手ぶらな辺りがちょっと笑っちゃうね!!」
「私はこれで終わりだけど2人はどうなのさ」
「荷物は纏めたから後は旅装に着替えるぐらいかな。九龍くんはどうだい?」
「似たようなもんネ。すぐ終わるアル」
「じゃあちょっと着替えたらすぐに出発しようか。クーヤくんを待たせても悪いからね。
ギルドは大丈夫かい?」
「問題ねーであろ。精々があのゴブリン達に関して臨検させろ言われる程度ネ。突っぱねてよろし。
クロイツマインの時もそうだたアルが聖人勇者聖女、こちらに殺られる有り得ぬいう前提が向こうにあるぶん楽なもんネ。今回は全員アルしな。
ここに渦巻く呪いはそのほぼ全てが東大陸由来、向こうそれ誰より知ってるネ。
全員いきなり消えた言うたら勝手にそれと察して黙るヨ。オカルト寺院も消えたアルからな、持ってかれたと考えるしかねーであろ」
「まぁクーヤくんが祟り全部解決したしその後でゴブリンくん達も九龍くんと悪魔くんとクーヤくんで全員殺しちゃいましたとバカ正直に伝えてもまず信じて貰えないだろうねぇ」
「そこで私を何故混ぜるのだ」
「1番おっきな壁のシミ作ってたよね?
僕の自称お嫁さんだったんだけど」
「気のせいだな。後自称嫁はまた来るだろうから安心するのだ」
次回装填済みであろう。どんなのかは知らないが。
「なんにも安心できないねぇ。
もう自由都市ちょっと理由つけて立入禁止にしちゃう?」
「出来なくはねーがなぁ。下々の事に手を出す今のところいねーが気まぐれでも天使か神族来たら流石に手が出ねーアル。
人間同士の事として処理してもらわねば困るネ。それには人間受け入れ必須ヨ。
なれば悪魔に常駐願うわけにもいかねーよろし、クーヤバレたら間違いなく人間の上来る」
「どっちにしろクーヤくん待ちだねぇ」
「で、あろうな」
「お茶おかわりくれ」
「はいどうぞ。クーヤくんに僕ら全員期待してるよ」
「ふぁふぃが?」
なんか話してたか?私は今持って行く板の吟味に忙しいのだが。




