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「うーん……ここも、直して貰うか……」


 夜中の10時、律子はぶつぶつと呟きながら、昼間に撮った常盤さんの叫びを見ながら原稿を作っていた。

 明日、再び花梨のアパートで本番の動画を撮り、漫画と一緒にネットに載せる予定だ。


「出来るだけ勢いは消さずに……あー、なにやってんだろ私……」


 思わず机に突っ伏した。もう、2度と投稿作品は作らないと決めたはずだ。実際、律子が利用していた投稿サイトのアカウントはもう1年以上覗いてもないというのに……。


「花梨めー、明日も頬っぺた、つねってやるわ」


 どうにも、花梨に押し付けられた感がある。

 あの後帰り際、花梨に問いただしたら、


「いや、ネットに投稿するなら、りっちゃんかなって。私、りっちゃんのファンだし、今でもたまに見てるんだよ。……それにね、私、お父さんのこと信じているんだ」


 そう笑顔で言われた。

 全くもって余計なお世話だし、友達だからって過大評価が過ぎる上に、最後のセリフは意味不明だ。花梨がファザコンである事と、私の黒歴史を掘り返すことに一体、何の関係があるというのか? あいつは一回、反抗期を経験すればいいと思う。


「あー、こんなことならアカウント消去しとけば良かった……」


 そう思って……でも、実際に今から消去する気にはなれなかった。

 当時ですら、たいして見る人間もいなかったのに、一年以上音沙汰なし。

 それは、海の底に溜まる沈殿物の様だ。誰も見ないし興味もない。

 そう思う。思うのだが……。

 ……。

 ……。



 律子は一度だけ不登校になったことがある。小学6年の時だ。

 といっても、期間は僅か1日。

 三日坊主にすら勝る最速のリターンバックに、クラスメイトや先生は、律子が不登校になった事に気付かなかった。

 いや、共働きだった故に、親ですら気付かなかった。

 だが、律子にとっては、間違いなくあれは不登校だった。

 理由は特になかった。

 いや、本当に、これといった原因はなかったのだ。

 勉強もそれなりに出来た。運動もそれなりに出来た。友達にも恵まれていた。学校に行くのが嫌で仕方がなかった……なんてこともなかった。むしろ、楽しく思える事の方が多かった。

 それでもあの日、自分は学校へ行きたくないと思って、事実行かなかった。

 そんな初めての不登校は、楽しくはなかったが楽だった。

 学校へ行かない後ろめたさや不安が付きまとってはいたが、一人きりで何もしなくてもいいというのは楽だった。

 とはいえ、平日の午前中に外に遊びにいける訳もなく、友達も軒並み学校だ。やれることといえば、家の中で漫画でも読むかネットサーフィンぐらいしかなかった。

 律子は後者を選んだ。

 とある投稿サイトの新着動画を特に目的もなく漁った。

 お昼過ぎ頃だっただろうか、ちょっと気になる動画を見つけた。

 タイトルは『疲れた人に見て欲しい、疲れている人たち』

 そんな、ひねくれたタイトルに引き寄せられたのは、やっぱり疲れていたからだろう。

 義務教育。これは親の義務であると共に、子供にとっても義務だ。律子はそう思っている。学校に行くのは権利であると同時に義務だ。

 そして、何年も何年も真面目に義務を果たすのは、それなりに大変だ。特に嫌なことがなく、恵まれている律子の様な人間でも大変だ。時には義務を投げ出したくなったりもする。

 おそらく、律子の不登校はそんな理由だったんだろう。

 何にせよ、律子はその動画を開いた。

 内容は写真を繋げて作る写真動画だったのだが、ある意味タイトル通りの内容だった。

 上司に怒られているサラリーマンとか、雨の中、交通整理をしている人とか、子供のワガママに振り回されている母親とか、見ただけで疲れそうな人が10人以上出てきて、そしてそれだけで終わった。


「何、これ?」


 動画を見終わった後、そう呟いたことは、今でも覚えている。

 最初は、なんでこんな動画を投稿したのか? もしや嫌がらせか? などと思った事も覚えている。

 とにかく面白くもなんともなかった。それでもなんとなく気になって、2度、3度と動画を開いて眺めている内に、投稿者の意図に気が付いた。

 動画の中の彼らは、疲れてはいるけど頑張っている。たぶん、疲れているのは君だけじゃないよ。皆、そうなんだ。だから、君も頑張って……投稿者はそんな意図を伝えたかったんだろう。

 それを理解した時、思わず、


「わかりづらいし!」


 パソコンの画面に向かって叫んでいた。

 いや、本当にわかりづらかった。上手く伏線が張られていて、気が付くとびっくりする、なんて物でもない。ただ単純に演出と構成が下手くそなのだ。

 一体、どんな奴が作ったのか?

 投稿者の名前を確認したらアスティという名前だった。

 よし、アスティ。あんた、全然駄目駄目だよ? もっとちゃんとしないと!

 顔も知らないアスティに、上から目線で文句をつけると、なんとなしにスッキリした。

 そして、それが終わった後、ま、アスティもこう言ってる訳だし、明日は学校に行こうかな、そう気持ちが変わっていた。

 そんなこんなで、律子の不登校は終わりを迎え、翌日からはまた学校に通った。

 当たり前の日常を取り戻した律子だったが、そのライフスタイルに一つ変化が起こった。

 といっても、大した変化でもない。

 時折、アスティの作品を見に行く、それだけのささやかな変化だ。

 アスティは時折、疲れた人たちの様な、意識高い系とでも言うべき作品を投稿していたのが、これがまた全然駄目だった。

 伝えたい事が一度で分からない。中には何度繰り返しても分からない動画もあった。

 案の定、再生回数も少なく、アスティはほんと駄目だなぁ、とか、ここはこうすればいいのに、とか、素人の私でも、もっと上手くやれちゃうぜ、とか、そんな風に思っていた。

 だから意外だった。中学2年のはじめ、アスティのアカウントも作品も、その全てがネットから消えた時、自分でもびっくりするほど動揺したのは。


 ーーえっ? えっ? 何で?


 何度検索しても、影も形も見当たらない。

 混乱した。

 しばらくして、アスティは動画投稿者を引退したんだって理解した律子が得た物は、大きな喪失感だった。

 アスティがいなくなって、初めて気が付いた。

 自分がアスティのファンだった事に。

 アスティは駄目だなぁって思っていたのは、もっと頑張って欲しいという気持ちの裏返しだった事に。

 あの日、律子を不登校から引き戻してくれたのは、紛れもなくアスティだった……という事に。

 たぶん律子は、アスティの動画を見ていなくても、また学校へ行けたと思う。親や先生から叱られたり、花梨や他の友達に、学校来なよって誘われれば、再び学校へ通っただろう。

 でも、もしかしたら、そうならなかった可能性もあるのだ。変に拗れて不登校が長引く……なんて未来も有りえたかもしれないのだ。

 そうなる前に、自分の意思で戻れたのは、……自分だけじゃない、皆、大変で、皆、頑張っているんだって思えたのはアスティのおかげだった。

 なのに、そのアスティがいなくなってしまった。失望し怒りさえ覚える中で、じゃあ、次の律子はどうなるんだろう……そう思った。

 だって、いるかもしれないのだ。疲れて不登校になって、ただ目的もなくパソコンを眺めているかつての律子の様な人間が。そして、その人だって、律子の様に疲れた人たちの動画を見れば、また歩き出すかもしれないのに……。

 なのに、アスティの動画はもうない。

 だったら自分がやろう。律子がそう考えたのは、むしろ必然だったかもしれない。

 自分がやるのだ、アスティの続きを。

 かつてアスティに助けられた自分が、今度は助ける側に回るのだ。

 それが、動画投稿者としての律子の始まりだった。

 そして、創作意欲に突き動かされるままに、作った第1作が『下向いている奴らへ送る、頑張る街並み』、疲れている人たちと同じ写真動画。

 正直なところ、結構な出来映えだと思った。

 わかりづらいアスティの作品よりも、ちゃんと意図が伝わると思った。

 これを見て、沢山の人が、前を向いてくれるんじゃないか、そう思った。

 で、結果はといえば、再生回数、僅か36回。散々だった。

 自分は新参だし、人気のあるテーマでもなかったとはいえ、ここまで誰にも興味を持たれないとは思わなかった。作品の良し悪しなんて関係ない、まず興味を持たれないのだ。

 悔しかった。

 その悔しさをバネに、その後、2作目、3作目を投稿しても、何一つ変わらなかった。

 それで、4作目は作風をガラリと変えた。世間で受けている動画を参考に人気のテーマで作品を作った。

 これは、再生回数が数千を数えたのだから、そこそこ成功した。

 ほら、やっぱ、私、やれんじゃん。ーーそう満足したが、次の瞬間、冷めた。

 それは律子の目指した場所じゃあなかった。

 かといって、興味を持たれないことが分かっていて、新しく作品を作る気にもなれなかった。

 結局、律子は動画投稿者であることを止めた。たぶん、アスティがいなくなったのも、律子と同じような理由なんだろう。

 そして、律子もアカウントを消そうかと悩んで、そのままにしておいた。あってもなくても同じだとはいえ消す気にはなれなかった。

 それから、

 ……。

 ……。


「あー、もう!」


 気が進まないとはいえ、一度、請け負った事に対して投げやりに済ませる気にはなれない。

 花梨と花梨のお父さんを応援したいという気持ちもある。

 何より、律子自身が『パンドラの契約者』の続きが見たい。

 自分に出来ることがあるならやってやろうじゃないか……。

 律子は机から身を起こし、再び、おっさんの原稿を作り始めた。

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