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律子が、かって知ったる花梨の家で出会った常盤というおっさんの第一印象は 、こう言ってはなんだが、ちょっと背が高いだけの普通のおっさんだった。
「初めまして、常盤一です」
「こんにちは、絵田律子です」
そんな、あたりさわりのない会話を交わしつつも、さりげなく観察しているのだが、安物の量産品を着ているあたり、とても資産家という風には見えない。反面、特に横柄な感じもしない。見たところ、花梨のお父さんとの仲も悪くはなさそうだ。
そして、挨拶もそこそこに本題に入ってきた。
「じゃあ、律子ちゃんには漫画をネットに載せるのに力を貸して貰う訳だが、とりあえずは、漫画を見て貰わないと駄目だろう」
「そうですね」
おっさんの意見に頷いた花梨のお父さんが、私に原稿をちょっと恥ずかしそうに差し出して来た。
久しぶりに会うけど、変わってないなぁ、と思う。
そして、手渡された『パンドラの契約者』という話の第1話を読み始め、
読み終えた後、
全身に鳥肌が立った。
「〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
何か口に出そうとして、でも声にならなかった。
いや……いや、マジですげぇ。特にラスト2ページ。主人公の黒矢が、平凡な学生の顔から悪魔を狩るハンターに変わる瞬間。ヒロインの「じゃあ、行きましょうか?」ってセリフに「ああ」って短く淡々と返すシーン。
その返事同様に、表情はなんでもない風に装っているのに、その胸の内に抱える煉獄の憎悪がこれでもかってほど伝わってくる。こいつは、平穏な学生生活なんかどうでもよくて、復讐だけが全てなんだって伝わってくる。
ーーこいつ……黒矢、超かっこいいんだけど⁉︎
ヤバイ。惚れた。
こんな、テンプレと言ってもいいようなキャラに惚れ込んでしまった。
「その……ど、どうかな?」
読み終えた律子に花梨のお父さんが感想を求めて来た。それに対して、
「いや……凄く面白かったです」
そんな、ありきたりな感想しか返せなかった。もっと、言いたいことが沢山あるのだが、まだ頭が回ってない。
そのことをもどかしく思う律子だったが、花梨のお父さんはそれには気付かず笑顔を浮かべた。
「それは良かった……ところで、一応3話までは完成してるんだけど良かったら見てくれるかな?」
「見ます!」
即答した。他に選択肢があるはずもない。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「いや、凄いね、これ……」
「でしょ! でしょ⁉︎」
3話まで読み終えた感想を花梨に伝えると、嬉しそうな返事が返って来た。
いや、でも、本気で凄い。話の筋としてはよくある話なんだけど、臨場感が半端ない。
ファザコン補正なんてとんでもない。最初に事情を聞いた時は、何かの詐欺なんじゃないかと思ったが、花梨の言うとおり、見れば納得した。
ーーこれは、マジに魂捧げてるわ……。
そう思うし、これが世に出ないのは、余りに惜しいと思う。もしかしたら、これならワンチャンあるんじゃないかとも思う。
「えっと……これ、ネットに流すんですよね?」
律子が尋ねると、
「ああ、私はそういうの詳しくないんだけど、出来るかな?」
お金持ちのおっさんに問い返された。
「いや、ホームページ作って、原稿スキャンして載せるだけなんで、出来る出来ないで言えば、簡単に出来ますけど……」
「おお! 頼もしいな! なら是非ともお願いしたい!」
「……わかりました。……とりあえず、スキャナがいるんですけど……ある?」
最後のセリフは花梨に尋ねたのだけど、花梨は首を横に振った。
「じゃあ、家から持ってくるわ」
「わ! ありがとう、りっちゃん!」
そう喜んで、いちゃついてくる花梨だったが、
「じゃあ、あとは動画だね!」
と、訳のわかんないことを言い出した。
「あん? 動画?」
何よそれ? 聞いてないんだけど……という意図を幼馴染アイコンタクトで伝えると、
「いやね、なかなかにおかしな事情を説明して応援して貰う為に、動画も作るんだ。主演は常盤さん。監督はりっちゃん」
なるほどなるほど……。
「き・い・て・な・い・わ・よ?」
律子は花梨の頬っぺたを引っ張った。
「ほへんなひゃい! へもりっひゃん! ほへがいひます!」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
正直、痛い過去を思い出す為、乗り気じゃなかったけど、結局、花梨に押し切られてしまった。
それで、とりあえず、スマホで試し撮りをしたのだけど、
「この漫画を読んでくれた皆! 残念なお知らせだが、このままでは続きを載せることが出来ない! なぜなら、原作者である轟先生に許可を貰っていないからだ! そのあたりの事情を今から説明しよう! 始まりは私が大学生だった頃だ……」
「そんな訳で、漫画家を雇って『パンドラの契約者』の漫画を描き始めたのだ! 全ては『パンドラの契約者』の続きを見る! それだけの為にだ! その為なら私はいくらでも努力する!」
「そうやって出来た作品は、皆が見たように傑作だというのに山崎! 山崎ーー! あんたって人はしょぼい過去のことでグジグジとー! !」
「だから、皆に協力して欲しい! この漫画が轟先生の目に止まるように協力して欲しい。ーー私だけじゃない! 私だけじゃないはずだ! 『パンドラの契約者』の打ち切りに絶望した人間は! 今でも、その続きを待っている人間! そう、パンドラーは!」
「いや、かつてのファンだけじゃない。この漫画の続きを見たいと思う人間は皆パンドラーなのだ!だから、立ち上がれ、パンドラー! 手を貸してくれ、パンドラー! かつて終わってしまった物語の続きを、皆で見ようじゃないかああ!」
「………………」
律子は、今まで出会ったこともないおっさんに、開いた口がふさがらなかった。
ーーいや、いっちゃってんな、このおっさん。
ーー誰だよ、この人を普通のおっさんとか評したのは?
ーー私だよ……馬鹿なの私?
いや信じられない。何が信じられないって、このおっさんが私の両親と同じ世代だってのが信じられない。
このおっさんを見てると、年の割にガキっぽいなって思っていた大学1年の兄が、実はしっかりしているんじゃないかと思えてきて怖い。
ーーあれか、成功者ってのは、やっぱり常人とは掛け離れているのかね?
そんな失礼な事を考えていたら、当の本人が、
「読者に少しでも私の熱意を伝える為に、全力でアピールしたんだけど……どうかな?」
なんて、聞いて来た。
うん、少なくとも私にはおっさんの熱意は伝わった。
ただ、かつての経験者として言わせて貰えるなら、
「とりあえず長すぎです。とくに常盤さんの過去と編集者さんへの愚痴は全部カットで。もっと要点を絞らないと、途中で切られちゃいますよ」
律子の指摘におっさんは目を白黒させた。




