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花梨を了承をもらった翌日の日曜日。常盤さんが僕のアパートにやって来た。
「初めまして、常盤一です。これから、お邪魔することになるので、よろしく」
「こちらこそ初めまして、瀬戸花梨です。お父さんもいるので花梨と呼んで下さい」
「わかった。では花梨ちゃん。これから、君のお父さんと漫画を作るのだから、私はお客様という訳じゃない。だから、あまり気を使わないでくれる方が助かる」
「わかりました。お仕事頑張って下さい」
二人の挨拶はそんな感じだった。
そして、特に話し込むこともなく、僕の部屋で漫画作りに取り掛かった。
最初の仕事は、
「よし、それではまずは、見本を借りてこなければならないな。瀬戸さん、近くのレンタルショップの場所を教えてくれないか?」
と、いうもので、僕が徒歩8分のその場所を教えると、早速、10冊以上の本を常盤さんは借りて来た。
そして、その一冊を手に取って、パラパラと迷いなくめくり、とあるページを開くと、
「えーと、確かに8ページの上の放課後シーンの始まりは、こんな感じで描いて欲しいんだが」
そう。僕に見開きのまま漫画を渡してくれた。
「……なるほど」
僕は、思わず呟いた。
(常盤さんはこんな感じのイメージで描いて欲しかったのか……)
確かにこのやり方は、これは駄目だと呼ばれるより、はるかにイメージがつき易い。早速、手直しを始めた。
〜10分後〜
僕はちょっと不愉快になっていた。というのも、僕が必死に手直ししている隣で常盤さんが漫画を読んでいるからだ。
いや、あたり前の話だが、漫画を書き直すのは時間がかかる。次から次へと修正できない訳だ。そして、その間、常盤さんはやる事がないから、借りてきた漫画をそのまま読んでいる。
僕を手伝おうという気はサラサラなさそうだ。いや、常盤さんの画力は知っているので、むしろ手伝おうとか、言われた方が困るのだろうけど。
(しょうがない。……なれろ。なれろ)
自分に言い聞かせて、筆を進めた。
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「お父さん。お昼ごはんできたよ。常盤さんもよかったら、お昼一緒にどうですか?」
12時を過ぎて、花梨が僕らを呼びに来た。
「私も頂いていいのかな?」
常盤さんがそう問いかけてきたので、
「はい。一緒にどうぞ」
と返して、僕たちは昼食を食べる事にした。
昼食は花梨の作ってくれた。豚の生姜焼きとサラダ。
花梨に作った物にマズイ物があるはずもなく、美味しく、つつながく昼食は終わると思っていたのだが……。
「2巻の後半の黒矢君と葵ちゃんのやり取りって、すっごいドキドキしますよね? 私は『パンドラの契約者』の中で、そこのシーンが一番好きです!」
「わかる! わかるよ、花梨ちゃん! あのシーンはニヤけずにはいられないよな! しかも、ただ良いシーンというだけでもなくて、三巻への伏線になっているんだから、堪らないよな⁉︎」
「そう! あれ、ビックリしました! えっ? こんなに緻密にストーリー練り上げているんだって思って、この作者さん、すっごいなぁって思いました!」
「いや、ほんとに轟先生は凄いよ! 先生の他の作品も、こっちに行くのか⁉︎ って驚かされる奴ばっかりだから。なんというか、感性が独特なんだよ先生は」
僕の目の前で、花梨と常盤さんが楽しげに会話を交わしていた。二人は凄く話が弾んでいる。
(………………………………)
いや、花梨は基本誰に対しても明るい人懐こい性格だし、漫画も好きだし、常盤さんだって、さっきから『パンドラの契約者』の話しかしてないし、別に勘ぐる様な必要はないのだけれど、でも、話に置いてけぼりにされた父親は、心中複雑である。
そんな中、花梨が常盤さんへ『パンドラの契約者』以外の話題を振った。
「そういえば、お父さんから聞いたんですけど、常盤さんは自称投資家なんですよね?」
「ああ、そうだ。私は自称投資家だ」
「何で、自称なんですか? 投資で生活しているなら、普通の投資家なんじゃないですか?」
花梨の質問は僕も気になっていて、花梨と一緒になんでだろうね? って首を捻ったことがある。
ただ、僕は初めて会った時、ちょっと投資の話をしたら地雷を踏んでしまった事があるので、そこらへんの話題はスルーしていたのだが、花梨は好奇心が上回った様だ。
そんな花梨の質問に常盤さんは苦々しげに応えた。
「花梨ちゃん。私だって、出来る事なら普通に投資家を名乗りたかった。だが、悲しいかな、この国には個人投資家なんて職業は名ばかりで公的には存在しないんだ」
「? じゃあ、常盤さんは公的にはなんなんです?」
「……………………無職だ」
「「ええっ⁉︎」」
意外な返事に僕と花梨の声が揃った。
そして、常盤さんは語り始めた。
「びっくりだろう? 私だって、びっくりだった。ずっと専業投資家を目指して来たのに、専業投資家になってから、そんな職業がないことを突きつけられたんだから!」
しゃべりながら、どんどん、口調が荒くなっていく。
「あれは、私が仕事を辞めてから、10日ほど過ぎた頃だった。年金や健康保険の支払いの手続きをする為に役所に行ったんだ。サラリーマンの頃は、会社が給料から引き落としで何もかもやってくれたんだが、退職した今は自分でやらなくてはならない。面倒だったが、その面倒さこそが自分が専業投資家になった証なのだと、誇らしかったよ。そして、役所に提出する書類の職業欄に投資家と書き込んで提出したら……」
そこで、常盤さんは感極まったのか、話が途切れた。
一度、小さく深呼吸を入れて。そして、
「提出したらだね、窓口のおばさんが無愛想に、『投資家は職業ではありません』そう言って、横線で投資家の文字を消して、無神経にも無職の文字を書き加えやがったんだ!」
魂の叫びだった。あんまりにも、感情がこもっていて、花梨は相槌も打てない。というか、常盤さんは投資関連で地雷が多すぎじゃないか?
そんな風に僕らを置いてけぼりにした常盤さんの独白は続く。
「ちくしょおお! そりゃ、そういうルールなのかもしれないけど、もっとやり方があるじゃないか⁉︎ 私が去った後に、さりげなく書き換えるくらいの配慮があたっていいじゃないか! これが、一般商店だったらクレーム物だぞ! 店員の態度が悪いって文句言われるレベルの暴挙だぞ! お役所仕事! お役所仕事めええええっ! ……ああ、いいさ! 普通のサラリーマンの10倍以上は税金を払っている私をそんなに無職と呼びたければ呼べばいい! だが私は、たとえ、この国が認めなくても投資家を名乗ってやるからな!」
常盤さんは、誰に対して叫んでいるのかわからない様な独白を終えて、花梨に諭す様に言った。
「という訳だから、花梨ちゃん。君が将来どんな職に就くかはわからないが、公務員だけは止めなさい」
個人的な考えで、花梨の将来を狭めるのは止めてもらいたい。
その日の夜、僕と花梨は、常盤さんに投資の話題を振ることを極力避けることで、意見が一致した。
とまあそんな感じで、常盤さんがアパートに来るようになって4日、僕は常盤さんからの指摘部分を全て直した。
「どうですかね?」
「……もう、指摘する箇所はないかな」
やっと……やっとその言葉を聞けた。
「では、背景を入れますね」
「…………分かった。輝くような一話をよろしく頼むよ」
そう言われてから6日間、僕は『パンドラの契約者』の第一話を完成させた。
終わった嬉しさを噛み締めながら、早速常盤さんに電話した。
完成したことを告げたら常盤さんは、その日の内にやって来た。
そして、6日ぶりにやって来た常盤さんは完成した第一話を三回読み返すと、難しい顔で僕に告げた。
「瀬戸さん。これじゃあ駄目だよ」




