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最初の駄目出しから20日。第一話の修正作業を3回繰り返して、なお常盤さんは首を縦には降ってくれなかった。
「だから、ここはこれじゃ駄目だって言っているじゃないか⁉︎」
その言葉に僕は言い返した。流石に限界だった。
「言われた通りやっていますよ! これ以上、何を付け足せって言うんですか⁉︎」
そもそも、常盤さんの要求は抽象的なものが多すぎる。「もっと滑らかに」とか「そこはブワッーと」などはまだマシな方だ。
最悪なのが「ここは、これじゃ駄目だ」というたぐいの要求で、直しても直しても「ここは、これじゃ駄目だよ!」そう言ってくる。
今も、また言って来た。
「でも、足りないんだよ!」
「だから、何がですか⁉︎」
常盤さんは足りない、足りないというけど、僕は言われた通りにやっているんだ!
正直、これ以上どうすればいいか分からない。いや、僕は全力でやっている。これ以上直しようがない。
だというのに常盤さんは納得してくれない。
そして、
「そんなこと言っても、これじゃあ、私のネームの方がまだ面白いよ? 清書してパワーダウンするとか、どうするというのだ⁉︎」
その言葉は僕の内臓をえぐった。
常盤さんの目に僕の原稿は、ど素人のど下手くそなネームより駄目に見えるらしい。
その言葉で、理性より感情の方が一瞬、上回った。
「だったら、他の人に頼んだらどうですか⁉︎」
いい終わると同時に我に返った。
ああ、馬鹿な事を言ってしまった。
こんな言葉は自分の首を絞めるだけなのに、我慢出来なかった。もう取り消せない。
『じゃあ、他の人に頼むから、瀬戸さんとはこれまでだ』
そう言われるのが怖くて、おそるおそる常盤さんの方をうかがうと、常盤さんは僕とは対象的に冷静だった。
「いや、それは困るな。私は瀬戸さんの描いた『パンドラの契約者』が見たいのだよ。それに瀬戸さんだって、この話を蹴りたいとは思ってないだろう?」
「…………はい」
僕はつい、ほっとしてしまい。そんな自分が情けなくなった。
それっきり、僕も常盤さんも口を開かず、沈黙の時間が流れた。
僕は正直、疲れきっていて、何も考えられなかった。
常盤の方は腕を組んで、天井を眺めていた。考えこんでいる様にも見えるし、思考を放棄している様にも見える。どちらにせよ、話しかける気力はなかった。
それから、およそ10分。常盤さんが再起動した。
「瀬戸さん。おたくの家にお邪魔しても構わないかな?」
「え?」
僕は、常盤さんの唐突な提案が、理解出来なかった。いいとか悪いとか以前の問題だ。
何故? と、理解出来ない僕に常盤さんは、原稿を手に取って話始めた。
「私の正直な感想を伝えるとね。今の出来でも、出版社は取り上げてくれるかもしれないとは思っている。絵は綺麗だし、ストーリーもきっちり描いている。でも、おそらく長続きしない。そんな気がするんだ」
「……」
常盤さんの話に僕は何も言えなかった。
そんなことはない! これは面白くて人気が出るんだ! そういい返したいが、これまで、3つの作品で打ち切りをくらった僕には、言えない言葉だった。
「何よりも確信があるんだ。この物語のポテンシャルはこんなものではないんだって……。もっともっと面白くなる。私はそう思っている。だから、私はここを直してくれ、あれも直してくれと要求している訳だが、現状上手く伝わっていない」
「…………はい」
僕は頷いた。常盤さんの考えている事が僕には理解出来ない。
「これには、私の方も責任があると思う。言葉でも、ネームでも、私の考えを上手く伝えられていない。瀬戸さんが戸惑うのも無理はない。その問題をクリアしないと先へと進めないのだが…………一つ案がある。私には、これまで30年以上、漫画を読み続けた経験があるんだ。 だからこれ」
常盤さんは、だからこれ 、と僕の描いた原稿の1部分を力強く指差した。そのポーズのまま、
「このシーン。私は今まで、これは駄目だとしか言えなかった。それが、私の表現力の限界な訳だったが、今、気付いたよ。他の漫画で例えることは出来るんだって……! このシーン! このシーンは私の愛読する『マジカル天使 マリアちゃん』の2巻に描かれている日常シーンの様に描いて欲しいんだ!」
「マジカル天使……ええっ……ええええ……」
「ん? マリアちゃん、知ってる?」
「知りませんよ!」
「そうか、面白いから一度読んで見るといいよ。……それはともかく、他にも、ここは『貞森の恩返し』の名シーンが参考になると思うし、このシーンは『空切り』か『リフティングシュート』が見本になる。他にも『モンブランパテシエ』や『異世界の侍』なんかも役に立つと思う」
常盤さんは僕の知ってる有名作品から、僕の知らない無名作品まで、次から次へと例に上げた。
「どうだい? ただ単に、これじゃないと言われるより、見本があれば、大分イメージが掴みやすいと思わないかい?」
「それは、まあ……」
「だろう? ……ただ、私も今言った作品を全て持っている訳じゃないし、二話、三話と進めば、それ以外にもたくさん漫画が必要になる。買い揃えるのは現実的じゃない。だから、レンタルショップで借りてくるのが妥当なんだが……、今までのやり方だと、ファミレスで打ち合わせをして、原稿を見て、私が参考になる漫画を借りて来て、瀬戸さんに渡して、瀬戸さんが原稿を直して……、と、手間がかかりすぎて、いつまでたっても原稿が完成しない。だから、瀬戸さんの仕事場で一緒に漫画を作ればいいと思うんだ」
それで、どうだろうか? 常盤さんはそう問いかけてくるが、正直、困る。
常盤さんの話が理解出来ない訳じゃない。確かに、常盤さんの提案したやり方の方が、早く原稿を上げられるだろう。
そもそも、絵を描くのは僕だが、主導権はお金を出している常盤さんにある。その食い違いからのレスポンスの遅さは、今までのやり取りで、僕も感じていた。
何より、今の僕は頭打ちだ。今までのやり方で常盤さんの首を縦に振らせることは無理だと思う。なら新しいやり方を試してみるのも手だ。
そうは思う。
思うのだが……。
僕の様子から、気乗りしないことを見てとった常盤さんが問いかけて来た。
「どうやら、嫌みたいだが、それは一体、何故だい?」
「それは……」
「いや、家はプライベートだからね。知りあって間もない人間をあげたくないという気持ちも分からない訳じゃないけど……、君は漫画家だろう? 連載ともなればアシスタントを家に入れる必要もあるだろう。それと同じようなものじゃないか?」
常盤さんの言うことはもっともだった。それに、常盤さんはいわばスポンサーだ。無下には出来ない。
だがスポンサーだからこそ、はっきり伝えなければならない。
僕は何に悩んでいるかを正直に伝えた。
「わかりました。僕の家で一緒に漫画を作りましょう。……でも、ちょっと常盤さんに配慮してもらいたいことがあるんす」
「なんだい?」
「常盤さんに不満があるわけじゃないんですが……僕には娘がいるんです。花梨って名前なんですが、親のひいき目を抜きにしても、かわいい娘なんです」
「それは……よかったね」
常盤さんは困惑した表情で僕を見返してきた。たぶん、僕の懸念が全然わかってない。
いや、無理もない。僕自身、過剰に捉えている気もする。でも、どうしても心配してしまうんだ。
「うちは母親がいなくて、花梨の保護者は僕1人なんです。それで4年前なんですけど、僕はとある漫画家の下でアシスタントをしていたんですが、ちょうど夏休みの時ですかね、人手が足りなくてそこのお宅で缶詰になっていたんです」
そこで、一拍、
「締め切りが迫っていて僕は帰る余裕がなくて、でも、まだ小学6年生の花梨を1人で家に置いとく訳にもいかなくて、しばらく、花梨も一緒にそこのお宅で泊まったんです。大きなお宅で部屋にも余裕がありましたし、最初は中々連れて行ってやれない旅行代わりなんて思っていたんですけど、花梨が来て5日くらいですかね。その漫画家が僕に話を持ちかけたんです……その……金を出すから、花梨を一晩、そのですね……」
僕は、肝心な所をはっきりと伝えられなかったのだが、常盤さんは察した様だ。憤慨した様に言う。
「ぶん殴ってやれよ、そんな奴!」
「あ、ぶん殴りました。相手は全治半月でしたね」
「おお! やるじゃないか瀬戸さん!」
素直な賞賛を受けて、逆に僕は気まずくなった。
だって、今、この話をするってことは、要するに常盤さんを疑っているということだから。
考えすぎかもしれない。
常盤さんがそんな人間だと思っている訳でもない。
ただ、その漫画家だって、到底そんなことを言う様な人には見えなかった。僕より10以上年上だったし、奥さんもいたんだ。話を持ちかけられた時は、本当にびっくりした。
そして、常盤さんが資産家であり、僕との関係性において、上の立場だ。今の僕と常盤さんの関係が、当時の僕と漫画家の関係と似通っていて、どうしても警戒してしまう。
「狭いアパートですので一緒に仕事をするなら、花梨とも顔を合わせるでしょう。だから、失礼な話かもしれませんが、一緒に仕事をするなら配慮をお願いしたいんです。娘の部屋には立ち入らない。お風呂場も下着とかあるんで遠慮してもらいます。夜の7時以降は帰って頂く。僕の居ない時に部屋に上がらない。過保護かと思われるかもしれませんが、それらを約束してもらえませんか?」
娘の部屋に入るな。なんて、聞くこと自体が相手への侮辱かもしれない。だけど、一緒に仕事をするならどうしてもこの話をしない訳にもいかなかった。
そして、常盤さんは、
「わかった。瀬戸さんの要求は全て受け入れよう!」
不快になることもなく、僕の話を肯定してくれた。
「いや、私は独り身でね、そういった事を全然気にしていなかった。申し訳ない! 他にも、何か気付いた事や気に食わない事があれば、遠慮なく言ってくれてかまわない!」
「…………ありがとうございます……その、失礼な質問ではなかったですか?」
「いやいや、年頃の娘を持つ父親なら当然の心配だろう。気にする必要などないさ」
そう言われてホッとした。
「では、先に花梨に話をしておきたいのですが、それまで待ってもらえませんか?」
「もちろん!」
「それと、今の話を花梨は知りません。ここだけの話ということで花梨にも、他の誰にも内緒でお願いします」
わかった。という返事を受けて、この場はお開きとなった。
そして、その晩、花梨に話をした。
事前に、花梨が嫌だったら断ると前置きをしたのだが、花梨はあっさりと、
「いいよ。面白いお話しを作る為だもんね」
と、了承した。
更に、
「それに、そのおかしな常盤さんに、一度会ってみたかったしね! すっごく気になっていたの!」
と、父親として、非常に気になる一言が付け加えられた。
「いや、常盤さんは悪い人ではなけど、若干変わった人ではあるし、何よりも僕より年上だし、花梨が興味を持つのは、なんというか……」
しどろもどろな僕の言葉に、花梨は呆れたような表情を浮かべた。
「あのね、お父さん」
まるで、幼い子供に言い聞かせる様な口調だ。
「お父さんが漫画家だからって、漫画の影響受けすぎだよ。現実の女子高生が、ふた回り以上年上と年の差ラブとか、ないから」
返す言葉がなかった。




