リビドーマネジメント
その母親は、“怒り”は良くない感情だと思っていた。周囲を嫌な気分にさせるし、行動が制御できなくなるし、無駄にエネルギーを消費するし。だから、自分の息子を、そんな感情をできる限り抱かないように育てたいと思っていた。
「いい? 怒ってはダメよ。怒るのは良くない事だから」
それでそのように常に言い聞かせていた。幼い息子は、素直にそれを聞き、“できる限り怒らないようにするべきだ”と考えるようになっていた。
母親は喜んだが、ただ、それだけでは彼が“怒らない人間”になれるはずがないとも思っていた。そこで彼が怒る原因を取り除くようにし始めた。
怒るのは“気に入らない事”があるからだ。なら、彼が“気に入らない事”を取り除くようにすれば、彼は“怒らない人間”になれるはずだ。
そのように考えたのである。
そうして、彼の家にはそのような家庭環境が作られた。彼の家には彼が怒る原因になるようなものは何もない。お気に入りのオモチャ、お気に入りの絵本、お気に入りの部屋。当然、嫌いな食べ物なんて何一つ食卓に出なかった。彼はほとんど怒る事なく大きくなっていった……
「――さて、深田君。
この物語に出て来る子供は、果たして家庭を離れ、社会に出ても、“怒らない人間”でい続ける事ができるだろうか?」
そう塚原さんから話を振られ、“何を言っているのだろう?”と僕は思った。
「そんなの無理に決まっているじゃないですか」
「どうしてだい?」
「だって、“怒った事”がないのでしょう? 快適な環境でずっと暮らして来た。そんな人がストレスの多い社会に放り出されて、感情をコントロールできるとは思えないですよ。
“アンガーマネジメント”って、怒りをなくす事じゃなくて、適切にそれをコントロールする事を目指すって言うじゃないですか。だから、怒りを覚えた時には適切にそれを相手に伝える事だって重要らしいですよ」
つまり、“怒り”を否定する訳じゃないのだ。怒りはきっと人間にとって必要な感情なのだろうから、それで良いんだ。
それに塚原さんは頷く。
「なるほど。それでは、もしさっきの話みたいな事をしようとしている母親がいたら、君は愚かだって思うかい?」
「そりゃ、思いますよ。でも、いないでしょう? 現実世界じゃ、そんな親」
「ところが実はそうでもないのだな。そういう親は実際にたくさんいるんだ。
……ただし、感じさせないようにしているのは、怒りじゃないのだけどね」
「はあ、それは何です?」
「“性欲”だよ」
それを聞いて、僕は塚原さんが何を言わんとしているのかを察した。
キリスト教では、“性交は、生殖の為のもの”という考えが昔からある。快楽を得る手段としては、認めていない訳だ。
だから、欧米では“快楽を得る手段としての性”に対して禁欲的な態度を執る場合が多く、一部の人達は、どうやらそれを他の文化圏にも広めようとしている節がある。
だから、性的な表現を批判し、性的表現が出て来る作品を過剰なまでに叩くのだ。
――でも、
そもそも性的なもの…… エロは別に社会悪じゃない。何千年間も人類は性を文化の一部として取り入れ、生き続けて来たのだから。生物として、それは当たり前の事でもある。否定するべきものじゃない。
塚原さんは続けた。
「性欲をコントロールしようと思ったなら、性的興奮を体験しなくてはならない。社会からそれを排除し過ぎてしまったら、当然、それは体験できなくなる。
性的表現で溢れている日本社会で性犯罪が少なく、性表現が禁止されがちな欧米社会で性犯罪が多いのには、実はそんな要因もあるのじゃないだろうか? キリスト教の聖職者の性犯罪が社会問題になっているなんて話も聞くしね」
アンガーマネジメントは、怒りと上手に付き合っていこうという概念だ。それと同じ様に、性欲についても似たような概念が必要なのかもしれない。
それを“リビドーマネジメント”とでも名付けて、考えていく事から始めてみるのはどうだろう?
性欲と上手に付き合っていく為に。




