第19話 方針検討会
午前が採蜜で午後が布おむつ講習会……そして夜は方針検討会。
先ずは十集落の推定位置を共有するため、地図帳の兵庫県のページを広げてこれこれこういう理由でここらとやっていく。
「やっぱりホムハルの位置が大川沿いのどこかというのが肝かな」
「そうだな、ホムハル出身の……」
「カケさん?」
「そうそう。カケさんを小桜に乗せて大川を行ける所まで遡ってホムハルに着くかあたりからかな」
「こちらは向こうの十倍の物を運ばないといけないのですから遡上できる場所までですね。日時を決めて“欲しければここまで来なさい”ぐらい言っても罰は当たらないでしょう」
「ホムハルまで遡上できたら?」
「その時はホムハルに市場でも作らせた方が楽かもしれないわ」
「主導権を握られないか」
「そんな物どうでもいいんじゃない?」
「まあ、そりゃそうか」
オリノコは放置すると危険がありそうだったから手を染めたけど、他の集落に関しては彼らを支配したり統治したい訳ではない。というかそんな面倒な事は可能なら回避したいぐらい。
そうは言っても美浦の技術・産品をホムハルが他集落への影響力に使うのは少々業腹な気もするから牽制として直接アクセスする方法は確保しておきたいけど。
「ミツモコは美嚢川とその支流の志染川のどこかと思われるのよね?」
「聞いた範囲で推測するとそうなる。ただ、東条川かも知れないし地形が異なっている可能性は高いから七三ぐらいかな?」
「コロワケもそうで、サキハル・ヒノサキ・フマサキはミツモコ・コロワケより更に東……これって大川……加古川の左岸に拠点造れば五集落はホムハルを経由せずにアクセスできるんじゃ」
「そうなるわね。でもそれはどこまで遡上できるかが分かってから決めればいいわ」
「そうだな。そこらは一旦脇に置いといて調査後に決める事にしよう」
まあ、そうなるな。
「他に気になる物とかは?」
「私はええっとハクバルだっけ? 角のある動物が何かってのが……鹿じゃないんだよね」
「日本で鹿以外に角のある野生の大型動物っていなかった筈なんだけど鹿ではないそうだ」
「ものっそい長生きのどでかい猪で牙を角と見間違えたとか」
「乙事主かよ……山のように大きいらしいから、まあ話半分としても大きさ的にはあってるかも」
「でね、私思うんだけど、それ牛なんじゃない?」
「……匠、日本に牛っていたっけ?」
「後期旧石器時代の遺跡から牛系の物は見つかってるから居たのは居たんだろうけど、弥生時代か古墳時代ぐらいまで空白になってる。家畜の牛は移入種ってのが定説だったような……美野里どうだ?」
「うん、日本の原牛は旧石器時代に絶滅していて牛は弥生時代以降に渡来人とともに来たというのが定説だよ。でもね、生き残りとか大陸から新たに渡ってきたのが居るかもって思ったんだよ」
「オーロックスだったらどうする?」
「もちろん連れて帰って育てる」
捕獲に馴致それからどうやって連れて帰るか。後は餌とか放牧地とか……まあ、これも確認してからの話だな。
「傷薬みたいな事言ってたのは……」
「ええっと……ワバルかな」
「ちょっと正体を知りたいわね。薬効のある物があったら勿怪の幸いって感じだけど」
色々と出たが調査の優先順位が高い順にまとめると次のようになった。
一、小桜での遡上限界
二、ホムハルの位置
三、大川左岸五集落の位置
四、ホムハル以北四集落の位置
五、各集落から得られそうな物品
六、ワバルの薬
七、ハクバルのUMA
八、フマサキの温泉
九、ミヌエが水別れなのか
探索隊は隊長が将司と雪月花の持ち回り。調査主任は匠、美野里、奈緒美、佐智恵の中から都度選抜。小桜の運行機関士兼護衛が文昭。後は適時美浦住人から選抜という事となった。
探索隊に俺は加わらない。というか加われない。オリノコの溜池と水田を造らないといけないから加わっている場合じゃない。本当は地図を作りたかったのだがそれは溜池と水田ができて一通り探索がなされた後になる。
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交流というか交易を行うには各集落から得られる物品が何かというのも大事だが、面倒なのが交換レートをどうするのかという事。
極端な話だが、有用な物品を持ってきた集落とほとんど価値が無い物品を持ってきた集落は差を付けるべきって話。差を付けなければゴミ捨場になってしまうので拙い。
他にも美浦には無価値でも他の集落だと価値があるような物品についてどうするかも決めないとフェアーじゃない。
「一層の事、貨幣を導入しましょう。貴金属はまだ貴重ですから使いたくないですね。焼印を押した木簡とかでどうでしょうか」
侃々諤々の議論を重ねる中、雪月花が最終兵器を言い放った。
「おいおい。何段階飛び越える気だよ」
貨幣というか経済活動には幾つかの段階があり、物々交換、物品貨幣、金属貨幣、本位制通貨(本位貨幣)、管理通貨(信用貨幣)という感じになる。
はじめの物々交換は分かり易いが欠点も多い。
自分が欲しい物を持っている人を探さなくてはならず、その人が自分の持っているものを欲しいと思ってもらわないといけないとなるとかなりの困難が予想できる。
更に、交換する量も問題になる。小分けできる物品ならともかく斧や包丁といった道具など分ける事のできない物品は等価交換が成立する相手を見つける事が難しい。
次の段階として、一旦は生活必需品などの“誰もが欲しがる物品”に交換して、それから自分が欲しい物品と交換するという手法がとられることとなる。二度手間ではあるが、交換価値の不平等や交換の不成立といった物がかなり解消される。つまり“誰もが欲しがる物品”を媒介して交換が成立するようになる。
その“誰もが欲しがる物品”の中で古今東西有名なのが“塩”である。古代ローマで兵役の報酬が塩で、ラテン語で塩を意味する“sal:サール”から塩代(塩を購入するための給付金)を“salarium:サラリウム”と呼び、転じて俸給その物を“サラリウム”と言うようになり、英語の“サラリー”の語源となったとの説もある。
塩のようにそれその物が本来の用途にも用いられる需要が高い物品を交換媒体にする事を“物品貨幣”や“商品貨幣”などといい、塩以外にも布、皮革、穀物、家畜なども使われていた。それその物が価値を持っているという事で、宝物(貝殻・牙・角・羽・宝石など)や金属(金・銀・銅など)は物品貨幣ではあるが商品貨幣に含めるかどうかは諸説あるようだ。物品貨幣ではあるのは間違いないが商品貨幣かといわれると疑問が残るみたいな感じ。それを使用する事を目的として交換される事もあるという意味の商品貨幣までは広義での物々交換といえる。
商品貨幣の問題点に持ち運びに不便といういう物がある。それと直ぐに別の物品と交換するのであれば、現物をやり取りするのが面倒だ。
そこで現物の代わりにそれを象徴する物品――例えば牛のミニチュアでそれを然るべき所に持って行けば牛が得られる――にした方が一々現物を交換するより楽になる。
そして交換を媒介する物を“需要が高くて誰もが欲しがる物品との交換権”から“何にでも交換できると皆が認識する物”に替わる事で次の段階に移る事になる。
その“何にでも交換できると皆が認識する物”とは要するに“お金”の事である。
雪月花のいう木簡は“美浦の物品と交換できる権利”で“それ自体には価値が無い”ので名目貨幣的な存在で“お金”その物と言える。
木簡との交換枚数で物品の価値を測れ(価値尺度)、決済を通じて物品交換の媒介機能を持ち(交換手段・流通手段)、保管することで価値を蓄蔵する事も可能(価値貯蔵)と正に貨幣が持つ機能を兼ね備えている。仮に塩との交換を保証していれば塩本位制通貨と言える代物である。
「物々交換って面倒じゃないですか。貨幣経済に慣れた私達には無理です。それと貨幣が価値創造の原動力なのですから。とういうかそれって前に東雲さんが言っていませんでしたか?」
確か通販か何かで中間マージンがどうのこうのという話題の時にそれらしい事を言った覚えはある。問屋や小売といった流通業の存在意義の関連だった筈。直前に佐智恵の叔父さんと飲む機会があって叔父さんが力説していたのでよく覚えていたってのもあるが、凄く納得できた話だったので……
端的に言えば“人や物が動く事自体が価値創造”であり“人や物が動く原動力が貨幣”て事。
人や物が動く事で様々なギャップや手間が解消される。他所で作った食糧が手に入るから工業や学問ができる様になるとか、異なる遠隔地にある物が一つの所に集まる事でできる様になる事も多い。鉄鉱石と石灰岩と石炭で鋼鉄とか……
そして貨幣という媒介が存在して初めて円滑に物品の交換ができるようになる。
順番としては次のようになる。
一、貨幣により物品交換がスムーズになる。
二、人や物の移動が活発になる。
三、新たな価値が産み出される。
これを成し遂げるのが流通業という訳。
叔父さんは歴史的には流通業というか商業は悪行とか下賤とか必要悪のような扱いを受けてきたが、商業を正業として認めた文化圏こそが高度に発達したのも歴史的事実とも言っていた。
まあ、沸点が異様に低くて起爆スイッチがどこにあるかよく分からん偏屈な叔父さんだけど面白い視点を持っている。
「それ自体は認めるし、物々交換が面倒なのは同意する」
「それでは」
「貨幣導入自体は何れ必要だろうとは思う。しかし、段階は踏んだ方が良いと思う。一度不便不自由な状態を経てからの方が受け入れられると思う」
「それは……まあ、そうですね」
色々と試行錯誤というか手探りが要ると思うんだ。




