第34話 決着?
瑞穂祭と織豊・和合祭の合間の十一月中旬、横川に十一月配布分の食糧を搬入しにいった部隊が帰還したのだが、食糧援助四回目にして初めて動きがあった。
横川の非常用食糧庫に手付かずの米袋が六袋残っていたそうだ。
一箇月分の米は四俵、つまり二四〇キログラムあるが、一袋に二四〇キログラムを詰めているのではなく、五キログラムの米袋を四八袋にしている。
だから六袋残っていたというのは八分の一にあたる三〇キログラムが残っていたという事。
五キログラムの米袋に小分けしているのは理由がある。
それは彼らが持ち運びしやすいようにという優しさ。
美浦の成人男性の大部分は一俵(六〇キログラム)を担いで数キロメートル程度の距離を運ぶことは普通にできるし、力自慢の益荒男なら三俵(一八〇キログラム)でも涼しい顔をして運べる。それと先住者達も力自慢なら二俵ぐらいは余裕で四〇キロメートルぐらい運べる。
しかし、通常は比較的短距離でも二〇から二五キログラムあたりが普通の健康な成人男性が運べる限界だし、運ぶ距離が徒歩二時間(約八キロメートル)となると、下手すると一〇から一五キログラムまで下がる可能性がある。
二五キログラムぐらい軽いって? じゃあ、ホームセンターに売っているポルトランドセメントの袋は一袋二五キログラム(祖父の若いころは一袋四〇キログラムだったそうだ)、二リットルペットボトルが六本入ったケースが二ケースで二四キログラム、それでも二五キログラムが軽いと言いますか?
リヤカー擬きを使えば二四〇キログラム程度なら一度に運べるとは思うが、リヤカー擬きが健在かは分からないから担いで運ぶ際の重量調整がしやすいように一袋あたり五キログラムにしておいた。
女性や弱者ば五キログラム、普通の男性は一〇キログラム、強者は一五キログラムといった能力に応じた分担が可能なようにである。
それとね、これは逆に言えば五キログラムを担いで八キロメートル歩けない者以外は運搬可能という事なので、彼らが運搬を全員で分担するか誰かに押し付けるかを選べるという事でもある。
彼らの立場で考えるなら全員で横川に行って一度に全部持ち帰るのが良策だと思う。
特定の者だけに負担を押し付けるのは現代社会でもある話ではあるが、数百人とか数千人といった規模になれば大部分の構成員にはそれが見えなくなる。
更に言えば生活基盤が別なら特に発覚しづらい。
しかし、数十人規模で尚かつ生活基盤を共有している状況でそれをやると明確な搾取者と被搾取者が露わになる。
あからさまになっている搾取・被搾取の関係を良しとする集団は被搾取者が潰れるか逃げ出すまで酷使し続けるし、抑え込みに失敗するか加減を誤って被搾取者が居なくなれば次の被搾取者を選定するのを繰り返し、何れは被搾取者がいなくなって詰む。
それかその前に被搾取者の蜂起によって滅びる。
そうしない為には全員が負荷を分担するべきである。
もちろん、個々人の能力の違いはあるので、全員が同じ負担というのは現実的ではないので、能力に応じて負担するというのが落としどころだと思う。
この能力に応じて負担するというのは一見不合理に見えるかもしれないが、この考え方は『金持ちほど税率を上げてより多く納税する』ということでもある。
全員が能力に応じて分担するとしても、指導的立場の者が一番大きな負担を担っている事が望ましいとも思っているし、俺らは実践してきたと思っている。
『物事を決める時は、決めた人が得をしないこと、むしろ損になる事を心がける事が大切だ』というのは日本将棋連盟の会長も務めたことがある丸田祐三九段の言葉だが、その通りだと思う。
昔は賭け事・悪い遊びとも思われていた将棋を頭脳競技という認識に変えるのに大きな役割を果たした偉人なだけはある立派な人格者だと思う。
状況を見るに、特定の者に運ばせていて、残り六袋のところで何らかの事情で運搬が滞ってしまったといったところだろう。
つまり、特定の者に負担を押し付ける詰んだ集団という事だな。
「手付かずがあったから“余るほどある”として、現場判断で今回搬入分は全て持ち帰った」
「横川にあった空の米袋は一八袋だったから、次回出すとしても米は一俵半(一八袋)にする」
「対応と予定はこれで問題ない?」
この作戦は将司と雪月花と俺が進めているので三人衆としては当座の状況と対応の報告をして今後の予定の確認がしたいという事か。
「ふむ……気になるのは空袋が一八袋…………ああ、逃げたのか」
将司の“逃げたのか”で一つの可能性に思い当たった。
運搬役を押し付けられていた者たちは負担を強いられることに嫌気がさして持てるだけの米を持って逃亡した。
そして持ち切れなかった六袋が残された。
明確に搾取される側になった事を自覚した者が唯々諾々と搾取され続けるとは限らない。
既に天に召された指導層ならうまいことマインドコントロールできたかもしれないが、そうでもなければ意趣返しされることもあり得る。
もしも、運搬を押し付けられていた者達が持ち逃げしたのだとしたら、自分は搾取者と思っていた連中は、食糧の搬入という自らの生殺与奪の権を被搾取者に与えていたという愚行をしてしまったと自覚しているのだろうか。
“うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる”というのは必需品でないものや、必需品なら全体では足りている場合の話。
他者が食べる分を奪わないと自身の維持すら覚束ない量しか食糧がない状況で食糧を分け合うというのは『みんなであの世に逝こうよ』か『自分が身を引くからみんなは生き延びてね』ということにしかならない。
もしも、食糧を着服して逃亡した者がいたとすれば、その者は“少数で食糧を独占することで自らは生き残ろう”という方策なのだろう。
「可能性の一つとしてあり得るが……もしそうだとしたら逃亡した何人か以外は既に餓死していないか?」
「……確かに。空袋の一八袋プラスアルファしかないとなると二十日以上食糧が無い計算になるから耐えられないだろう」
『酸素が無ければ三分で、水が無ければ三日で、食糧が無ければ三週間(二十一日)で死に至る』という『三・三・三の法則』というサバイバル格言がある。
もっと細かく言うと『血液なしで三秒、酸素なしで三分、体温保持なしで三時間、水なしで三日、食糧なしで三週間、同行者なし(孤立状態)で三箇月』が生存できる目安とされている。
実際には個人の資質や状況などによって違いがでるので、それ以前に死に至る事もあるし、それを超えて生存できる事もあるが、それぐらいからかなりの危険域に入る事は間違いない。
災害時の初動での救助の重要性を示す『七二時間の壁』と言われる言葉があるが、これは発災から『飲食なし(水分補給なし)の状態でも生存が期待できる三日間(=七二時間)』を超えると急激に要救助者の生存率が下がるところからきている。
その中の食糧なし(水分補給はあり)の状態の話だが、実は代謝エネルギーだけを考えれば脂肪燃焼や筋肉分解でかなり賄えるので、健康な状態からの絶食なら二箇月から三箇月ぐらいは持つ計算にはなる。
そして必要量を遥かに超えた病的なまでの脂肪があったら、適切な微量栄養素の摂取ができていれば一年を超える絶食も不可能ではない。
事実、医師の健診を受けつつ三八二日の絶食で二〇〇キログラム以上あった体重を八〇キログラム台まで約一二五キログラムの減量に成功した記録はある。
しかし、例え病的なまでの脂肪を蓄えていたとしても微量栄養素の摂取が十分でなかったらそんなには持たないし、飢餓は強烈なストレスなので大部分の人間は二十一日を超えた絶食にはそうそう耐えられない。
件の例では患者が絶食を打ち切りたいと希望すればいつでも打ち切ってリハビリに入れる状況だったし、順調に体重が減ることがモチベーションアップに繋がったので飢餓によるストレスも問題なかったらしい。
そして上の口の食糧事情を勘案するに、五キログラムの米袋が一八袋なら十日分に少しプラス程度の消費分でしかないので、残りの期間が食糧なしだとすると生存は覚束ないと思われる。
「よし“食糧が余っているのだから自立できた”と判断して食糧援助は打ち切ろう。持ち帰った現場判断を支持する。満足していると伝えてくれ」
「了解」
「将司、それはそれで良いのですが、他の可能性含めて上の口の状況確認や、仮に逃げ出した者がいるとしたらその人数及び動向の把握も要るのでは?」
「そうだな……いや、慌てなくてよい。十二月の川俣復旧のときにやろう」
暫し沈黙が降りた。
「理久くん、嘉偉くん。仮に逃げた者がいるとして、彼らが川俣を超えたかどうかを確認したい。川俣には居なかったが川俣を超えていたら美浦にくる。もちろん、まだ下の口などに留まっている可能性はあるが、そういう視点でその辺りの状況を改めて搬入隊・復旧隊から聞き取りをしよう」
「父さん、義智さんの言う通り、そこは確認しておいた方がよいかと」
「もしも、川俣を超えていた兆候があったらどうする?」
「美浦からルートを逆に辿って捜索する。川俣への陸路も整備していかないといけないから復旧のための現状調査を提起しよう。それでどう?」
「同意する」
「賛成」
「ふむ。見つけたらどうする?」
「そんな連中は居なかった」
「時季的に冬眠前の熊にでも食われたでいいんじゃない?」
「どうだろう、将司小父さん」
将司が悪い顔をしている。
三人衆の対応に満足したんだな。
十二月まで待つというのは俺も賛成。
下手に今すぐ動くと憶測レベルでも複雑な状況が予想され得るが、十二月に入れば食糧援助が途絶えた状況が固定化するし、冬場に入ることで厳しさが増すから、既に決着がついているなど状況が単純化していると思うからだ。




