第18話 スプラウト
主には居住地や田畑などの除灰作業を進めていたが、別口の作業を進めていた者もいる。
人間というか動物が生きていく上で欠かせない『食』について動いていたのだ。
美浦では一日でも早く農地が回復するよう除灰を進めていて、目標としては今年は無理でも来年は美浦の消費分程度の収穫を、そして三年から五年後には支援を含めて備蓄の取り崩しを減らして備蓄の食い伸ばしをして十年持たす事を計画している。
目論見通り巧くいくかはともかく、そういう計画ではいるが、美浦以外では栽培再開には下手したら十年近くかかるかもしれない。
狩猟採取に重きを置くとしても、海も山も川も野原も降灰の影響で環境が激変していて動植物がどうなるかも分からないから狩猟採取だって厳しい状況になるし、第一、農耕の生産力を背景に人口が増えているのだから、例え狩猟採取の状況が万全であっても狩猟採取だけでは増えた人口を支えきれない。
主食の米については各集落に支援しても数年は持つ備蓄があるのでまだ慌てるような時間じゃないが、人間は米だけ食べていれば生きられるわけではない。
米以外にも色々と食べるべき物はあるが、この状況で何が決定的に欠けているかというと生鮮野菜である。
そんなに大量である必要はないが、野菜類から植物性食物繊維や植物性ビタミンを摂取する事はとても大切で、数多の種類があるビタミン類はどれか一つでも欠乏すると体調を崩したり成長に支障をきたしたりするし、場合によっては命にかかわる事もある。
だから野菜を育てないといけないのだが、野菜を栽培する畑が降灰の影響で使えないという大きな問題がある。
これを解決する方法が水耕栽培が可能なスプラウトの栽培。
植物は発芽時に種に蓄えていた栄養からその植物が必要とするビタミン類を作るので、これを人間が掠め取るという見方によってはえげつない話。
暗室で発芽させてそのまま育てると、いわゆる『もやし』になるが、カイワレ大根などが代表格だが、ある程度育ったところで日光などの光を当てて緑化させる物もある。
日本では緑化させた物をスプラウトという事もあるが、スプラウトというのは発芽野菜全般を指す言葉なので、実は緑化させようがさせまいが両方ともスプラウトである。(スプラウトに含めて良いかは自信はないが、発芽玄米など発芽したばっかりで芽が育つ前の食材も存在する)
スプラウトは発芽野菜全般を指すので、緑化させないもやしと緑化させた物の区別をどうしているかというと……俺は初めて知ったときに「へ?」と思ったし今でも疑問が尽きないが、日本のスプラウト業界(?)では、緑化させないスプラウトを『もやし型・もやし系』、緑化させたスプラウトを『カイワレ型・カイワレ系』と呼び分けるらしい。
いや、もやし型は分かるよ。
何の疑問もないよ。
発芽させる種子の種類が大豆だろうが緑豆だろうがブラックマッペであろうがもやしはもやしだし、種子の種類でも分けたければ“豆もやし”“緑豆もやし”“細もやし”などと種子の名前や形状の特徴を付け加えて呼べばよい。
俺が疑問なのは緑化させるタイプをカイワレ型と呼ぶこと。
恐らくは日本で緑化させるタイプのスプラウトの中で比較的知名度が高いカイワレ大根から『カイワレ型』なのだろうとは推測はできる。
しかし、カイワレ大根のカイワレはカイワレ大根の先っぽの双子葉が、二枚貝の貝殻が開いた感じに似ているから『貝割れ』なので、そうするとカイワレ型と呼べるのは貝殻っぽい子葉の双子葉植物の発芽野菜だけだし、そもそも『カイワレ=徒長させた大根の新芽=カイワレ大根』であって、大根以外に『カイワレ○○』とか『○○カイワレ』と呼ばれる物を俺は知らない。
なので、緑化させたスプラウトをカイワレ型とするのはおかしいだろうと。
そんな個人的でどうでもいい話はともかく、スプラウトなら基本的には発芽促進のために温水などに一定時間浸漬して暗室に放り込んで適度に水遣りをしておけば種類にもよるが概ね七日から十日ぐらいでもやしが収穫できるし、カイワレ型なら(最初から日に当てると芽が伸びないので暗室で育てておいて)収穫直前の一日か二日ぐらい日に当てれば緑化もしてくれる。
現代日本と違って衛生面とか色々あるから現代日本では生食する種類であっても加熱調理しないと危ないけど、一度栽培環境を整えたら種子さえ送れば自前でスプラウトを栽培してくれるなら先住者集落群の栄養状態はかなり維持できると思う。
だから野菜としてスプラウトを一押しにするというのは分かる。
実はスプラウトにできる種子は、先住者集落に頒布して問題ないだけの種類と量があるそうだ。
もやし型は現代日本では主には緑豆とブラックマッペと大豆の三種類の豆から作られている。
一番普及しているのは緑豆で、スーパーなどで普通に売られているもやしの大部分が緑豆もやし。
その緑豆もやしより細く“細もやし”とも呼ばれているのはブラックマッペ(黒緑豆、毛蔓小豆とも)のもやしで、“豆もやし”と呼ばれ先端に大きめの豆が付いているのが大豆のもやし。
この三種の中で、現状で使えるのは大豆のみ。
大豆はそれ自体が食材であるし枝豆としてや味噌や醤油の原料といった需要があるので結構な規模で栽培していたから数も十分にある。
しかし、緑豆(青小豆)やブラックマッペは元々サンプル程度の量の種子しかなかったし、用途も“あれば使うけど無いなら無いで気にしない”という感じなので、種子更新用以外にはほとんど栽培されておらず、美浦で作る分ぐらいはともかく、先住者集落に頒布するには厳しい。
一種類しかないというある意味では不甲斐ないもやし型に対して、カイワレ型は実は多種多様な種からスプラウトが作れる。
現代日本ではカイワレ大根がよく目にする緑化させるスプラウトだが、それ以外にも水菜や法蓮草や小松菜やレタスといった葉物野菜のスプラウトはベビーリーフという呼び名で売られているし、豆の癖にもやしではなくカイワレ型にするえんどう豆(未熟な種子はグリンピース)の緑化スプラウトの豆苗とかも普通にスーパーなどで見掛けると思う。
これらは普通に栽培している野菜類なので十分に数がある。
他にも蕎麦もスプラウトにできて、蕎麦は疑似穀類だし救荒作物の側面もあるので大量にある。
カイワレ型の緑化スプラウトはもやし型と違って苦味や辛味があったりする事が多く好き好きが出やすいので、味の主張が無い豆もやしを限界まで供出しないといけないだろうが、カイワレ型は色々な種類があって目先を変えられるので、トータルすると豆もやし一に対してカイワレ型が二ぐらいの割合で供給する事になるだろうとの事。
◇
「だからね、ノリさんにスプラウト栽培台車とプレハブ暗室の設計と生産を頼みたいの。理久くん嘉偉くんには話を通しているから」
「プレハブね……」
「そうでもしないと無理でしょ?」
「まあな」
先住者集落にスプラウト栽培を推奨するとしてもそれなりの設備がないと食を支える事はできない。
例えば、美浦では横井戸のトンネルというか横穴でもやし栽培をしているが、人数が人数なので、もやしを使った料理を一品作るだけで一度に六キログラム(スーパーなどで売っているもやしを二〇から三〇袋分)ぐらいは平気で使う。
家庭菜園的なというか理科実験レベルでのスプラウト栽培ならガラス瓶とガーゼあたりがあれば何とでもなるのだが、数十人が食べる量を得ようをするとそんな方法だととてもじゃないがやってられない。
それと、理科実験レベルなら栽培キットに覆いを被せて暗くすれば何とでもなるが、一回にキログラム単位の収穫を得ようとなると光が入らない暗室を造ってその中に栽培キットを入れるのが現実的な解決策になる。
美浦ではスプラウト栽培はしていたが他には広めなかったのは暗室が面倒だったからだけど、四の五の言っている状況じゃないので何とかしないといけない。
先住者集落にスプラウト栽培用の暗室をといっても地下室とかは時間が掛かりすぎるし、そんなリソースがあれば除灰に使いたいから暗室を新たに建てるのだが、現場合わせで建築していると時間が掛かりすぎるしそんな技術者は除灰に使いたい。
だから寸法を合わせた基礎だけをきっちり造って建物自体は美浦で製造した規格品を搬入して組み立てるプレハブ工法が適しているのは認める。
プレハブと言われるとプレハブ小屋とかを思い浮かべるかもしれないが、プレハブ工法というのは事前に製造した物を現地で組み立てる建築方法の事で、実は現代では結構採用されている工法の一つ。
真偽のほどはアレだが、木下藤吉郎の墨俣一夜城伝説は事前に作製したものを川に流して拾い上げて組み立てた訳だから、あれも歴としたプレハブ工法で、語源的に考えると現地で現場合わせしながら建築する方法以外はプレハブ工法と言ってもいいんじゃないかとも思う。
現代日本ではプレハブという言葉にチープなイメージがあるから、普通はアピールとして“この建物はプレハブです”とは言わずに“自社工場一貫生産”とか別の言葉に言い換えたりしているけど、現実には多くのハウスメーカーは“工期が短くてすみ”“コストが抑えられ”“品質が高水準で安定する”などのメリットがあるので、工場で規格品を製造して現地で組み立てるというプレハブ工法を一部もしくは全面的に採用している。
年間に手掛ける件数が多くないと自社工場で製造するのはコスト高になってしまうので一定以上の規模の建築会社でないとプレハブ工法を採用するメリットが薄いが、逆に一定規模に達したらプレハブ工法にでもしないとオーダーをこなせないから一部もしくは全部をプレハブ工法にしている大手から中堅の建築会社は多い。
「だけど何で俺なんだ? 奈緒美。建築なんだから鶴郎くんか譲っても匠だろ?」
「造船が待っているから駄目って嘉偉くんに言われた」
「そっちも急務か……」
陸路がこの状況だから水運が肝になるのだが、美浦が運用できる舟艇は、外洋船の『不知火』、河川艇の『白梅』、内海河川併用船の『小鷹』の三艘しかない。
今のところ外洋船は役目が無いので、実質的には白梅と小鷹の二艘で、この二艘を大車輪で運用しているが、水運能力が決定的に欠けているのは間違いない。
美浦直轄以外ではホムハルに運用委託している河川艇が二艘あるけど、これだって滝野以北の連絡で手一杯になるから抽出できない。
「まあ、やれる奴がやるしかないけど、中に納める栽培台車の規模と数は?」
「栽培台車はもやし工場ので構わないと思う」
「そうだな。あれより小さいと逆に面倒か」
美浦では横井戸の横穴の一部をもやし栽培専用に区切っていて、換気扇を使っての換気とか水道水を引き込んで散水するスプリンクラーとか衛生的な排水処理とか色々手を入れているので『もやし工場』と命名されているが、本物のもやし業者から見ればママゴトレベルですらない規模なので、個人的には工場とは呼んで欲しくない。
俺が知っているもやし業者の栽培台車は、幅一.七メートル、奥行き一.二メートル、高さ一.五メートルぐらいあって一度に一トン程度の栽培ができるし、そこまでいかなくても一度に五〇〇キログラムぐらいは栽培できないと取り回しや仕込みの手間が掛かりすぎて採算が悪くなる。
一日に何十トンものもやしを出荷しているもやし業者はこの栽培台車を毎日何十台も仕込んでいて、栽培期間は九日間ぐらいかかるので一日に仕込む量の九倍の栽培台車を納められる暗室もセットで必要になる。
技術的には一トンの栽培ができるサイズの栽培台車も作れるのだが、一度に一トンの収穫があっても食べきれないので作っておらず、食べきれる量ということでかなりスケールダウンした縦横高さ六〇センチメートルの立方体の栽培箱に車輪を付けて栽培台車として使っている。
美浦のもやし工場には、この栽培台車を最大二〇台仕込めるのだが、栽培期間が十日ほどかかるのでフル稼働しても一日に三〇キログラム(後先考えずに一気に栽培しても三〇〇キログラム)ぐらいしか栽培できないから、もやし業者が使う栽培台車一台分にも太刀打ちできない生産能力しかない。
美浦の栽培台車は一回で最大だと一五キログラムぐらいは栽培できるが、普段は一品分の六キログラムか二品分の一二キログラムぐらいを仕込んでいるし、一日に二台仕込むことはほとんどない。
一品分の六キログラムの栽培ができるサイズの栽培箱だと中途半端な大きさで取り扱いが面倒なので、このサイズにして栽培量は仕込む豆の量で調整している。
先住者集落は美浦ほど人口はないので栽培台車ではなくもっと小さな栽培箱を手で持って運んでも行けるだろうが、適切な栽培法を実験して栽培マニュアルを作ることを考えると、既存の栽培マニュアルを流用できる同じ大きさというのは妥当といえる。
「仕込みスペースは半分の十台でいいかな?」
「毎日食べるとなるとそうなるが、それだけの種子が出せるのか?」
「毎食小鉢程度のスプラウトなら十分供給できる」
先住者集落に供給する種子は毎食小鉢程度とすると全部で年間二トン程度になるそうだ。
味噌や醤油の減産で大豆を、シードオイルの搾油量を減らすことで胡麻などの搾油種子を確保して、今ある在庫を巧く回せば三年は持つので在庫が枯渇する三年後までに美浦の田畑をある程度回復できたら大丈夫という計算らしい。
「了解したが、栽培温度の条件を提示してくれ。夏場は大丈夫だろうけど冬場が心配だ」
「ご尤も。適温は(摂氏)三〇度ぐらいだけど、二〇度ぐらいまでなら十分許容範囲。ただ、最低でも一〇度以上無いと厳しい」
「なら、冬場はストーブで温める必要があるな」
現代日本のスプラウト生産施設では、栽培室はエアコンなどで温度湿度が適切にコントロールされていて、散水もセンサーの情報なども利用しつつ自動で行われるオートメーション化が進んでいて、極端な例だと仕込んだ栽培台車を所定の位置にセットしたら栽培室の扉を閉めて後は機械にお任せという感じ。
美浦のもやし工場は季節による温度変化が少ない横穴の中にある。
最適な摂氏三〇度まで上がることはまずないが、年間を通して摂氏二〇度の前後五度あたりの範囲を保っているので通年栽培ができる。
美浦のもやし工場は最低でも摂氏一五度程度はあるので特に暖房は用意していないが、地中にでも用意しない限り現状でそういう環境は難しいから気温が摂氏一〇度を大きく下回る時期には暖房を入れてやらないと厳しい。
青森県の大鰐温泉では温泉の熱を利用して作られる『大鰐温泉もやし』が名産品になっているから、サキハル群の三集落は有馬温泉の温水を利用すれば何とかなるかもしれないが、如何せん温泉までは距離があるから廃案かな?
「当面は暖房は要らないから、ストーブを設置するスペースだけ用意しておいて、秋までに順々にストーブを設置するって手でよろしく」
「へいへい」




