第5話 火山灰の使い道(1)
南海トラフ巨大地震に伴う津波によって激甚な被害を受けた美浦だが、人的被害が無かった事もあって自助努力で何とかなるというか他所に手伝ってもらえるところが余りないので対外的には大きな変化は無かったし、晩秋のムィウェカパも通常通り執り行われた。
復旧作業も、仮埠頭と仮桟橋はやっつけではあるが早々に運用を開始したし、鉄砲堰を造ってヘドロや塩分を多く含む瓦礫の焼却灰を海に押し流して綺麗にしてきた。
製塩所や水口の取水施設の再建はまだ手付かずだが、田畑の除塩作業は進んでいて今年の水稲の作付は無理だが耐塩性が高い和綿の栽培は可能なんじゃないかという辺りまで回復した。
流石に永原までは手が回らないので放置だが、春先に耐塩性が高いススキ(芒・薄)があちらこちらから芽を出していて、このままススキが優占して永原じゃなく薄野になるんじゃないかと冗談を言う程度の余裕はでてきた。
そんな折にこの降灰である。
第一段階の一センチメートルの降灰でも十分に致命傷である。
第二段階で二〇センチメートルとか冗談じゃない。勘弁してくれと言いたい。
命に別状はないが大怪我を負った。
その傷が完全に癒えたわけではないがリハビリを開始した。
そんな時に爆撃されて全身に火傷を負って瀕死の状態になった。
だけど、これから爆撃隊の本隊がやってくる可能性が高いとでも言おうか。
神仏に祈れば第二段階が避けられるのなら幾らでも祈るが“仏ほっとけ神構うな”“祈るより稼げ”が信条なので、冗談じゃない状況が来ても何とかする心構えはしておこう。
なあに、第二段階が来ても“リミッターを解除したMAXモードで頑張れば何とかなる”の期間が一年二年から五年十年に伸びるだけだ。
おそらく還暦までには何とかなるだろう。
そして三倍成人式では赤く装ってやる。
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降灰が落ち着いてきたので、早急に川俣とホムハル集落群に連絡をつけることになった。
センチメートル単位の大量降灰は美浦だけではなく一帯がそうなっている筈だが、下手すると近日中に一〇センチメートルクラスの降灰があっても不思議ではない。
だから降灰に対しての応急的な対処法などの防災マニュアルと防塵メガネや防塵マスクや外套といった保護具や除灰道具、当座の食糧や燃料を持って行ってもらう。
ホムハル集落群へは『白梅』が、川俣には『小鷹』が向かう。
現代日本だとこれだけの降灰があると交通は完全に麻痺して除灰などをしてからでないと何もできない。
しかし、白梅も小鷹も動力は外燃機関だし、電子制御も何もないし、道路ではなく水路だし、軽石が浮いている水面だと冷却水の取り込みに支障をきたすが現状ではそうではないし、他に動くものもそうそうないだろうから何とかなる……と思う。
まあ、風が吹いて火山灰が舞って視界不良になる事もあるからくれぐれも注意して欲しい。
食糧や燃料を渡すのは、降灰が落ち着くまで外に出ずにジッとしていろという事。
もっとも、北方の集落群にはホムハルの手を借りることになると思う。
第二段階のウルトラプリニー式噴火がいつ起きてもおかしくはないので急ぐが、途中で大量の降灰に見舞われた場合は任務を中止して自身の命を守る行動をとるよう厳命している。
なぜなら、これは命懸けで臨む任務ではなく、いわばお節介の類だからだ。
バラバラと火山灰が降ってくれば、何も言われなくても家に閉じこもるぐらいの賢明さを期待しても罰は当たるまい。
厳命していると言っても厳命しているのは三人衆であって、俺や将司が厳命しているのではない。
俺らはあくまで隠居であり、相談を受けたら乗るけど、それ以外では余程に酷い方針でもない限り制止しないし、これまで三人衆の方針に制止する必要を感じた事はない。
まあ、匠や美野里や奈緒美は空気を読まないけど、それはご愛敬ということで。
若い衆を尊重するのは『若い衆を鍛えるために千尋の谷に突き落とす』とか『若い衆の立場を慮って』という訳ではない。
もちろん、そういう側面も無いわけではないが、根本的には若い衆は全員が雪月花や俺の教え子だから若い衆が変な事をするというのは俺らが変な事をするように育てたという事で、過去の自分の責任という事。
『子供は育てたいようには育たないが育てたように育つ』
滅茶苦茶重たいです。
五男三女の八人の子を育てたけど育てたいように育った子は一人もいない。
誰に似たのか全員が全員、拘りが強くて頑固な性格で、言い出したら梃子でも動かないという難儀な人間に育ってしまった。
まあ、あれだな“瓜の蔓に茄子はならぬ”ということだろう。
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「火山灰って有効活用できないの? 火山灰地帯は黒土で肥沃な土地とか聞くし」
「水捌けが良いから土壌改良に使うとか聞いた事あるけど」
「挿し木とかに使う鹿沼土だっけ? あれは軽石って聞いた事がある」
壮年組の言葉を聞いて親父殿と姑殿、奈緒美、美結がどんよりとした顔をしている。
「農業では全く使えない。使えないどころかマイナスでしかない」
彼らの言はよくある誤解や極一部の例の話なので分からなくもないが、奈緒美からなぜ使えないかの説明を受けて納得しつつ落胆もしている。
火山灰や軽石などの火山砕屑物だが、一口に火山灰だの軽石だのと言ってもその性質は千差万別で、中には鹿沼土のように有用な性質を持つ軽石もあるし、含有ミネラルによっては肥料になる物も存在するが、基本的に火山砕屑物は農業の役に立たないどころか障害になる。
日本には『特殊土壌地帯災害防除及び振興臨時措置法』という法律があって、災害(主に土砂災害)が起きやすい上に農業生産力が低い土壌を特殊土壌に指定して、当該地域での防災事業や農業生産力の向上事業に国が補助をしている。
その特殊土壌に指定されているのは『シラス(南九州に分布する斜長石英粗面岩質の火山堆積物)』『ボラ(南九州に分布する軽石の俗称)』『コラ(鹿児島県薩摩半島南端に分布するやや固結した火山砂礫層)』『赤ホヤ(南九州を中心に中北部九州、四国地方にかけて広い範囲に分布する黄燈色のガラス質火山灰)』『花崗岩風化土(真砂土)』『ヨナ(黒ボク、赤ボクを含む阿蘇山の噴出火山灰)』『富士マサ(富士山周辺の火山砂礫層)』の七つだが、真砂土を除く六つが火山砕屑物を成因とする土壌である。
その他にも法律で『特殊土壌』が定義されたので行政的には使用しないが、『重粘土』『火山性土』『泥炭土』の三つ(これらに『ろ土(火山灰土壌に多くの腐植が混じったもの。黒ボク土)』を加える場合もある)は、物理性や化学性が特に不良で作物収量を上げるのに困難が多いため昔から特殊土壌と呼ばれてきた。
つまり、火山灰土をはじめとする火山砕屑物による土壌は基本的に農業生産力に劣る土壌になる。
火山灰土に腐植が混じると黒色の土になるので黒土と呼ぶことがあるが、これはただ単に黒色の土壌を指しているだけで、世界的な穀倉地帯を形成する『肥沃な黒土』とは全く別の性質の土壌で『黒ボク土』というもの。
チェルノーゼムは森林になるほどの降水量はないが草本植物が育つ程度には降水があって、枯草の分解が遅くて泥炭になるほどは寒くはなく、分解が進みすぎるほど暑くもなくという環境下で腐植が分厚く堆積した物なので非常に肥沃な土壌なのだが、火山灰土に腐植が混じった黒ボク土は火山灰(特に火山灰に多く含まれる活性アルミナ)が養分(特にリン酸)を捕獲してしまうので、農業という観点では不良土壌になる。
黒ボク土もチェルノーゼムも黒色を呈している要因は腐植なのだが、植物はチェルノーゼムからは腐植の養分を吸収できるが黒ボク土からは吸収できない。
ホームセンターなどで園芸用の黒土(黒ボク土)を売っているが、黒ボク土には養分は無いので施肥が必要である。
厳密に言えば黒ボク土に養分は存在してはいるのだが活性アルミナが吸着してしまっていて植物が吸収できないから無いのと同じというか、たいていは施肥された肥料の養分も捕まえてしまうのでマイナスなんだけどね。
日本国内の畑の半数近くが黒ボク土の土壌であるが、これはリン酸肥料を大量に施肥して黒ボク土が吸着する以上のリン酸を土壌に供給することで成立している。
中にはリン酸の含有率をリン酸肥料より高くしないと植物が碌に育たない黒ボク土も存在する。
それに水捌けが良いというのも必ずしもそうではない。
火山砕屑物は岩石とガラスの塊なので保水力に劣るのはほぼ共通した特徴だが、細かい火山灰などは緊密になると遮水層となって水捌けが悪くなる例も多々ある。
そして、もしこれが鬼界アカホヤ火山灰だとすると、ただでさえリン酸吸収係数が大きい火山灰土の中でも一際大きなリン酸吸収係数を誇る上に、過剰なアルミナが根の伸長を阻害するので農業という観点では最悪クラスの不良土という、とてもではないが使用できないというか阻害要因でしかない代物になる。
根の伸長をどれぐらい阻害するかの実例だが、九州や四国では鬼界アカホヤ火山灰の地層が至る処にあるが、樹木の根が張っているのは鬼界アカホヤ火山灰層より上の地層までで鬼界アカホヤ火山灰層に貫入している根はほとんどないという事実がある。
元々一部地域で『赤っぽい役立たずの土』だからアカホヤと呼ばれていたというのは伊達ではない。
縄文時代の人口密度の研究で四国にはほとんど人が住んでいなかったぐらい低いとでていたが、二〇センチメートル以上の鬼界アカホヤ火山灰が積もった状態から森林が回復するには千年二千年では足りないだろうから、人が住んでいなかったと言われても納得できる。
そんな厄介な火山灰を農業に有効活用できないかと言われたら、親父殿、姑殿、奈緒美、美結といった農業の専門家がげんなりしてしまうのは仕方が無い事だろう。
「そうだ! ノリさん、古代ローマのコンクリートって火山灰じゃなかったですか?」
こっちもでるかもと思っていたけど、難しいんだよね。




