第21話 なんとか成立?
夕食には未だ早い時刻の滝野のムィウェカパの舞台にサッキヤルヴェン・ポルッカを歌う雪月花の歌声が響く。
戦車道という架空の武道のアニメでフィンランドをモデルにした学校のテーマ曲として使われたのでその筋には有名な曲だが、元々フィンランドではかなり著名な曲で、聞いた事が無いフィンランド人は珍しいとかなんとか。
明るい感じの曲なのだが歌詞の内容は『サッキヤルヴィ(都市名)はソ連に奪われたがサッキヤルヴィは歌とともに私達の胸にいる』という感じの歌だったりする。
何で雪月花が歌っているかというとムィウェカパは適齢期の独身の男女が集って飲食歌舞を楽しみつつ配偶者を探すという催しなので『主催者から一曲よろしく』的な要望があったため。
そして選曲理由は単純に踊れる曲というもの。ポルカは基本的に舞曲だからね。
ちなみに俺は鉄琴で伴奏。
鉄琴なのは、今の美浦で作れる完全楽器の中で一番簡単だから。
完全楽器というのはリズム・メロディ・ハーモニーという西洋音楽の三要素を一人の演奏者で実現できる楽器のことで、楽器の王様ピアノをはじめとした鍵盤楽器の一部やギターなどの弦楽器の一部が完全楽器の代表例とされている。
完全楽器ではない不完全楽器とはどういうものかというと、例えばカスタネットは通常は単一の音しか鳴らせないのでリズムは表現できてもメロディやハーモニーの表現は難しいので不完全楽器で、そういう楽器はリズム楽器ともいわれる。
それからフルートは多くの音階の音を奏でられるからメロディは表現できるが複数の音階の音を同時に奏でる和音を一人で出すのは難しいからこれも不完全楽器で、こちらは単旋律楽器ともいわれる。
それに対してピアノは複数の音階の音を鳴らせるし複数の鍵盤を同時に叩けば和音も奏でられるから三要素を一台で実現できるため完全楽器という訳。
そして、なぜ完全楽器が必要になったのかといえば音楽の授業のため。
教員が一人で演奏するのだから完全楽器じゃないとやりにくくてしょうがない。
そこで色々検討したのだが、江理ちゃんと和広くんの玩具として作った鉄琴もどきを本格化すればいいじゃないかという事になった。
鉄琴は叩けば決まった音階の音がなる定音楽器なので、演奏できるかどうかは別として音を鳴らすだけならとても簡単。
音を鳴らすこと自体ですら練習がいって、鳴らしたい音階の音にするには更なる練習が必要なバイオリンと比べれば入門難度が段違い。
そのあたりも“鉄琴で良いじゃん”の後押しをした。
そうした経緯で作った鉄琴だが、美浦ではチャイム代わりにも使っている。
ご飯ができた合図は『おもちゃの兵隊の観兵式』のアレンジとか。
◇
オープニング曲が終わった後は好きにしてもらう。
花より団子とばかりに食べ物に群がる者もいれば、我先にと異性に話しかける者もいる。
氏族の関係で選択肢が少なくて溢れる可能性が高い者たちは積極的にコミュニケーションを試みているように見える。
こういうのって普通は男がいくものじゃないかと思っていたのだが、既にロックオンしているのか獲物を狙う猛獣の目をして狙い定めた若衆に突撃する娘衆もいる。
そういう娘の背後にはたいてい父親の影が見える。
娘に対して『誰々に行け』とか『あの子とこの子のどっちが良いか』とか示唆しているし、事前に若衆と色々な接触をしていたのも知っている。
その一方で息子への干渉はあまり見られない。
オリノコのカケさんもラトくんとラモくんからライさんの婿候補の意見は聞いても二人の婿入り先については不干渉。
娘の配偶者は婿と舅になって自分の生活に直結するから色々と動くけれど、息子は他所に出て行くから自分たちの暮らしとの関係が薄くなるので関与しないのかな?
こういった“子の配偶者を親が決める・干渉する”というのは人間以外の生物にはほとんど観られない特異的な特徴の一つだと思う。
少なくとも俺は子の配偶者を親が決める人間以外の生物を見聞きしたことはない。
一方で、人間では親が子の配偶者を決めるというのは(善し悪しを別にして)さほど珍しい話ではない。
幼い子を持つ親同士が互いの子同士を結婚させることに合意して、子が長じたら結婚させるというのは昔ならさして珍しい話ではなかった。
そういった親同士が婚姻の約束を交わした男女を許婚というのだが、婚姻を許すという許婚の字義の通り、これは親同士の約束が主になるので、当人同士が互いにどう思っているかは問わないので、当人同士の婚姻の約束が主体である婚約とは少々異なる。
許婚という言葉があるという事から、親同士で婚姻を決めるのはそれなりに認知された方法の一つであった事は間違いない。
許婚より強制的な事例では、二十世紀初頭ぐらいまでの中国には息子がまだ幼児のころに将来嫁にする幼女を買い取って養育するシンプアなんて制度があった。
時代背景や助け合いの側面もあって必ずしも悪とは言い切れない制度ではあるが、現代の価値観からすると人身売買なので現在では公的には禁止されている……はず。公的には。
もう少し緩い例だとお見合いがある。
世話人から親にという流れだと親が選定に絡んでくる。
選定に親が絡む要素が薄い恋愛結婚でも、結婚後の暮らしに良い影響を期待して(もしくは悪影響を避けるために)双方の親に婚姻への同意を求める事も多い。
日本国憲法第二十四条に『婚姻は両性の合意のみに基いて成立し』とあるので、現代日本だと親が同意しようがしまいが法的には何の効力もないにも関わらず、同意してもらうまで……なんて話も聞く。
日本国憲法に態々“両性の合意のみに基いて”と定めているのは両性の合意に基づかない婚姻や両性が合意していても婚姻が成立しない事があった証左でもある。
ともかく、ここでも親が娘の配偶者(候補)を選定するという現象は確認できている。
まあ我々としては静観の構え。否定も肯定もせず見てるだけー
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日を経るにしたがって新婚さんが増えていく。
特にオリノコのハロくんのお相手が決まってからバタバタと相手が決まっていった。
射止めたのか射止められたのかは論評を避けるがハロくんのお相手は里に帰れない娘の一人だった。
どこに住むかの相談を受けたので、事前に雪月花とした打ち合わせの通り、人数が少ないなら滝野に住んでも良いが、多いなら支援するから新たな集落をつくるようにと伝えたし、新たに集落を立てるとするとどこにするかの話もした。
それを受けてハロくんが新集落の立ち上げを主導して、里に帰れないという事で二の足を踏んでいたカップルを後押ししたのが決め手となったようだ。
◇
カップルが成立したら結婚なのだが、二人で浮き橋を渡って祠に御札を奉納するという儀式をしてもらう。
御札というのは、各自の氏族記号と名前を彫ってある木板を重ね合わせて紐で括った物で、神様に二人が夫婦になったご報告という訳。
各自の氏族記号と名前を彫ってある木板というのは、大人衆に全員の成婚は無理というのを説明するためにそこらの端材で作った物だから何の有り難味もない代物だけど、在る物は有効利用しようというもの。
この橋を渡って神様に報告という儀式の当初の目的は“吊橋効果で仲良くね”というもの。
しかし吊橋は色々面倒だったので“揺れりゃいいんだろ、渡るのが怖ければいいんだろ”ということで浮き橋にしたというのが真相。
お分かりだろうが、締めは打ち上げ花火です。
子供キャンプはこれの予行演習でもあったんですよ。
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幸いなのか大人衆の作為があったのかは定かでは無いが、里に帰れない娘衆は全員カップルが成立した。通常なら条件が良い筈の跡取り娘が溢れるのだから作為はあったと思っている。
この成婚できなかった者は一度自集落に帰り、二ヵ月後の十一月例会(今年最後の例会でもある)に滝野にきてもう一度ムィウェカパをする。お相手は氏族や何やを考慮した上で適任者がいる集落が連れてくることになっている。
溢れたのは本人が悪いのではなく氏族の関係で無理だったという筋書きなのかな?
ただ、前回も参加していた若衆の二人は出身集落に帰らず放浪の旅に出ると聞いている。
一箇月ほどだし薄い付き合いではあるが、ホムハルを軸にした集落群に幻滅しているように思えるので彼らの判断も分からなくはない。
縁あって一箇月ほど面倒みたから餞別ぐらいはあげるから頑張ってくれ。
でもね、その幻滅にはルサンチマンが入っているように思うよ。
そのままだと何処の誰にも必要とされない可能性がある。
ヒノサキのカグー氏は発火具としての地位は築けるかもしれないけど……
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それともう一つ分からなくもないが……という案件がある。
オリノコから参加した若衆の三人の全員が新集落グループという事。
まだ子供のヤソくんでさえ“うちの婿に”と請われる状況から分かるように、三人とも色々な集落の跡取り娘(とその父親)に引っ張り蛸だったのだが、三人が選んだのは里に帰れない娘。
彼らには“どこかの跡取り娘だとその集落の生活レベルになるから生活レベルは間違いなく落ちるが、里に帰れない娘ならオリノコに連れて帰るか滝野で暮らせば生活レベルを維持できる可能性が高い”という思惑があったようだ。
新集落の流れで思惑と異なったのではないかと思ったのだが、支援してもらえるなら十分成算はあるという事かな?
オリノコ復興を間近で見てたのだからそう思っても不思議はない。
でもね……
家とか田畑とかは自前でやれよ。
それと自立できるまでの食糧とかの支援だってただじゃない。道路工事とか架橋工事とか灌漑工事とかで扱き使ってやる。




