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文明の濫觴  作者: 烏木
第7章 幕間
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幕間 第15話 カレー

「本日はお三方にはお忙しい中ご足労をおかけして申し訳ありません」


奈緒美さんがこのようなしおらしい口上を述べるとは珍しい事。

でも、だいたいのところは想像できる。


それは“カレー粉の調合”


それは召集されたメンバーを見ればわかる。

東雲さん、佐智恵さん(さっちゃん)、そして私、南部雪月花の三人は、以前に完全自家製カレーを作った時の実作業メンバー。


「お分かりかとは存じますが、カレー粉の調合をお願いいたしたく、伏してお願い申し上げます」


お手本のような座礼。それも最敬礼。


一度は“もう無い”と諦めたカレーが作れる。

今期の種蒔きや移植が終わって、一部は保険に取っておくとしても基本的には今ある物は使い切っても特に問題はない。

となると美浦のカレー圧が日に日に高まっているのは肌で感じていた。


その筆頭がうちの将司ってのは予想はついていたのだけれど、楠本(隊長)さんも負けず劣らずのカレー圧を醸し出しているのは意外と言えば意外。


ただ、カレー粉があれば元がどうあれたいていの物が食べられるようになるので、サバイバルの必需品として兵隊さんの世界ではカレー粉の有無は士気に影響するぐらいの重要物資らしく、そう聞くと何となく納得してしまった。


でも子供たちを(そそのか)してカレー圧の上昇を企図するのは……いや、世論を味方につけて対処を迫るのは正統な交渉手段ですね。


「分かりました。現状でどこまでできるかは分かりませんが、精一杯やらせていただきます」

「ユヅ。ありがとう」

「まあ、半分は将司のせいでもありますし」

「もうね、あの視線は質量を伴っているんじゃないかと思うぐらい……正直、怖い」

「お前や文昭の酒瓶を見る目に比べりゃ可愛いもんだ」

「……ノリさん。百歩譲ってそうだとしても、私らが向けてるのは物品にであって人間相手にあんな目はしないって」

「雑談はそこまで。使えるスパイスの種類と量の提示を求む」


聞けばコリアンダー・クミン・ターメリック・チリペッパーのベース四種はあるらしいから普通にカレーの範囲にもっていける。


欲を言えばオールスパイスとカルダモン、更にシナモン・クローブ・ローリエ・ガーリック・ジンジャー・ブラックペッパーあたりまであるとかなり遣り応えがあるのだけれど、現状では使えて大蒜(ガーリック)生姜(ジンジャー)ぐらい。後、普通はカレー粉には使わないけど山椒とか。


「オールスパイスとカルダモンがあれば違うんだけどな」

「ノリさん。さすがに無茶。一応ストックしてたホールスパイスの中から発芽させては見たもののコリアンダーやクミンはともかく高難度の奴らは成果がでてない。肥料も農薬もないしハウスも無い」


奈緒美さんが言うにはオールスパイスとカルダモンは栽培が難しいスパイスの中でも一際高難度な双璧で、奈緒美植物園でも勝率は五割に満たなかったと。

でも、私が知る限りでは毎年収穫できていましたが?


「義教も無い物強請りしない。今は建設的にいくところ」

「そうですね。では、方針を決めましょうか」

「……美浦産の味や香りがどんなもんか探るところからだし、まずはベース三種のスタンダード候補を作るってのはどうだ? 足したり引いたりは次の段階」

「異存ありません。さっちゃんもそれでいいですか?」

「問題ない」


無難なというかそれしかないって方針なので異論などありません。

スパイスも産地や栽培方法で味や香りなどが異なりますし、ホールとパウダーでも異なってきますので、美浦産スパイスでの基準になる配合を割り出さないと話になりません。以前作った完全自家製カレーはメーカー推奨レシピで作ってみたのですが、そのメーカーのスパイスで作ったのと大違いの物ができてしまい吃驚しました。

結局はこの三人で試行錯誤しながら良い塩梅のカレー粉に至りましたが、その時に足し引きの基準になる配合の大事さを実感しました。


ターメリックの分量を基準にして、クミンとコリアンダーの合計がターメリックの六倍になるようにして、チリペッパーで辛さの調整をする。

ターメリックと同量が標準的な辛さで、増減させれば甘口や辛口になる。

ここらが基本的な初級の配合。


他のスパイスを足し引きするのはクミンとコリアンダーの分量(ターメリックの六倍)の中で調整していくのが王道なので、今回はクミンとコリアンダーの配分を決めるというのが方針。


上級レシピになるとターメリックの六倍という部分も弄りだしますが、応用レシピは基本レシピがあってこそ。


「では品質確認は私がしますので、佐智恵さんは検量を頼みます。東雲さんは構想(レシピ)と調理という分担で」

「粉にするのは二人とも手伝ってくれ。それならOKだ」

「ええ、分かりました」

「私もそれでいい」


■■■


「ええっと……雪月花様。後どれぐらいでできるのでしょうか」

「たぶん、明日にはできると思います」


カレー粉作成プロジェクトが始動してから四日たっている。

それというのもターメリックをパウダーにするのに時間を要している。


フードプロセッサーとかの粉砕機(クラッシャー)があれば問題は無かったのでしょうが、擂鉢や薬研でパウダーにしようとするには厚過ぎたので、三人で必死こいて擂鉢と格闘していました。擂っては篩いにかけ、擂っては篩いにかけ、手指は黄色に染まってしまっています。


ウコンを収穫したらスライスして乾燥させるのですけど、そのスライスをもっと薄くしておかないと駄目でした。昨秋の収穫時にちゃんと確認しなかったのが悔やまれます。


「ごめん。こんなになるとは思ってなかった」

「奈緒美さんの所為ではありません。電動クラッシャーが使える状態なら問題なかったのですから」

「次はもう同じ失敗はしない」

「そうしましょう」

「ゆっちゃん、何とか使えそうなのが一〇〇グラムぐらいできたからターメリックはそろそろ手仕舞い」

「はーい。という訳ですから明日の晩ご飯が有力候補です」

「ゆっちゃんはクミンをお願い。コリアンダーは私、チリペッパーは義教の分担」

「分かりました」


それにしても、東雲さんは相変わらず一番きついところを受け持ちますね。



さっちゃんが息を殺して量りと向き合っています。

カレー粉の調合で大事なのが計量。

完全自家製カレーを作った時の実作業メンバーがなぜ東雲さんとさっちゃんと私なのかと言うと、精密な計量ができるのがこの三人だったというのが理由。


お菓子作りは通常の料理より計量がシビアで、僅かな誤差で失敗するなんてよくある話なのですが、調味料の調合となるとその更に上をいきます。


カレー一皿にカレー粉は三グラム程度しか入っていません。

たった三グラムであれだけの味と香りがあるのですから僅かな違いで風味は大きく変わってしまいます。


これが大手食品会社のトン単位とかカレー専門店のキロ単位なら一グラムの誤差は千分の一、百万分の一になって誤差なんてあってないようなものになりますけど、全体が数十グラムとなると場合によっては〇.一グラムの誤差でも致命的な誤差になりかねません。ですから少量生産だと計量の精度が大事になるのです。


化学や薬学だと僅かな誤差が命に係わることもあるので、さっちゃんや私は計測器具の限界精度にできるだけ近付ける癖がついているので問題ないのですが、精密さより臨機応変、目分量の方が良い結果になり易い学問の方にそこまで精度を求めるのは少々酷という物かもしれません。


「ふぅ。義教、終わった」

「お疲れさん」

「さすがに厳しかった」

「後はやっとくから横になっとけ」

「そうさせてもらう」

「雪月花はすまんが焙煎まで付き合ってくれ」

「ええ。分かりました」


今度の試作は三種類。ベース三種は絞り込んだので後は辛さの調整。大丈夫だと思いますが品質管理担当の任を全うします。


■■■


「カレー!」

「カレーだー!」

「紛うことなきカレー」


大人用(辛め・普通)と子供用に加え幼児用まで作っていたとは東雲さんも芸が細かいというかなんというか。幼児用は辛さはもちろん油分も控えめでヤギ乳を増量って感じなので普通のご飯が食べられるなら大丈夫なように作ってある。

たぶん、有栖ちゃん絡みで離乳食とかインプットしたんだろうなぁ。


それはともかく、食卓の喧騒を離れ四人で祝杯をあげる。


「お疲れ様でした。とりあえず最初の第一歩は無事踏み出せたようですね」

「そうだな。基本レシピで五食分ぐらい作っといたけど、密封して暗冷所で一月(ひとつき)ぐらい寝かせた方が美味いと思うんでよろ」

「後はウコンの処理だね」

「佐智恵、スライサー作ってくんねぇ? できればクラッシャーもだけど」

「スライサーは何とかする。しないと死んでしまう。だけどクラッシャーは……安全装置が厳しい」

「将司に考えさせればいいですわ。混入(コンタミ)を防ぐ意味でもスパイスの種類毎に専用機が欲しいですし」

「しばらく擂鉢は見たくない」

「ちげぇね」


「談笑中失礼しますね」

「あっ静江さん。大丈夫ですよ」

「有栖ちゃんがぐずってますので」

「私が」

「なんなら連れてくれば」

「……そうする」


そっか……カレー三銃士は有栖ちゃん三銃士でもあったのを忘れていた。


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