第9話 物の価値
休憩後は一変して……とはならなかった。
ただ、無償もしくは僅かなという事では得られないことはご理解いただけた様に思う。
製糸という糸口を見たからか、具体的な交換レートを気にしている風ではあるが、こちらはそれを決めるつもりはない。
これについては“そちらが持ち帰って合意形成された後の話”に尽きる。
傾聴に値したのは杉村さんからのものだけだった。
要約するとこんな感じ。
再生産や再入手が難しい物の切り売り以外という事で労働力と言ったが、それでも道具や原料などの先立つ物は必要。
その道具や原料をできるだけ自前で賄えるようにしたいが、どうすれば良いのか分からないから何か案はないか。また可能なら支援をお願いしたい。
軌道に乗るまでの間にまたお願いしたい事が生じるかもしれない。
それらの対価としてはやっぱり切り売りしかないが、何が対価足りえるのかよく分からない。
口調はあれだけど視点と頭の回転はいいと思う。リーダーの川添さんと渉外担当の唐沢さんは彼女の才能に気付いているのだろうか。
彼女の考えはこうだろう。
再取得不能な物と消耗品を交換していたら行き詰る。
しかし、道具や原料を美浦に依存して加工の労務を提供するだけだと美浦がキャンプ場(北さんはソウト(創都?)とか言っていた)の生殺与奪の権を握る事になるのでよろしくない。
だからキャンプ場で何か殖産興業しないとどうにもならない。
そして創業費という事であれば再取得不能な物を手放しても元は取れる。
今すぐは無理だとしてもキャンプ場と美浦が対等な関係を築くことを志向していると感じられた。
そういうものが杉村さんからしか出てこないあたり、北さんと村井さんは今回のケースでは不向きな人選だったんじゃないかな? 印象だけだが、これまで会社の看板で商談していた風に思える。
「まあ、時間も時間ですし、今回は終わりにいたしましょう。そちらのご要望はお聞きしましたが、ご要望自体をそちらで意思統一させておいてください。でないとこちらもどうすれば良いのか分かりかねます。またこちらがどうするかも直ぐに結論の出る話でもありません。今ここで決めろという事でしたら拒否せざるを得ません。今回はそれでご満足ください」
「……分かりました。今回は出直します」
「お風呂の支度が整ったようです。どうぞお使いください。お召し物のお洗濯も承ります。明日朝までには乾くでしょう」
「ご丁寧にどうも。お願いできますか」
「承りました。それと御夕食は如何いたしましょうか。広間でも構いませんし、こちらにお持ちしても構いません」
「……こちらで構わないでしょうか」
「その様に手配いたします。お風呂のご案内は……」
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キャンプ場への対応案は直ぐにどうこうできる物ではないので、本格的な話し合いは後日という事になったので、この後は基本的には彼らに持たすお土産について話し合った。
後日とはいっても、腹案というか叩き台は必要なので、対価の考え方とキャンプ場が切り売りする場合に何が有効かの検討は宿題になった。
対価についてだが、価格は大雑把には要する費用・需給関係・市場相場などから決める(決まる)事になる。各要素は関連してはいるが、何に重点を置いて価格決定するかはケース・バイ・ケース。ただ、現状ではコスト以外の決め方はたぶんできない。
需要と供給というのはある程度の供給量があって複数の供給者がいて機能する。特に前者は必須となる。なぜなら供給が限定されると普遍的価値からかけ離れた価格になってしまいがちになる。
例えばこの世に一点しかない美術品の値段は、極端なことを言えば歴代最高の“この値段を出してでも欲しい”と思ったたった一人の価値観で決まる。一応は需給バランスで決まってはいるが、これを需要と供給から価格決定されているとは言いたくないし、普遍的価値を表しているとも思わない。
オークションと同じ様な形態だが、生鮮品の卸売り市場の競りの方はそれなりに供給があるので面子に掛けて競り落とすシチュエーションでもなければ落札価格は基本的に普遍的価値の範疇に収まる。初物や初競りなどで面子に掛けて競り落とす場合は凄い値が付くこともあるけど、そうでない通常の時は再販価格も考慮しないといけないから青天井とはいかない。
塩に限った話ではなく殆どの物についてもそうだが、現状は供給量が絶対的に足りていないので需給関係からアプローチするのは不適と思う。
それと競合もいないブルー・オーシャンだと相場も何もあったもんじゃないからこちらからも決められない。
なのでコストから算出するしか現実的な価格は出せない。
しかし、コストも可視化可能なのは労力ぐらいで、それも労働時間ぐらいしか詳らかにするのは難しい。
つまり“これをこれだけ作るのに何時間の労力を使った計算になる”ぐらいしか根拠らしい根拠が無い。
そうなると一人が一定の期間(例えば一日)に通常作れる成果物の量を標準作業量とし、これを品目ごとに定めて標準作業量を指標に交換というのが分かり易い。例えば塩は一人日で一キログラム作れる計算になるから、一人日で棉から綿糸にできる量が塩一キログラムと等価という感じ。
ここで問題になるのは“標準作業量ってどうやって決めるの?”という事。
機械や道具が有ると無いとでは全然違うし、機械や道具も種類や数にも左右される。それに作業者の習熟度合いなどでも成果物の量は天地の差が生じる。
また品質についてもどうするかという課題もある。
箸にも棒にもかからない品質の物だと量があっても意味が無い。なので、品質による合否や等級があるのが望ましい。
しかし、等級を決めるにしても、それが検査をする側の恣意で決まるのはよろしくない。
年がら年中ほぼ同量の収穫がある果物ちっくな定義上は野菜は、品質基準に基づく査定ではなく外国資本の大会社の恣意で査定されていた。消費地の需要が季節変動するので、需要があるときは査定を甘くして量を確保し、乏しいときは査定を辛くして賃金や仕入れを抑えるという手法が採られていた。
こんなのは生産者や作業者からすると堪ったものじゃない。
フェア・トレード制度ってこういう不公正の排除も目的としている。どれだけ機能しているかはよく知らないけど……
恣意的に決められないように(相対的ではないという意味での)絶対的かつ客観的な基準があって、誰が検査しても合否・等級が同じ結果になるというのが望ましい品質基準となる。
これらから考えると、交換する品目全てに品質基準と標準作業量を設定し、必要に応じて改定を加えていくというのが客観的に価値を示すという事になる。
なるのだろうけど、すっげぇ面倒。
ふと思ったけど、ここらの調整ってお金だったらもっと柔軟に対応できんじゃね?
品質や量の評価を金額で表して双方が納得すればお金と品物を交換する。
こうすれば非常に明快。
貨幣の有難味を痛感する今日この頃。
もう一点の方だが、切り売りでいいなら対価になりそうな物は幾らでもあるとは思う。特に金属や繊維なんかは有用だろう。
繊維だと合成繊維があるなら強度があるし良いね。それと美浦には乳飲み子もいるからもう着れなくなった子供服とかの古着も悪くない。
金属だと硬貨とステンレス鋼はあればあるだけ欲しいとも思う。
あっ、空き缶も歓迎。アルミ缶・スチール缶・ブリキ缶もリサイクルや原料取りって手もある。
硬貨については、日本銀行券は現状だと紙以上の価値は無いが、硬貨は金属としての価値がある。
例えば十円玉は四.五グラムだけど、四.五グラムの銅を得ようとすると大変。
もっとも一般的な銅鉱石である黄銅鉱だと選鉱後の物が四〇〇グラムぐらい必要で、銅山を探して大量の土石を掘って黄銅鉱を選り分けるのはすっげぇ面倒。更に精錬するリソースと副産物というか廃棄物というかを処理するリソースも必要になる。
黄銅鉱は基本的には銅と鉄と硫黄からなる硫化物なので精錬する際に大量の硫黄酸化物――硫酸ガスや亜硫酸ガスなどのSOx――が発生する。これが銅山の周りが禿山になる理由の一つ。
これらをクリアするとなると、現状ではえげつないまでの顕在・潜在コストがかかる。現代日本なら四.五グラムの銅地金は十円しない(たぶん三~四円ぐらい)けど現状だと幾らになることやら。
だから硬貨は金属としての価値が非常に高い。
純銅に近い青銅製の十円玉も有用だが、海水ポンプの基幹部分を構成している白銅(銅とニッケルの合金)でできている百円玉や五十円玉はもっと価値がある。
唯一銅貨ではない一円玉も現状では貴重なアルミニウムでできている。
日本列島だと原料となるボーキサイトは恐らく採れないだろうしアルミニウムの精錬には大量の電気が必要な事から再入手は現実的でない。一円玉だけじゃなくてアルミ缶だって貴重。中身はどうでもいいけど空き缶は欲しい。
一応言質はとったけど一年半前にレジやら自販機やら含めて取れるところからは根こそぎ硬貨をかっぱらってきたのはそういう訳。
それとステンレス鋼だが、ステンレス鋼そのものも有用だけど、貴重なクロムを含むのがいい。用途によって組成は様々だが、確か一割以上はクロムが含まれていないとステンレス鋼は名乗れなかった筈。
クロムといえば昔は電熱線によく使われていたニクロム線はニッケルとクロムの合金でできている。今も電熱器にニクロム線が使われているのか知らないけど。
他にはもう自動車を使っていないならエンジン・オイルがあると良い。いっそ車ごと牽引して部品取りとかもありか?
ガソリンや軽油はもう使われている可能性が高いし、二年以上経って変質してる可能性もあるから期待しない方がいいかもしれない。




