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仮面夫婦の7日間戦争  作者: 三羽高明
3日目

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7/18

仮面夫婦、死闘を繰り広げる(1/1)

(私……まだ生きてるのね)


 翌朝、ミアは真っ先にまだ自分の命があることに感謝した。


(あんな料理を食べても死ななかったなんて……。日頃から体を鍛えていたお陰ね)


 辺りを見回し、ミアは自分が寝室で寝ていると気づいた。シチューを完食してからの記憶がおぼろげだが、ここまで這ってきたのだろうか。つくづく自分の生命力の強さに感心してしまう。


 床に落ちている色々なものの中から本日の服を選び、ミアは廊下に出た。


 東棟を出て、中央棟へ向かう。食堂には朝食が用意されていた。クロテッドクリームを添えた山盛りのスコーンだ。ヴィクターが作ってくれたのだろう。傍らには置き手紙が残されている。


 ミアはスコーンをむしゃむしゃと食べながら、内容に目を通した。


『少し出かけてくる。正午までには帰るから、昨日約束したとおり、料理を教えてあげよう』


(料理の指南……。そういえば、そんなお願いをした気がするわね)


 ミアは昨夜のことを思い返した。


(……正午か)


 ミアは食堂の時計に目をやる。随分と朝寝坊をしてしまったが、指定された時刻までにはまだ時間があった。


(よし、私も一仕事終わらせてきましょう。情報屋のところへ行って、黒曜石のことを聞いてこないと!)


 スコーンをペロリと平らげて元気をつけたミアは席を立つ。そして、変装道具を取りにもう一度東棟へ戻っていった。



 ****



 白いコートと帽子、それから仮面で変装したミアは、居酒屋『チャビー・ベアー』を訪れていた。昨日と同じく従業員に店長と会いたいと伝える。


「店長はツケが溜っているお客さんの家へ督促に行きました。もうすぐ帰ると思いますけど」


「分かったわ。空いている席で待っているから、店長が戻ったら呼んでちょうだい」


「冷やかしはお断りですよ?」


「……何でもいいから適当に飲み物持ってきて」


 肩を竦め、ミアは手近なテーブルに着いた。店員が「お冷や一つ!」と厨房に向かって叫ぶ。


「お客さん、相席でもいいですか?」


 先ほどの店員がすぐに戻ってきて、薄汚れたグラスに入った水をテーブルに置いた。


 客足の途絶えたことのない『チャビー・ベアー』だったが、今日は一際混んでいる。ミアがテーブルを確保できたのは運が良かったのだろう。


「ええ、構わないわ」


 ミアが了承すると、店員の後ろから現われた男性客が向かいの席に腰を下ろした。


「じゃあお客さんたち、店長が来たら呼びますからね」


 男性客の前にもお冷やを置いて、店員は去っていく。


(お客さんたち、ってことは、この人も店長に……情報屋に会いにきたのね)


 少し興味を引かれ、ミアは男性客の様子を観察した。


 身につけているのはフードつきの丈の長い黒いローブ。目元には銀の装飾がついた黒い仮面をつけている。目深に被ったフードの隙間から、金の髪が見えた。


(……怪しい人)


 とはいえ、白いコートと帽子、それに鳥のような仮面で変装したミアのほうが、彼よりも不審に見えることは間違いないだろう。


(でも、素顔はきっと綺麗ね)


 男性客は仮面をつけているので口元しか見えないが、整った容姿であることは判別がついた。髪を後ろで結べば、ヴィクターに似た雰囲気になるかもしれない。


 ミアは懐中時計を取り出した。正午までにはまだ間がある。ヴィクターとの約束は、どうにか果たせそうだ。


 といっても、それは情報屋が店に戻ってくる時間にもよるが。


「お客さん、店長が帰ってきましたよ」


 タイミングよく店員がミアに声をかけた。ミアは急いで席を立ち、奥の店長室へ向かう。情報屋はミアが入室するとニコリと笑った。


「いらっしゃい。何をお求めかな?」


 知っているくせに聞くのだ。ミアは逸る気持ちで「黒曜石のことを教えて」と言いながら、テーブルに金貨の入った手のひら大の麻袋を置いた。


「黒曜石は『キャスケット』という組織に属している」


 情報屋は袋の中身をあらためながら言った。ミアは「そんなことは私も知ってるわ」と眉をひそめた。


「もっと役立つ情報が欲しいのよ」


 情報屋は黙って麻袋を少し持ち上げた。ミアは追加の料金を新しい袋に入れてテーブルに置く。


「『キャスケット』は暗殺を生業とする集団だ。ただし、どんな依頼でも引き受けるわけじゃない。奴らは正義のために戦っている。……少なくとも、それが奴らの言い分だ。悪徳商人や、腐敗した役人しか狙わない」


「私が知りたいのは『キャスケット』じゃなくて黒曜石の情報よ」


 ミアは苛立ちながら、コートのポケットから出した麻袋をもう一つテーブルに置いた。


「だが、『キャスケット』のリーダーは少々苛烈な一面を持っていてな。悪人など、手足の指を一本ずつ切り落としていって、苦しみながら殺してやればいいと主張しているらしい。だが、黒曜石の殺し方は綺麗なんだ。一撃必殺。気づいた時には、ターゲットはあの世にいる。だから彼は、リーダーにはあまり好かれていないようで……」


「彼? 黒曜石は男なのね?」


 ミアは初めて役に立つ情報が出たことに感謝しながら、麻袋を追加した。


「今『キャスケット』は、ある大物暗殺者の殺害を企てているらしい。そいつは愉快犯的な性質を持っていて、それがリーダーの気に障ったんだろうな。黒曜石はその任務を遂行するために動いているっていう話だ」


「黒曜石はどんな男性なの? 年齢や顔立ちは? ……ひょっとして、本名も分かる?」


 ミアは興奮を覚えながら麻袋を三つ、情報屋の机に置いた。


「黒曜石は、諜報活動の時は変装しているそうだ。よく身につけているのは、黒いローブと黒い銀縁のハーフマスク。要するに、目元だけを隠す仮面だな」


「ええ、それで?」


 ミアは気持ちを湧き立たせながら、コートのポケットに手を入れた。


 だが、中は空っぽだった。ミアは舌打ちしそうになる。


「ま、今日教えられるのはこのくらいだな」


 情報屋はミアから巻き上げた金貨の袋を大事そうにかき集めた。ミアはトゲのある声で「失礼するわ」と言って退室する。


(多少の情報が手に入っただけでもよしとしましょう。今日のことを報告するついでに、また夜鷹にお小遣いをもらってこないと。それで新しい情報を買えばいいわ)


 ミアは入手した黒曜石のデータを頭の中で整理していく。


(黒曜石は男性。外出時は、黒いローブと黒い仮面で変装。仮面には銀の装飾がついている。……あら? こういう人、どこかで見たような……。それも、ついさっき。……気のせいかしら?)


 ミアが考え込んでいると、店の中で先ほど相席になった男性客とすれ違った。


 彼の姿を見て、ミアは口をあんぐりとあける。


(黒いローブ、黒い仮面……この人だわ!)


 全身の血が沸騰するのを感じた。ミアは、ずっと探し求めていたターゲットをついに見つけたのだ。


 高ぶってくる気持ちを抑えようと、ミアは深呼吸した。黒曜石が店長室へ入っていく。


(焦っちゃダメ)


 ミアは自分に言い聞かせた。


(やっと黒曜石の尻尾をつかんだんだもの。あとは好機を待つだけ。今店長室に突入するより、黒曜石が部屋から出てきたタイミングで奇襲を仕掛けるほうがいいわ)


 ミアは取り出したナイフを手の中に隠し、店長室の前に陣取った。店員が迷惑そうな顔をしたが、お構いなしだ。


 ミアは扉に耳を押しつける。黒曜石が出てくる瞬間を把握するためというのもあったが、彼が情報屋から何を聞き出そうとしているのか、単純に興味もあったのだ。


「最近、ここに情報を売りにきた男がいるか?」


 黒曜石が情報屋に尋ねる。


「情報の提供元の身元は教えられねえよ」


 情報屋の返事はそっけない。黒曜石は「そこを何とか」と食い下がった。かすかな金属音がする。どうやら黒曜石が情報屋に金を渡したらしい。


「その男はもう死んでいる。気兼ねすることはない。そいつの人相は……」


 黒曜石が口にした男の風貌に、ミアは息を呑んだ。昨日彼女が始末した裏切り者の容姿とピタリと一致したからだ。


「ああ、そんな奴もいたかもな」


 情報屋が思わせぶりな返事をする。ミアは唇を噛んだ。


(あの裏切り者……ほかの組織だけじゃなくて、情報屋にまで接触していたのね)


 夜鷹はこのことを知っているのだろうか。帰ったらきちんと報告しておかなければ。


 ミアがやきもきしていると、黒曜石はさらに衝撃的なことを口にした。


「その男は、小夜啼鳥について話していなかったか?」


 金貨が触れ合う音がする。ミアの心臓が喉元まで飛び上がった。


(どうして黒曜石が私のことを……?)


 疑問に思ったものの、ミアは情報屋の言葉を思い出した。


 ――『キャスケット』は、ある大物暗殺者の殺害を企てているらしい。黒曜石はその任務を遂行するために動いているっていう話だ。


(まさか、黒曜石が標的にしている『大物暗殺者』は私のことだったっていうの?)


 ミアが不穏な展開に胸をざわめかせている間も、扉の向こうで話は続く。


「小夜啼鳥はある暇を持て余した女貴族が主催するサロンのメンバーだ。その女貴族は変装の達人で、見かけは若いが実は……」


「サロンの主催者の話なんかどうでもいい。小夜啼鳥のことを教えてくれ。……ほら、追加料金だ」


「そのサロンの信条は『混沌をもたらして王国を面白くする』。サロンの主催者曰く、世の中には変化が必要なんだと。驚き、混乱、無秩序。時々はこういうものがないと、人生がつまらなくなる。体は生きていても、心が死んでしまうんだ。だから、サロンに集うご婦人方を使ってちょっとした事件を引き起こして、世間を騒がせてあげるほうが皆のためだとか」


「ご婦人? 小夜啼鳥は女性なのか?」


「この間の財務副大臣殺しも、世の中を面白くする活動の一環らしい。副大臣がいなくなって、財務大臣が暴走したら楽しいことが起きると思ったんだろうな」


「やはり財務副大臣を殺したのも小夜啼鳥だったのか……」


 金貨の袋を置く音がする。情報屋は、「小夜啼鳥は今、ある大物暗殺者をターゲットにしているそうだ」と言った。


「その暗殺者はつまらない組織に入っている。サロンの主催者はそういうお堅い奴が嫌いなんだろうよ。小夜啼鳥はターゲットの情報をあちこちで集め回っているとか」


「ここにも来るのか? 彼女はどんな容姿をしている?」


 黒曜石が興奮しているのが分かる。追加料金を払う音がした。


「情報を集める時の小夜啼鳥は変装してるな。白いコートと帽子、それから鳥みたいな仮面だ」


「鳥のような仮面……? ……ああ!」


 黒曜石が雷に打たれたような声を出した。ミアは体を強ばらせる。彼は先ほど相席になった相手が誰なのか気づいたのだ。


「彼女は……小夜啼鳥は一体どこの誰なんだ!? あなたなら知っているんだろう!?」


「どうだろうな? 仮に知っていたとしても、この情報は高くつくぞ?」


「金ならいくらでも……あ……」


 黒曜石の声のトーンが下がる。情報屋が面白そうに笑った。


「どうした? もう金がないのか? 組織の経費で落ちる限度額を全部使っちまったとか?」


「……」


 図星を指されたようで、黒曜石が黙り込む。情報屋が「お帰りの時間のようだな」と言った。


「また来る」


 黒曜石が無念そうに言った。木製の床がきしむ音がする。二人の会話に聞き入っていたミアは慌てて全身に緊張をみなぎらせた。


 店長室のドアが開く。ナイフを片手に、ミアは黒曜石の死角から飛び出した。


「……!」


 標的の呼吸を間近で感じる。ミアの刃を受け止めたのは黒曜石のナイフだった。驚いたことに、彼はミアの攻撃を防いでみせたのだ。


 黒曜石が静かに問う。


「あなたが小夜啼鳥だな?」

「そういうあなたは黒曜石ね?」


 ナイフを相手の刃に押しつけ合いながら、二人は睨み合う。だが、単純な力比べとなるとこちらが不利だ。ミアは次第に押され始めた。


(それなら、これでどう?)


 ミアは空いているほうの手で黒曜石に攻撃を仕掛けた。こちらの手にはナイフではなく、小さな針が握られている。


 黒曜石は宙を舞うような身のこなしでミアから距離を取った。彼についたのは、ほんのささやかな傷だけ。負傷した箇所は手袋と袖の間からわずかに覗く手首だった。


 だが、針の先端が軽く押し込まれた程度なので、致命傷にはほど遠い。


「お前たち、やめろ!」


 怒鳴り声が聞こえてきて、ミアは飛び上がりそうになった。店長室から出てきた情報屋が、鬼のような形相で二人を睨んでいる。


「うちの店を壊す気か! 出禁にされたくなかったら乱闘はよそでやれ!」


 情報屋はソーセージのように太い指で外に通じるドアを差した。異常事態を察した客や従業員たちが店の隅で縮こまっている。


 クゥックゥー、クゥックゥー。


 ちょうど間の抜けた鳩時計の音も店長室から聞こえてきて、ミアは闘志が薄れていくのを感じずにはいられなかった。黒曜石も気の抜けたような姿で立ち竦んでいる。


(……大変!)


 頭の中で時計の鳩が鳴く回数を何気なく数えていたミアは、とんでもないことに気づいてしまった。


(もう十二時じゃない! ヴィクターさんとの約束が……!)


「黒曜石、悪いけど今回はこれでお終いにしましょう!」


 捨てぜりふを残し、ミアは店内を大急ぎで横切って『チャビー・ベアー』を出た。


 黒曜石は当然追いかけてきているだろうと思い憂鬱な気持ちで後ろを見たが、誰もいない。ミアは「よし!」と小さくガッツポーズをした。


(黒曜石を取り逃がしたのは惜しかったけど、彼に傷をつけられたのは幸運だったわ。あの針には毒が塗ってあるんだもの。あと数時間もすれば効力が現われるでしょう。明日の今頃には黒曜石はあの世行きよ!)


 勝利を確信して、ミアは鳥の形をした仮面の下でひっそりと微笑んだ。

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仮面夫婦
あき伽耶様が作成してくださいました!
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