ミアとヴィクター、7日間戦争を終わらせる(1/1)
翌日の朝、立ち入り禁止区域を囲う柵の周りの足跡に気づいた庭師が、ヴィクターの死体を発見した。
また、同じ日の昼頃に、貴族街の公園のベンチでミアが死んでいるのを通行人が見つける。
二人の遺体に外傷等はなく、心臓が止まっている以外はまるで生きているかのようだったという。
ボードマン夫妻の謎の死の噂は、あっという間に王城中に広まった。お似合いの二人の哀れな末路に人々は嘆き悲しむ。
「あの二人なら、天国に行ったって愛し合っているに違いないわ!」
皆はそう言って慰め合った。
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「本日は悲劇の日だ」
黒い布で覆われた大部屋。黄鉄鉱はそこに『キャスケット』のメンバーを集めて集会を開いていた。
「我々は惜しい仲間をなくした。だが、彼はただでは死ななかった。かの強敵、小夜啼鳥と相討ちになったのだ」
黄鉄鉱は手に持ったワイングラスを高く掲げた。
「その健闘をたたえ、今日一日は喪に服すとしよう。我らが英雄、黒曜石に献杯!」
「献杯!」
『キャスケット』のメンバーたちもリーダーにならった。黄鉄鉱は深く息を吐き出す。
(いけ好かない奴だったが、まさかこうなるとはな。メンバーの手前、「相討ちになった」などと調子のいいことを言ったが、本当のところはなぜ死んだのやら。例の呪いか?)
黄鉄鉱はヴィクターが語った呪いの詳細を思い出そうとしたが、上手くいかなかった。あまり興味がなかったので、ヴィクターの言葉を話半分で聞いていたせいだ。
(まあ何でもいい。奴が最期に一つ仕事を片づけたことには変わりないんだからな。それより、今は我らの今後のことだ。『キャスケット』の最強の暗殺者を失ってしまった。あれほどの奴を育てるのは容易ではない。組織の評判が落ちる前に、対策を考えねば……)
物思いにふけりながら、黄鉄鉱はグラスの中身をあおった。
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「まあ、小夜啼鳥がそんなことを!?」
ボードマン夫妻の死の知らせを聞いた夜鷹は、手を叩いて喜んだ。
「さすが小夜啼鳥ねえ! やってくれるじゃない!」
「悲しまないの?」
夜鷹の反応に目を丸くしたのは地味な顔立ちの女性だ。彼女も『ジェスターズ・ネスト』のメンバーで、コードネームは百舌鳥。情報収集を担当しており、夫妻の身に起きたことを夜鷹に教えたのは彼女だった。
「小夜啼鳥はあなたのお気に入りだったのに」
「悲しむわけないでしょう。こんなに面白いものを見せてくれたんだもの」
夜鷹は今にも鼻歌を歌い始めそうだった。百舌鳥はわけが分からなくなる。
「ねえ、夜鷹。二人とも死んだのよ。そんな結末は面白くないんじゃないかしら?」
「見方によってはね」
夜鷹は意味深長に笑った。一体何がそんなに彼女を上機嫌にさせているのか、百舌鳥にはさっぱり分からない。
「そういえば、小夜啼鳥の遺体はどうするの? もうすぐ引き取りの書類にサインをしてほしいっていう役人が来ると思うけど」
小夜啼鳥ことミア・ボードマンは孤児だ。当然、遺体を引き取ってくれる親族などはいない。
そのため、彼女に万一のことがあった場合は、後見人である夜鷹に連絡がいくように手を回してあったのだ。
きっと、黒曜石――ヴィクターの両親にも遺体引き取りの依頼がいくのだろう。といっても、ヴィクターの親は王都から離れた場所に住んでいるので、知らせが届くのはもう少し先になるだろうが。
百舌鳥の質問に、夜鷹は顔の前で手を振った。
「そんなの放っておきなさいよ」
「でも、いつまでも彼女を遺体安置所へ置いておくわけにはいかないわ」
『ジェスターズ・ネスト』の構成員は生まれに恵まれない者が多い。
その影響か、初めての自分の居場所と呼べるこのサロンに集う仲間たちに、強い同胞愛を抱く傾向があった。
それは貧しさゆえに両親から捨てられた過去を持つ百舌鳥も同じだった。
夜鷹の命令だからミアの殺害を傍観していたとはいえ、百舌鳥は彼女が憎いと思ったことはない。むしろ、ミアの殺しの腕を高く評価していたのである。
そんなわけだから、百舌鳥はミアの死体を放置しておくことに抵抗を覚えたのだった。
けれど、夜鷹はまるで気にした様子もない。
「二人のことはもう忘れてあげましょう? これは楽しい結末を用意してくれた小夜啼鳥へのわたくしからのご褒美なんだから」
ふふふ、と夜鷹は無邪気に笑う。
夜鷹の笑顔に含みを感じた百舌鳥は、もしかして彼女にはミアの遺体をそのままにしておきたい事情があるのではないかと推測した。
けれど、その「事情」の中身までは不明だ。やっぱりこの人は何を考えているのか分からない、と百舌鳥は最後まで首を捻っているしかなかった。
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ミアはベッドの上で目を覚ました。
けれど、寝具はいつものようにふわふわしていない。もっと固くて、寝心地の悪いしろものだった。
まるで人を寝かせるのが目的ではなく、一時的にものを置いておくための台座に横たわっているような感触である。
(いつもはここに人を送り込んでばかりいた私が、まさかこの場所に寝かされる日が来るなんて……)
ミアはぎこちない仕草で起き上がり、伸びをした。いつもの癖で、右手の甲を確認する。そこにはもう数字は刻まれていなかった。
それを見たミアはかすかに笑って、指を伸ばしたり開いたり、足をマッサージしたりして、強ばった体を解していった。
室内には多くの簡易ベッドが据えつけられ、その上に何人かが横たえられている。それは病室を思わせる光景だった。事実、ここは街で一番大きな医院に隣接した建物の中だったのである。
けれど、室内には窓や時計はなく、どこか不自然な沈黙が場を満たしている。そして、漂ってくるのは死の匂いだった。
それもそのはず。この場所は生きている人間の病気を治すための施設ではなかったのだ。すでに亡くなった者たちを収容するところ……遺体安置所である。
体を解し続けることで本調子を取り戻したミアは、周囲のベッドの間を歩き回った。やがて、目当ての人物を見つける。
胸の上で指を組んだヴィクターは安らかな顔をしていた。まるで眠っているようだ。ともすれば、美しい彫刻のようにも見える。彼の左手の甲からも寿命をカウントダウンする数字は消えていた。
ミアは遺体安置所の職員の気の利かなさにため息を吐く。夫婦なのだから、隣のベッドに寝かせておいてくれればよかったのに。けれど、彼の姿がここにあったことにミアはほっとしていた。
もしヴィクターが薬を飲まなかったら? もし彼、もしくは自分の遺体が引き取られていたら? どんな計画にもリスクはつきものだと分かってはいたものの、そんな心配がずっと頭を離れなかったのである。
ミアはヴィクターの傍らでしばらくの間待った。やがて、ヴィクターの瞼がピクリと動く。彼はゆっくり目を開けた。ミアは夫の蜂蜜色の瞳を覗き込む。
「……体がやけに重たいな」
「すぐ元に戻るわよ。まずは手を開いたり閉じたりしてみて」
ミアの指示どおりに筋肉を動かしている内に、ヴィクターの体も普段の感覚を取り戻したらしい。ヴィクターは深く息を吐き出しながらベッドに腰かけた。ミアもその隣に座る。
ヴィクターは物珍しそうに辺りを見渡した。
「あの世というのはもう少し現世からかけ離れたところかと思っていたんだが……。遺体安置所にそっくりな場所だなんて予想外だよ」
「信じてくれてありがとう」
あの世というのは何のことだろうと思いながら、ミアはヴィクターに礼を言った。きっと、ヴィクターの頭はまだぼんやりしているのだろう。
「私、もしかしたらヴィクターさんは薬を飲んでくれないかと思っていたの。でも、そうなったらあなたは呪いのせいで死んでしまうでしょう?」
「まったく、ミアさんには驚かされてばかりだよ。まさか心中しようと言い出すなんてね。あなたは自分の命の心配だけしていればよかったのに」
ヴィクターが仕方なさそうな口調で言った。ミアはおどけた仕草で目を丸くする。どうやら彼は、愛の全面戦争に勝利したのは自分だとまだ信じているらしい。
ミアは彼の思い込みを訂正してやりたくなったが、そんなことをすればまた喧嘩になりそうだったのでやめておいた。遺体安置所の静かな雰囲気を壊したくなかったのだ。
「ここは天国かな? それとも地獄? ……僕たちは暗殺者だから、後者の可能性が高いと思うけど」
「『この世は地獄』なんて言葉もあるものね。でも、私たち二人でなら、どんな地獄でも生きていけると思わない?」
「ははは。ミアさんは面白いことを言うな。もう死んでいるのに『生きていける』だなんて」
ヴィクターが快活に笑った。ミアはきょとんとなる。
「何言ってるのよ。私たち、ちゃんと生きてるわよ」
「え? でも、僕たちは心中したじゃないか」
「……ヴィクターさん。もしかしてあの手紙、ちゃんと最後まで読まなかったの?」
「ああ。雨に濡れて文字が判別不可能になってしまったからね」
ミアは唖然となった。こんな事態は想定の範囲外だ。
「じゃあヴィクターさんは……何も知らないで、本当に私と心中するつもりで毒を飲んだの?」
「……僕、何かいけないことをしたかな?」
ミアの様子が変だとヴィクターは気づいたようだ。不安げに眉をひそめている。
「そんなことはないけど……」
ミアはじわじわと頭が混乱するのを感じていた。
「あのね、あの手紙の最後にはこんなことが書かれていたのよ」
『ご心配なく。止まった心臓は、約二十四時間後に再び動き出しますから』
ミアの言葉をヴィクターが理解するまで、何秒かかかった。やがて、何が起きているのかを察したヴィクターは大声を上げる。
「生きている!? 僕たち、生きているのか!?」
「ええ、そうよ」
「でも……何で……? どうして呪いから身を守れたんだ?」
「別に大したことじゃないわ。呪いの効力は『心臓が止まって死ぬ』っていうものだったでしょう? だから、もう止まっている心臓には効かなかっただけよ」
ミアは自分の胸の上に手を置いた。
「仮死状態にする薬なら作り方を知っていたから、試す価値はあると思ったの。上手くいってよかったわ」
ヴィクターと話している内に、ミアも夫婦揃って呪いから逃れられたという実感が湧いてきた。ヴィクターほどではなかったが、実はミアも自分がまだ生きているということに関して、半信半疑だったのである。
だが、もう何も心配しなくていいのだ。二人は助かった。生き延びるために相手を殺そうとする必要はない。
「そうか……。はは……。はははは!」
ヴィクターは肩を揺すって笑っている。息ができることすら嬉しいようで、彼は大きく深呼吸をした。
「あなたとなら死んでもいいと思っていたよ。でも、一緒に生きられるほうがずっと幸せだ」
ヴィクターらしくもない正直すぎる愛の言葉だ。あまりにも裏がなさ過ぎて、ミアは一瞬、毒のせいでヴィクターはおかしくなってしまったのだろうかと思った。
けれど、ミアもヴィクターと同じ気持ちだった。地獄よりは天国。天国よりは現世で、ヴィクターと共に過ごしたいと願っていたのである。
「僕たちは、もう元の生活には戻れないだろうな。……というより、戻らないほうがいいと思う。このまま死んだことにして組織を抜けて、別の国に高飛びでもするのが一番だろうね」
「そうなってくると、今後は任務のことで頭を悩ます必要もなくなるわね」
つまり、お互いを暗殺したいのにできないというジレンマからも解放されるということだ。
「いいじゃない、高飛び。大賛成よ。新しい名前も考えましょう? 小夜啼鳥と黒曜石とかどうかしら?」
「そのままじゃないか」
ヴィクターが笑った。
「まあ、何だっていいさ。僕たち二人なら、どこへ行こうと喧嘩しつつも上手くやれる。ミアさんもさっきそう言っていただろう?」
「争うのは避けられないのね」
「喧嘩するほど何とか、っていうだろう?」
その時、甲高い悲鳴が上がった。見れば、床の上で遺体安置所の職員が伸びている。
「どうやら僕たちは動く死体と間違われたらしいね」
ヴィクターが職員を指先で突きながら言った。ミアは肩を竦める。
「早く逃げたほうがいいわね。生きている姿を見られるなんて想定外だもの。遺体が消えただけならともかく、これじゃあ完璧に死を偽装したことにならないわ」
ミアは出口に向かって歩いていこうとした。だが、その腕をヴィクターがつかむ。
「ミアさん、忘れてないか?」
「何を?」
ミアはぽかんとした。ヴィクターがやれやれと首を振る。
「反逆の見返りに、僕に贈り物をしてくれるはずだろう?」
「私、そんな約束したかしら?」
「したよ。……仕方ない。思い出させてあげようか」
ヴィクターが顔を近づけて、ミアの口にそっと自分の唇を重ねた。
――あとでキスでもしてあげるわよ。
「……そういえば、そんなことを言ったかもしれないわね」
ミアはかすかに頬を赤くした。あれは冗談のつもりだったんだけど、と心の中で抗議をしたが悪い気はしない。
ヴィクターが満足そうに笑う。
「じゃあ、出発しようか。どこか遠い国の都市へ」
「都市ですって? 潜伏するなら田舎町が一番よ。人の多いところでうっかり知り合いに会ったらどうするの?」
「いや、都会のほうが逆に人目につかないと思うよ。田舎なんて、詮索好きな住民が山ほどいて危ないじゃないか」
「でも、暗殺者の荒んだ心を癒やすには自然の中が一番よ」
「分かってないな、ミアさんは」
「何言ってるの! 分からず屋はヴィクターさんのほうじゃない!」
「僕が分からず屋!? 言ってくれるじゃないか。大体ミアさんだって……」
仲良く言い争いをしながら、二人は賑やかに遺体安置所をあとにする。
夜の闇に紛れた夫婦の行方を知る者は誰もいなかった。
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