ヴィクター、ミアに看病される(2/2)
ヴィクターが目覚めた時、窓から覗く太陽はすでに高い位置にあった。慌てて左手の甲の数字を確認する。前回は腕が重たくてしょうがなかったが、今回は比較的楽に動かすことができた。
『4』
ヴィクターはほっと息を吐いた。眠っていたのは半日ほどだったようだ。
「気分はどう?」
ベッドサイドの椅子にミアが腰かけていた。寝ないで看病をしていたのか、疲れた目をしている。
「お腹空いてる? 何か作りましょうか? 栄養満点ですごく美味しいお粥とか」
「……いや、水だけもらおう」
ミアの「すごく美味しい」料理を食べたらどうなるかはすでに経験済みだ。今そんなものを口に入れたら、間違いなく三日は寝込むことになってしまう。最悪の場合、そのまま目が覚めないこともあり得るだろう。
ヴィクターはミアがコップに入れてくれた水を少しずつ飲んでいった。
「もう大丈夫だと思うけど、今日は念のために休んでいて」
「ああ、そうするよ」
ヴィクターは左手の甲の『4』を見ながら頷いた。貴重な時間を無駄にしてしまうが、ここで無理をすればもっと命が縮まってしまうかもしれないのだ。
眠くはなかったものの、ヴィクターはもう一度目を閉じた。だが、傍にいるミアの気配がどうにも気になって落ち着かない。ヴィクターが目を開くと、ミアがこちらの顔を覗き込んでいた。
「どうした?」
ヴィクターが尋ねた。
ミアは何かを言いたそうに口をモゴモゴさせたあと、意を決したような表情になる。
「あなたが先に私を愛してくれたなら、私もあなたを愛してもいいわ」
いきなり何を言い出すんだとヴィクターは思ったが、すぐに自分が眠る前に交わした会話の続きか、と当たりをつける。あの時ヴィクターはミアに、「僕のことを好きになったのか?」と尋ねたのだ。
そうと分かれば、普段のおどけた調子でやり返すだけだ。
「僕が先にミアさんを好きになる? それじゃあ、僕が死んでしまうじゃないか」
「仕方ないわ。私、生きていたいんだもの」
「そんなの、僕だって同じだよ」
いつものように丁々発止とやり合う。
だが、今日のヴィクターはどこか虚しい気分になっていた。なんだか、お互いに大切なことを胸の奥深くにしまったまま、思ってもいないことを口にし合っているような気がして仕方がなかったのだ。
毒で弱っているせいか、今のヴィクターはそんな駆け引きをするような気分ではなかった。
「僕たち、心中するしかないのかもな」
ヴィクターが呟くと、ミアが息を呑んだ。
「生き残るためには、相手からの愛を獲得しなければならない。それなのに、僕たちは相手の命よりも自分のことを優先してばかりだ。こんなのは愛と呼べるか? 僕たちはあまりに利己的すぎる。このままじゃ、どっちも生き残れないよ」
二人の間に愛が生まれなければどちらも死ぬ。この呪いにはそういった厄介な側面もあるのだから。
「ヴィクターさんって、愛について随分詳しいのね」
皮肉っているような言葉選びだが、ミアの口調は真剣だった。ヴィクターは思わず彼女をまじまじと見つめる。
「私が知っているのは『愛は弱さ』っていうことだけよ。情けをかけたらこっちが死ぬの。相手を踏み台にしても生き残らないといけない。貧民街ってそういうところだったもの」
ヴィクターは、ミアの青い瞳の奥に癒やされない孤独を見た気がした。その寂しさが、ヴィクターをたまらなく惹きつける。彼女に寄り添って守ってやりたいと強く願わずにはいられない。
(昔の自分を思い出すからか? いや、今だって僕は……)
ヴィクターは胸にかすかな痛みを覚える。
(かつての自分が欲して仕方がなかったもの。けれど、結局は手に入れられなかったもの。僕はそれを彼女に与えたいと思っているのか? ……この命と引き換えに?)
ヴィクターは自問自答を繰り返す。けれど、答えは出ない。その代わり、彼はミアの手を握った。
「ミアさんは愛に裏切られたことはあるかい?」
「え?」
「僕はね、あるよ」
「……何があったの?」
「……」
「話せないようなこと?」
ヴィクターは自分が消耗しきっているという自覚があった。今自分の生い立ちを語り出せば、言わないほうがいいようなことまで口にしてしまうかもしれない。だから、ヴィクターはただ過去をほのめかすだけに留めることにした。
「看病されること、他人が作った料理、それから毒物。僕が嫌いなものだ。どうしてだか分かるかい?」
「……いいえ」
「それなら、考えてみてくれ。時間はたっぷりあるんだからね」
「あいにくと、私は情報をかすめ取る方法についてはそこまで知識がないわ。とっさに思いつくのは買収とか拷問くらいよ。でも、ヴィクターさんはその程度では口を割らないわよね。特に拷問なんて涼しい顔で耐えそうだわ」
「そのとおりだよ。でも、一応試してみるかい?」
ヴィクターが笑いながら聞くと、ミアは「私のは厳しいわよ」と肩を竦めた。
「それはぜひお手並み拝見といきたいね」
ヴィクターは、やはりミアはただ者ではないと感じつつも、軽い口調で返す。ミアがおかしそうな顔をした。
交わされているのは物騒な会話。けれど、二人の間に流れている空気は奇妙なまでに穏やかだった。
(ミアさんが死んでしまったら、二人でこうして語らうことはもうできないのか)
ヴィクターの胸にはわだかまりが残る。
けれど彼は、努めてそれには気づかないふりをしたのだった。





