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六十一話 後片付け

 翌日は、朝っぱらからいきなり後片付けだ。

 教室で説明を受け、指定された区画の装飾を外す。俺と一条はたまたま同じ場所になったので、くだらない雑談を交わしながら仕事を進めていった。

「どうしてあのチョコってキノコとタケノコなんでしょう」

「さあ。多分開発上の理由だろ」

 一条は装飾を慎重に外し、綺麗な形を残したままダンボールにそっと入れた。これらは文化祭実行委員の方に回され、生徒会と共に、来年に活用するために取っておくか否かを話し合うらしい。

「そういえば、前勧めてもらった恋愛ゲーム、全ルート終わったぞ」

「どうでした?」

「面白かった。ゴシックホラーが良い味を出してたな」

 俺は外した造花をダンボールに投げ入れた。

「ですよね。誰のルートが一番好きでした?」

「隠しキャラのユキノ」

「ああ。一番ホラー色強いルートですか。いいですよね」

 静かになった。装飾を外す雑音だけが小さく鳴っている。

 一旦換気のために窓を開けた。

 いよいよ冬の色が濃くなってきた。冷たい風が廊下へ入り込んでくる。

「……あ」

 ふいに一条がそう言ったので、そちらを見た。

 足元がおぼつかない。ふらついている。

 おい大丈夫か、と声をかけても曖昧な返答しか返ってこねえ。

 装飾をダンボールに放り出し、俺が支えようとした瞬間、一条は機械の充電が切れたように無抵抗に倒れた。

 咄嗟にジャージの襟首を掴んで、自分の方に引き寄せた。

「おい、大丈夫じゃねえよな?」

 心臓が冷えた。

 どう見ても不調だってのは分かるんだが、一条が自己管理を怠るとも思えない。不味いと思えば欠席するくらいのことはできる……まさかできねえの?

「どうしてか視界がぐらぐらして、体が熱いです」

「完全に風邪だろ」

 言いながら手を握り、その熱さに思わず手をひっこめた。

 一条の手は、大体いつも冷たいんだけど。

「やべえよこれ。保健室行くぞ。立てるか?」

 こいつは大人になったらどう一人で生きてくんだろうか。

「はい。目眩がするだけですから」

 壁に沿って一人で行こうとする一条を放っておくわけにいかず、声をかけた。

「背負っていいか」

「いえ。大丈夫です」

「なら肩貸す」

「……?」

 訝し気にこちらを見られ、ああ、と首を振られた。

「市川くんに触れられたくないわけではないのです」

 心なしか鼻声になっている。やべえ悪化してる。ああそうだ、と俺は慌てて窓を閉めた。冷風が止まった。

「じゃあ背負ってくからな」

「……もし風邪なら市川くんに移してしまうかも」

「別にいい」

 不安げな一条を安心させるべく言葉を吐いて、俺は一条の前で背を向けしゃがみこんだ。

 ためらいがちに体重が乗る。

 よっと立ち上がってみれば、まあ案外行ける。

 一条がジャージでよかったな。スカートだったら流石に色々と駄目だった。

 華奢な一条くらいなら俺でも保健室まで行けそうだ。

 一条と接触している部分に意識がいきそうになるが、意識すべきは保健室だ。

 階段を降り、廊下を歩く。

 途中女子の保健委員と会えたら付き添いを任せたかったが、運が悪いのか会えなかった。

 仕方がないので、近くの男子生徒に事情を話して先生へ伝言を頼み、一階の保健室に行った。

 すみません、一年一組市川弦也です、扉開けてもらえますでしょうかと扉の奥に呼びかけると、保健室の養護教諭が開けてくれた。

「一条さんが体調不良で、目眩がするようなので」

「おお、お疲れ様。あとはこっちに任せて大丈夫だからね」

 その一言にほっと息を吐きだし、落とすぞと一条に声をかけ、一条を降ろした。じゃあな、お大事に、と片付けに戻ろうとすると、一条は焦点の合わない半目で、俺を引き止めた。

「あ。すみません。少し思考がぼーっとするので、一緒にいてくれませんか」

 戻るに戻れず、ちらりと先生を見やる。先生はやや首を傾げ、

「今の時間なにやってるの?」

「文化祭の後片付けなので、抜けても支障ありません」

「そっか、それなら友達もいてくれた方が安心するでしょうし、いいよ、おいで。ただ念のためマスクつけようか」

「はい」

 一条を先に行かせ、俺も中に入ると、保健室の扉を閉じた。

 どうぞ座ってと先生に催促され、俺と一条はソファに座った。

 ……なんとなく懐かしさを覚えるのは、中学の頃、コンクール前に勉強をここでしたことがあるからだろうか。

 薬品の並んだ棚。消毒液や体温計、絆創膏、ガーゼなどが置かれたテーブル。

 ベッド周りのカーテンが開いており、中のベッドが見える。現状ここに他の人はいないらしい。

 先生は慣れた手つきで棚を開き、マスクを二枚取り出すと、一条と俺に差し出した。

 一条は眼鏡をはずし、マスクをつける。俺もマスクをつけ終え、大丈夫かと隣を向くと、彼女はぎこちなく俺の方を向いて右手でつまんだ眼鏡を押しつけてきた。

「あの、すみません。持っていてくれませんか?」

「いいけど」

 机に置くのは駄目なのか、とは問いかける気分になれず、馬鹿正直に俺は眼鏡を持った。

「じゃあ、体温測って……ええっと、市川君、であってるよね? カーテン閉めて向こうにいてくれるかな」

「いえ、大丈夫です」

 一条はジャージのジッパーを手探りで見つけ、半ばまで開いた。……ああ、中に体操服着てんのか。

 おおう、と養護教諭の先生は驚いたような反応をしつつ、俺から一条が見えないよう微妙な位置に移動し、体温計をさした。それから、背筋を伸ばして浅く座っていた一条に、

「楽な体勢になっていいからね」

 その言葉を受けた一条は、そっと目を閉じソファにもたれた。相当しんどいらしい。

 熱を測っている間、一条は自分の症状を淡々と伝えた。

「頭痛、倦怠感、熱さ、鼻水、喉の違和感……」

 隣で聞いていた俺は、つらつらと増えていく症状に驚かざるをえなかった。

 全然わからなかった。

「少しだけ慣れないことをして、疲れたのかもしれません」

 最後に一条はそう付け足すと、先生はそっかあ、と同調するように顔を歪ませた。

「文化祭頑張ったんだね」

 紙にすらすらメモをしていく。

 話がひと段落着いたところで体温計が鳴った。先生は躊躇なく抜くと、苦笑交じりに体温計の値を俺に見せた。

「うん、これは早退した方がいいね」

「……38度5分」

 よく学校来れたな。

「一条さん。自分でご両親に連絡できる?」

「……あの、すみません。市川くん、代わりに打ってくれませんか?」

 一条からスマホを手渡される。

 まだ冷たさのあるスマホを操作し、パスワードは、と聞こうとしたらホーム画面になった。

 防犯意識ゼロかよ。

「えーっと、ピンで固定されているはずです」

 一条が告げた通りに、母親らしき人へメールを打った。見えてしまったが、履歴を見るに肉親相手でも淡白なのは変わらないらしい。

 体調不良で早退するが心配しないでほしい、というような内容のものを送信する。

「一条さん、通学方法は何?」

 内線の電話をしていた先生が戻ってくると、一条は端的に答えた。

「電車です」

「あー、できれば保護者の方にお迎えに来てもらった方がいいのだけど……」

 一条は身を起こし、やや戸惑うように俯いた。

「…………母は、勤務地がここから遠くにあります。し」

 しばらく言い淀んだ。火照った頬を暑そうに両手で触る。

「……その、こんな状態になっての我儘で申し訳ないのですが、あまり心配をかけたくないのです」

「気持ちはとってもわかるんだけどねえ……。そんなに具合悪いのに電車も危ないよねえ。うーん、でもその熱じゃ保健室にいるのもしんどいでしょう?」

 悩まし気な先生に、俺は諸々を考え、言った。

「私が送っていきますよ。何回が家に訪れたことがあるので、道も把握しています」

「えっ」

「ああ、それなら」

 承諾しかけ、先生はまたもうーんと悩み始めてしまった。

「市川君も早退扱いになっちゃうかもしれないのだけど……」

「構いません」

「……教師の立場で言っちゃっていいのかなあ」

「い、市川くんにご迷惑をおかけするのであれば、私は母に迎えを頼みます」

 固まった状態から戻ったのか、弾かれたように一条が俺を見た。眼鏡かけてないからなのか、若干目が合わない。

「でもそれじゃ、母親が来るまで待たなきゃいけねえんだろ?」

「それはまあ、そうですが」

「俺は別にいい。つか、サボれて楽だ」

 一条は黙り込んだ。

 困ったように一条と俺を見るも、結局先生は頷いた。

「じゃあ、市川君にお願いしようかな。ごめんね、ありがとう」

 そのとき、トントンとノックされ、扉が開いた。

 怠そうに学生鞄を持った村上だった。彼女はやや着崩した格好で、しつれーしまーす、と先生に目を向けた。

「あ、一条さんの荷物かしら」

「そうです。あと一応市川君の分ももってきたんだけどー。必要だった?」

「え、ほんと? ありがとう」

 先生が立ち上がり、村上から荷物を受け取った。先生は学生鞄を二つ抱えて俺と一条に手渡した。

「二人とも、これで荷物は全部?」

 一条は俺から眼鏡を回収し、先生から鞄を受け取った。膝の上に乗った鞄を無言で鞄を確認し始めた。

 俺はざっと復習用のノートや課題があるかどうかだけ確認し、早々に大丈夫ですと答えた。

 ポケットに手を突っ込み壁にもたれかかった村上に、俺は視線を投げた。

「村上、ありがとう」

「いーえー。あそうだ。今ゆーことじゃないけど、演技よかったよ」

「ああ、どうも」

 控えめな声量で会話して、沈黙した。

 数拍休んだあと、俺はふと思い出して声を出した。

「村上は化粧班だったよな。化粧のこととか分かんなかったけど、化粧するだけで別人になってびっくりしたわ」

「あーね。ならよかった。てか、アタシ基本実行委員のほう行ってたんだけど。よく覚えてんね」

「記憶力はいい方で」

「えマジ? いーじゃん。勉強得意そー」

 くるくると、カラーとブリーチで痛みまくった派手な金髪を長くて主張の激しいネイルの指に絡めていた。

 そういうお前も、授業中結構真面目にメモ取ってなかったか、とは言わないでおく。

 村上は一条の方をじっと見下ろして、ポケットからなにか取り出した。

「ねー、(じょう)ちゃん。これあげる」

 村上は歩いていくと、ソファに座っている一条と目線を合わせた。

 一条は差し伸べられた村上の右手に、ちらりと視線を動かした。

「……飴さん、ですか?」

「そーそ。いる? てか、もしかして条ちゃん、物に敬称つかうタイプ? かわいいね、ウケる」

 お前の一条に対する呼び方も充分ウケるだろ。

「いいんですか?」

「ん。文化祭お疲れ様、お大事に、ってアタシからのプレゼント」

 村上の手の上に乗った飴玉を赤らんだ顔で見つめ、一条は嬉しそうに受け取った。

「ありがとうございます。あとで舐めさせていただきます」

「……市川君もいる?」

 化粧が濃い顔で聞かれ、速攻で首を横に振った。

「いや平気」

「あ、そ。残念。で、条ちゃん荷物大丈夫そ?」

「はい。大丈夫です。ありがとうございます」

 村上は立ち上がり、先生に顔を向けた。

「せんせー。他になんかすることあります?」

「大丈夫。ありがとうね、村上さん」

「いえいえー」

 振り返って、一条に向け村上は手を振った。

「んじゃアタシ帰るねー。お大事に」

 バタンと扉が閉まる。

 常にローテンション、というよりは常にリラックスしてるだけなのか、村上は。

 よし、と先生は俺と一条の方を向いた。

「帰ってもらって大丈夫だよ。お大事にね」

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